今日は朝方の地震にキモがつぶれたのか、頭が全然まわらず、休むつもりでいました。
ところが、先ほどはんなり社長さんがコメントを下さったのを読んで、書く内容を思いつきました。
セールスのテクニックとか説得法で、相手の答え方を限定してしまうという方法があります。
たとえば、いろいろ商品があるなかで、A、B、Cの3つに絞ってお客さんに選んでもらうように誘導するわけです。
「当店の売り上げベスト3」などと、広告するのはよく見られますね。
こういうのは、まだ何を買ったらいいか決めていない客には便利です。ただ、お店のペースに乗るということもありますね。欲しくもない物を買ってしまうことがあるかもしれません。
会議のとき、「選択肢はこれこれ3つあります」などと聞かされることがあります。こういうことで、知らないうちに会議の内容がその3つに限定されてしまうことはよくありますね。
いわば提案者の得意とする土俵にいつの間にかあげられてしまうわけです。
これは意図的な誘導ともいえます。
空海と最澄の論争――この論争は宗教界ではたいへん有名な論争だったのです――を私は調べてe-bookにまとめておりますが、それはまさしく空海の誘導だったと思います。
私は宗教的な対立点にはあまり触れず、もっぱら人間の感受性の比較から、その対立をながめてみました。
自分でいうのもなんですが、これはなかなかたいした人間行動分析で、とてもおもしろいと思っております。興味のある方はL研ブックストアでどうぞ。
空海は自分の得意な土俵に最澄を引きずり出して、完膚無きまでに最澄をやっつけました。
ただ、宗教学者さんが言うような宗教論争を、空海が本気でやるつもりだったとは、私には思えないのです。もっと人間くさいものがあったような気がします。
いずれにしろ、最澄はおおいなる屈辱感を味わい、それ以降、天台宗派の僧侶が他宗と交わるのを禁じました。
また、最澄の死後、天台が密教集団に転じたのも、このときのコンプレックスが原因ではないかと、私は推理しています。
自分の土俵にあげるというのは案外簡単なのです。意図しなくてもそうなることがあります。
たとえば、いま何かと話題のマニフェスト。我々は、マニフェストに書かれたことで政党を評価しようとします。
ところが、はんなり社長さんが言われるように、そこに書かれていないことの方が重要だったりすることが、実はあるわけですね。
発表する側は、自分が触れられたくないことは、意図的に話題にしないということがよくあります。
ですから、そういうことにひっかからないようにするには、自分が聞きたいことを全部リストし、しかもそれに対して重み付けをし、それにしたがって評価するということが大事です。
これが巧妙な論者に騙されない手段でもありますね。
現実の戦いでは(本物の戦争だけでなく、営業折衝でも社内折衝でも)、いかに相手を自分の得意な土俵に引きずり込むかを考えるのが、重要な戦略といえるでしょう。
そういうのは、戦略の教科書の何々ページに載っている「なんとかメソッド」でやればよい、というわけにはいかんでしょう。
ビジネスクールやセミナーでは、戦略手法をあれこれ教えることはできますが、実際の戦略はそれだけ勉強してもつくれないでしょうねえ。もっとアートに近いものなのではないかと思います。
ところが、先ほどはんなり社長さんがコメントを下さったのを読んで、書く内容を思いつきました。
セールスのテクニックとか説得法で、相手の答え方を限定してしまうという方法があります。
たとえば、いろいろ商品があるなかで、A、B、Cの3つに絞ってお客さんに選んでもらうように誘導するわけです。
「当店の売り上げベスト3」などと、広告するのはよく見られますね。
こういうのは、まだ何を買ったらいいか決めていない客には便利です。ただ、お店のペースに乗るということもありますね。欲しくもない物を買ってしまうことがあるかもしれません。
会議のとき、「選択肢はこれこれ3つあります」などと聞かされることがあります。こういうことで、知らないうちに会議の内容がその3つに限定されてしまうことはよくありますね。
いわば提案者の得意とする土俵にいつの間にかあげられてしまうわけです。
これは意図的な誘導ともいえます。
空海と最澄の論争――この論争は宗教界ではたいへん有名な論争だったのです――を私は調べてe-bookにまとめておりますが、それはまさしく空海の誘導だったと思います。
私は宗教的な対立点にはあまり触れず、もっぱら人間の感受性の比較から、その対立をながめてみました。
自分でいうのもなんですが、これはなかなかたいした人間行動分析で、とてもおもしろいと思っております。興味のある方はL研ブックストアでどうぞ。
空海は自分の得意な土俵に最澄を引きずり出して、完膚無きまでに最澄をやっつけました。
ただ、宗教学者さんが言うような宗教論争を、空海が本気でやるつもりだったとは、私には思えないのです。もっと人間くさいものがあったような気がします。
いずれにしろ、最澄はおおいなる屈辱感を味わい、それ以降、天台宗派の僧侶が他宗と交わるのを禁じました。
また、最澄の死後、天台が密教集団に転じたのも、このときのコンプレックスが原因ではないかと、私は推理しています。
自分の土俵にあげるというのは案外簡単なのです。意図しなくてもそうなることがあります。
たとえば、いま何かと話題のマニフェスト。我々は、マニフェストに書かれたことで政党を評価しようとします。
ところが、はんなり社長さんが言われるように、そこに書かれていないことの方が重要だったりすることが、実はあるわけですね。
発表する側は、自分が触れられたくないことは、意図的に話題にしないということがよくあります。
ですから、そういうことにひっかからないようにするには、自分が聞きたいことを全部リストし、しかもそれに対して重み付けをし、それにしたがって評価するということが大事です。
これが巧妙な論者に騙されない手段でもありますね。
現実の戦いでは(本物の戦争だけでなく、営業折衝でも社内折衝でも)、いかに相手を自分の得意な土俵に引きずり込むかを考えるのが、重要な戦略といえるでしょう。
そういうのは、戦略の教科書の何々ページに載っている「なんとかメソッド」でやればよい、というわけにはいかんでしょう。
ビジネスクールやセミナーでは、戦略手法をあれこれ教えることはできますが、実際の戦略はそれだけ勉強してもつくれないでしょうねえ。もっとアートに近いものなのではないかと思います。
コメントありがとうございます。
>各政党にとってはイヤな有権者ですよ
そうかもしれませんねえ。
女性なら「イヤよ、イヤよは、好きのうち」
ということもあるんでしょうけどねえ。
え? まったく関係ない。こりゃまた失礼いたしました。
社会の嫌われ者にはなりたくありませんがね。