精華よもやま話   佐々木まさひこ議員のつぶやき

京都・精華町会議員佐々木まさひこのローカル日記

Kei・Sugarさんのご紹介

2010年02月28日 09時42分01秒 | イベント
 先ほどご案内した「ピースコンサート」に出演していただく、Kei・Sugarさんについてプロフィールを掲載しておきます。

 京都市生まれ。大阪で地方新聞の記者として働きながら、2004年から自作曲をピアノで弾き語りを始め、全国各地で音楽活動を展開。
 2007年、韓国「ナヌムの家」での「平和と友情のためのフェスティバル」出演。
 2008年、ベトナムでの「日本ベトナム平和友好コンサート」出演。
 CDは、2005年「多喜二へのレクイエム」、2008年「オリジナル集ー青い空を抱きしめて」、2009年「ひとりひとりがHERO」など。
 両親は、おとなりの木津川市在住。

 チケット・チラシを扱ってもいいという方、ご連絡ください。
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ピースコンサート

2010年02月28日 09時34分59秒 | イベント

 今日はピースコンサートのご案内です。

 と き 3月14日 日曜 午後1時半~
 ところ かしのき苑  (精華町南稲)
 参加費 500円
 内 容 Kei・Sugarさんのコンサート
     朗読&みんなで歌う会(リクエストOK)

 精華9条の会4周年記念として、音楽と詩を通して平和のことを考えます。
 前売り券は、佐々木でも扱っていますので、ご希望の方はご連絡ください。問い合わせも大歓迎です。
 なお、車がない方は、祝園駅12時50分発の精華くるりんバス(100円)が便利です。

 

 

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精華町議会3月定例会の日程

2010年02月27日 12時34分11秒 | 議会・地方自治
 先日、議会運営委員会があり、3月定例会の日程が決まったので、お知らせしますい。たくさん傍聴をお願いします。なお、今回から、本会議に限りインターネットでライブ中継されます。録画中継は、システムの関係でされませんが、早期実現に向けて検討が進んでいます。精華町議会のホームページからお入りください。
  3日 午前10時  本会議・提案説明
  4日 午前10時  本会議・代表質問
  5日 午前10時  本会議・一般質問その1
  8日 午前10時  本会議・代表質問その2
             たぶん佐々木はこの日
  9日 午前10時  本会議・議案質疑
 10日 午前10時  予算委員会その1
 11日 午前10時  予算委員会その2
 12日 午後1時半  予算委員会その3
             午前中は、中学校の卒業式
 15日 午前10時  予算委員会その4
 16日 午前10時  予算委員会その5
 17日 午前10時  予算委員会その6
 18日 午前10時  建設産業委員会
     午後1時半  総務教育委員会
 19日 午後1時半  民生環境委員会
             午前中は、小学校の卒業式
 23日 午前9時   代表者会議
     午前10時半 議会運営委員会
 24日 午前10時  議会運営委員会
     午後1時半  全員協議会
 26日 午後1時半  本会議・採決
             午前中は、川西小学校の竣工式
 という日程です。

 私は現在、「総務教育委員」「議会運営委員」ですので、本会議はもちろん、かなりの日程で追われることになりそうです。
 以前も掲載しましたが、私たちは会議に出席していればいいわけではなく、提案されていることの是非や各分野の実態調査の上で、改善すべきことを指摘したり、またまた条例や新制度を研究し、提案することが使命です。本当は、このような連日の日程を組まれると、なかなか厳しいのですが、3月議会は4月1日からの予算が関わっていますので、延長することは基本的にできず、いつも睡眠時間が減る時期になるのです。春は「春眠 暁を覚えず」というように眠たい時期なので苦労しますよ。
 予算や諸制度に関する、みなさんのご意見・ご要望もお寄せください。お待ちしています。
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オリンピック

2010年02月27日 12時20分37秒 | 佐々木の想い
 恐らく、昨日の午後から夜にかけて(もしかしたら今日もかも)女子スケートの話題で日本中が盛り上がっていると思う。一部新聞によると、韓国のキム・ヨナ選手の滑走時には、株取引が半減したということまで載っている状況だ。
 スポーツは、ドロドロした要素も少なく、正々堂々と勝負する限りにはさわやかさが伝わってくる。
 女子スケートの結果、8位までの「入賞」に日本からの3人全員が入った。素晴らしいことだ。
 新聞などの結果報道を見て、日本代表選手の指名を知らない場合、4人では?と思うこともあるだろう。アメリカ国籍の選手が日本名だからである。今回のオリンピックでは、元日本人選手がロシア国籍を取得して出場するなど、他国でも同様の現象がみられた。もちろん、合法的だが、こうなってくると、「国家同士のたたかい」「国を代表して」という意味合いが薄れているようにも感じている。
 オリンピックの定義からどうかは分からないが、開会式などは国順に入場する。一般論だが、ある競技のレベルが高い国にいると代表枠には届かないが、低いレベルの国からならその枠に入れるということも起こりうる。もし、本当に世界一を選ぶイベントなら、国の枠を撤去して個人枠でたたかう方がいい成績が出るとは思う。
 昔は(今でも一部あるとは思うが)、旧ソ連や東欧諸国では、国家プロジェクトとしてオリンピック選手の養成をしていたようだ。これからは、ますます国という枠をこえて展開されていくような気がする。
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普天間問題

2010年02月26日 09時08分22秒 | 平和・憲法9条
 今朝の新聞の読者の声欄に、普天間基地移設に関する意見が掲載された。要旨は、あるからどこかに移設するのではななく、日米安保のあり方を示して方向性を示すべきだ、というものだ。極めて筋が通っている。
 先日も、沖縄県議会で「県外移設」をもとめる意見書が全会一致で可決された。県議会には、国会に議席を持つほとんどの政党公認の議員がいるのだから、ある意味全政党の意見でもあるわけだ。
 ただ、前から気になっているのは、「あるものをなくす」という選択肢のなさである。危険な基地なのだから、積極的に受け入れるところが、そう簡単に或るわけではない。あるとしたら、原発のように地元への多額の財政措置をちらつかせた場合であり、住民全体が心底賛成しているとは言い難いケースだ。
 投書者も紹介していたが、アメリカ自身が日本におけるアメリカ軍の存在を見直す可能性を表明しているのだ。また、そもそも普天間基地が不適法に建設された経緯からも、「無条件返還」がもっとも相応しい措置だ。
 政府などは「抑止論」で洗脳されているようだが、まじめに考えれば普天間基地は抑止論では説明できない。
 在日米軍の実態は、世界的に見ても異常づくしである。正常な形に戻し、軍縮・平和の方向に向こうと思えば、自然に「道」は見えてくる。
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政党は当選のための道具?

2010年02月24日 14時56分35秒 | 佐々木の想い
 この間、自民党に所属していた国会議員・元議員の離党などが相次いでいる。党の方針と自分の考え方が合わなければ、そのようなこともあるのは分かる。ただ、新聞報道を見ていると「当選できないので」という理由が多いように感じている。
 政党とは、共通する政治理念でつながっている人たちの集団だ。自分が議員に当選するかどうかではなく、「こんな社会・地域にしたい」という想いが優先しているものだと思い込んでいた。そうではないようだ。
 地元の元自民党議員は、公募に応じて選挙区外から移ってきた方だ。「この地域に嫁に来た。一生この地域のために尽くします」というようなことを宣言していたとも聞いている。嫁入りというたとえもどうかと思うが、その方がいとも簡単に候補者を降りたということだ。高齢とか病気とかなら理解できるが、当選できそうにないというのは・・・そう感じるなら、当選できるように住民に働き掛けて努力するのが政治家ではないのか?
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うらやましい与党議員

2010年02月24日 14時42分26秒 | 議会・地方自治
 町議選挙後1年がたっていないのに、うらやましい光景に出合うことがある。
 先週は、いくつかの本会議や委員会があった。私が、初当選した頃は(今でもそうだが)、いわゆる野党議員であり、町長からは冷遇される。それはともかく、新入社員同様、1年間はどんなサイクルで議会が回っていくのか必死であった。入学式や運動会などのイベントにも顔を出し、どのような取り組みがされているのか見聞した。各種議案や予算・決算も同様、徹夜で過去の資料と見比べたりしていた。おかげで、それなりの理解が進んだものだ。
 精華の議会は、選挙のタイミングから、決算審議が先になる。ある意味いいことだと思っている。それは、実行したことの結果からみることができるので、翌年の当初予算を審議するための参考になるからである。
 さて、話を戻そう。先週、政府与党に属する1回生議員さんと複数の会議で一緒だった。その方は、昨年の決算本議会には欠席されたのに、今回の予算提案に関して何ら質問や意見を述べられなかった。たぶん、与党議員というのは優遇されていて、私たちよりも先にいろんな情報が入るのか、正規の会議ではさほど発言・質問しなくても十二分に理解が進んでいるようで、うらやましいのだ・・・
 委員会の時にも、校舎改修と学校の学期制の案件だったが、これも十分理解されていたようだ。私は、2日ほど前にいただいた資料に目を通し、疑問点をピックアップするだけで精一杯だった。
 政府・国会では、民主党幹事長室から審議中の予算の個所付け情報が漏れて問題になっているようだが、この種のことは前からあったのではないかという指摘もある。与党議員は、権力も情報も容易に入手できるようで・・・その意味では、うらやましいものだ。
 
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ふるさとをください

2010年02月21日 10時16分15秒 | 各地・分野の動向

 先日、タイトル名にある映画を観た。きょうされん30周年記念で製作された物で、精神障害者の作業所を通して、地域との軋轢と融和していく様を描いたものだ。本来なら、ものすごく長い時間を要して、紆余曲折があり進展していくものだが、1時間半程度の映画では、少し飛躍的な場面もあった。
 「きょうされん」は、以前「共同作業所全国連絡会」(だったかな?)という名称だったが改名された。映画も、東京から和歌山県庁に就職するために帰省した方が、地域や家族の誤解を解き、お互い理解し合うというもの。地域の方は「自分たちのふるさとによそ者が入り込み混乱している」というが、作業所側は「ふるさとを少し分けてください」という。ふるさとというものは誰もがあるはずだが、その背景には、精神障害者への理解不足で、地域にいられなかったり、家族の縁談に差し障ると言って社会的入院をさせているケースが多いので作業所の仲間たちには「ふるさと」がないことによる。
 私も、議員になる前の仕事で、同じような経験をしている。「いこいの村」という施設を作るための実態調査に回った。家庭もあったし施設もあった。病院関係は大半が精神科系統のところだ。中には「ろうあ病」というありもない病名で主会的入院を強いられていた方もあった。聴覚障害ゆえに職員や他の入所者とのコミュニケーションがとれず、「分かってもらえない」ストレスで暴れたために、手足をベッドにくくりつけてあった方もいた。そういう方たちを少しでも人間らしい人生を歩んでいただくために、仲間たちと力を合わせて施設建設を進めてきた。署名活動、カンパ活動、古紙回収などでの資金集め、各行政への実態報告と協力要請などである。そういう意味からも、この映画の意味するところはよく分かる。
 今では、昔ほどの偏見は解消してきたが、まだまだ存在する。
 京都の地は、その分野では理解が進んでいると思う。明治時代から障害者教育に民間人が立ち上がったり、岩倉の地域では地域ぐるみで患者のケアをしてきた歴史がある。
 精華町内にも作業所は存在する。その存在自身が大きな意味を持ち、地域の理解を広げていくものだ。

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大阪の文化は大丈夫?

2010年02月18日 07時05分33秒 | 各地・分野の動向
 以前にも、万博公園内にあった国際児童文学館の廃止を強行した、橋下知事を批判した。
 その後、文化に関しての動きがなかったものの、最近2つのニュースが報じられている。
 1つは、児童・生徒の演劇鑑賞予算を削り、子どもたち全員にUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパンという大阪にあるテーマパーク)に行かそうというもの。もう1つは、大阪府が設立したセンチュリー交響楽団への府の補助金をカットするというものだ。
 どちらも馬鹿げていると感じている。子どもたちの演劇鑑賞は、あくまで未発達の子どもたちに、さまざまな文化を体験してもらうためのものである。残念ながら、現在は映画はともかく、演劇、能、狂言、歌舞伎、民族舞踊などに接する機会は少ない。除外した映画でさえ、テレビ界が3年ルールを破り、数か月待てば自宅で無料で見られるようになっている。このことで、ロードショー館はともかく「2番館」「3番館」といわれていた老舗の映画館の多くが潰れている。映画も文化であり、商業ベースで作られるもののほかに、いいものもたくさんある。そういうものは、その2番館などで細々と上映されていたのに、その場が減りつつあるのだ。音楽にしても同様である。超有名な楽団や企業お抱えの楽団はともかく、日本では文化予算の貧困さで、食べていけないところも多い。そのような状況下では、自治体、とりわけ府県規模の自治体の役割は大きいと思う。
 短期的・近視眼的にみれば「いらない」と思えるものでも、長期的な視点では必ずその地域の基盤となるものも多い。「事業仕分け」にしても「満足度調査」にしても、今の必要性・今の満足度だけをものさしにするのは問題が多い。
 知事という立場の政治家は、そのあたりも含めて判断すべきではないかと考える。
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補足的な説明

2010年02月16日 06時48分47秒 | 佐々木の想い
 3日間にわたる「住民の意見を聞く会」が終了した。
 最終回の会場で、ある男性からの発言があった。それは、「議員定数削減を言う議員が辞めればいいではないか」という、恐らく私の発言を指していると思われる。
 これには背景と前例がある。
 私は議員定数は民主主義や地方自治を実現する視点で論じるべきだと考えている。決して財源論・経費論で判断すべきではないということだ。もし、大恐慌などで自治体財政がひっ迫するなどの場合は、異常事態だからこそ定数を減らすのではなく、ひっ迫している分議員報酬を減らしたり、場合によっては一定期間無報酬にしてでも、ある程度の定数を確保して、多様な意見が反映できる仕組みにすべきと考えている。
 しかし、この間の削減提案の多くが、まず「経費削減」「行財政改革のため」という財源論・経費論が論じられてきたのか現実である。提案者が、そこまで経費にこだわるのなら(この議論があったのは、改選5か月前という時期で提案は2人減)、提案者自らが辞職すれば「経費は浮く」のである。「少ない方がいい」という理由に合致するわけである。
 そして、それには精華町議会で前例がある。数年前の町長選挙だ。この選挙には、当時議員だった2人も出馬した。選挙前の一定時期までに辞職すれば、町長選挙と同時に議員の補欠選挙が実施される。ただ、議員辞職をせずに町長選挙に立候補すれば、立候補した時点で議員の資格を失うが、補欠選挙を準備する事務的余裕がないので、議員の補欠選挙は行われない。いわゆる、欠員のままということになる。出馬した2人の元議員のうち、1人は補欠選挙ができる時期に議員辞職された。理由を聞くと、「議員に欠員が出るのは民主主義にとって相応しくない。自分の代わりに誰かが議員として働くべきだ」ということだった。もう1人は、議員辞職せずに立候補した。理由は「議員が多すぎるので、辞職せずに立候補することで欠員を作る。すなわち経費を浮かす」ということだった。つまり、補欠選挙ができない時期に議員辞職すれば、その分経費が浮くのである。前述の例で言うと、町議選5か月前では、次期選挙まで補欠選挙は行われないので、「経費が浮く」ことになる。
 私自身は、この町長選挙の際にとった2人の元議員の行動は、前者すなわち補欠選挙ができる状態にすることが正しいと思う。なぜならば、賛否はあるにせよ、条例で定数が決められており、住民代表として必要な数を確保できないことは、民主主義を歪めるからである。住民側からみれば、22人送り込める=それだけ多様な意見を議会で論議できる=権利を侵害されたことになるからだ。
 結果として、町長選挙から次期町議選挙までの1年半ほど、21人で議会運営をした。
 経費論に戻るが、2008年12月の議員定数議案は、僅差で否決された。その次の3月議会では、定数削減に反対した会派から「議員報酬の10%削減」の提案があった。定数は22人なので、10%削減は、経費的には2.2人分つまり2人減提案より多くの削減につながるものである。しかし、定数を2人削減すべきと提案した議員さんたちは、この報酬カットに反対された。
 これは何を意味するのだろうか。本当のところ、経費の削減は理由でなかったのだろうか?これらの提案をした議員周囲からは、「定数を削減して、報酬を大幅アップしたい」という声も漏れ聞こえてくる。3人間の発言の中にも、「定数削減して報酬を上げよ」という趣旨の発言が目立った。
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職員を犯罪者扱いしていいの?

2010年02月14日 10時56分14秒 | 議会・地方自治
 うちの町のある議員が、情報公開請求をされたらしい。そのことは住民の権利である。
 その議員のサイトに、公開請求の結果が載せられていた。私は、内容を見ていないのでサイトに書かれていることの真偽は分からない。
 ただ、非常に気になる書き込みがあった。それは「開示された資料は作文かもしれない」という旨の書き込みだ。
 私も議員として、行政が所有する情報の開示を求めることはある。開示の程度によっては「まだ、もっと詳しいものがあるのでは?」という疑問を持つことはあるが、「作文した」というような「偽造」を疑うことはまずない。出された物は「事実」だと認識している。もし、偽造だと思うなら全ての事が信用できなくなるし、そもそも、仮に公文書を偽造しているなら「犯罪」である。これが、政治家の都合の悪い資金の動きを示した文書ならともかく、町職員が自分の職をかけてまでして偽造する必要がないのである。
 しかし、彼は「いくらでも作文できる」と公文書偽造の疑いを担当職員にかけているのである。彼も議員という公人であり、議員としてのサイトでの発言であり、責任があるのではないか?作文というなら、それを疑うに足りる証拠を示す必要がある。そうでなければ、議員が自分の自治体の職員を何ら証拠もないのに、犯罪者扱いしていることになり、政治家としてどうなのか?と資質が問われるのではないか?
 実は、先月開かれた会派の代表者で構成する「会派代表者会議」でも、この件とは別だが、同趣旨のことが話し合われており、そこでは「十分留意しよう」ということが確認されている。
 政治家である以上、他の会派や町長の評価・批判をするのは当然だが、それにはきちんと根拠を示す必要がある。もし、「噂」や「・・らしい」「・・だろう」という根拠の薄いことを理由として発言することが許されるなら、「あの議員は暴力団と関係ある」とか「不倫していた」などのデマも流すことができることとなり、それこそ健全な民主主義の発展を阻害することである。
 彼の書き込みから実は一定の時間がたっている。この間、私は彼のサイトを通じてでも訂正や謝罪をするのかなと待っていた。しかし、一向にその気配がないので、今回ここで指摘させていただいている。
 議会人として、また通常の社会人として、必要な行動を示すべきではないか・・・・
 この書き込みに対して、ご批判があれば遠慮なくご意見をお寄せください。
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一方的意見

2010年02月13日 18時04分20秒 | 議会・地方自治
 昨晩の意見を聞く会のこと。
 いろんな意見があっていいし、賛否両論の根拠や考え方を出し合い、次のレベルに議論を高めていくことが民主主義の本来の姿であり望ましいことだ。
 ただ、昨日の発言を聞いていて気になったことがある。それは、一方的な意見を出して「敵前逃亡」することだ。
 実は、昨日ある宗教関係者の発言があった。ここでは、その意見や根拠については批評しない。問題は、彼も発言の中で言っていたが、数年前の請願署名の代表者である。当時、私はその請願審査する委員会に所属していた。その頃は、まだまだ議会活性化の機運が現在に比べ低かったこともあり、大半の議案は議会内の審査のみで結論を出していた。しかし、議員定数問題の請願が出されたので、請願者および請願に賛成した住民の声を聞こうということで、私からも「請願者の参考人招致」=要するに議会の委員会にきていただき、請願の趣旨を述べてもらうとともに、委員からの質問に答えてもらうこと=を提案し、委員会としては珍しく参考人を呼ぶことを決定した。
 委員会の決定に従い、議長名で委員会に来てもらいたい旨の文書を送ったが、当日になり「拒否」されたのである。これにはビックリした。今では、他の請願や陳情でも、代表者又は代理の関係者に説明を求めたりすることはしばしばあるが、通常は「自分たちの意見を聞いてもらえる」という意味で積極的に意見を述べたり委員の質問に答えていただける。万一、代表者が病気やはずせない用務で来れないとしても、賛同署名をしている住民がいるのだから、その代理人でもたてて来られるのが望ましいことだ。
 しかし、その宗教家の方は前述のように来られなかった。私の記憶では理由は「用事がある」だったと思う。
 請願を提出するのは国民の権利であり、議会としてはその内容を真摯に受け止め、必要な調査や議論をするものだ。たとえ、その内容に賛成でなくても「門前払い」をするべきではないと思っている。冒頭にも書いたが、それが民主主義の基本的な方法である。
 請願を出しておいて、出しっぱなしで説明もせず、質問にも応じないという「一方的意見」では、民主主義は育たない。ましてや、この署名に賛同した方たちへの裏切りでもある。
 発言された宗教家の方は、「今回も署名したい」ということも言われていた。されるのはいいが、前回同様「出しっぱなし」は止めて欲しいものだ。
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コメントへのコメント

2010年02月12日 12時50分32秒 | 佐々木の想い
 12日づけのブログにコメントをいただきました。
 趣旨が不明なので的確なコメントはできませんが、12日付のブログの意味は、当日資料として現行の議会議員の報酬額を記載したものを配布させていただいたにも関わらず(月額表記なので掛ければおおよその年収は分かる)、「1人年間1000万円かかる」という意味の発言をされた方がいたので、想像で発言するのではなく事実関係を踏まえたうえで、意見を述べて欲しいという意味です。
 もちろん、私自身は立候補する前に、その時点での議員報酬額は把握していますし、それに対して文句を言っているわけではありません。
 また、「職業議員」に関する議論があるのは承知していますが、以前から述べているように、市町村長と議会は、民主主義の両輪でお互いの権力の暴走を抑制し、住民・国民の意思を1つでも多く反映させるところにポイントがあります。であるならば、「市町村長も職業化せずボランティアですべき」という主張とセットなら筋が通っていると思いますが、一方だけの主張は的外れです。また、もし、「ボランティア政治家」でいいということになれば、市町村長側も議会側も大幅に人数を増やさなければ、本当の意味のかみ合った政策論議はできないと思われます。それだけ今の仕組みは複雑怪奇な物です。今の市町村長や議会の活動スタイル(例えば会議の大半は平日の昼間)を抜本的に変更しない限り、「経済的に余裕のある住民」しか政治にかかわれなくなるし「公的制度として残業や休日出勤が免除される」ことにしないと、過酷な労働環境で働いているサラリーマンは関われません。結果として、氏がおっしゃるような国民のための政治を構築することが困難になるのではないかと思われます。
 私も、議員定数問題のみを議論することはあまり建設的でないと思います。氏のような意見も尊重したいので、できれば地方自治制度がどのようになれば、氏の主張されるような仕組みにすることができるのか、建設的なご提案をお待ちするものです。
 ぜひ、部分的・感情的でなく体系的・理性的な提案をお寄せください。お待ちしています。
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議員報酬

2010年02月12日 09時30分02秒 | 議会・地方自治
 昨日のブログにも掲載しましたが、昨晩第1回目の意見聴取会が開かれました。今晩に、第2回目が開催されますが、昨日の発言で1つだけびっくり&そういう誤解しているのか ということだけ、取り急ぎアップしておきます。
 定数削減賛成の意見を持つ住民の方の発言で、
 「町会議員は1人当たり年間1000万円ほどの報酬をもらっていると思うので、4人減らせばそれだけ町財政が助かる」という趣旨でした。
 賛否はともかく、私たち議員は1000万円どころかその半分も報酬はありません。分かりやすく言えば、一般企業の初任給程度の報酬です。しかも、年金掛け金や健康保険などは、使用者負担がないのですべて自己負担ですし、雇用(失業)保険にも加盟できませんので、何の保障もありません。
 また、役所や企業なら、仕事に要する経費は原則負担する必要はありませんが、私たち議員は活動すればするほど、少ない報酬の中から活動費に転用しています。実際、保険料・税金などを差し引いて毎月の生活費として使えるのは、私で10万円程度です。
 あと2回、聴取会はありますが、基本的なことは誤解なきようよろしくお願いします。
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議員定数の意見聴取会

2010年02月11日 09時20分31秒 | 議会・地方自治

 昨年12月議会に、現在22人の議員定数を4人減の18人にするという議員提案がされた。この議案に関して、住民の意見を聞くために今日から3回、町内で「意見を聞く会」が開催される。
 日程は、
  11日 午後7時~8時半 精華南中学校
  12日 午後7時~8時半 役場交流ホール
  14日 午後7時~8時半 光台コミュニティホール である。
 全国的には「削減」傾向があるものの、中には維持しているところもある。この問題を考えるポイントは、
 ①市町村長と議会は、権力を1か所に集中させない仕組みであるこ と。
 これは、お互いにチェックしあう関係が、現代民主主義の基本だ からである。例えば、人気のあった小泉総理が権力を独占していれば、いまより「構造改革」が進んだかもしれない。しかし、それは庶民に今よりも苦しい暮らしを押しつける結果になっただろう。国会というチェックで、独走は防がれ政権交代にまで進んだのである。
 ②住民自治をどのように実現するかということ。
 主権者は住民です。議員はその代弁者として存在します。もし、多数の声だけを代弁すれば、精華町でいえばニュータウン住民の意見のみが実現する。母子家庭や障害を持った方・難病者などは「少数者」として無視される(十分声が届かない)ことになります。議員が少なければ少ないほど、多数の得票がなければ当選できませんので、いきおい多数を擁する団体・地域に顔を向けます。それが、少数意見の抹殺につながるわけです。つまり、少数意見も汲み取ることができる(当然、少数地域もです
)仕組みを作るためには、どの程度の議員数が必要かということです。
 ③すべての分野に目を届かせる仕組み。
 現在、精華町の行政組織として、総務・民生・事業・教育・出納・上下水道・消防の7つの部があります。それぞれに日常多種多様な仕事をしています。それに対応する議会は、3つの委員会で分担しています。1委員会当たり7人の議員(議長を除く)で21人です。正直言って7人で分担しても、担当している部課の業務を把握し、問題点を洗い出し改善提案や新たな政策提案をすることは容易なことではありません。議員は4年に1度の選挙があり、毎回1/3~1/4の議員が新人と入れ替わります。これも、率直にいえば昨年初当選した議員の中には、十分分かっていないのに判断しているという現実があります。職員出身でない限り仕方がないのかもしれませんが・・・定数が減れば減るほど経験の浅い議員の占める割合が高くなり、議会の最大の機能とも言われている「チェック機能」を働かせる前にことが進んでしまうということになります。
 現実に、議会を休んだり与えられた仕事を十分こなせず失敗している新人議員も存在するのです。また、そういう失敗している議員ほど、「定数を減らせ」と言っておられることもあり、住民からは「自分に与えられたことをこなしてから、言えば・・」という声も寄せられています。

 まだまだいろんな視点はあるとは思いますが、ぜひ上記の会合に参加されて、「なぜそう考えるのか」という理由・根拠も示していろんなご意見を聞かせてください。私も、議運委員ですのですべての会場に参加します。

 

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