精華よもやま話   佐々木まさひこ議員のつぶやき

京都・精華町会議員佐々木まさひこのローカル日記

5軒に1軒が倒産

2010年03月30日 10時12分27秒 | 佐々木の想い
 景気の悪さが続く中、政府の緊急経済対策が出されている。具体的には、それぞれの自治体が使い道を考えるのだが、この対策経費の趣旨からは、地元産業の刺激が妥当な解釈だろう。
 精華町にも、いくつかの交付金が下りてきている。臨時雇用や学校関連の地デジ更新などに使われる予定だ。委員会では、私たちはもちろん地元発注を求めた。それも1社ではなく複数社の方がいい。でも、ある与党系の会派は、「安い方がいい」と地元にこだわらない発言をしていた。
 さて、府県はどうだろう。多くの県では、地元中小企業への発注に努力しているのに、京都府は少し違う。精華町と同じように府立学校のテレビ191台分を、京都ではなく東京の大手企業に発注している・・・どういうこと?
 この間、京都府は大手企業ばかりを見ていたのか、過去10年間で京都の企業・事業所は、5軒に1軒が廃業・倒産している。実に20%にも上る。
 地元産業を大事にしない自治体とは・・・一体誰のためにあるの?
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病院つぶし

2010年03月29日 08時55分37秒 | 佐々木の想い
 この間、全国的に医療をめぐる環境が悪化している。奈良県で起きた、妊婦受け入れ難航による死亡事故などでクローズアップされてきた。
 医療機関はいろんな種類がある。国立病院、都道府県立、市町村立や日赤などの公的病院。公立私立を問わず大学病院。民間の病院などだ。民間病院以外は、何らかの公的機関がバックにある。そのことが、患者の安心にもつながっている面がある。
 患者にとって、その病院の経営状態を十分に知る術はない。そんなこと気にしなくても、きちんとした医療を受けられることが肝心なのである。
 ところが、この医療問題がクローズアップされている時に、都道府県立病院を廃止した信じられないところがある。それは、東京都と精華町のある京都府である。2人の知事さんは性格も違うが、小泉改革に同調してきた点は似ている。今、小泉改革は失敗だったという評価が定着しているのに・・・
 そして、精華町のある相楽郡。「山城南医療圏」と言っているが、ここでは医師の数が全国平均の半分程度、京都府平均の3分の1ていどしかいない。何人かの開業医さんにお話をうかがったが、「医療環境の水準アップ」を声をそろえて訴えられていた。医療問題は、1つのちいさな町村だけでは解決しない。国や都道府県の能力・指導力が問われる。そんな時に、病院を廃止するとは、先が思いやられる。
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議会での怪奇現象その3

2010年03月25日 05時14分04秒 | 議会・地方自治
 26日に最終日を迎える精華町の3月定例会は、意見書などを除き委員会に付託されたすべての議案を採決している。あとは、26日の本会議で「議会全体の意思」として確認するかどうかという段階になっている。
 今回の定例会は、先日も書いたが不思議なことが相次いでいる。法では禁止されている「条件付き賛成」の討論があったり・・・そして、今回いくつかの議案に反対した会派がある。
 その会派の態度は、
 一般会計予算・・反対討論をして反対
 指定管理者の手続き条例の改正・・討論せずに反対
 集会所改築に際する地元分担金条例の改正・・討論せず反対
 精華病院設置条例の改正・・討論せず反対  である。
 不思議なのは、予算案以外の条例改正案への対応である。私たちは、住民から選ばれた公選の議員として、説明責任を果たす義務がある。一方、一般社会もそうだが、提案されたことに異議のない人は黙っていてもいいが、異議ある場合はその旨を述べることがルールであり、人間的にも「常識」である。議会の場合は、さらにそのことが求められるはずだ。そのチャンスが、「反対討論」なのである。
 そういう原則に照らしても、反対討論がないということは、反対理由が「ない」か、筋が通らない理由なので「言えない」としか理解しようがない。一々細かい反論はしないが、「集会所条例の改正」は、その会派が予算委員会で主張していた「早期の耐震性確保」のためにもなるものだと思うが、改正しないとそれがさらに遅れる恐れが強くなる。明らかに主張が矛盾している。
 26日の最終本会議では、「反対討論」に立ちその理由を明らかにされるとは思うが、何度も言うが「設明責任を果たさない反対」などは、議会人の常識としてあり得ない。
 議会内外で、他の会派・議員に対し、「無責任」「公約破り」「ダンマリはおかしい」「筋が通らない」「あきれている」などと批判をされていることもあり、(事実に基づく批判は自由ですが)自分たちの言動にも同じスタンスで行動してほしい。
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私たちは町長与党ではない

2010年03月23日 00時04分37秒 | 佐々木の想い
 ある議員のブログに、私たち日本共産党精華町議員団が「町長与党」であると記載されている。事実でないので解説するとともに訂正を求めたい。
 彼のブログには、意図してかどうかは分からないが、事実誤認が多すぎる。思い込んでいる結果なのかもしれないが、いろんな現象を都合よく解釈している結果、多くの事実確認が漏れ落ちているように思われる。
 さて、話を戻そう。前回の町長選挙には、私たち日本共産党も参加する民主町政の会から候補者を立ててたたかった。結果は落選だったが、対立候補を立てた側を「与党」と呼ぶのは決定的におかしなことだ。町長選挙後に「与党宣言」でもしているのなら分からないでもないが、そんな事実もない。もし、あるというなら何を指しているのか具体的に示していただきたい。また、町長選挙時に、当時の議員が連名で現職町長の再出馬を要請したと聞く。私たちはそれに加わっていないので詳細は分からないが、まずその内容を確認すべきだろう。
 蛇足だが、地方自治体と国会では行政権(総理・市町村長)の選出経緯が異なる。要するに、権力の源泉が違うのである。本来、与党・野党という言い方は、日本の国会のように、議会の多数派を確保する政党・会派のことを言う。いわゆる「議院内閣制」である。内閣は国民にではなく、国会に対して責任を負うのである。それに対して、地方自治体は、市町村長も議員も別々に直接選挙で選ばれる。そのため、議会の多数派が=町長支持ではないというねじれも各地で起こり得る。有権者のバランス感覚なのかもしれない。地方自治体の場合は、市町村長も議員も相手ではなく住民に対して責任を負うものである。
 精華病院の話題だが、平成17年の12月議会で指定管理者の議案が審議されている。この際に、私たちは反対したが、賛成多数で可決された。民主主義なのだから多数決でものごとが進むのはやむを得ない。制度に反対したから存在をも認めないという立場ではない。「住民福祉の観点」で、その進行状況の過程でも改善点は指摘する。当然のことである。
 ものごとには、その瞬間に判断できなくとも、歴史的に判断されることもある。過去の決定にもし瑕疵があったとしても、時間を戻せないものにこだわるのには限界がある。教訓にして未来にどう生かすかが大事な観点だ。これまでも、病院に限らず「あの決定はイマイチだつたな」とか「(実行しなかったことを)やらなくてよかったね。流行に乗ってやっていたら今頃大変なことになってたね」ということはいくつかある。
 平成17年当時、どの議員・どの政党会派が賛成したのかも問われる必要があるのではないか?責めているわけではないが、もし賛成しなければ、今のような議論はなかったのではないか・・・とも思われる。ただし、歴史に「もし」はないので、今の現実から議論をスタートさせないと前向き・建設的ではない。特に、医療行為は時計の針を戻せない。病院や医師の働きで死を回避した方や病気を完治させた方を、もう一度死や病の恐怖に戻すことなどできるわけがない。この問題の解決の視点は、あくまで「患者を中心とした住民のいのち・健康」なのである。
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阿久根市 百条委員会

2010年03月22日 23時12分20秒 | 議会・地方自治
 新聞によると、またまた阿久根市長が登場している。
 1つは、自分が提案した議案を審議する議会への出席拒否。何を考えているんでしょうか?3月議会は、予算を決める大事な議会なのに・・・
 2つ目は、高校の生徒処分案件に横やりを入れたとのこと。市長が後援会長を務める関係での言動らしい。もちろん、高校側は拒否したとのこと。賢明な判断だと思う・・・
 3つ目は、市の入札で、市長の親族企業が最低制限価格と1円差で落札したことだ。報道によると最低制限価格を決めるのは市長1人、札をあけるまでそれを知り得るのは市長しかいない。通常の市町村は、数人で最低制限価格を入れ合いその平均をとるので談合がしにくくなっているが、市長1人で決めていたということにまずビックリ。次に、制限価格と1円しか違わない入札事実にビックリ(しかも1円単位の入札とのこと。通常は千円単位くらいが大半だと思いますが・・)
 ここまで来ると、阿久根市議会は百条委員会を立ち上げて、強制力を持つ調査権を発動すべき事態ではないか?
 この間の市長の言動は、人権や民主主義を守るためのたたかいとは思えない。むしろ個人的感情やご都合主義的な側面が強い。特に、最低制限価格との1円差落札は、限りなくクロに近いのではないか?
 百条委員会は、慎重であるべきだが、抜かずに錆びさせてもいけない。
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寒の戻り?

2010年03月21日 23時07分43秒 | 今日のできごと
 今日は朝から「降るのかな?」という空模様だったが、「黄砂」とのこと。車がかなり汚れてしまった。
 そして、風の強いこと。昨日の続きかと思って、薄着をしていた方も多く「寒い」の連発だった。夕方以降に出かけることになり、昼間の服ではもたないと思い、着替える。夏の暑い日は、作業などで汗だくになった時着替えることは珍しくないが、冬の時期に着替えるのはほとんどないので、我ながら天候の読みの浅さに反省する。
 昼からは、知事選挙と同日投票となる予定の井手町議選の準備のため出かける。現在1議席だが、2議席を目指してもう1人の擁立を先日発表したところだ。年輩の方ではあるが元気である。
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文化財か・・・祝園駅

2010年03月20日 16時00分50秒 | 精華町
 先週のJRダイヤ改正で、学研都市線の精華町域も7両化が実現した。
 それはともかく、その工事の関連で、祝園駅の構造が大きく変わろうとしている。都市化する町としてやむを得ない感もある。
 ただ1つというか2つ気になることがある。
 1つは、祝園駅木津方面ホームの東側にある桜の木がどうなるかだ。春になるといつもきれいな花を咲かせていた樹木たちだ。今後、電留線建設に伴い伐採されるのではないかと危惧している。
 もう1つは、同じく木津方面ホームにある待合室である。先日、噂を聞きつけて現地の写真を撮った(アップしておきます)。ピントが甘いので読みづらいかもしれませんが、そこには「建物財産標 鉄 旅客上家1号 明治32年12月」と書かれている。どの程度の価値があるかは、素人の私では判断できないが、明治時代に作られた物なら立派な「文化財」ではないのだろうか?
 予算委員会でも問題提起したが、近くに奈良や京都のあるこの地域では、古いものが出てくることに慣れっこになっている。明治くらいは「まだまだ青臭い」と言われるかもしれないが、学研開発で古いものが散逸している面もあり、保存・記録が求められるのではないか?
 たぶん、旧ホームにあるので、今後撤去される可能性が高い。もしかしたら、あとわずかな時間で「見納め」になるかもしれない。
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集会所改築に伴う地元負担のこと

2010年03月20日 11時55分10秒 | 議会・地方自治

 現在開会中の3月定例議会で、タイトルの条例改正案が提案されている。ある議員のブログで私に対する指摘があったので、説明しておきたい。
 まず、前提の知識として、この改正案の概要だ。従来は、町立集会所の改築などに地元負担が1/2という規定だったものを、事情に応じて減額できるという条文を追加するという内容だ。
 その議員の属する会派の議員さんは、委員会では質疑はしたが、反対討論をせずに反対した。だから、現時点では反対理由は「ない」か「不明」ということだ。ただ、その会派の議員さんの本会議や委員会での質疑内容を聞いていて推測できるのは「分譲マンションにある管理組合が管理している集会所的なスペース(便宜的にマンションの集会所としよう)は、町有財産でないため、町からの支援が受けられない。それは不公平だ」ということだと思われる。
 この条例改正案の視点というか次元が違うので、議論がかみ合わない。
 そもそも町立の集会所は、町の財産であり、例えれば福祉センターや体育館と同じ位置にある。ただ、それらは不特定多数の方が一時的に使うので、時間単価などで使用料が決まっており、修繕費や改修費はその中に含まれていると解釈できる(もちろん政策的な意味での料金設定はされている)。それに対して、地区集会所は日常的にはその地域の自治会員がほぼ独占的に使用している実態がある。精華町の場合、地域ごとの自治活動・コミュニティ活動を支援するという40年来の方針から、1地区1集会所を基本としている背景もある。そして、その背景からしても自治会などの活動でいちいち町に使用料を払ってはいない(それぞれの規定で、会員外が使用する場合は自治会に使用料を払うケースはある)。
 という特殊な事情から、本来町立施設なので町の負担で改築すべきだが、地元の負担を求めているものである。もちろん、改築の発注者は町となる。また、従来の改築集会所の大半は、既存地域であり地元が、ため池の売却代などの共有財産が多額にあったところや下水道施設建設の地元貢献という理由だったということがある。ある地区では、当初予算は組んだものの地元の意向で地区の共有財産を活用して町基準以上の規模を有する集会所を建設したところもある。葬儀会社と契約して、葬儀場としても活用されていると聞く。
 ところが、昭和40年代頃から始まった精華町の第一次開発で建設された「団地(町外からの転入者が大半)」の集会所が老朽化し、しかも昭和56年以前建築の場合、現在の耐震基準を満たしていない恐れがある。そういう集会所改築を従来のルールで進めるのは無理があるということとなった。
 ここでポイントとなるのが地方自治法の考え方である。前述のように、法は町立施設や(ほ場整備など)町の事業であっても、特定の住民・団体が利益を得る場合には分担金を求めることができるとしている。ただし、その額は利益を得る範囲を超えてはならないこととなっている。最近20年くらいの町内の新築集会所の平均的な経費は、5000万円であり、その1/2は2500万円。仮に250世帯の自治会の場合、1世帯当たり10万円の負担となる。30年で割り戻すと、月300円弱となる。すべての世帯がつき300円以上の利益を得ているかと言えば、恐らくノーである。そうなると現行の1/2ルールは違法性を帯びてくる。
 さらに、現実問題として、先ほど述べたように現行の耐震基準を満たさないと思われる老朽施設が徐々に増えつつあるのに、自治会によっては1/2に到底届かないところも散見されるという「現実」がある。今の1/2ルールを変更しなければ、一定の地震で倒壊する恐れがあるのに、改築できないところが発生する。このことを放置できない。政治は「理屈」も必要だが「現実」にも向き合わなければならない。
 話を戻すが、ある会派の議員さんの推測的理由は「マンションとの不公平」であると思われる。今まで説明したように、まずマンションの集会所は町有財産ではなく入居者の共有財産=私的財産である。今のままでは、町に管理責任も改築義務もない。同じ位置づけで合理的理由もないのに異なる扱いをするのはどうかと思うが、そもそも土俵が違うものを同じモノサシで計ることに無理がある。まず、同じ土俵に上げる努力をすべきである。ある議員さんも仮にということで提起していたが、マンションの集会施設を町に寄付するということも理屈としては考えられるのかもしれない。ただ、私も研究不足なので、区分所有権が適用されている一部の施設のみを町が受け取ることが可能なのか、もしマンション自体を建て替える場合、その負担割合はどのように計算するのか、マンション自身が解体される場合、町の財産も無くなるわけで入居者からの補てんはあるのか・・・など現時点では分からないことも多い。もし、マンション関係者から本当にそのような声が多数であるなら研究してみたいとは思う。ただ、今提案されている議案とは、現時点では無関係なのである。
 また、「同じ税金を払っているのに不公平」という理論にも違和感がある。国や自治体が徴収する税金は、私たちが私的行為(電車に乗るとかラーメンを食べるとか)による売買関係にはない。つまり支払う金額と受け取るサービスには相関関係はないのである。むしろ、格差が広がった現在の考え方としては「所得の再配分機能」が中心である。簡単にいえば、たくさん儲けた人や企業が多くの税金を支払い、社会的に弱い立場の人や企業に回すことで「社会的公平」を確保しようとするものである。現実にも、国や市町村の予算でもそのようになっている。今の精華町は、都市住民が多数だが、場合によっては地元の農業や商業に回すことも現実にはある。
 最後に、「町は自治会の会計状況をチェックしていない」という指摘であるが、自治会はあくまで任意団体である。町が権力的に任意団体の会計状況を見ることはできない。そんなことを認めたら、(税の滞納処分など特例は除くが)私たちの財布の中をいつでも覗けることになる。あくまでも、信義誠実の原則で対応すべきことである。なお、条例改正案の中には、「自治会が虚偽の報告をした場合の措置」も謳われている。マルサのようにする必要はないのではないか?
 それと、ある議員が「私が住んでいる地区の建て替え議案」と言っているが、それこそが根本的な理解不足である。この議案は、第1号としてはそうだが、「今後、改築を要するすべての集会所」に適用される条例である。特定の集会所だけのものではない。ベテラン・新人を問わず、条例案を読めば誰でも分かることである。意図的に歪んだ解釈をしているなら住民をミスリードする恐れもある。

 

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またまた不思議な態度

2010年03月16日 08時24分48秒 | 議会・地方自治
 現在、予算委員会の最中である。連日、議案書とにらめっこしている。
 昨日、民生部関連の審議があった。介護保険や病院などの特別会計は、採決まで行った。そこで、不思議な態度が・・・
 それは、病院特別会計のことである。精華病院は4年前から指定管理者制度を採用している。施設の管理は町が担当し、病院の運営は指定管理者が担当するという仕組みだ。すなわち、病院運営で赤字が出ても町は補てんしないし、黒字でも町に臨時収入はないということだ。病院施設も30年が経過し、相当老朽化している。貯水槽も壊れかけているし、お風呂も狭く障害のある方は利用しづらいものである。大部屋は6人部屋で部屋の中にトイレもないというもの。最近の新しい病院と比べると見劣りがする。
 そこで、施設改善に予算を計上したころ、ある工事を(本来指定管理者が担当すべきなので)外すべきと要求した議員があった。現実論でなく原則論の視点では、うなづける面もないことはない。また、個々の議員が見解を持ち、その考え方で貫くことは政治家として当然でもある。その見解を責めるつもりはない。
 ただ、町長は正当な予算計上として提案している予算案であるため、法に違反するとかの指摘でない限り1議員に言われたからといって自分で修正することはあり得ない。この場合、議員側から修正案を提案するのが筋であり「提案型」議員活動の本来の姿だ。しかし、この予算計上に「外せ」と言った議員も、疑義を示していた議員も、結局は採決で「賛成」していた。
 ここが、私の不思議な点である。
 政治的見解が異なるなら「反対」すべきである。真っ向反対でないという場合でも、せめて「修正案」を提案して他の議員を議論に巻き込むことが必要だと思う。なぜなら、議案質疑は議員と町長側のやり取りが基本であり、議員同士の議論とならないが、修正案とすれば1つの議案的な扱いがされるので、議員同士の議論が可能だからである。
 それもせずに、賛成できないような主張をしておきながら、採決では賛成に回るということは、議案を政治利用していると思われても仕方ないのではないか?
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聴覚障害児デイサービス

2010年03月14日 08時26分08秒 | 手話サークル
 昨日、2009年度に試行的に実施されていた、聴覚障害児のデイサービス事業の取り組みの報告会に顔を出してきた。
 デイに参加した子どもたちやお母さんたちも率直な感想を述べていた。障害を持つお子さんたちは決して少なくはないが、聴覚や視覚障害の子どもは、府県で毎年20とか30人程度なので、自治体や校区ごとにすると「1人ぼっち」ということは珍しくない。子どもも淋しければ、子育てで悩んでいる保護者も孤立感を感じている。第一部が終わった段階で、子どもたちは屋外に出て生き生きと思いっきり遊んでいた。そのような姿を目の当たりにしたお母さん方やボランティアの関係者などは、「続けて欲しい」というのが率直なところだ。
 ただ、「継続」には大きな壁がある。今年度は、ある財団の寄付により京都市内と京田辺(山城会場)の2か所で実施されたが、人件費はほとんどかかっていない。材料費などに充てられており、交通費・食費などは自己負担の手弁当である。その上に、その団体が民主党の「事業仕分け」の対象となり、今後は従来のような動きが困難になると予想されているからだ。「事業仕分け」するのはいいが、もっと実態を見て欲しいし、削減するならその代替策を準備してほしい。昨日は、一部行政関係者も参加されていたが、彼らも含めてあの様子を見た人は、「無駄なこと」とは誰一人思っていないだろうと考える。天下りで数千万・数億円の給与・退職金を手にする人たちと混同しないでほしいものだ。
 テレビ画面では、ズバズバと切っていく勇姿と映るかもしれないが・・・切る内容を精査しないと、恐ろしい結末が待っている
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今日は・・・

2010年03月13日 11時47分53秒 | 佐々木の想い
 今日13日は誕生日。とうとう51歳になってしまった・・・
 それはともかく、今日はJRのダイヤ改正日だ。今回のダイヤ改正にはいくつかの特徴がある。平行して走る近鉄にも一部共通するところもある。
 その1つは、西日本の幹線を含む40余りの路線で、「減便」されていることだ。少子高齢化と団塊世代の大量退職、車社会の進行などで通勤・通学客が減っているところに原因があるようだ。最終電車の繰り上げ=早くなくなるも実施されている。
 その中で、京都付近の路線はちょっぴり元気である。嵯峨野線(山陰線)の京都~嵯峨嵐山が完全に複線化され(厳密に言うと、京都駅からしばらくの間は単線のまま)、すでに複線化されている園部までが、増発・スピードアップされたことが1つ。そしてもう1つは、地味だが学研都市線の京田辺~木津の7両化である。従来は、京田辺駅で4両と3両に分かれて運行していたので、その作業時間が無くなるわけだ。ただ、単線という事情は変わらないので、改正後のダイヤでもさほど時間短縮はされていないし、むしろ時間がかかっている電車もある。どうなっているの?
 さて、その7両化はいいが、精華町内でホーム延伸した状況がひどい。ホーム幅は広くなるどころか、狭いままや下狛駅に至っては、人1人通れる程度のホーム幅のところもある。せっかくの改善なのだから、もう少しなんとかならなかったのだろうか?
 今後も、祝園駅に電留線(夜などに電車を留置させておくところ)設置工事が進められることになっている。結果として輸送力増強になるので、来春のダイヤ改正では、もう少し使いやすいダイヤにしてほしいものだ。
 
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ピースコンサートの参加呼びかけ

2010年03月12日 18時13分13秒 | 平和・憲法9条
今日はピースコンサートのご案内です。以前もご案内しましたが、いよいよ2日後となりました。1人でも多くのご参加をお待ちしています。

 と き 3月14日 日曜 午後1時半~
 ところ かしのき苑  (精華町南稲)
 参加費 500円
 内 容 Kei・Sugarさんのコンサート
     朗読&みんなで歌う会(リクエストOK)

 精華9条の会4周年記念として、音楽と詩を通して平和のことを考えます。
 前売り券は、佐々木でも扱っていますので、ご希望の方はご連絡ください。問い合わせも大歓迎です。
 なお、車がない方は、祝園駅12時50分発の精華くるりんバス(100円)が便利です。
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不思議な予算審議

2010年03月12日 17時55分19秒 | 議会・地方自治
 10日から2010年度の予算審議が始まっている。今日で3日目だ。これまで、総務・消防・事業・上下水道・出納関係の審議が終了し、残りは民生関連と教育部の時間切れ残り部分となっている。
 教育委員会関連の審議で、学校の施設整備の議論があった。その時の不思議である。
 このブログでも紹介したが、昨年12月議会に住民1500人余りから「教育に関する請願」が提出された。12月議会では数項目ある請願事項の調査もしんどいので、継続審査となっていた。1月の下旬にその審査を行い、12月の合意通り1つ1つ採択すべきものとすべきでないものを明確にする予定だったが、結果として約束違反の一括採決となった。採決の結果は、私以外の全委員の反対で「不採択」である。
 請願項目の中には、精華中学校・南中学校へのエレベーター設置などによるバリアフリー化も入っていたのにだ・・・
 そして、この間の予算審議では、精華中学校と精華南中学校にエレベーター設置について、請願に対する態度は反対だった同じ会派の議員が「トータル的に対応すべし」と耐震化やバリアフリー化を賛成しているのである。
 もちろん、私たちはバリアフリー化は進めるべきという立場である。
 恐らく、継続審査となっている「教育に関する請願」は、26日の最終日に本会議で採決される予定になる。その際に、この会派の議員さんたちは、どのような態度をとるのだろうか?
 議会は言論の府なので、意見や政策の違いは当然あっていい。しかし、言うことがコロコロ変わるのは止めて欲しい。本心が分からなくなる・・・住民からも、議員の発言の信用性が疑われるのではないか。万一、意見を変えるなら、その経過や理由を明確にしてほしいものだ。
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不思議な愛犬

2010年03月10日 22時42分36秒 | 佐々木の想い
 うちには、6歳になる愛犬がいるが、未だに解明できていないことがある。犬種は、コーギーだが生まれる前に尻尾を切らないでほしいとお願いしていたので、珍しく尻尾がある。
 表情も豊かで、顔と鳴き方でおおよそ何を求めているのか分かるし、その意味では分かりやすい犬だ。
 ただ1つ不思議なことが・・・・
 それは、食事のタイミングか良すぎるということである。犬なので、嗅覚はいい。料理をしていれば嗅ぎつけるのは当たり前だ。でも、料理中には近づいてこない。場合によっては2階で寝ていることもある。食事ができ上がって、家人が食べようとするタイミングで現れることが多い。もし、香りだけなら、料理中に現れても不思議はないのに・・・
 人間の食事を与えることは良くないと言われている。それに徹した頃から、食事開始のタイミングでは現れなくなった。しかし今度は、食事が終わったタイミングで現れるようになっている。順番として、人間の次というルールを覚えているからだと思う。
 そのくらいのルールは普通の犬でも理解するとは思うが、この間の「食事が終わるタイミング」だけはなぜ分かるのか理解できない。例えば、完全に終わって、食器を洗い場に運ぶなどの動作があれば、音などで察知するということは想像できるが、この間の反応は、ほぼ食べ終わった頃を狙っての登場なのである。
 犬好きの方で、この不思議が解明できる方、ぜひ教えてください。
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核密約  だまし続けた自民党

2010年03月09日 23時00分27秒 | 平和・憲法9条
 夕方以降のテレビ・ラジオでは、核密約のことが繰り返し放送されている。
 それらによると、核密約を直接的に証明する書類はないが、状況からして密約があったとのこと。夜の番組では、歴代の外務官僚がその存在を認めていた。
 歴代の自民党政権は、このことを知りながら、長年国民を欺いてきた。だまし続けるのも甚だしいと言わざるを得ない。恐らく、従来の自民党支持者でも、このようなふざけただましを続けてきたことに愛想がつきているだろうと思えるほどだ。
 いろんな文献では、すでにアメリカの情報公開制度を駆使してこれらのことを証明しているジャーナリストも多い。しかし、自民党政権は、公式には一切認めず国民をだまし続けた。麻生前総理に至っては、「ないと言ってきたことが、日本の安全保障のためで、賢明なことだった」と開き直っている。
 自民党はもちろん、これまで連立を組んできた政党も知っていたはずである。思いつく範囲でも、社会党・自由党・さきがけ・公明党も同罪ではないか?このままでは、政治家の言葉は一切信用されなくなる。
 歴代の総理大臣・外務大臣・防衛大臣経験者は、すくなくとも責任をとって退場すべきではないか・・・
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