精華よもやま話   佐々木まさひこ議員のつぶやき

京都・精華町会議員佐々木まさひこのローカル日記

今年もあと少し

2009年12月31日 21時33分46秒 | 佐々木の想い
 現在、夜の10時少し前。もうあと2時間ほどで2009年が終わり、新しい年がやってくる。
 今年1年はいろんなことがあった。個人的にも社会的にもだ。1つ1つの現象だけをみて大騒ぎすることも時にはいいのかもしれないが、ものごとはやはり大局的に見る必要がある。景気・経済循環も20世紀の理論では説明つかなくなっているし、20世紀では戦争や核はいわゆる「必要悪」みたいな扱いだったが、今年は超大国アメリカ自身が「核廃絶」わ言い始めた。2010年5月には、国連で核問題を話し合う国際会議が予定されている。唯一の被爆国として、日本国民の声を届ける必要もある。
 先日、あるテレビ番組で「資本主義の功罪」のような報道をしていた。全部見ていたわけではないが、やはりこれだけ開発途上国が台頭し、金融資本主義といわれる実態を無視したマネーゲームのような状況を維持し続けることは困難になっている。やはり、まじめにモノづくりに軸足を置き産業振興を進めるべきだ。私も、資本主義が「来年にでも」という近視眼的に崩壊するとは思っていないが、確実に「強欲資本主義」は壁にぶち当たっている。日本でも、これだけ格差が広がっては、1%の富裕層が99%の庶民を踏み台にしている状況を続けることはできないであろう。政権交代もその一面である。
 どちらにしても、来る2010年が明るい年であることを祈る。
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自殺者3万人超

2009年12月28日 01時30分22秒 | 佐々木の想い
 先日、今年も自殺者が3万人を超えたことが報道されていた。これで、14年?連続であるらしい。
 3万人と一言で言うが、わが精華町の人口が3万6000人ほどで、それに匹敵する。1年間で1つの町が消えていることになる。ちなみに、3万人を365日で割ると、1日平均82人が自殺していることになる。3万人の命の後ろには、少なくとも6万人の両親、祖父母や子どもたち、友人たちまで入れれば、相当の数の人たちを悲しませていることになる。最近では「自殺」ではなく「自死」という言葉を使う方もいる。
 ある宗教者の言葉だが、「待つということができること それは未来があるからこそである」
 未来が見通せなくなると、待てなくなる。一般人は「そんなに急いでどうする」という感覚で接するのだろうが、将来を悲観した人は「待つ」ことができないのであろう。事実、借金していれば、日が経つにつれて利息は大きく膨らんでいく。返済の見通しがなければ、未来など考えられないのだ。
 今の社会にすり合わせて考えてみると、正規雇用が激減し、非正規雇用が激増している。そして、非正規雇用の人たちは、都合のいい調整弁として働かされている。景気が落ち込めば、いつクビになるのか分からないという不安を絶えず抱えて暮らしているのだ。
 私も、議員になる前は社会福祉施設の職員だった。給与など待遇はさほど良くはなかったが、借金してまでして生活するほどでもなかった。福祉現場というのは、ボランティア感覚とはずいぶん違う。高齢者や障害者に親切にし、自己満足している訳にはいかないのだ。高齢者にも障害者にも人権がある。保護や支援を受けているからと言って「自己決定権・選択権」が否定されたり制限されてはならない。また、高齢であることや障害を持っていることで(最近ではオレオレ詐欺に代表される)さまざまなトラブルに巻き込まれることがある。ギャンブルや裏社会と関わった経験があったり、借金癖がある場合などは、なかなか抜け出せず泥沼に巻き込まれることもある。現職時代には、やくざ屋さんとも渡り合ったし、とあるカルト宗教団体とも向き合ったことがある。
 もし、そのような現場の第一線で働く者が、「明日の自分の生活」が心配でならなかったら、「他人事など考えていられない」だろう。借金話などに関われば、下手すれば自分も巻き込まれる可能性だってある。福祉現場に限らず、自分本位ではなく他人の事も視野に入れて、また教育などは即効的な効果ではなく子どもたちの10年後20年後の姿を夢見て働いているのだ。それは、「未来を見通す余裕があり、その時を待てる立場にある」からでもある。
 派遣切り、ネット難民・・・といった活字が新聞紙上をにぎわせている。1年前も同じように日比谷公園などでテントが張られた。1年が経過したが、今年も「派遣村」が設置されるようだ。しかも、今年は「一歩前進?」で行政が運営する「官制の派遣村」が誕生するとのこと。
 そのことを止めろとは言わないが、政府・政治は派遣村が出現しなくてもいい社会を作る気はないのかと思う。
 1人でも多くの国民が、未来に希望が持てる、希望まで行かなくても「待てる時間」を持てる=自殺を踏みとどめられる=環境を1日も早く構築すべきではないか。
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お待たせしました

2009年12月25日 23時47分27秒 | 佐々木の想い

 前回の更新から半月ほど経過してしまった。
 この期間は、12月定例議会の期間でした。本来なら、逆に毎日でも更新すべきだったのですが、今回は異常に多忙で、疲れる議会でした。その間、体調もあまり良くなく、とうとう昨日、医師から薬を処方されました。
 あまりにも期間が長かったので、何から書いたらいいか迷っています。そうそう、「公約とは」にしましょうか?
 私たち政治家は、選挙の際に公約をします。もちろん、有権者に対する約束ですから、簡単に守らなくてもいいと言えるような軽いものではありません。ただ、執行権を持たない合議制の議会議員の場合、そう単純なものでもありません。民主主義ですから、最終的には採決で多数の論理が優先されます。それなら「少数意見は抹殺されるのか」ということになりますが、その答えは「イエス」でもあり「ノー」でもあるのです。それはある意味「政治は妥協の産物」でもあるからです。
 たとえば、ある議員が「住民の負担をなくします」という公約をしたが少数意見だった場合、まったく無視されることもありますが、他の議員からも「無料にはできないが、確かに現行の負担は重すぎる」といった認識を持たれ、最終的には無料ではなく「半額負担」なり「3割負担」なりの結論に達する場合があります。もちろん、執行権側=行政側のある程度の同意と財政的現実性があってのことですが・・・
 その「妥協の産物」を得るためには、議員間・会派間の調整や、各委員会での実態調査・当事者である住民の意見聴取が必要になります。ここに、合議体としての議会の意味があり、民意反映の仕組みがあるのです。
 もちろん、なかなか結論に達せず、しびれを切らして、ダメ元で「単独提案」することも政治的にはあり得ますが、その場合は否決覚悟でもあるし、最悪「公約実現」を諦める瞬間でもあるわけです。その判断は、一人ひとりの政治家の政治的判断ですから、評価は将来の歴史が判断するでしょう。
 最悪なのは、他の会派・議員と全く協議もせず、住民の意向も聞こうとせず、単独で突如出される提案である。「ダメ元のパフォーマンス」なら理解できないこともないが、時にはこれらの行動が政治的に利用されることもあるので、要注意だ。
 私たち共産党議員団は、少数派なので、以前はこのダメ元的な行動もあったが、最近では会派制もあるので、できるだけ事前に他の会派に原案を提示して協議を願っている。真摯に対応=部分修正を求めてくるとか=される場合もあれば、ギリギリまで反応なく結局否決される場合もある。ただ、私たちの提案に道理があれば、「共産党提案だから」という低次元な理由で一蹴されることは少なくなっている(と信じたい)。
 12月議会では、ある議員、2つの会派からある提案が突如出された。現在は、重要な提案なので、さらに広く調査し住民の意見も聞くために「継続審査」となり閉会中も委員会で検討することとなっている。ある意味、その提案を一蹴して否決していないので、民主的な手続きである。
 しかし、一部には、この「継続審査」になったことを、いかにも否決という結論がある前提で、他の議員を非難したりする傾向があるようだ。可決とも否決とも決まっていない時に、このように騒ぐのは「政治的意図」を感じる。
 私たちの「公約」は、任期の4年間で実現すべきものだ。しかも、方向性は間違っていなくとも、経済情勢や諸般の理由で、時には実現されないこともある。そのことを「さぼっていた」と判断するのか「やむを得なかった」と判断するのは、あくまで有権者である。
 提案した議員さんは、「支持者から急かされている」などと理由を述べていたが、それだけの理由で、法的には早くとも3年以上先にしか実現しないことを、選挙後半年で、議会内の議論もせず・住民の意見も聞かず「公約したから」という理由だけで「瞬時に結論を出せ」と迫るのは、どうみても不自然である。
 詳しい各論は、またゆっくりアップしたいと思います。この提案理由は、日本語的にも理解不能なものでしたので・・・

 

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12月議会日程

2009年12月10日 23時06分18秒 | 議会・地方自治
 今日から12月議会が始まった。日程をお知らせします。
 12月11日 金 午前10時 一般質問 佐々木は多分午後です
    14日 月 午前10時 一般質問
    15日 火 午前10時 一般質問
    16日 水 午前10時 議案質疑
                全員協議会
    17日 木 午前10時 総務教育委員会 請願などの審査
          午後1時半 建設産業委員会
          午後3時半 議会運営委員会 定数議案の審議
    18日 金 午前10時 民生環境委員会
          午後1時半 予算決算委員会
    21日 月 午前10時 議会運営委員会
    22日 火 午前10時 議会運営委員会
          午後1時半 本会議・採決

 佐々木の一般質問は、清掃センター問題と学研開発問題です。恐らく、11日の午後だと思われます。傍聴は簡単です。役場6階の議会事務局で申し込んでください。また、2階ロビーでもテレビ中継されます。
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受益者負担

2009年12月08日 00時04分54秒 | 議会・地方自治

 今、地区集会所の建て替えに伴う地元負担をどの程度にするかが焦点となっている。現行の条例では、1/2負担となっているが、この間の集会所の建設費が5000万円程度で、こり1/2となると、2500万円、仮に250戸の自治会では、加入率100%としても1戸当たり10万円の負担となる。しかし、果たして、1戸あたり10万円分もの活用するかといえば、そんなことはない。地方自治法でも「受益の範囲」を超える地元負担金を自治体が住民に求めることを禁じている。もし、そんなことを認めれば、法や条例で平等になるように決めている「税負担」に比べ、行政の恣意的な判断で「税外負担」をいくらでも取ることができることになり、税制民主主義が侵害される。
 日本では、「受益者負担」といえば「当然だ」という雰囲気があるが、国際的には少数派だ。なぜかというと、現瞬間に利益を得る人と負担する人を同じにするということは、普通の「売買取引」であり、社会保障でも所得の再分配でもないからだ。簡単に言えば、政治の存在理由が「所得の再分配」といって、儲かった人・企業から「税
」という形でお金を頂き、それを社会的システム(警察とか道路とか裁判所とか学校とか・・)に回すとともに、一定水準以下の所得しかない=低所得者層に文化的な最低限度の生活を保障することが最大の理由だからである。
 しかし、社会的システムである以上、受益と負担が同一になるものばかりではない。例えば「学校」。小学校・中学校は義務教育だが、ここではまったく儲からない。施設費や教職員の人件費が膨大にかかる。でも、これを「切れ」という人はまずいない。それは、今すぐに結果は出ないけど、将来的には意味がある営みだからである。
 集会所は教育施設でも福祉施設でもないが、「的」存在だ。だが、「地元負担」の内容は、「これまで自治会員だった人の負担」である。その中には、「すでに亡くなった方」「他の地域に転居された方」も含まれる。この方達は、集会所を使うことができない=受益者ではないということになる。反対に、「地元負担金」を払った後に自治会員になった方や自治会に加入していなかった方は、「負担はなく受益だけがある」ことになる。
 現行の制度では、このあたりの矛盾を解決できない。
 政治がもっと信頼されていれば、北欧諸国のように「高負担高福祉」が最適だと思うが、政治に信頼がないため「受益者負担」という形で、「福祉サービスを受けた時」「病院にかかった時」「子どもを保育所に預けた時」など、その瞬間の具体的な受益を基準に「負担基準」が決まる。まるで「買い物」である。
 私たちは、短期的視点だけでなく、長期的視点で物事を見ていかないと、結局は「高負担低福祉」の国になる恐れがある。

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納骨

2009年12月07日 00時22分35秒 | 佐々木の想い

 6日の日曜は、今年1月にガンで逝去した妻の「一周忌&納骨」だった。弟さんは、富山に住んでいるがわざわざ来ていただいた。無事納骨も済ました。
 自宅には仏壇がないので、最初のうちは、骨壷や焼香台の存在は、それなりに違和感があったが、1年近くたつとすっかり馴染んでしまい、ない方が違和感がある。ある意味、人間の「慣れ」「習慣」とは恐ろしいものだと感じた次第だ。
 お寺はね京都市内なので、朝の町内会の一斉清掃を済ました後出かけた。京都は、まだ「紅葉シーズン」の最終盤なので渋滞も危惧したが、さほどの渋滞にも巻き込まれずに早目に到着できた。それにしても、市内に入る他府県ナンバーの多いこと。「なにわ」「奈良」「和泉」は当然のこと、「横浜」「練馬」「尾張小牧」「香川」「長崎」「福岡」・・・と走っている。京都の道を走りなれていない車に近づくのは危険だ。しかも、これらの車は、高速道路1000円キャンペーンで、長距離を走り続けて来たのかもしれない。としたら、相当お疲れだろう。
 高速道路の無料かもいいが、ちょっと優先順位がおかしいのではないだろうか。そんなお金があるなら、まず、困っているところに回すなり、経済を刺激するために使ってほしい。

 

 

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私のしごと館

2009年12月04日 12時43分06秒 | 各地・分野の動向
 先日、あの有名な「私のしごと館」のあり方を市民レベルで検討するフォーラムに参加した。日曜日にも関わらず、60人程度の参加だったのは残念である。
 あのような「巨大な施設は不要だ」という意見があるのは承知している。それが、建設される前なら中止や計画変更を求める動きもできたが、すでに6年が経過している。当初は、来年8月まで「民間委託」で経費節減を図るとともに、今後のあり方が検討される予定だったが、政権が交代してその期日が来年3月末に繰り上げられた。その途端に、学校関係などの予約も激減したとのこと。いわば、再生可能かどうかを実証とている最中に「死刑宣告」されたようなものだ。
 さて、フォーラムでは、あの「アニメの殿堂」的なものに活用するとか環境関連の大学を設置するなど「夢物語」から現実対応までさまざまな意見が出された。どれも、傾聴に値するとは思うが、なにしろあと4ヵ月しかなく、現実対応が必要だ。何事も新しくスタートする場合は、数ヶ月前、場合によっては何年もの歳月をかけて準備するのが常識だが、これでは来年4月以降「空家」になってしまう。放置すれば、建物も朽ち果てて周辺は草ぼうぼう状態になるだろう。学研都市のメイン道路が、そのような状況で放置されるのは避けたいものだ。
 フォーラムの途中で、司会進行役から参加していた地元市会議員・町会議員の意見を求められたが、政権与党の議員から「ここで発言なするのはなじまない」と拒否の発言があった。自民党・公明党が与党時代には、現与党議員の発言も切れがあったように思うが、与党になってからというもの、与党が進めようとしている議会意見書でも(保留ではなく)「反対」するというおかしな状況が起こっている。「しごと館」問題でも、うかつに発言できないということだろうか?地元の政治家としてはどうかと思う。
 木津川市長や精華町長からは、厚生労働省が「アウトレットモール」への転用を前提にしていて、他の省庁の意向ヒアリングもしていないことが明らかにされた。どう活用するのか調べもせずに、「廃止」だけを先行して発表するのは無責任である。
 どちらにしても、このままでは来春には「空家」となる。現実対応を考える時間的余裕もない。政権与党は、少なくとも当初予定の8月までは存続させて、その間に次の活用策を鋭意検討する方向に舵を切るべきではないか?
 特に、地元の方やしごと館に行かれた方のご意見をお寄せ下さい。厚生労働省に直接提案されても結構かと思います。
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葬儀の参列

2009年12月01日 01時11分27秒 | 議会・地方自治
 私たち地方議員は、いろんな方と対話する機会があるので、知り合いも多くなる。条件があれば、その方たちの葬儀に参列することもある。それは、個々の自由だし、奨励したり禁止したりとは思わない。
 ただ、1つ理解して欲しいことがある。私たちも何かと予定があるということだ。当たり前といえば当たり前のことだが、住民の中から「○△議員が、父の葬儀に参列してくれた」、裏を返せば「××議員は来なかった」という類の話をよく耳にする。遺族としての感情はお察しするし、私も経験者としてそのような思いを持つこともある。
 個人名は出せないが、議員の中には公務を抜けてまで、地域の方の葬儀に参列するケースもある。そうなると、私たち地方議員としての責務を果たしていることになるのだろうかと疑問を持つ。例えば、お昼12時からの葬儀がある場合、11時45分・50分頃に退席し、着替えて参列し、午後1時からの会議に滑り込むという方もあった。委員会の途中で「町内会の方の葬儀なので・・」と早退する議員。逆に、そのことを理由に遅刻してくる議員など、数えればきりがない。多くの場合、自分の質問や発言がない時間帯だったり、重要案件での採決がない場合だが、(その議員にとってはそうかもしれないが)それでいいのだろうか?
 今、議会基本条例の具体化作業をしている。私からも問題提起したことがあるが、現行では欠席・早退・遅刻をしても何のペナルティもない。議員報酬を引かれることもない。逆の言い方をすれば、有給休暇はないし、親族の慶弔に関わる特別休暇制度もなければ、産休・育休制度もない。でも、前述したようなケースで遅刻・早退するケースと親族の不幸ごとなどで欠席するケースは、果たして同一に扱っていいのだろうか?幸い、今のところ妊娠している議員はいないが、もしいれば産前産後の休暇は「公休」になるのか一般的な「欠席」になるのかといえば、記録上は「欠席」である。それも可愛そうだ。
 議員は常勤ではないので、欠席とか遅刻とか早退といった扱い方が難しいとは思うが、公務優先の原則はあると思っている。その公務を果たせない個人的理由が、(親族とか隣組ではない)「知り合いの葬儀参列」と「兄弟の葬儀参列」で、同じ扱いになることが理解できないのだ。
 世間的な常識からも、原則公務優先で、欠席が公休扱いされる理由を限定的に明確にして、それ以外は「事故欠席」扱いにすべきではないだろうか。そして、それを公開することで、議員としての責務を優先させる議員なのか、住民の評判を上げるために公務を軽視する議員なのかを有権者に判断してもらう材料を提供すべき時代ではないかと思っている。
 蛇足だが・・・・現在では、そんなことをまともに取り上げようとする空気はほとんどない・・多くの葬儀に参列して顔と名前を売りたい議員の方々の抵抗があり残念だ。
 ぜひ、読者のご意見をお寄せ下さい。
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