精華よもやま話   佐々木まさひこ議員のつぶやき

京都・精華町会議員佐々木まさひこのローカル日記

事業仕分け リストラ 日本語のマジック

2010年04月30日 21時05分56秒 | 佐々木の想い
 日本語のトリックが政治の世界ではよく使われる。
 今「仕分けされる」「リストラされる」と聞いたら、何をイメージするだろう。恐らく9割以上の方が、「仕分け=廃止、削減」「リストラ=整理解雇」というイメージを持つだろう。しかし、日本語としてよく考えて欲しい。仕分けとは、「継続・拡大」も含むものである。また、リストラとはもともと「再構築」という意味であり、逆説的にいえば、拡大する部分もあるのである。例えば、ある商社が昭和40年代頃は繊維部門などに主力の従業員を配置したものが、平成に入りその繊維部門を縮減しIT部門を拡大する。結果として従業員数が増えることも想定しているのである。要するに、必要性によって増やしたり減らしたりすることである。
 不況のためか、この2つの言葉は「否定的」な意味で使われている。
 そして、自分や家族、近しい友人などが「仕分け」や「リストラ」のターゲットにされると、「復讐」の意味を含み、自分より安定したところにいる人たちを攻撃したくなる。そのような論調でこの間の「仕分け」の作業や報道がされている。
 もちろん、私自身は無駄があれば削るべきだとは考えているが、行き過ぎた論調にも危惧している。例えば、UR(都市再生機構)。以前は住宅公団とか住宅都市整備公団などと言われていた。仕分けでやり玉に挙がっているが、今から40~50年前に、東京・多摩、大阪・千里のニュータウンをはじめ、その後も、愛知・高蔵寺、大阪・泉北、千葉ニュータウンなどもこのURが担当してきた。功罪はあるものの、その仕事があったから、東京の郊外に住宅を建設し、当時不足気味だった都市部における「労働力」を確保し、日本の経済成長を支えてきたのである。もちろん、時代が変われば役割も変化するので、「絶対必要」という気はないが、「要」か「不要」かといった両極端な議論ではなく、それこそ本来の意味の「リストラ」をして、無駄部分を削減し必要部分を残せばいいものだ。
 精華町でも「意義がある」と行政自身も評価していた自主事業への資金援助が、政府・民主党の「仕分け」のあおりを受けて、ゼロという結論となったとのこと。
 報道されているような理事たちの異常な天下り待遇の改善は当然だが、そのような理事がいる団体や事業までもが、「すべて不要」と評価するのはいかがなものか?
 私も、本当の意味の「仕分け」や「リストラ」は、必要だと思う。しかし、本来の意味と異なる意味を植え付けて、猛威をふるい、せっかく関係者の努力で作り上げてきた「諸制度」特に医療や福祉、教育といった部門を安易に削減するのは許せない。
 ちなみに、民主党政権になっても「軍事」は聖域のようで、根拠が示されなかった項目も含めそのまま認められている。これが、福祉やくらしに関する団体の場合は、「参加者数は?」「民間でできないのか?」「すぐに成果を」などといわれ、詰め寄られていたのだろう。
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沖縄の想い

2010年04月29日 23時40分39秒 | 平和・憲法9条
 先週の日曜に沖縄・読谷村で開催された「普天間基地の県外・国外移設を求める県民集会」に参加した。
 会場までの道のりは長かった。通常なら那覇から1時間20分程度で到着する距離だ。開会時間の1時間ほど前に着くようなタイミングで那覇からバスに乗ったが、結局到着したのが、開会後45分程度たっていた。途中でバスを降り、1時間余り歩いたことも含めてだ。渋滞していたからである。その渋滞の理由も大きく2つある。1つは、9万人もの県民・県外からの支援者が集まったからである。もう1つは、会場にたどりつくための道は、事実上1本しかないからである。それは、片側は海、もう片側は広大な米軍基地が延々と続いているため、道が作れないからでもある。この点は、精華町の1/6の面積を占める「陸上自衛隊の祝園弾薬庫」にも似た状況だ。
 集会に向けて、シンボルカラーである黄色のハチマキ・スカーフ・タオルなどがたくさんあった。老若男女を問わず気持ちは同じである。バスから降りて歩いていた私に声をかけ、「近道」を案内してもくれた。自治体・自治会・学校などが所有のバスや借り上げたバスが、数100台=この数字は大げさでなく、本当=来ていた。会場は、嘉手納基地から数キロのところでもあるので、この日も米軍機が離発着していた。地元の方によると、いつもはもっと米軍の動きはあるが、「県民集会の日なので、自粛しているようだ」と噂されていた。
 とにかく、知事をはじめ県内の全市町村長と議会関係者(全市町村は初めてのこと)の出席のもと、9万人もの怒り・想いが伝わってきた。ついでだが、前日24日に離島の石垣市で開催された「八重山集会」に700人、同日宮古島で同趣旨で開催されている集会に3000人もの方が参加している。また、上記のように「大渋滞」に巻き込まれ、集会の閉会に間に合わなかった方も数100人いた。
 翌日の新聞での扱いをみると、沖縄と「本土」では、大きな差がある。一応報道はしているものの、「いろいろある1つ」という感じだ。しかも、普天間問題が、「日米安保」「平和」の問題としてではなく、「鳩山政権の課題」という角度からの報道に感じる。
 沖縄の方たちは、鳩山政権の命運ではなく「平和な島にしたい」という心からの想いで立ち上がっている。県外の各地で、支援のための集会や学習会が開かれているが、もう少し真剣に考えるべきだろう。
 岩国・横田・三沢・横須賀・佐世保・・・祝園・・・など、「基地問題」を抱える地域はたくさんあるが、それらの地域で政治にかかわる方は、ぜひ観光だけでなく「視察」として沖縄を訪れて欲しい。
 誤解のなきように付け加えておきますが、今回の沖縄行きは「政務調査費」を使ってはいません。全部「自費」です。
 集会の中身なども、おいおいアップしていきます。
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さんさん山城1周年まつり

2010年04月28日 14時22分43秒 | 手話サークル
 明日29日は、さんさん山城の1周年まつりです。
 「さんさん山城」と聞いてもピンとこない方が多いと思います。このブログでも時々登場する「難聴乳幼児サポートセンター」もあるところですし、成人聴覚障害者向けのデイサービスを展開しているところでもあります。場所は、京田辺市内、田辺警察署の南隣です。
 毎年、山城地域全市町村に、「ネットワーク委員会」として各種要望を出している課題にも関連しています。今、精華町議会でも担当の民生環境委員会で審議が進められています。審議に関わる方も、一度どんなところか、何を目指しているのかのぞいてもたいたいものです。
 なお、1周年は11時から始まります。多数のご参加を期待します。
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歩きタバコはやはり禁止を

2010年04月28日 07時03分44秒 | 佐々木の想い
 千代田区などで「路上喫煙」禁止されて久しい。受動喫煙を防止する観点からは有効な手段であると思う。同時に、より直接的な被害を防止することも大切な観点だと思う。
 以前から指摘されているが、指にはさんだタバコを歩きながら吸うと、どうしても無意識に腕が後ろにも振れる。人間の目は、180度程度しか認識しないので、残り180度=通常は背中側=は死角となる。しかも、大人の手指の位置が、子どもたちの顔や頭の高さに相当する。簡単にいえば、指にはさんだ800度ともいわれるタバコ自身が、子どもたちの顔面を直撃することになるのだ。
 このような他人の身体への直接的な被害の他に、マナーの悪い人による「ポイ捨て」や消火不十分による火事の危険性も指摘されている。
 今すぐに、全面禁煙とまでは言わないが、少なくとも公道や公園などでの歩きタバコは禁止すべきだと思う。
 こんなことを、法や条例で禁止すべきかどうかは迷うところもあるが…喫煙者が自主的・自発的に自分たちの行動を抑制できなければやむを得ないのか?
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集団的思考と聖徳太子

2010年04月26日 21時33分42秒 | 佐々木の想い
 なんだか訳のわからないタイトルです。
 私も、まだ十分に咀嚼していませんので、ご批判があればお寄せください、と冒頭から・・・
 聖徳太子とは、あの「十七条憲法」を制定されたとされている方だ。全部は覚えていないと思うが「和を以って尊しとする」程度のことは覚えておられるだろう。約1500年ほど前のことだ。日本のことを「和の国」「大和」といい、日本食のことを「和食」という。
 議会でも時々起りうることだが、「私はそういう意味で発言したのではない」「本当は反対だったけど」という本音が聞こえてくる。議会だけでなく世間一般のことでもある。
 仮に10人で決めることがあるとしよう。いろんな意見が出て、最初は収拾がつかないことがある。このような場合、「そこそこのところで妥協し折り合う」方法と「それぞれの意見の根拠を出し合い、それを1つ1つ検証し、理詰めで結論を出す」方法とがある。学校でも会社でも、自分の意見を言い合えるところは、恐らく後者の方法でものごとが決まっていくだろう。だが、日本ではまだまだ「まれな存在」だ。多くは、前者でものごとが決まっていくところが多い。
 そこで、「本当は・・・だったけど」ということが起こり得るのだ。場合によっては、10人の中に一切なかった内容で結論が導き出される場合もある。話し合いの中で「ここらで折り合おう」という雰囲気がかもし出され、個々の思考が横に追いやられ、「集団的思考」が前面に出てくるのだ。
 この集団的思考は、日本の歴史の中で、多くを積み重ねてきたのではないかと思う。なんとなく上手く進んできたことも多いだろう。しかし、その逆もあったという。
 太平洋戦争の「戦争責任」を問う「東京裁判」というものがあった。そこで、当時の政治指導者の中には「私は反対だったが・・・」とか「みんながそんな雰囲気だった」というような発言をしていることが記録に残っている。「誰かの強い意思ではなく、会議の中の雰囲気」で「開戦(戦争)」につながったというのである。責任回避も甚だしいと思うが、「そのような側面もあったのかも・・」と、日常のものごとの決まり方をみていると感じることもある。
 これまでの自公政治も同じようなことが多い。税金の無駄遣いが発覚しても、誰一人責任をとらない。「みんなでなんとなく決めたのだから」「誰か1人の責任ではなく、みんなの責任」という調子だ。中央官僚の場合は、最たるものではないか。
 政治家くらいは、責任をあいまいにすべきでないと思うが・・
 これだけ不況が続くと「和を以って尊し・・」なんて言っていられない、「責任者出てこい」というふうに、最近の日本人は変化しているのか?
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発言の自由と責任

2010年04月24日 00時16分44秒 | 佐々木の想い

 「そんなこと言われなくても分かっている」と言われそうなタイトルだ。しかし、案外理解されていない。
 私たち地方議員にも、国会議員ほどではないが発言の自由=保障がされている。国会議員は、憲法で「国会内での発言について、外で責任を問われない」「開会中の不逮捕特権」などがあるが、私たちにはない。ただ、制度として発言の保障はある。例えば、発言取り消しの方法である。
 一般的には、「ごめん、言い間違えた」で済むことが多いが、議員としては発言に責任を持つ必要がある。なぜなら、その発言で他の議員の賛否が変わったり、住民の理解が得られる(得られない)ことがあるからである。事実に反する発言は論外である。しかし、人間である以上、勘違いもあるだう。その場合でも、他人・他の議員が(多数意見であっても)勝手に取り消すことはできない。もし、そんなことができるのなら、「多数派議員による少数派議員の発言封じ込め」=発言がなかったことにすることが可能になるからだ。だから、発言取り消しができるのは、本人か議長だけである。議長の場合も、乱用は禁じられており「明確に事実に反する」とか「他人のプライバシーや名誉を著しく侵害する」ような場合に限定されると解されている。
 私も長年議員をしていて、発言回数も多いので、中には「勘違い」「確認不足」により、誤解を与えたことがある。その場合は、率直に説明しも当事者に謝罪したことがある。人間として当然である。
 また、6期目の議員として、「明らかに事実と異なる発言」や「議会運営上不適切な内容・タイミング発言」に関しては、気がつけば指摘をしている。本人が気が付いていないなら、他の議員が指摘するのは当然だと考えているからだ。
 でも、そのことが素直に受け止められず、反感を買ったり、場合によっては(特定の場面だけを、ある立場で見れば「発言介入している」ように解釈できる)政治的に利用されたりすることがある。それに踊らされて、反響攻撃をしてくることもある。
 自分の都合だけを考えて保身的になろうと思えば「沈黙」が有利である。それでは、議会人としての責任を果たせないと考えてきたので、前述のような言動をしてきたが・・・・世の中には、(一部のマスコミもそうだが)ある部分だけを取り上げて批評する輩もある。そのことで、多くの方が誤解したままになることもある。民主主義にとっては「害悪」であるが、それを意図的にしてくる「悪意」の存在も否定できない。
 今、
  従来の姿勢を貫くべきか、
  必要以外のことは沈黙し、悪意のある攻撃から逃れるか
 という選択肢の中で揺れている。

 

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日付は変わりましたが・・・

2010年04月23日 01時03分27秒 | 今日のできごと
 今月の前半1/3は、知事選挙などがあったために、用務が後半に凝縮されている。
 今日(日付としては昨日)も、朝から総務教育委員会で、2つの中学校の耐震化と増築工事の概要審査と中学校で実施されている「あっせん弁当」の試食など。昼からは、議会運営委員会で、「倫理条例案」の検討。そして、夜は京都市内で、国保など医療問題の学習会と立て続けで、帰宅は10時過ぎに・・・
 倫理条例に関しては、住民のご意見もお聞きしたいと思っています。何度か「審議経過を議会ホームページなどで公開しては」と提案してきましたが、今日で4?5?回目?ですが、のれんに腕押しでした。議会として実現しないので、近日中に概要をアップします。先例も多々あるのですが、内容も多様で「定説」はないようです。少々お待ちくださいね。
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新党「なかよしクラブ」

2010年04月22日 09時15分35秒 | 各地・分野の動向
 今日は、ちょっと皮肉った書き込みです。
 この頃、名前を覚えきれないくらい「新党」が乱立気味だ。昨日の報道では、また自民党からの離党者があるとのこと。しかも、理念や政策が異なる者同士が一つの「新党」を作るらしい。
 地方議会では、時々政策などが異なる議員が1つの会派を構成することはある。場合によっては、議案の採決時にバラバラの態度をとるという不思議なことも発生する。倫理や生き方を問われる議案ならまだ譲れるが、政策的議案に異なる態度となると「政策集団」とは言えない。
 自民党は、もともと政策の異なる集団が派閥を構成し、政権政党でいたいがためにまとまっていたわけなので、野党となった今「分裂」するのは当然だとは思うが、分裂するとしても、「政策が一致する」者で新党が作られるべきではないのか?
 以前も書いたが、「新党」というだけで期待することは大きなミスを起こす。要は、今の社会に通用しない自民党的な政治と決別しているかどうかである。今のところ、そのような「新党」は出ていない。むしろ、「憲法改正」「消費税増税」など自民党よりもっと右寄りで戦争好きすきという「危険な新党」色の強い動きが主である。
 夏の参院選挙に向けて、国民の「中身を見通す力」が問われている。
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「民間」って完璧なの?

2010年04月21日 15時36分14秒 | 佐々木の想い
 このブログでも何度が書いたが、またまた疑問を呈したい。
 もうすぐ始まる「事業仕分け」第2弾を前に、マスコミなどで「民間なら・・」という論調が、またぞろ始まった。私は、民間企業にも勤めていたこともあり、民間を否定する立場ではない。しかし、マスコミの論調には、整合性のあるものとまったくデタラメなものが混在している。もっと、まじめに取り組んでほしい。
 先日の新聞で、大阪労働局の発表として、「2009年に4101件の違法行為があった。これは統計史上最悪の数字である」というものがあった。違法行為とは、賃金未払い、サービス残業など、民間企業による働く者に対する「違法」行為である。
 「民間なら・・」ということを多用する方々は、このような法律に違反する事象も是認するのだろうか?「民間なら、まともに賃金を払わない。いろいろ言い訳して、できるだけ人件費を抑える努力をしている」とでも言い張るのだろうか?
 このような問題に関しては、公共セクターでは皆無とは言わないが、「起こりにくい」ことである。多くの職場で、労働組合が組織され、住民の目や議会の存在があるからである。「働いた以上、ルールに従い賃金を受け取るのは、働く者として当然の権利」である。
 計算ミスという単純ミスなら、訂正すればいいが、「違法」ということは、意図的に「法律違反」をしているのである。極めて悪質だ。しかも、この数値は、労働局が把握している範囲のもので、派遣労働や日雇い的労働という「弱い立場にある働く人」「労働法規を熟知していない人」が、「泣き寝入り」しているものも含めれば、相当数あると推測できる。
 再度申し上げるが「民間」を否定はしない。だが、民間であっても「社会のルール」を守ることは、最低限の義務である。
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徳之島1万5000人の怒り

2010年04月20日 10時57分19秒 | 平和・憲法9条
 一般マスコミではあまり大々的に報道されていないが、18日の日曜日に、鹿児島県の徳之島で1万5000人もの大集会が行われた。テーマは、ご推測通り「普天間基地代替施設反対」である。
 大都市で1万人を超える集会は珍しくはないが、人口3万人にも満たない離島での集会としては驚異的な人数だ。「本土からの参加者で膨らんだのだろう」と歪んだ見方をする人もあるかもしれないが、徳之島に就航している交通の便から考えると、島外から動員できても数百人程度が限界だ。いかに、島民の怒りが大きいか推測できる。
 その徳之島に、鳩山総理が説得に入るとの報道もある。恐らく拒否されるだろうが、政府はもう少し「日本政府」として動いてほしいものだ。
 それにしても、軍事はいつも貧しいところを狙い撃ちしてくる。沖縄もそうだが「基地経済」である。徳之島も、産業発展のためという理屈が持ち込まれるだろう。アメリカには徴兵制がないので、兵士のリクルートにも「高給」「手当」「資格取得」などが巧みに使われている。逆にいえば、軍人を確保するためには、一定の「貧困層」の存在が政府にとって望ましいということになる。おかしな話だ。
 愛国心で軍事が必要と考えている人もいる。であるならば、その愛国心が本物なら、街頭で民主主義を冒とくしているより、やることがあるのではないか?
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9条の会例会

2010年04月19日 23時19分24秒 | 平和・憲法9条
 今日は19日。毎月19日は「精華9条の会」例会である。
 今回は、立命館大学学生が製作したDVDを見た。特に、靖国神社には時代の時計をかなり逆回転させたような光景が映し出されていた。突撃ラッパに銃剣、外国人の発言に対して下品な言葉で罵声を浴びせる光景など・・・まさに、自分たち以外の意見は、暴言で抹殺するという姿勢であり、民主主義の世の中とは相いれない。
 精華町にある9条の会が協力して、看板を設置した。場所は、新祝園駅を奈良方向に発車してすぐ左=東である。近鉄からもよく見えると思います。一度、ご覧下さい。
 昨晩の深夜番組で、43年前の高校生時代に、沖縄の日本復帰について「基地付き」「基地なし」などで討論していた団塊世代の経過が映し出されていた。高校生の時に感じていたことと社会に出てからの受け止め方が変化はしていたが、素晴らしいと感じたのは、60歳の定年ギリギリまで、子どもたちに、後輩たちに「戦争」のことを語り続けられてきたことだ。60歳近くになると、それぞれが部課長、校長、園長またそのサブ的なポストに就いており、自由度が低いのにだ。登場した1人が語っていた。「退職後は自由人であり、これからも責任持った生き方をしたい」という趣旨のことである。沖縄の方たちは、基地がある故多くの苦労や悲しみを経験してこられた。戦争に直接まきこまれたわけではないが、米軍による事故で家族や友人を失った、傷つけられた方も多い。
 本当に、沖縄だけにこのような苦しみを負わせておいていいのだろうか?日本人として、まじめに考えなければならない。
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バリアフリー展

2010年04月18日 15時18分12秒 | イベント
 先日、「バリアフリー展」を見てきた。地味な展示会ではあるが、最新の介護機器などの展示があり、勉強になる。
 トヨタ・日産という名だたる大手メーカーから、スプーンなどの自助具を製作している中小企業、果ては海外のメーカーも参加していた。
 確かに、民間企業の工夫は一目置く。安くかつ便利なような工夫が随所にちりばめられている。ただ、「適当」かつ「適量」の供給かと考えるとき、そうではないケースも出ているのも確かだ。メーカー・販売店の売り込みも活発だが、個々のケースに応じた最適なものを選び、最適な使い方が望まれる。
 パンフレットももらってきました。関心のある方はご連絡ください。しばらくしたら、精華町議会の日本共産党会派控室にも持ち込む予定です。
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核抑止論は平和をもたらさない

2010年04月16日 08時33分34秒 | 平和・憲法9条
 今、日本人はいくつかの「呪縛」があるのではないか。普天間基地問題は「移転先」を日本の責任で探さなくてはならないと思い込んでいるのもその1つだ。
 過日の朝日新聞に、大学生の投稿が掲載された。読まれた方もあると思う。テーマは「核軍縮 日本が貢献する時だ」というもので、その概要は、昨年春のオバマ大統領による「核なき世界」を提唱したプラハ演説を歓迎している。彼の所属する「留学生交流サークル」で、いろんな国の学生とふれあう中で、平和や核兵器について考えるようになり、遠方からでも敵国の中枢を壊滅させることができる現在の核戦略=「核抑止論」は、決して平和をもたらさないと結論付けている。そして彼は、「今後は、核拡散や核テロの脅威」というステージに移るだろうと懸念している。
 暴力団に例えるのは不謹慎かもしれないが、今までは支配力の強い「親分」が核兵器を管理していた。ないにこしたことはないが、「使わない前提での管理」であった。しかし、この間またこれからは、「チンピラ」のような盲信的に無茶をするかもしれない国やテロリスト集団が核兵器を持つことになる可能性が高い。
 兵器は、数が増えるほど管理しにくくなり流失の可能性が高くなる。関わる人が増えるほど情報・技術も伝わりやすくなる。
 であるならば、早急に廃絶に向かうことが、全世界的な「平和」を実現する一番の近道だ。
 もはや「核抑止力」の時代ではない。
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府南部難聴児サポートセンターのご利用を

2010年04月15日 09時44分23秒 | 手話サークル
 半年ほど前にも記事として掲載したが、昨年秋に「京都府南部難聴幼児サポートセンター」が、京田辺市にオープンした。
 これは、府の委託事業で、府南部には聞こえない・聞こえにくい乳幼児、その保護者をケアできる場所・機関がなく長年の要望が実ったものです。
 具体的には、
 毎週火曜日に、聴力検査や育児相談
 月に1度の土曜または日曜に、親子の交流サロン
 などの取り組みを展開しています。
 どんな小さな心配などでも構いませんので、気軽に相談していただき、子育てへの自身と仲間づくりをしてもらいたいものです。
 また、毎週火曜日は「難聴者の日」ということで、成人の方のつどいも開かれています。送迎もあります。
 連絡先は、山城地域活動支援センター
   電話 0774-39-7113
   Fax  0774-65-4102 まで
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新党ブーム?

2010年04月14日 16時23分02秒 | 各地・分野の動向
 大政党の人気が低落すると、新党ブームがやってくる。
 過去にも、新自由クラブ、日本新党、さきがけなどが生まれては消えた。それらの新党が果たした役割とは、結局自民党政治の延命ではなかったか?政治不信の一時的な受け皿ではあったと思うが、政治の方向を変えるところまでは至らなかった。
 今回も、自民党には戻りたくないが民主党の信頼もイマイチという国民の受け皿になりつつあるし、マスコミもあおり立てている。
 新党=ダメとは言わないが、新党の是非を判断する基準は、やはり「自民党政治と決別できるか否か」であろう。
 部分的には自民党と異なる主張であっても、根本のところで同じなら結局、時がたてば自民党と合流してまたぞろ、反国民的な政治を作り上げることになるだろう。
 新しい物好きでも、すぐ飛びついてはならない。
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