これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

されど敬称

2008年07月28日 21時14分07秒 | エッセイ
 その年賀状を見たとき、違和感をおぼえた。宛名はたしかに私の名前になっているが、何かが足りない……。さて、何だろう?
 わかった、「様」がついていないんだ!
 信じがたいことに、年賀ハガキには「笹木 砂希」と呼び捨てにされた名前が、恥ずかしげもなく中央に陣取っていた。
 失礼ね! 誰よ!!
 胸にどす黒い感情が、一気に押し寄せてきた。葉書を裏返すと、菅野一夫と書いてある。
 菅野か……。
 たちまち、私は脱力して天を仰いだ。当時、私は20代半ばの小娘で、元同僚の菅野一夫は30代前半だった。おそろしく仕事のできない男で、授業は成立しない、生徒に言うことを聞かせられない、成績処理を間違える、時間を守らない、ものをなくす、と数え切れない失敗を繰り返している。しかし、その割には自己評価が異常に高く、自分ほど優秀な人間はいないと思い込んでいる。果てしなく厄介なヤツなのだ。
 たとえば、職員で伊豆まで旅行したときのことだ。ヤツは特急の切符をなくしてしまい、幹事に「僕、なくしちゃったみたいだから、もう一枚ください」と大真面目に頼んだことがある。当然、「余分はないので、自分でなんとかしてください」という答えが返ってきた。結局、もう一度よく探したら見つかったのだが、ヤツはこのときの対応を根に持ったようで、後日、幹事の男性に「あなたにはボランティア精神が欠けている」と説教したという。
 私も「笹木さん、あなたには常識がない」と因縁をつけられたことがあった。あながち間違いではないので反論しなかったが、ヤツに指摘する資格はないと思い、非常に不愉快になった。
 さて、この宛名は、故意か書き忘れか、どちらだろう?
 自分以外はみんなバカと思っている面では前者、実務能力ゼロという面では後者だ。
 誰彼かまわず噛み付くという習性を考えて、私は前者なのではないかと推測した。
 本人に聞くと、また面倒なことに発展するのは目に見えている。身の安全を考えて、ひそかに調査することにした。
 まずは聞き込み捜査だ。最初は仲良しのユリさんからにした。
「ねえ、今年も菅野から年賀状きたでしょ。私のは敬称略だったんだけど、あなたのはどうだった?」
 ユリさんは飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
「ハハハ、なにそれ~、様がついてなかったって?! 私のはちゃんとついていたわよ! 今度持ってきて見せてよ」
 かくして、菅野の年賀状は晒しものとなった。犯人の写真ではなく年賀状の宛名を見せて、「あなたのも、こうじゃなかった?」と聞いて回ったが、誰一人としてyesと答える者はいなかった。
 となると、単なる書き忘れ?
 こんな大事なものを忘れるなんて、さすがは菅野……。
 菅野ごときに呼び捨てにされた私の名前が、心底可哀想になった。

 それから間もなく、大学の教育学会から手紙が届いた。
『新しい名簿が完成しましたので、ご希望の方は返信用封筒に住所・氏名をご記入の上、お送りください』
 名簿は私も欲しい。早速申し込みをしようと思い、続きを読んだ
『なお、返信用封筒には、氏名に 様 をつけてください』
 なるほど、事務手続きを簡単にしたいからだろう。頑なに「自分の名前に様をつけるなんて畏れ多い」と拒む人もいるだろうが、私はそうは思わなかった。
 自分でつければ、間違いなく敬称がある!
 私はいつもよりも丁寧に、封筒に「様」という文字を書いた。



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コメント (2)
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