これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

バルセロナ五輪の年に(2)

2008年07月12日 21時59分48秒 | エッセイ
 マイコプラズマ肺炎にかかり、38度台の発熱と激しい咳に苦しむ私を、さらに悩ませたのは食事だった。
「お昼だよ。食べられる?」
 寝込んでいる間、夫も仕事を休んで看病してくれたのだが、彼は料理が得意ではない。
 何ができたのだろうと疑問に思いながらも、食欲はあったので、熱い体を布団から引き剥がして食卓に向かった。しかし、テーブルに並べられた料理を見て、かすかな期待は粉々になった。
 皿の上には、オーストラリア産とおぼしき牛サーロインステーキが載せられていた。その辺のスーパーで売っている、2切れで1000円くらいのパックを買ってきたのだろう。焼き加減はミディアム。ステーキソースはかかっておらず、塩・胡椒でシンプルな味付けをほどこしたらしい。一応、付け合わせにボイルしたジャガイモが添えられていた。
「……何よ、これ」
 健康なときなら喜んで食べるが、私は病人だ。彼の、あまりの非常識さに呆れ、その場に座り込みそうになった。
「ゴメン、オレ、これしか作れないから……」
 不機嫌になった私を見て、夫はオドオドと言い訳をした。
「食べられるわけないじゃない。もういい」
 私は空腹のまま布団に戻った。夫が頼りにならないならば、母にすがるしかない。
 当時、私の実家はほんの数キロ離れた場所にあった。すぐさま母に電話をし、何か作って持ってきてほしいと懇願した。
 実のところ、これは私にとって非常に勇気のいる行為だった。母も料理が上手ではない。古い食材を平気で使うからお腹をこわすこともあるし、手順を無視して自己流を貫く面もある。たとえば、味噌汁だったら、仕上げにではなく最初から味噌をぶち込んでしまう。具はそのあと煮込むから、まったく風味のない味噌汁ができあがる。また、ハンバーグの玉ねぎは炒めたためしがないし、スパゲティを茹でたら素麺のように水洗いするものだと思い込んでいる。
 それなのに、母には料理に対する揺るぎない自信があり、得意分野だと言い張って聞かない。
「いいよ。すぐに美味しいものを作ってあげるから、待ってなさい」
 案の定、母は二つ返事で引き受けてくれたが、本当に美味しいかどうかが心配だ。
 1時間後、母はスクーターでやってきた。まだホカホカしている肉じゃがを、鍋ごと持ってきてくれたのだ。相変わらず、皮のむき方が雑だった。ところどころ剥き残しがあるし、芽の取り方もいい加減だ。でも、いい色に仕上がった味のしみ込み具合いと、煮物の甘い香りが私の食欲を刺激した。
 一口、二口食べて、母の手料理では最高の出来だとわかった。口の中で抵抗せずに形を崩すジャガイモの柔らかさと、味付けされた玉ねぎや白滝に、程よく脂ののった牛肉が絶妙のハーモニーを奏でていた。予想外の味わいに空っぽの胃が狂喜乱舞して、掃除機で吸い取るように肉じゃがを求めた。
 山ほどあった肉じゃががなくなるころ、私の体調も回復した。平熱に戻り、咳も治まってきたのだ。
「晩ごはんができたよ」
 夫に呼ばれて食卓についた。テーブルの上には、またもやサーロインステーキが並べられていた。
 ため息を殺して、私はそれを食べた。



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コメント (2)
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