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これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

ズボラー

2008年07月02日 18時05分17秒 | エッセイ
 母の親友には私と同い年の娘がいた。
「舞ちゃんっていう子なんだけど、今は大阪に住んでいるから文通してみたらどう?」
 昭和50年代のことだ。当時、私は小学五年生だったろうか。ちまたでは、文通が流行していたので、軽い気持ちで始めてみた。まさか、大人になっても続く仲になるとは思わなかった。
 わずか11歳の子供が、一度も会ったことのない人に手紙を書くのは難しい。母はなるべくきれいな字で書くよううるさく言うが、何を書けばよいかわからない。『同じクラスの人は、みんな大阪弁で話すのですか』などと綴り、かろうじて便箋一枚を埋めた。
 しばらくして舞ちゃんからの返事がきた。
 思ったよりも字が汚い。しかも、ところどころ書き損じたらしく、グチャグチャとボールペンで塗りつぶした箇所がある。
 が、私は全然不快ではなかった。
 なーんだ、これなら無理してきれいな字で書く必要ないじゃん。
 日頃から丁寧さが足りないと叱られることの多かった私は、彼女から同類の匂いを嗅ぎ取った。等身大の自分を受け入れてくれる相手であれば、背伸びしないですむ。
 手紙が往復するにつれて、舞ちゃんからの返事が遅くなってきた。投函してから返事を受け取るまでに、一カ月ほどかかるのだ。
 これにも私は好意を持った。のんびりしている相手であれば、私も本来のマイペースさを発揮できる。気が向いたときに手紙をしたためればよいのだから、まさに私と彼女はピッタリの相手だったというわけだ。
 文通を始めて半年後、舞ちゃんと弟が写っている写真が送られてきた。性格に共通点があっても、私と彼女は全然似ていない。私は丸顔でおとなしそうに見られるけれども、彼女はほっそりしていて活発な感じだ。
 舞ちゃんも弟も鼻が同じ!
 やや上向きで二等辺三角形のような形をした鼻が、妙に印象に残った。
 その後、舞ちゃんは都内に引っ越してきたので、何回かご対面したことがある。活発な印象どおり、はっきりとものを言う子だった。つられて私も言いたい放題になった。今にして思えば、二人の会話は掛け合い漫才のようだったろう。
 文通は高校を卒業するまで続いたが、彼女が就職したことでゆとりがなくなったのか、いつしか年賀状だけのやりとりになってしまった。
 あれから二十年。お互いに結婚して家庭を持ち、子育てに追われる毎日を過ごしている。
 数年前にもらった舞ちゃんからの年賀状にはインパクトがあった。
『この頃、また文通したいと思っています』
 家族四人が揃った写真の余白に、こんな嬉しい一言が添えられていた。小学生の男の子二人は舞ちゃんとそっくりな鼻をしていて、思わずクスクス笑いがもれた。
 その後、彼女から手紙がくるわけでもなく、私から送るわけでもなく、文通は復活していない。口ばかり、というところも共通しているようだ。



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コメント (2)
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