これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

老親への正しいプレゼント

2019年01月27日 21時29分33秒 | エッセイ
 毎年、母の誕生日にスイーツを送っていた。
 自然解凍して食べられるケーキ、プリンだけでなく、アップルパイ、どら焼きに加えて、レンジでチンするたい焼きなどを詰めたものだ。
 だが、健康上、70代の老親への贈り物として褒められたものではないだろう。こってりした生クリームや、糖質のかたまりのような餡を食べさせて、生活習慣病になったら大変だ。
「今年は、夕飯のおかずになるようなものがいいかしら」
 考え方を変えてデパートに行くと、お茶漬け、スープ、ふりかけなどの詰め合わせが並んでいた。
「あら、美味しそう。候補のひとつにしよう」
 調味料、漬け物などもあったが、誕生祝いというよりお中元みたいな気がしてやめた。
 売り場を2周もすれば、欲しいものが見えてくる。金沢の味を売りにした焼き魚、煮魚、炊き込みご飯の素が最適なのではと嗅ぎつけた。金沢は好きな都市のひとつである。旅行に連れて行くことは、なかなかできないけれど、エサを、もとい料理を与えておけば、旅行気分は味わえるかもしれない。そんな計算をしつつ、商品の詰め合わせを作ってもらった。
「お魚類は常温で2~3カ月持ちます。冷蔵庫に入れなくても大丈夫です」
「あら便利」
「調理法は書いてありますが、湯煎か電子レンジでどうぞ」
「はい」
 買い物袋は少々重いけれど、母はきっと「楽して美味しいものが食べられる」と喜ぶだろう。ウシシ。
「そうだ、カードも買わなくちゃ」
 バースデーカードを選ぶにもコツがある。なるべく、記入スペースが小さなものを探すのだ。毎年のことだから、「また同じことが書いてある」と思われぬよう、アイデアは小出しにしていく。ついでに、値段が安ければさらによい。
「あ、これがいいかも。小さめだし、250円だって」
 そのとき、私はかなり疲れていたと思う。日曜出勤だったから、起きてすぐ夕食用のきんぴらごぼうを作り、5時間の勤務を終え、帰りに重いプレゼントを持ってカード選びをしていたのだ。家でひと息ついたあと、カードを取り出して仰天した。
「あっ、THANK YOUカードだった! 間違えたか」



 バースデーカードだと思ったのに、まさかサンキューカードだったとは。アホだなぁ……。
 代用できそうなものは他になく、「まあいいか」と素知らぬふりで送ることにした。
 果たして母の反応は……。
「簡単にできる味付けの魚、とってもありがたいよ~! 早速ごちそうになります」
 ……スイーツにしなくて正解だったようだ。
 カードのことには触れていなかったので、私もなかったことにする。気づかなかったのかもしれない。
 考えてみたら、老親の2人暮らしでは、誕生日といえども母が食事の支度をするのだろう。そこに娘から調理済み食材の差し入れが届けば、「ラッキー!」と小躍りしても不思議はない。
「よし、来年も楽して食べられるおかずを送れるように、資金を貯めておかなくちゃ」
 魚は1パック500円から650円と、結構なお値段だった。来年はたくさん送ってあげられるように、毎月1000円ずつ積み立てることにしよう。
 カード?
「結婚おめでとう」じゃなければ、何でもいいような気がする。


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学資保険の実力

2019年01月20日 21時58分00秒 | エッセイ
 1月は学校説明会の追い込みや入試などで、ほとんど休みがない。
「ねえ、根岸線沿線の物件を見に行きたいんだけど、一緒に来てくれない?」
 加えて、4月から一人暮らしを始める娘がアパート探しをしており、貴重な休日が物件の下見でつぶれる。まあ、仕方ないか。
「静かでいい場所だね」
 駅から少々遠い分、その物件の家賃は安く、閑静で日当たり抜群。
「気に入ったからここにする」
「そう? よかったわぁ」
 近くのインド料理屋でカレーランチを頼んだら、ナンもルーもメチャメチャ美味しかった。



「引っ越したら、またこの店に食べに来よう」
「うん」
 そんなやりとりをしていたのに、翌日、不動産屋に電話をかけたら、タッチの差で埋まってしまったのだとか。あーあ……。
 それでも、メゲている暇はない。一週間後の土曜日に、別のアパートを見に行くことになった。
「今度は京急沿線なんだよ」
「じゃあ、横浜駅でランチしてから行ってみよう」
 横浜そごうの椿屋カフェでパスタを注文する。



 デザートの紅茶シフォンもよろしおす。



「お母さん、物件の下見より、食べる方がメインになってない?」
「い、いや、そ、そんなことはないよ」
 ちょっとドキッとした。
 前回の反省から、今回はまず不動産屋で物件を仮予約してから足を運ぶ。日当たりはイマイチだけど、近くに小学校や大きな公園があり、道路が整備されている。立派な神社もあり、緑が多い。
「うん、いいね。本契約する」
「やったじゃん」
 家賃は月々57500円。これに管理費5000円が加わり、62500円となる。1Kだと安い方なのだとか。
「でもね、IH対応の鍋やフライパンを買わなくちゃ。自転車も欲しいなぁ。炊飯器と電子レンジも」
 引っ越しにはお金がかかる。大学の学費がなくなっても、別の出費が待っているのかと苦笑していたときだった。
「あ」
「なに?」
「ミキが生まれたとき、こども進学保険っていうのに加入したことを思い出したの」
「へー」
 帰宅し、保険証書を見つけ出した。いわゆる学資保険で、保険料は平成8年に全額前払いで納めている。
「270万ちょっと払ったんだね」
 しかし、この270万が400万になって帰ってくるのだ。小学校入学、中学校入学、高校入学、大学入学といった節目の年に祝い金として、保険会社から支払われる。



「平成30年9月が満期って書いてある」
「満期は100万支払いか」
「すごいすごい」
 昔は金利が高かったから、270万が400万に化ける芸当もできたのだろう。今はどうなっているのやら。
 契約者である夫に聞いてみたら、すでに口座に振り込まれていた。
「なんで言わないのよ」
「だって」
「つべこべ言わずに、さっさと下ろしてくるんだよ」
「うえーん」
 夫を脅し、引っ越し資金も手に入れた。これでひと安心。
 学資保険は偉大だ。


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360度 聖ワシリー寺院

2019年01月13日 20時38分04秒 | エッセイ
 モスクワに着いて最初に訪れた場所は、トレチャコフ美術館だった。



 エルミタージュ美術館に比べたら、かなりコンパクトな美術館である。ここのウリは「キリストの出現」だ。



 しかし、大事な絵が見られなかった。



 さて、この絵は「忘れえぬ女(ひと)」というタイトルの大作である。残念ながら私と入れ違いに来日し、Bunkamuraザ・ミュージアムで多くの観客を魅了している。このタイミングの悪さを笑うしかない。
 美術鑑賞のあとはホテルに着いた。赤の広場に隣接していたこともあり、散策しようと足を運ぶ。



 赤の広場のイルミネーションは予想を超えた美しさであった。











 ネットを見ても「モスクワやばい!」「イルミネーションが半端なくキレイ」とアップされている。ロシアらしい建物と、きらびやかな光の洪水がコラボして、絵本の中に入り込んだような雰囲気だった。









 翌日はクレムリンに行った。



 ダイヤモンド庫の見学が圧巻で、大きなダイヤ、装飾品などに心を奪われたが、私が一番驚いたのが1カラットくらいの小さなダイヤである。ケースの中に整列し、マスゲームのように並んでいると、透明なイクラに見えた。「築地で箱買いすると、こんな感じなのよね、うんうん」と頷いて先に進んだ。
 クレムリンから歩いてすぐの場所に聖ワシリー寺院がある。



 もし、モスクワにワシリー寺院がなかったら、私はロシアツアーに参加しなかっただろう。「死ぬまでに一度は見たい」との思いが抑えきれず申し込みをした。だから、ワシリーの気配が感じられただけでも嬉しくなった。
 ディズニーランドにあってもおかしくないような、メルヘンチックな寺院である。近づいて、周辺をグルグル回ってみた。



 ロシアの教会は、ワシリーに限らず玉ネギ型の屋根が多い。たとえばこれだ。



 でも、ワシリーの色彩やデザインの美しさは群を抜いている。



 特に、青白ストライプの玉ネギが目立つ。まるで、子どものときにもらった飴のよう。もっともっとこの建物を見たくて、周囲をグルッと一周した。



 うーん、どこから見ても華やかだ。ところどころ、雪が邪魔して見えないけれど、長年憧れた大スターに会えたように舞い上がってきた。私にとっては、メル・ギブソンのような存在かもしれない。
 360度回ったら元に戻る。今度は敷地内に入って接写、接写。













 拝観料を払えば中にも入れるが、結構な長い列ができていた。「まだ帰らないから明日にしよう」と軽く考え、クリスマスマーケットの人混みを通り抜けてホテルに戻る。



 この日は夕方からサーカスを見に行くことになっていた。



 バレエでは寝てしまったけれど、動物あり、アクロバットあり、手品ありのサーカスは本当に楽しめた。



 格調高い娯楽は、私に向いていないらしい。精神年齢と相談し、子どもが見ても飽きないものを選ぶのがよさそうだとわかった。
 翌日は大晦日である。
 歴史博物館とワシリー寺院に入館し、最後のモスクワを満喫しようと思っていたのに、とんだ邪魔が入った。赤の広場に通じる地下道が封鎖されている。いや、地下道だけでない。地上の道にもバリケードが築かれ、軍なのか警察なのかわからない男たちが市民や観光客を追い返していた。
「えー、行かれないじゃん……」
 なんと理不尽な軍事大国。夕方の飛行機で日本に帰る日なのに、観光客への配慮は耳垢以下だ。ツアー仲間の情報では、何の予告もなく朝から夕方まで立入禁止にして、大晦日のカウントダウンに備えた警戒をしているのではないかということだった。
「あーあ」
 実に後味の悪い幕切れとなったが、これがロシアなのだ。ブラブラ散歩したあとは、ホテルに戻ってコーヒータイムにした。
 物足りないけど、まあいいや。
 今度は夏がいい。雪をかぶっていないワシリーを見たい。


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レニングラード、ペトログラード、ピーテル

2019年01月06日 21時07分11秒 | エッセイ
 かつて、「レニングラード」と呼ばれた都市がある。



 元々は、ピョートル1世が1703年に欧州に倣って築いた都市であり、ドイツ風に「サンクトペテルブルク」と命名された。だが、第一次世界大戦が勃発し、ドイツが敵国となったため、「ペトログラード」に改名された。その後、ソビエト連邦となってからは「レニングラード」に変わり、ソ連が崩壊してからようやく、住民投票によって当初の「サンクトペテルブルク」に戻ったというわけだ。
 もっとも、地元の住民たちは正式名称が長いから「ピーテル」と略して呼ぶそうだ。「あけおめ」みたいなもの? ちょっと違うと思うけど、私も楽したいから使わせてもらおうっと。
 残念ながら日本からの直行便はない。モスクワでシベリア航空の国内線に乗り継ぎ、ドイツ風のこの街にやってきた。
 初めてのロシアで驚いたことは、トイレットペーパーを流してはいけないというルールである。個室には大きなゴミ箱があり、ペーパーが小高い山を築いていた。トイレはもちろん水洗なのだけれども、ロシアのトイレットペーパーは水に溶けないようで、流すと詰まるというのが理由だった。
 事情を知らない観光客もたくさんやってくる。ある飲食店では、トイレにこんな貼り紙をして、観光客に協力を呼び掛けていた。今後、ロシアに行かれる方は、ぜひご注意を。



 トイレで後れをとったとしても、観光地としては超一級である。見どころ満載で退屈する暇がなかった。



 まずはエカテリーナ宮殿。



 冬だと、ピーテルの朝は暗い。10時過ぎに日が昇り、やっと明るくなってくる。でも、15時過ぎからまた暗くなってきて、16時には完全な暗闇と化す。日照時間が短いのだ。夏だと白夜のようにいつまでも日が沈まないと聞いた。
 雪で履物が汚れるせいか、ここでは靴カバーをつけて歩く。



 ロマノフ王朝の夏の宮殿だけあって、階段からして洒落ている。



 ヴェルサイユ宮殿に通じる雰囲気を感じた。





 召使いの衣装。



 この広さでは、一体何人の召使いがいたのやら。



 食器はマイセンと説明された気がする。





 さり気なく飾られた陶磁器も実にセンスがいい。



 部屋がいくつもあったのに、メモしなかったことが悔やまれる。



 これは誰だっけ~?



 せっかく現地ガイドさんが解説してくれたのに。



 明日から絶対メモをとるぞ、と決心した。
 エカテリーナ2世の戴冠式での衣装と、他の方のブログに書いてあった。



 これじゃ、自動改札は通れないね。はははっ。



 こんな衣装もあったけれど、着られる衣装はない。残念だ。
 栄華の名残に触れたあと、明るくなった時間に宮殿出口でパシャリ。






 聖イサク寺院の力強さにも圧倒された。



 教会や寺院はいくつか中に入ったけれど、ここの装飾は群を抜いている。







 いやあ、素晴らしいとしか言いようがない。



 正面の柱には大戦中の弾痕が残っている。被害はあったけれど、収蔵品が守られたのはキリストのご加護があったからだろう。素直にそう信じられる、厳かな雰囲気が漂っていた。
 血の上の救世主教会も、ロシアの美をあちこちから集めてきたような佇まいを見せてくれる。



 残念だったのが、修復中の中央の塔。ガイドブックではこうなっていた。



 中も惜しみなく見せてくれるところがうれしい。





 ピーテルの一番人気はエルミタージュ美術館。



 別ブログにまとめたので、よろしければこちらから。

 計算外だったのがバレエ鑑賞だ。
 クリスマスの時期だったこともあり、ミハイロフスキー劇場でくるみ割り人形を見た。



 9列目だったのに、前の男性の頭が邪魔でよく見えない。集中力も途切れがちになり、だんだん眠くなってきた。
「ぐー」
 ……やはり寝てしまったか。バレエは私に向いていないらしい。
 ピーテルからモスクワに移動するとき、空港でマクドナルドに寄ってみた。ロシア語表記は面白い。



 私はコーヒー、娘はフルーリーを頼み、カードで会計をすませる。



 コーヒーは、日本で飲むよりコクがあり美味であった。ウホウホ。



 ロシアグルメも知名度が高い。別ブログでこちらからご覧ください。
 次回はモスクワ観光をお送りし完結させていただきます。


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ロシア旅行入門

2019年01月03日 21時45分36秒 | エッセイ
 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。

 年末は12月25日に仕事納めをして、26日からロシア旅行をしてきた。添乗員つきのツアーだから、ビザなどの渡航手続きは旅行会社がしてくれるし、必要なものを持って集合時間までに成田空港に行くだけ。お手軽極楽な7日間を過ごしてきた。
「両替はされましたか?」
「まだです」
「では、左手の両替所でなさってください。ルーブルを扱っているのはそこだけです」
 添乗員さんが、親切にお金の面倒までみてくれる。米ドルやユーロと違って、ロシアルーブルへの両替は面倒だ。日本でも両替できるところは限られているうえ、ロシアでは日本円からルーブルに替えられる場所がない。1ルーブルは約2.5円で換算すればいいそうだが、余ったルーブルを日本円に替えると、半値以下になってしまうのだとか。ロシア国内で使い切るのがベストらしい。
「細かいお札も入れてください」
 両替所でこう頼んだら、1000ルーブル札だけでなく、100ルーブル札や500ルーブル札も入れてくれた。2日目にレストランでビール代を払ったときに、おつりに200ルーブル札をもらい財布の中が賑やかになった。



「まあ、200?」
 別の日に、200ルーブル札で支払いをしていたら、現地のガイドさんが驚いていた。
「珍しいわね。あまり見ないんですよ」
 ガイドさんはロシア人女性だった。流暢な日本語を話しながら、金髪を揺らして、私の手元をのぞき込む。日本でいえば、さしずめ2000円札のような存在だろうか。実は、2000円札も私は持っている。
 旅行の友は、このガイドブックである。



 ロシアといっても広い。今回のツアーでは、サンクトペテルブルクとモスクワのみに滞在するので、2都市に特化したものを買ってみた。結論からいうと当たりだったらしい。
「あら、これは見たことないです。ちょっと拝見してもいいですか」
 添乗員さんが興味を示し、ガイドブックの発行日や内容をじっくりチェックしていた。
「いいですよ、これ。2018年発行だから情報が新しいし、中身も面白いです。日本に帰ったら私も買います」
 やったぁ~!
 この本に限らず、どのガイドブックにもロシア語の日常会話が載っている。
  はい 「ダー」
  いいえ 「ニエット」
  おはよう 「ドーブラェ ウートラ」
  ありがとう 「スパスィーバ」
  どうぞ、どういたしまして 「パジャールスタ」
  おいしい 「フクースナ」
 これが言えれば十分だ。めったに笑わないロシア人も、外国人が一生懸命自分の国の言葉を話そうとしていると、温かく接してくれる。英語はほとんど通じないというから、ぜひどうぞ。
「フクースナがおぼえられない」
 大学4年の娘がブツブツぼやいていた。すかさず、添乗員さんが助け舟を出す。
「ミキちゃん、服に砂っておぼえて」
「なるほど、服ぅ砂か、あはは」
 語呂合わせも大事、大事。
 クリスマスを過ぎたのに、ロシア国内ではツリーやサンタをいくつも見かけた。
 空港でのツリーには、ロシアらしくバレエのオーナメントか飾られていた。



 こちらはホテルのツリー。



 ロシアでは、ロシア正教に基づくユリウス暦を採用しているため、クリスマスが1月7日となるようだ。わが国や欧米では、カトリックに基づいたグレゴリオ暦だから12月25日。もう一度クリスマスを楽しめるようでうれしい。イルミネーションも実に華やかだ。
 最後に、ロシアの有名人について話したい。私は大学1年のとき、「ロシア文学史」なる講座を履修していた。学んだことすら忘れていたのに、現地のガイドさんから、プーシキン、ドストエフスキー、トルストイなどの説明を受け、偉人たちについて思い出した。
 サンクトペテルブルクにあるプーシキンの像。



 雪のいたずらで顔が……。
 十月革命を成功させたレーニンはさらに知名度が高い。モスクワで滞在したホテル・ナショナルには、レーニンの泊まった部屋があった。



 107号室の入口には金色のプレートが輝いている。



 さて、冒頭の200ルーブル札だが、4日目あたりで使ってしまった。最後に空港で買い物をしたとき、お釣りにまたまた200ルーブル札が入っていたものだからビックリした。
 これは、持ち帰りましょうかね……。
 レアなお札が、再び私をロシアに連れて行ってくれるかも、との期待を込めて大事に保管することにした。
 次回は、サンクトペテルブルク観光をお届けします。


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