“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

風立ちぬの主人公と多賀城市

2013年10月30日 06時00分01秒 | 蜂助の呟き

こんにちは、蜂助です。

日本シリーズのことも書きたいところですが、差支えがあるのでそのうち書くことにします。

皆さんは、映画「風立ちぬ」を見ましたか? 韓国では一時、右翼の映画だとか言われたことがあります。主人公の堀越二郎はご存じゼロ戦の設計者です。ゼロ戦は、正式名称は「零式(れいしき)艦上戦闘機」と言います。私は、このブログでかつて沖縄の米軍基地の戦闘機などを写真付きで書いたことがありますが、戦闘機マニアでも何でもありませんし、もちろん軍国主義者ではありません。ゼロ戦は、海軍に正式に採用されたのが1940年すなわち戦争が終わる5年前です。1940年は「皇紀」では「2600年」です。これにちなんで「ゼロ戦」と名付けたということです。

これは、ゼロ戦の生産数を設計者の堀越次郎が自書「零戦の遺産」という本で紹介している年別・月別の生産数の一覧表です。

そして、これが堀越次郎と宮城県多賀城市を結びつける図です。上の一覧表と下の図は「図説 多賀城海軍工廠」を撮影させていただいたものです。

ゼロ戦は、戦闘機ですので機銃が装着されています。操縦席の前に7.7ミリ2挺(ちょう)、翼の左右に20ミリ2挺が基本パターンで装着されていました。この翼に付けられた20ミリ機銃を、多賀城海軍工廠で作っていたのです。

作った機銃は多賀城で実射試験を行い、製品はゼロ戦本体が作られていた所に運ばれました。試射場は多賀城市に最近までありました。最近というのは2011年3月11日の東日本大震災の津波で流され解体されました。

ところで、昨日2013年10月29日午後の、多賀城市の隣町である七ヶ浜町菖蒲田浜から見た太平洋はこうです。臼蔵さんとも行った所です。

しかし、この写真を撮影した防潮堤は仮設で補修されていました。

右側が太平洋、左側が陸側です。水が溜まっているのは、地盤沈下で対流している水です。この海岸は、仙台市民をはじめ多くの家族や若者が遊んだ海水浴場でした。今は、建物も何もありません。


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