“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

あけましておめでとうございます

2014年01月04日 17時04分24秒 | 蜂助の呟き

こんにちは 蜂助です。

娘が、玄関に新年用に飾ったものです。出来栄えは別として、春らしいカラーの花です。例年は、ここに妻が昔習った生け花の技術を総動員して(失礼)濃い緑色の若松、黄色の大菊、赤い実の千両を主体とする新年の伝統の生け花がありました。妻は年末から旅行に行っていたので、娘が工夫したのでしょう。身内ながら暖かい気持ちになったので、つい紹介してしまいました。

かなり長い間、お休みさせていただきました。政局がころころと変わり、実は自分でも付いていけなくなっていました。あの状態でブログに物を書くと、感情的で抽象的になったり、正確で無い情報を書くかもしれないと自分で思っていました。というわけで、臼蔵さんに正確かつ未来志向の発信を勝手にお任せしていました。

特定秘密保護法という違憲法案を国会の多数の横暴で国民が本当のことを知る前に成立させましたが、この法律を施行させないことがこれからの重要な取り組みになります。宮城県では1月7日には、いろいろな立場を取る弁護士、消費者団体、音楽家、宗教家、写真家、憲法九条の会の方、学者など広範の方たちが集まって特定秘密保護法を施行させないための集まりを計画する準備会を開き、私もそれに参加します。多くの国民に分かりやすく見える化することが大切です。

東北電力が年末のどさくさに紛れて12月27日に、震災の津波事故で被災した女川原発2号機の運転再開に向けた、新規制基準への適合性の審査を原子力規制委員会に申請しました。女川原発は津波によって5つあった外部電源のうち4つがダメになりかろうじて首の皮一枚で大事故にならなかっただけです。津波があと1メートル高かったら福島第一原発と同じになっていました。仙台市民も避難しなければならなかったでしょう。それを防潮堤を高くしたということも含めて安全審査の申請をしました。津波を避けるために防潮堤を高くしても、津波のエネルギーを消滅させることはできません。そのエネルギーは女川町の中心部を襲う凶暴な津波になることは間違いありません。宮城県民のほとんどが、女川原発再稼働には反対しています。この問題についても、多くの県民や国民とともに再稼働させないものにしていくしかありません。

その他、消費税増税と陰に隠れた減税やバラマキ、そして社会保障の切り捨ても見逃せません。沖縄県民の総意を裏切り、沖縄県知事をはじめ沖縄を脅して普天間基地の辺野古移設という道を作りました。この点では、自民党沖縄県連の普天間飛行場移設に関して「普天間飛行場の危険性除去と早期返還・県外移設と固定化阻止に取り組みます」という県民に寄り添った考え方から「普天間飛行場の危険性除去と早期返還・固定化を阻止するため、辺野古移設を含むあらゆる選択肢を排除しない」と政策変更しました。沖縄県の今後の選挙で、自民党に大きな打撃を与えるでしょう。最初は1月19日投票の辺野古が立地する名護市長選挙です。

 

さて、年始の飲み会の話です。埼玉県の私の実家を会場にここ3年ほど高校時代の同級生たちとやっている集まりです。

 

1.7人での新年会ですが、3人が東京都民です。東京都知事選の話になりました。

小生「宇都宮さんに入れてよ」   A「ああ、入れる入れる」  小生「エッ 宇都宮さんはたぶん共産党の推薦があるよ」  A「宇都宮さんは共産党じゃないの知ってるもんね。」    B「俺も宇都宮に入れる。もうたくさんだ」

 

2.ちょっと残念な話し

昔は政治の話なんか、まったく興味が無い奴に限って、年を取ると猛烈なナショナリズムを振りかざす奴が多いことについて。新年会に参加している仲間はみんな仲が良いのですが、ナショナリズムっぽいことについてはこの集団にも同じのが7人中で2人いました。韓国(北朝鮮)と中国を口汚く罵って、日本と日本人の良さを強調するのが特徴です。自分の良さを主張するのではなく、相手を侮蔑的な言葉でさげすみ、自分と日本の正当性を主張しています。尖閣列島、竹島もこれに加わります。尖閣・竹島は小生と意見が合う面も多いのですが、最悪は「南京大虐殺は無かった」というものです。ほとんどが、ネット上にある情報や「新しい歴史教科書をつくる会」の主張の受け売りです。

そしてこうつながります「俺のおじいさんも中国に兵隊に行った、あんないいおじいさんが虐殺などをやるはずがない」と妙に心情的になります。この世界はもう歴史ではありません。歴史の事実を正しく共有することが、隣国や諸外国と仲良くする基本だと思いますが「歴史の事実」だと言い張ります。そして、戦争は人間と人格をダメにすることを認めようとしません。

韓国、中国との関係が悪くなることなんか、この連中には関係がありません。すべては「自分」なのです。

年を取ってきて、困難な情勢の中で、自分の立ち位置を安定させたい気分感情なのでしょう。俺は日本人だ、歴史ある日本の一人だと思いたいのでしょう。そのことで日本という集団の中にいると実感できるのでしょう。だからと言って、隣国を悪く言う必要がないのですが、「いじめの論理」と同じで声高に主張されることと同じことを言うことで自分は安心するのでしょう。私は、このような人々が増えることを恐ろしいと感じます。これがファシズムの前兆のように思えてしまうのです。

 

これからも、忘れた頃に、時々登場しますのでよろしくお願いいたします。

 

 

 


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