経済問題、雇用問題、安全保障問題とーーさまざまな政治課題があります。人間として、国として最も重要なことを教えてくれているようなドイツ首相の歴史認識、中国紙の歴史認識です。天皇制政府が行った戦争が侵略戦争ではない。従軍慰安婦問題は日本軍が関与していない。――などなど、安倍、自民党極右政権には理解できないのでしょう。残念なことです。
<人民網日本語版>週刊深読み『ニッポン』第76回
歴史に真剣に向き合うことこそ日本の唯一の道
安倍首相は第2次大戦終結70周年を記念する「安倍談話」の発表を計画しており、国際社会の注目を集めている。ドイツはこれについて沈黙を破り、メルケル首相の訪日は、第2次大戦の歴史認識について安倍首相に教え諭すという、日本が予想しなかった歴史講座となってしまった。ドイツの首脳としてのメルケル首相は、日本に対して行ったのは慣例的な実務訪問に過ぎず、外交儀礼から言えば「先生の身分」として日本を教育する必要性はない。だがメルケル首相が第2次大戦について日本に伝えたかったのは、歴史は書き換えることもごまかすもできないもので、その正当な評価を真剣に求めるべきだという正道である。(文:厖中鵬・中国社会科学院日本研究所専門家)
ドイツと日本との比較は世界でも早くからされてきた。ドイツが欧州一体化のエンジンとして世界的にも受け入れられたのは、ドイツがナチスの犯した罪悪と早くに向き合い、勇気と行動によって被害国の理解と信頼を得たためである。ドイツはナチスの暴行をごまかすことなく、その崩壊はドイツの「解放」であったとまで言った(ワイツゼッカー大統領の1985年の演説)。第2次大戦終結から70年の今年は、記念と同時に思考に値する重要な年である。硝煙は消えても歴史は客観的に存在しており、時が過ぎればなくなるものではない。侵略戦争によって被害を受けた国とその国民にとってはなおさらである。70年という節目は、人々に戦争の苦しみを思い返させている。歴史を汚してねじ曲げるような発言は、ファシズムに蹂躙された国とその国民の尊厳に泥を塗るものとなる。
国際社会とりわけ日本軍国主義の残虐な侵略を受けたアジア諸国とその国民は現在、大きな危機意識を持っている。安倍内閣が発表を予定しているとされる「安倍談話」が、第2次大戦終結70周年の敏感な年に、日本による侵略という事実を覆い隠すものとなり得ると伝えられているためである。「安倍談話」への関心が高いのは、談話そのものが非常に重要だからではなく、日本政治の今後の方向、とりわけ第2次大戦の侵略に対する日本の立場がこれを通じて判断できるためである。1995年の「村山談話」における「(アジア諸国に対する)植民地支配と侵略」という文言を残しているのであれば、国際社会は何とかこれを受け入れられるだろう。だがもしもこの文言が消され、ごまかしの言葉がこれに代えられ、さらには侵略の美化に余地を残すものとなるのであれば、「安倍談話」は、世界の良識に向かってたたきつけられた挑戦状となる。そうなれば日本は国際社会という大家族から隔絶されることになる。犠牲の上に実現された第2次大戦後の平和的国際秩序には、破壊的な日本を受け入れる余地はない。
「安倍談話」を考えるには、第2次大戦のアジアの主戦場であり、世界の反ファシズム戦争の主要参加国の一つであり、日本の軍国主義の侵略を受けた国である中国が問題となる。「安倍談話」は、中国というトピックを避けては通れない。「安倍談話」がいかにそれを語るにせよ、中国というトピックは客観的に存在しており、回避はできない。
メルケル首相は訪日で、「和解の前提は過去の総括にある」「ドイツの和解は過去と向き合うことで初めて可能となった」と繰り返した。安倍首相はメルケル首相のこの言葉を聞いてどう思っただろうか。メルケル首相は正しい。第2次大戦で欧州を戦場に変えたドイツの反省なしには、欧州全体の和解もなかった。欧州の和解は、ドイツによる過去の総括の上に成り立つもので、この総括がなければ和解全体が崩れる。
昨今の日本の近隣外交の行き詰まりの根本的な原因は、日本が過去から抜けだせず、過去の「帝国の栄光」に未練を持っていることにある。侵略の歴史を正面から語ろうとする人は「自虐」と責められ、「日本の名誉を損なった」とまで言われる。日本に過去の総括ができなければ、日本と隣国との和解の道はより遠く、険しくなることだろう。過去の総括を心から願ったドイツは、欧州の和解を成し遂げた。曖昧な態度で事実をねじ曲げ過去を否定する日本は、近隣外交の行き詰まりからなかなか抜け出せずにいる。
今年は、中国人民抗日戦争勝利及び世界反ファシズム戦争勝利70周年である。中国政府はこれを記念するため、様々な大型イベントの開催を計画している。その目的は、歴史を胸に刻み、犠牲者に思いを馳せ、平和の大切さを思い、未来を切り開くことにある。また善良なすべての人々に平和への願いと決意を呼び起こし、歴史の悲劇の再演を避け、第2次大戦の勝利の結果をともに守り、人類の明るい未来を切り開くことにある(中国外交部報道官の言葉)。中国は、日本軍国主義が発動した残虐な侵略戦争の主要被害国の一つであり、世界の反ファシズム戦争の勝利のために巨大な民族的犠牲を払った国である。歴史的な意味を持つこの年に、第2次大戦の戦勝国として記念活動を行うのは当然の成り行きである。中国を侵略し、第2次大戦のアジアの戦場の元凶となった日本は、これに対して過剰な反応をすべきではない。
日本がアジア近隣外交の行き詰まりから脱するのに方法がないわけではなく、それもさほど複雑ではない。虚心になってドイツに学ぶのである。ドイツは日本の模範となり得る。
「虚心」は「真心」の上に築かれるもので、そこには虚偽やごまかしがあってはならない。侵略戦争の血の教訓を虚心に総括し、侵略戦争の罪を心から悔い、第2次大戦の侵略の歴史を日本の恥と考えなければならない。侵略戦争をごまかしで飾り立て、日本の誇りとしてはならない。善悪をひっくり返して侵略史の否定や改ざんに走るべきではない。侵略は侵略であり、「侵略の定義は定まっていない」という理屈はまったく通用しない。
だがドイツが模範となり得るのは、日本が自身に道義的な欠陥を認めての話である。日本がこれを認めず、「日本の戦後の国際社会への貢献」でこれをごまかし、過去の侵略史を取り繕い、これに正面から取り組むことを避けるならば、ドイツを模範にするということすらできないだろう。
日本が過去の侵略史を真剣に直視することは、アジア近隣外交の行き詰まりを打開するために日本が必ず通らなければならない道であり、唯一の道である。アジアの歴史問題を解決するには、日本が過去を心から総括することが前提となる。第2次大戦終結から70周年の今年、「安倍談話」が語るべきはこの総括にほかならない。(文:厖中鵬・中国社会科学院日本研究所専門家)
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