“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

原発ゼロを実現すること

2015年11月20日 15時51分23秒 | 臼蔵の呟き

東日本大震災による東京電力福島第一原発事故が証明したことは、人間のもつ技術では、原子力発電所の稼働管理は不可能であること。また、その事故が引き起こす被害は、時間的、地理的範囲において他の事故とは比較にならない天文学的な被害を与えるということでした。そのことを知りながら、九州、四国電力が原子力発電所の再稼働を申請、急ぐのは許せることではありません。これは被災地、東北の被災者をあざ笑うことであり、見過ごすことはできません。この決定と判断を促進するのが安倍、山口自公政権であり、彼らの利権あさりと原子力への依存要求は政治的に断罪しなければなりません。

先進国の流れは原子力から再生可能エネルギーであり、原子力発電の需要は差規模阻止していることは明らかです。東芝が不正経理で経営が危うくなったのも、この原子力産業への過度な傾斜がそのきっかけとなっています。

もんじゅ、使用済み核燃料再処理に未来がないことはこれまでの核燃料サイクルの事故と投下された費用を考えれば明らかです。これ以上の国費の無駄使いを止めさせなければなりせん。

<東京新聞社説>原発ゼロへ再考を 原子力は高くつく

 原発推進の人たちにとくに読んでいただきたい。原子力発電は結局、高くつく。そろばんを弾(はじ)き直し、原発ゼロへと考え直してみませんか。

 やっぱり金食い虫でした。

 原子力規制委員会が日本原子力研究開発機構に示した、高速増殖原型炉「もんじゅ」の運営を「ほかの誰かと交代せよ」との退場勧告は、その操りにくさ、もろさ、危険さを、あらためて浮かび上がらせた。

 そして、本紙がまとめた「核燃料サイクル事業の費用一覧」(十七日朝刊)からは、もんじゅを核とする核燃料サイクルという国策が、半世紀にわたって費やした血税の大きさを実感させられる。

◆巨費12兆円を投じて

 原発で使用済みの核燃料からプルトニウムを抽出(再処理)し、ウランと混ぜ合わせてつくったMOX燃料を、特殊な原子炉で繰り返し利用する-。それが核燃料サイクルだ。

 その上もんじゅは、発電しながら燃料のプルトニウムを増やしてくれる。だから増殖炉。資源小国日本には準国産エネルギーをという触れ込みだった。

 それへ少なくとも十二兆円以上-。もんじゅの開発、再処理工場(青森県六ケ所村)建設など、核燃サイクルに費やされた事業費だ。

 国産ジェット機MRJの開発費が約千八百億円、小惑星探査機「はやぶさ2」は打ち上げ費用を含めて二百九十億円、膨らみ上がって撤回された新国立競技場の建設費が二千五百二十億円…。

 十二兆円とはフィンランドの国家予算並みである。

◆1日5500万円も

 ところが、もんじゅは事故や不祥事、不手際続きで、この二十年間、ほとんど稼働していない。止まったままでも一日五千五百万円という高い維持管理費がかかる。

 もんじゅは冷却に水ではなく、大量の液体ナトリウムを使う仕組みになっている。

 ナトリウムの融点は98度。固まらないように電熱線で常時温めておく必要がある。1700トンのナトリウム。年間の電力消費量は一般家庭約25000世帯分にも上り、電気代だけで月一億円にもなるという。発電できない原子炉が、膨大な電力を必要とするという、皮肉な存在なのである。

 もんじゅ以外の施設にも、トラブルがつきまとう。さらなる安全対策のため、再処理工場は三年先、MOX燃料工場は四年先まで、完成時期が延期になった。MOX燃料工場は五回目、再処理工場に至っては、二十三回目の延期である。

 研究や開発は否定しないが、事ここに至っては、もはや成否は明らかだ。これ以上お金をつぎ込むことは是とはされまい。

 核燃料サイクルが、日本の原子力政策の根幹ならば、それはコストの面からも、根本的な見直しを迫られていると言えそうだ。

 欧米で原発の新増設が進まないのは、3・11以降、原発の安全性のハードルが高くなったからである。対策を講ずるほど費用はかかる。原発は結局高くつく。

 風力や太陽光など再生可能エネルギーにかかる費用は普及、量産によって急速に低くなってきた。

 国際エネルギー機関(IEA)の最新の報告では、太陽光の発電コストは、五年前より六割も安くなったという。

 ドイツの脱原発政策も、哲学だけでは語れない。冷静に利益を弾いた上での大転換だ。

 原子力や輸入の化石燃料に頼り続けていくよりも、再生エネを増やした方が、将来的には電力の値段が下がり、雇用も増やすことができるという展望があるからだ。

◆そろばん弾き直そう

 核燃料サイクル事業には、毎年千六百億円もの維持費がかかる。

 その予算を再エネ事業に振り向けて、エネルギー自給の新たな夢を開くべきではないか。

 電力会社は政府の強い後押しを得て、核のごみを安全に処理するあてもまだないままに、原発再稼働をひたすら急ぐ。

 金食い虫の原発にこのまま依存し続けていくことが、本当に私たち自身や子どもたちの将来、地域の利益や国益にもかなうのか。政治は、その是非を国民に問うたらいい。

 持続可能で豊かな社会へ向けて、そろばんをいま一度弾き直してみるべきだ。


隣国との関係、正常な国家関係

2015年11月20日 05時22分59秒 | 臼蔵の呟き

安倍、自民党極右議員、大阪維新などの主張には、靖国参拝、従軍慰安婦問題での中国、韓国政府と軋轢を作り出し、ことさらに国家関係をこじらせています。また、このコラムで指摘されるように、中国と朝鮮半島全体を日本の敵であるかのような攻撃をしています。しかし、日本人全体が安倍、極右の考え方に同調しているわけではありません。しかも、読売、産経などの右翼的なマスコミが日本全体の民意を代表しているわけでもありません。そして、そのような権利も正当性も有してはいません。

他国と対等平等に関係を築く。政治制度はその国、国民が議論しながら選択する。そのことを他国が干渉しない。基本的な人権を擁護し、国民が安心安全に生活でき条件を政治的に整備する。それらが国対国にとって最大の課題です。

相手国、近隣国との関係において問題を紛争にせずに、粘り強く話し合いで解決する。そのことこそが侵略戦争を行った日本、政府にとっての注意しなければならない最大課題です。

<朝鮮日報>【コラム】韓国に劣る法制度を持つ日本が問う韓国の法治主義

 先月末、日本で開かれた韓日両国の記者たちの討論会に行ってきた。毎日新聞・朝日新聞・読売新聞といった日本の主要新聞社の論説委員らと対話する場だったということで、日本の報道関係者たちの考えを探るいい機会だったと言えるだろう。

 韓国に対する日本人の反感や不信感が、韓国人が思っているよりも深刻だということは十分分かっていたはずだった。この日も「ちょっと暮らし向きが良くなったからって…」とでも言いたそうな、原初的な感情がにじみ出た言葉が少なからずあった。先日、ある日本の新聞の社説に出た「(日本が韓国に対して数十年間にわたり費やしてきたことが)徒労に終わった感じ」という表現は、この討論会の日本側代表の発言にもそのまま登場した。もう一つ、聞き流せない言葉があった。「韓国は本当に法治主義国家なのか?」というものだ。こうした直接的な表現を使った人物は1人だったが、発言の趣旨から考えれば多くの発言者が同じ内容のことを言った。

 日本といえば「解釈の見直し」という理解しがたいやり方で憲法の内容まで変えてしまった国だ。だからといって法治主義ではないとは言えないが、制度そのものだけを見れば韓国よりも抜け穴や粗が多い。だから、その質問が自己矛盾であることは明らかだ。それでも日本人記者たちはこの質問を真顔で韓国側に突き付けてきた。

 今年3月、日本の外務省がホームページ上から韓国について「基本的価値を共有する」という部分を削除した。日本政府は当時、「定期的にホームページを更新する過程で起こった一時的な出来事」と言った。ところが、これがいつの間にか公式の見解として既成事実化され、そうかと思ったら今では報道関係者たちまでがそれを突き付け、問いただす段階に至ったのだ。政権が変われば日本政府の見解も変わる可能性はあるが、報道関係者たちが韓国のことをそのように考えているというなら、それは次元が違う問題だ。日本社会の普遍的情緒が既にそうなっているという証になるからだ。日本の報道関係者らが問題視した点はいくつかある。彼らは強制徴用者の個人請求権に関して、韓国政府の公式見解と大法院(最高裁判所に相当)の判決が違うことに対し、「国家間の協定よりも判決を優先させる『司法独走』ではないか」と言った。産経新聞前支局長に対する検察の捜査・起訴問題については、産経の記者だけでなくほぼ全員が口をそろえて「韓国は言論の自由に問題があるのではないか」と言った。産経の記事そのものについては悪意があるだけでなく、レベル的にも不十分だと認めたが、だからといって権力が影響を及ぼし、法廷に持ち込むのは理解しがたいということだった。

 彼らは真剣だった。相手が真剣なら、向かい合って座っている側も真剣にならなければいけない。韓国側参加者は三権分立などいくつかの観点から説明あるいは抗弁することはした。しかし、話はずっと空回りし、お互い「壁を見ながら話をして別れた」という印象すらした。国交正常化50年というこの年に、両国関係の改善を模索しようという趣旨で開かれた討論会がほぼすべてこうした調子で力なく終わった。

 国交正常化後、日本が韓国に問いただすという姿勢を見せ出したのは今が初めてだ。それほど経済的にも国際政治的にも対等になっているという証拠だろう。1人当たりの国内総生産(GDP)が1対1になる日も遠くない。逆説的に言えば、「韓日関係のニューノーマル」は非常に感情的・戦闘的な様相になる可能性が高いということを意味する。韓日関係にアプローチする考え方の枠組みそのものを全面的に見直すべき段階に入っている。

 

辛貞録(シン・ジョンロク)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版