憲法解釈の変更を一方的に閣議決定で行う。安倍、山口自公政権の非民主的、独裁的政治手法はあらゆる政治課題、議会運営でも貫かれています。このような政権を継続させること自身が国会、国民にとっての不幸と不利益をもたらす以外のなにものでもありません。
立憲主義とは何かを知りながら、無視し、自らの野望を強引に、形式的に行う。これこそが安倍、山口自公政権が持っている本質です。立憲主義の否定、民主主義の否定を許すのかどうかが問われているのです。
<信濃毎日社説>臨時国会 憲法軽んじる召集見送り
どこまで憲法をないがしろにするのか。安倍晋三首相が臨時国会の見送りを明言した。一方で、来年の通常国会を前倒しして1月4日に召集する方針を表明している。
衆参両院いずれかの4分の1以上の議員が要求した場合、内閣は臨時国会の召集を決めなければならない。この憲法53条の規定に基づき野党が開会を求めている。通常国会を前倒ししても、憲法の要請に応えることにはならない。
首相は訪問先のトルコで記者団に「年内の国会召集は事実上、困難と判断せざるを得ない」と述べた。今月末から開かれる国連気候変動枠組み条約の第21回締約国会議(COP21)首脳会議といった外交日程や2016年度予算編成などを理由に挙げている。
安全保障関連法を成立させるため、通常国会を9月下旬まで大幅延長したのは政府、与党だ。閉会後は臨時国会を開くよう野党が10月に求めても棚上げしてきた。その揚げ句、日程がきついからと見送る。身勝手な言い分であり、受け入れられない。
もともと安倍政権は召集に否定的だった。一つには、10月の内閣改造後に新任閣僚の不祥事が表面化したことがある。外交などの日程は表向きの理由にすぎず、実際は国会で追及されるのを避けたい思惑があったのだろう。
安保法、政治とカネ、環太平洋連携協定(TPP)など議論すべき課題が山積している。国会で積極的に説明しようとするのが本来の政府の姿ではないか。
この間、衆参両院の予算委員会で1日ずつ閉会中審査を行ってはいる。たった2日間で議論を尽くせるはずがない。食い足りないまま終わったのは当然だ。
首相は閉会中審査で臨時国会について「憲法は召集を決定しなければならないと規定するにとどまり、時期は内閣に委ねている」とした。時期が示されていない点を利用した都合のいい解釈である。
安倍政権は「要求があっても開かれなかった事例はある」とも説明してきた。その03年と05年は特別国会があった。通常国会しか開かれなかった年はない。このまま憲法無視が当たり前になれば、53条は意味を失う。
見送りを良しとする与党の姿勢にも首をかしげる。国会軽視の政府を許すのは議員としての責任放棄だ。これから先、与党の座にあり続けるとは限らない。下野した場合、同じように対応されても批判できないことになる。よくよく考えるべきではないか。