“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

シリア空爆 さらなる暴力生む懸念

2015年11月19日 17時10分54秒 | 臼蔵の呟き

フランス、アメリカ、ロシアによる空爆で、シリア、中東は一層混乱し、難民の増加、死者数の増加でテロリストは増えるばかりです。また、宗派対立を利用した攻撃と政治利用は一層の地域の混乱を増加させます。

イラクとシリアの政治的な混乱を終結する支援を行う。戦争による死者と被害者をなくす。貧困対策に全力を挙げることこそがいま求められている最大課題です。

<信濃毎日社説>シリア空爆 さらなる暴力生む懸念

 武力行使が、対抗する暴力を生む。その悪循環から抜け出せなくなるのではないか。

 フランスは、パリでのテロ事件の報復として、シリアで過激派組織「イスラム国」への空爆を本格化させた。米国とロシア、英国も攻撃強化に乗り出している。

 軍事行動でイスラム国を弱体化できたとしても、テロの阻止につながるかは見えにくい。シリアや中東の状況を悪化させ、かえって各地で過激派に共鳴する行動を呼び起こす恐れがある。

 ロシアのプーチン大統領は、10月末にエジプトで起きたロシア旅客機墜落を、爆発物によるテロと断定した。フランスのオランド大統領は米ロに共同歩調を求め、軍事連携が強まりつつある。

 フランスは戦争状態にある―。オランド氏は宣言した。バルス首相は「神聖なる団結」というキリスト教的な言葉で結束を呼びかけた。2001年に起きた米中枢同時テロの際のブッシュ政権の姿勢と重なって見える。

 米国による「テロとの戦争」はアフガニスタンやイラクで多くの市民の命を奪ってきた。中枢テロを起こした国際テロ組織アルカイダは壊滅させられず、イスラム国という新たな過激派を生んだ。

 戦争によってテロの脅威が減ったのかといえば、むしろ逆だ。過激派組織は拡散し、イスラム国には欧米からも多くの若者が加わっている。その現実に冷静に向き合う必要がある。

 フランスはイラク戦争の前、米国の軍事行動に強く反対した。今年1月に風刺週刊紙が襲撃された事件の後も、武力行使には抑制的だった。それだけに今回は、テロ事件で受けた衝撃の大きさが見て取れる。けれども、武力重視の対決姿勢を強めても根本的な解決にはならない。

 武力行使は、誤爆や巻き添えで民間人を犠牲にし、生活の土台を破壊する。シリアでは内戦で既に25万人が死亡し、400万人以上が難民として国外に逃れた。欧米が自国の安全のためにシリアの人々を顧みない行動を取れば、憎しみを広げ、それが土壌となって暴力は先鋭化する。

 軍事的な対処が避けられないとしても、それはテロの脅威を防ぐために必要なことの一部でしかない。何よりも取り組むべきは、シリア内戦の収束と、イスラム系住民を排除する欧米社会のあり方を変えていくことだ。フランスは、国際社会が結束、協力してその取り組みを強めるための先頭に立ってほしい。


沖縄県知事を提訴 基地負担を強いる傲慢

2015年11月19日 16時10分01秒 | 臼蔵の呟き

 翁長知事が埋め立て承認を取り消したのは、直近の国政、地方両方の選挙を通じて県内移設反対を示した沖縄県民の民意に基づく。

「問題の根源が、狭い県土に在日米軍専用施設の約74%が集中し、県民に過重な基地負担を強いていることにあることを忘れてはならない。」「根拠薄弱とも指摘される米海兵隊の抑止力を錦の御旗に、沖縄県内で基地を「たらい回し」するのは、政治の怠慢にほかならない。」

「安全保障は国の責務だが、政府が国家権力を振りかざして一地域に過重な米軍基地負担を強いるのは、民主主義の手続きを無視する傲慢(ごうまん)だ。憲法が保障する法の下の平等に反し、地方の運営は住民が行う、という、憲法に定める「地方自治の本旨」にもそぐわない。」

<東京新聞社説>沖縄県知事を提訴 基地負担を強いる傲慢

 住民の思いは踏みにじられ、在日米軍基地の新設手続きが進む。国家権力で住民をねじ伏せるのは民主主義の正しい在り方とは言えず、憲法に定める法の下の平等や地方自治の本旨にも反する。

 政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への「県内移設」計画をめぐり、翁長雄志知事を福岡高裁那覇支部に提訴した。埋め立て承認を取り消した知事の処分を、知事に代わって国が撤回する「代執行」に向けた訴訟である。

 十二月二日に第一回口頭弁論が開かれ、政府側が勝訴すれば、埋め立てを進める、という。

 政府が沖縄県知事を提訴するのは一九九五年、米軍用地強制使用の代理署名を拒んだ大田昌秀知事(当時)を、当時の村山富市首相が訴えて以来二十年ぶりである。国と県との異例の法廷闘争に、重大な危惧を抱かざるを得ない。

 普天間飛行場の危険性除去は喫緊の課題だが、同時に、問題の根源が、狭い県土に在日米軍専用施設の約74%が集中し、県民に過重な基地負担を強いていることにあることを忘れてはならない。

 米軍への基地提供を日本の義務とする日米安全保障条約体制が日本と極東の平和と安全に不可欠なら、その基地負担は日本国民ができる限り等しく負うべきである。

 しかし、政府は沖縄県民の基地負担をほかの都道府県民と同等レベルにまで軽減するために、どこまで死力を尽くしたというのか。 根拠薄弱とも指摘される米海兵隊の抑止力を錦の御旗に、沖縄県内で基地を「たらい回し」するのは、政治の怠慢にほかならない。

 翁長知事が埋め立て承認を取り消したのは、直近の国政、地方両方の選挙を通じて県内移設反対を示した沖縄県民の民意に基づく。

 安全保障は国の責務だが、政府が国家権力を振りかざして一地域に過重な米軍基地負担を強いるのは、民主主義の手続きを無視する傲慢(ごうまん)だ。憲法が保障する法の下の平等に反し、地方の運営は住民が行う、という、憲法に定める「地方自治の本旨」にもそぐわない。

 地元住民や自治体の理解が得られず、基地が敵意で囲まれることになれば、基地提供という安保条約上の義務も円滑に果たせなくなるのではないか。

 菅義偉官房長官は記者会見で「わが国は法治国家」と提訴を正当化したが、法治国家だからこそ、最高法規である憲法を蔑(ないがし)ろにする安倍内閣の振る舞いを看過するわけにはいかない。


普遍的価値を全否定する日本と欧州の極右民族主義

2015年11月19日 15時07分32秒 | 臼蔵の呟き

 欧州や日本の右翼思想は、逆の立場から自分たちを根本的に否定するISの原理主義とは根元が違うが、妙に似たところがある。差別や排除、相手に対する否定があるだけで、共存や和解、寛容、配慮という考えがない。

文明の衝突を擁護するだけで、文明と文明の対話や和解の余地はない。相手方の文明に対する対等な価値の付与もない。何よりも、文明圏を越えた人類普遍の価値に対する尊重が感じられない。開放と和解、相互の尊重や共生こそが、人類の文明がつくり出した歴史的な発展の産物であることを忘れている。

<朝鮮日報>普遍的価値を全否定する日本と欧州の極右民族主義

罪なき人を殺傷したISテロを機に欧州で右翼思想が広まる
日本の極右も相手を否定、戦犯を断罪した東京裁判の検証も
ISの原理主義と同じく、人類普遍の価値を全面否定

 米国ハーバード大学の故サミュエル・ハンティントン元教授は、冷戦終結後の世界で「文明の衝突」が激化するとの見通しを示した。フランス・パリで発生した今回のテロも、キリスト教文明とイスラム原理主義者たちの対決のように思われる。だが、パリでの自爆テロは、文明の衝突というよりは、極端なイスラム過激主義者による文明を否定、破壊する行為だ。日常を楽しんでいる罪のない市民を無差別的に殺傷し、自爆テロという生命を否定する行為をテロの方法として用いた。自分たちは絶対に善だと信じ、ほかの勢力は絶対に悪であるから、殺しても構わないというイデオロギー的な盲信は非文明的であり、反人道的であり、反倫理的だ。彼らを許し、容認することができないのはそのためだ。

 グローバル化の象徴であり、地域の統合が強固な欧州の真ん中で、このような動きが表われているということ自体が、人類の文明に対する警鐘だ。テロリストたちは欧州のボーダーレス化や多文化社会、そして脱民族主義を逆手に取って犯罪を犯している。それに対する反動として、欧州に右翼的な感情が広がっている。ギリシャの経済破綻を発端とする欧州各国の経済格差の拡大、シリア内戦の余波で急激に増えている難民の受け入れ問題に続き、いわゆるイスラム国(IS)による無差別テロが欧州の右派に力を与えている。

 欧州の右派は、国境を越えた統合、人種や宗教を越えた和解、異質な文化との共存を主張する政治勢力に対抗している。アフリカや中東などからの難民流入を拒否し、イスラム教を信じる市民を差別し、移民を統制するために国境の壁を高くしようと主張している。欧州の統合によって花開いた「脱近代(ポストモダニズム)」を拒否し、「近代」への回帰を叫んでいる。右派の理念はこの上なく、(時代としての)近代そのものだ。異質な文化に対する優越意識や差別、国境の閉鎖による排他的な国民国家の再建、開放的な共有に対する否定的な認識などがその根底にある

日本の右翼思想の根底にも、その背景や主張の違いはあるものの、差別や排除、そして相手に対する否定的な感情が根を下ろしている。日本の右翼は、差別を受けている在日韓国人たちをむしろ「特権階級」と決め付け、「嫌韓流」のムードを生み出した。人種や国籍、性別などを理由に相手を非難する「ヘイトスピーチ」もためらわない。自分たちが持ち得る財貨を「二等市民」が奪っているという差別意識の表れだ。その一方で、旧日本軍の慰安婦の強制動員を認めた「河野談話」を検証するとして、同談話があたかも政治的な妥協の産物であるかのように本質をねじ曲げ、「日本は過ちを犯した国ではない」と言わんばかりの弁明をしている。自分たちにとって必要なときには「自国民」として動員したかと思えば、戦争が終わるや否や徹底的に排除した右翼思想の表れだ。最近では太平洋戦争の戦犯を断罪した「東京裁判(極東国際軍事裁判)」を批判的に検証しようとしている。東京裁判と「平和憲法」は、敗戦国の日本に対する懲罰、復讐であり、自国に圧力を掛けて締め付けた秩序であるため、そのような戦後体制からの脱却は、東京裁判の検証を通じて決着を付けようという発想だ。憲法改正を達成するためには、日本が「悪い国」だという自虐史観から脱却しなければならないという強迫観念にとらわれ、米国がつくり上げた戦後の秩序から脱皮すべきだと信じている。そのような考えの根底には、日本と米国という近代国家の対決や相互否定が存在する。

 欧州や日本の右翼思想は、逆の立場から自分たちを根本的に否定するISの原理主義とは根元が違うが、妙に似たところがある。差別や排除、相手に対する否定があるだけで、共存や和解、寛容、配慮という考えがない。文明の衝突を擁護するだけで、文明と文明の対話や和解の余地はない。相手方の文明に対する対等な価値の付与もない。何よりも、文明圏を越えた人類普遍の価値に対する尊重が感じられない。開放と和解、相互の尊重や共生こそが、人類の文明がつくり出した歴史的な発展の産物であることを忘れている。これは日本の右派も、欧州の右派も見過ごしがちな落とし穴だ。

パク・チョルヒ教授(ソウル大学日本研究所長兼国際大学院)
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版