三陸鉄道を南下し、田老で途中下車。ここは4年前に訪れ、ひどい津波被害の爪痕を
見たのでした。被災地を見ようと思ったきっかけになった場所であり、初めて見た
ところでもあるのです。
俺ひとりしか下車しませんでした。
駅前というか、駅自体に何もないのは変わっておりません。
おお、青森からもう239㎞もやってきたか。そして昨日いた久慈からはもう80㎞も
南下してきたんだなあ。
このあたりはザバ~っとすべてが飲み込まれたあたりです。
おっおっ、何やら商店街が出来ているぞ?何もないと昼飯はどうしようかと考えて
いましたが、これなら何かあるだろう~。
4年前の姿です。田老観光ホテルだけが残り、それも覆いに隠れていて、見事に何も
なくなっていました。津波が来る前は、びっしり建物が並んだ町だったんですよ?
うわー、こんな新しい建物が出来ている~ww
防潮堤のなごりだけしかなかったんですよ。。。
なになに、「カフェすいか」? あとで行ってみるか~。
おお、痛々しいお姿が露わになっている。数年前に、新聞でこの建物が記事になって
いたのです。ここの社長さん、津波が来ると警報がなったとき、従業員全員を山に
避難させ、自分だけはここの最上階に残って津波をビデオに撮ったんです。その映像は、
来た人にここでだけ見せると書いてあったので、私はそれを見に4年前に来たのです。
そのビデオの感想は、前の記事をご覧ください(^益^)w
水の力は、列車の通る鉄橋もぶっ倒しますからねー。
前回見られなかった(今や)モニュメントを見られました。
なんか造ってるなー。まさかまたここに防潮堤?
ううむ、どうやらそうなんだろうなあ。。。
おお、建物の角にある黄色いマーク、明治と昭和の津波と続いて、一番上、屋根のつけ根
にあるのが平成の東日本大震災で来た津波の高さです。
修復前はこんなふうだったのです。よく根こそぎ倒れなかったよねェ。