この先皆さんは、さらに多くの栄光に満ちた出来事を目撃するでしょう。
サティア・サイが成し遂げることのできないものは、何一つありません。(拍手)
実際、スワミはその行動によって、人々に畏敬と驚きの念を抱かせることもできます。
しかし、スワミの唯一の目的は、すべての人々を幸せにすることです。
「ローカ サマスター スキノー バヴァントゥー(全世界が幸せになりますように!)」
他者の幸福のために尽力する人は、決して困難には見舞われません。
いかなる困難も彼らを動揺させることはできません。25/11/00
ポニョ:昨日の記事で映画の映像が消えたら銀幕しか残らない。映像は常に変わりいつもいろんなものを映し出しているけれど、その後ろにある銀幕は常に一緒で変わらない。そして、神を悟った賢者は、他のものたちと一緒に映画館の椅子に座って映像を見ているように見えるけれど、実は銀幕だけを見て至福に浸っている。それが神を悟ることだという例えが分かり易かったぜよ。
ヨシオ:この世を外的世界だとすると、内的な世界もあるはずやろ。その二つの世界を説明するのに、映画と銀幕の関係の例えで説明すれば分かり易いんや。人は、映画と銀幕を同時に見ることは出来ないやろ。銀幕が見えるのは映画が映っていない時だけやんか。
ポニョ:もちろんそうや。それに、銀幕はいつも存在しているけれど、映画は昨日の例のように停電したり、上映が終わったら消えてなくなるやろ。
ヨシオ:今、ポニョが言ったことはとても大切なんや。だって、銀幕は常に存在していて、映画である外的世界を映し出しているんやけれど、それって俺たちが住んでいる世界と内的世界の関係をそのまま表しているんや。
ポニョ:ということは、映画は銀幕の上に映しだされるから、内的世界が外的世界の基盤って事になるのかな?そういや、王仁三郎も霊主体従と言っていたよな。霊的世界が、体、つまりこの物質世界の上位に来るってことなんや。
ヨシオ:映画の世界に例えられるこの世界は、いつもいろいろとあって忙しく、じっとしていないやろ。いつも移り変わるし、何一つ永遠のものなんて無いやろ。鉄の塊でさえ千年も経てば錆びて真っ赤になり、やがて朽ち果てるやないか。でも銀幕に例えられる内的世界はいつまで経っても同じで変わらない。
ポニョ:銀幕が変化したら映像がきちんと映らなくなるぜよ。
ヨシオ:だから、外的世界は内的世界を基盤としているんや。それに、外的世界はそれが何で有っても、姿と名前を持っている。たとえ姿が無い空気であっても、それが顔をかすめた時には、人は風と呼ぶやろ。
ポニョ:いつも移り変わっていて、名前と姿を持っているのが外的世界の特徴なんやな。
ヨシオ:それに、人は起きている時に自分の感覚器官を使って生活しているやろ。その感覚器官を使ってこの世界を体験している間は、この世界はその人にとって真なんや。
ポニョ:ということは、昨日悟った人は他の人と同じ映画館に入って席に座っても、感覚器官を超えた霊的な目で外的な世界を見ているから、銀幕が見えているんやな。
ヨシオ:ポニョはもう、長い間霊的な書物も読んでいるし、こういう霊的な話をしてもすぐに飲み込めるけれど、普通、こういう話をすると、質問や疑問が多過ぎてなかなか前に進まないけどな。特に、今言ったように、この世界は人が感覚器官を使って体験している限りにおいて真や、というところでは、すぐに、ハイそうですか、という人は少ないな。
ポニョ:それほど、難しい話じゃ無いぜよ。あんたが難しそうに説明するから難しいように聞こえるだけで、要するに起きている時に五感を使って体験すれば、それはそれを体験している人にとっては、真やって言いたいんやろ。そして、眠っている時には、感覚器官によって意識的にそれらを体験出来ないから真ではないんや。だからこの世界は真でもあり、非真でもあるって言われているんや。簡単な事やないか。
ヨシオ:そういうことや。ポニョが説明した方が分かり易いな。この、真でも非真でもあることをマーヤー(迷妄)と呼ばれているんや。つまり、魔法のようなものや。そして、この魔法を操っている魔法使いが神さんなんや。
ポニョ:魔法使いサリーじゃなくて、魔法使いサイーやな。
ヨシオ:今ポニョが冗談で魔法使いサイーって言ったけれど、その魔法使いは名前と姿を持っているやろ。本来の神は無相で属性が無いんやけれど、その神が属性を持ち姿を取ったのが神の化身なんや。
ポニョ:つまり、無相で属性の無い神が、神に帰依する者を祝福する為にいろんな姿を取ってこの世に来られるんやな。でも、その神の化身でも創造主の全ての力を備えてこの世界に来られる化身と、その時々の神の使命に必要な力だけを備えて来られる化身の二種類があるやろ。
ヨシオ:サッチャサイババとクリシュナ、ラーマはプーナアヴァターラと言って、今ポニョが言ったように全ての力を備えて来られたんや。ラーマに関しては、シータが誘拐された時に普通の人のように泣き悲しんだので、プーナアヴァターラでは無いという説もあるけれど、ババはプーナアヴァターラだと言っておられる。
ポニョ:ラーマ神は二万年前に降臨されたって言っておられたよな。そして、クリシュナ神は約六千年前やろ?降臨されたんは。そして、プレマサイババがマハサマディになってこの世を離れられたら、何千年もの間神の化身はこの世に戻って来られないと言っておられたな。
プレマサイは3人のババの中でも、大変他と違って見えるであろう。
そしてプレマサイ降臨の時までに、世界は今より良好な状態になっており、プレマサイは最初の20年間、誰にも名を明かさず、あごひげをつけた状態で動き回るだろう。P57神の化身SS Baba
ヨシオ:神の化身がこの世界にやって来なくてはいけない程、世界は荒れていないってことやろ。つまり、平和な時代が何千年も続くんや。
困難はやって来るかもしれませんが、それらは最終的には幸福を引き起こします。
ごく近いうちに、この世のすべての人が理想的な生活を送るようになります。
愛は力で得られるものではなく、その「源」から自然に生じるべきものです。
力は恐怖を引き起こし、愛を減少させます。
自分の中から自然に神聖な思いを湧き上がらせましょう。
自分の喜びを他の人と分かち合いなさい。16/3/03
ポニョ:そういう事なんやろな。ところでさっき、あんたはサッチャサイババはプーナアヴァターラやと言ってけれど、シルディババやこれから生まれて来るプレマババはプーナアヴァターラではないんか?
ヨシオ:ババは御講話で、シヴァシャクティのうち、シヴァ神がシルディババになって生まれ、お妃のパールヴァティつまりシャクティの部分がプレマババになって生まれ、それら両方の神さんが一つになって生まれたのがサッチャサイババだと言っておられるので、サッチャサイババだけがプーナアヴァターラだと思うけれど違うか?
ポニョ:多分そうやろな。ということは、今マハサマディと言って肉体を少しの間離れておられるけれど、近い将来再降臨された暁には、プーナアヴァターラに相応しい、全世界があっと驚く為五郎のようなどでかい奇跡をされるんやろな。
やがて、日がたてば今スワミの真実に気づいていない者でさえも、私を体験し、後悔の涙を流しながら私のもとへ戻ってくるでしょう。
非常に近い将来こういうことが起こるのだ。
スワミは現在こういうことを起こるのを制止しているが、しかし一旦それが起こることを私が許せば、全世界がプラシャンティニラヤムになるであろう。vol15Chap55
ヨシオ:実際、ポニョも知っているように、山脈を持ち上げるとか、空に現れるとか、全ての人の心の中に直接語りかけられるとか、あらゆる場所に同時に現れられるとか、将来に起こることを映画の予告編のように言われているんや。だから、ババがこのままマハサマディで終わりじゃないって俺たちは口を酸っぱくして、何度もこのブログで発信しているんや。
私が山脈全体を持ち上げるのをあなた方は目にすることでしょう。
その時が来るまで我慢強く私を信じて待つのです。P 22cap5SSS,Vol3
ポニョ:おいらもグロ襟の事を、このブログで取り上げているけれど、何も読者の方をネガティブな気持ちにさそおうとしているんじゃなくて、ババは世界が経済的、社会的に落ちて人々が頭を打った時に帰って来られますよ。だから、グロ襟がこんな悪さをやらかしますが、それは良い事なんですよ。株で資産を失っても、社会が混乱しても、世界中が地震や火山の噴火で大騒ぎになってもあたふたしなくてもいいですよ。そんな風に世界がなった時の為に、今から神様のことを思って御名と唱えて毎日生きて行きましょうね、ということを言いたいんや。
近い将来、サイの栄光は世界中に広まるでしょう。
それは千倍にもなって大きくなるでしょう。
その理由はサイの使命が本質的に善に基づいているからです。
どのような汚らわしさもありません。
すべての行為は純粋な動機から出ています。
サイのすべては真理にもとづいています。
サイのすべての活動は誰か他の者に頼らず執り行われています。
それでいて、すべては何の問題も無く、粛々と進められています。
収穫が終わると籾取りが始まります。
風は籾殻を吹き飛ばし、籾のみを残します。
この例えのように残った籾とは真の信者のことなのです。
そして信仰心の定まらぬ者は籾殻となって吹き飛んでいくのです。
これが真の信者かどうか選り分ける過程なのです。SS12/93p333
世界は神の身体です。
その身体に癌ができれば取り除かねばならない。
利己主義の増大に対して物質的反動とある種の調整作用と整理が起こる。p129サイババ世界の危機を救う。
ヨシオ:その大転換期の後には、千年至福の時代がやって来るんや。いわゆるゴールデンエイジや。俺たちは人類の歴史の大きな転換点に立っているんや。これから世界中の人類が父なる神を敬い、全ての人類や生きとし生けるものを自らの兄弟とみなして、ともに手と手を握って歩んで行く時代が始まるんや。お互い長生きして良かったな。
神の栄光は日増しに高まり、皆さんに喜びと至福をもたらします。
まもなく地球上からあらゆる不安が根絶されます。
今日、私たちは至る所で暴力行為を目にします。
しかし、何が起こっていても、それはある意味ですべて皆さん自身のためです。
だれもが神聖な思いをもつようになります。
すべての人が神の至福を味わうでしょう。
まもなく国中が平和と幸福を味わいます。
困難も苦しみもなくなります。
皆さんは苦難に遭うのではないかと考えて、恐れにうちひしがれています。
実際には、悲しみや苦しみといったようなものは存在しないのです。
どうしてそれらが皆さんを悩ますことなどできるでしょうか?16/3/03
ポニョ:あのね、いくらゴールデンエイジに向かって歩いて行くって言っても、あんたと手を繋いで歩いて行きたくはないぜよ。同じ手を繋ぐんやったら若くて可愛い女の子の方がええな。嬉しカルカルになるやろな。
ヨシオ:ところで、その時に君の奥さんは、誰と手を繋いで歩いているんや?
世界のすべての国々がインドに敬意を表するのを目にすることができる皆さんは、何と幸運でしょう!
しかも皆さんは、来たるべき将来ではなく、この肉体が皆さんと共に、皆さんの目の前にあるうちに、サティヤ サイという名への崇敬が世界中で響き渡るのを耳にすることができるのです。
また、皆さんはやがて、太古よりの永遠の法、すなわち、世界のすべての人々のためにヴェーダに定められているダルマ(正義)の、正当な本来の地位の復興を目の当たりにすることができます。人々を私のほうに引き寄せ、私の力と能力を顕示することによって人々を魅了することだけでなく、ヴェーダのダルマを復興することも、サイが決意したことなのです。
それはマーヤー(迷妄の現象)ではありません。
その現象は、真理を支え、非真理を根こそぎにし、その勝利において、あなた方すべてを忘我の歓喜に浸らせます。
これはサイの意志なのです。17/5/68
サティア・サイが成し遂げることのできないものは、何一つありません。(拍手)
実際、スワミはその行動によって、人々に畏敬と驚きの念を抱かせることもできます。
しかし、スワミの唯一の目的は、すべての人々を幸せにすることです。
「ローカ サマスター スキノー バヴァントゥー(全世界が幸せになりますように!)」
他者の幸福のために尽力する人は、決して困難には見舞われません。
いかなる困難も彼らを動揺させることはできません。25/11/00
ポニョ:昨日の記事で映画の映像が消えたら銀幕しか残らない。映像は常に変わりいつもいろんなものを映し出しているけれど、その後ろにある銀幕は常に一緒で変わらない。そして、神を悟った賢者は、他のものたちと一緒に映画館の椅子に座って映像を見ているように見えるけれど、実は銀幕だけを見て至福に浸っている。それが神を悟ることだという例えが分かり易かったぜよ。
ヨシオ:この世を外的世界だとすると、内的な世界もあるはずやろ。その二つの世界を説明するのに、映画と銀幕の関係の例えで説明すれば分かり易いんや。人は、映画と銀幕を同時に見ることは出来ないやろ。銀幕が見えるのは映画が映っていない時だけやんか。
ポニョ:もちろんそうや。それに、銀幕はいつも存在しているけれど、映画は昨日の例のように停電したり、上映が終わったら消えてなくなるやろ。
ヨシオ:今、ポニョが言ったことはとても大切なんや。だって、銀幕は常に存在していて、映画である外的世界を映し出しているんやけれど、それって俺たちが住んでいる世界と内的世界の関係をそのまま表しているんや。
ポニョ:ということは、映画は銀幕の上に映しだされるから、内的世界が外的世界の基盤って事になるのかな?そういや、王仁三郎も霊主体従と言っていたよな。霊的世界が、体、つまりこの物質世界の上位に来るってことなんや。
ヨシオ:映画の世界に例えられるこの世界は、いつもいろいろとあって忙しく、じっとしていないやろ。いつも移り変わるし、何一つ永遠のものなんて無いやろ。鉄の塊でさえ千年も経てば錆びて真っ赤になり、やがて朽ち果てるやないか。でも銀幕に例えられる内的世界はいつまで経っても同じで変わらない。
ポニョ:銀幕が変化したら映像がきちんと映らなくなるぜよ。
ヨシオ:だから、外的世界は内的世界を基盤としているんや。それに、外的世界はそれが何で有っても、姿と名前を持っている。たとえ姿が無い空気であっても、それが顔をかすめた時には、人は風と呼ぶやろ。
ポニョ:いつも移り変わっていて、名前と姿を持っているのが外的世界の特徴なんやな。
ヨシオ:それに、人は起きている時に自分の感覚器官を使って生活しているやろ。その感覚器官を使ってこの世界を体験している間は、この世界はその人にとって真なんや。
ポニョ:ということは、昨日悟った人は他の人と同じ映画館に入って席に座っても、感覚器官を超えた霊的な目で外的な世界を見ているから、銀幕が見えているんやな。
ヨシオ:ポニョはもう、長い間霊的な書物も読んでいるし、こういう霊的な話をしてもすぐに飲み込めるけれど、普通、こういう話をすると、質問や疑問が多過ぎてなかなか前に進まないけどな。特に、今言ったように、この世界は人が感覚器官を使って体験している限りにおいて真や、というところでは、すぐに、ハイそうですか、という人は少ないな。
ポニョ:それほど、難しい話じゃ無いぜよ。あんたが難しそうに説明するから難しいように聞こえるだけで、要するに起きている時に五感を使って体験すれば、それはそれを体験している人にとっては、真やって言いたいんやろ。そして、眠っている時には、感覚器官によって意識的にそれらを体験出来ないから真ではないんや。だからこの世界は真でもあり、非真でもあるって言われているんや。簡単な事やないか。
ヨシオ:そういうことや。ポニョが説明した方が分かり易いな。この、真でも非真でもあることをマーヤー(迷妄)と呼ばれているんや。つまり、魔法のようなものや。そして、この魔法を操っている魔法使いが神さんなんや。
ポニョ:魔法使いサリーじゃなくて、魔法使いサイーやな。
ヨシオ:今ポニョが冗談で魔法使いサイーって言ったけれど、その魔法使いは名前と姿を持っているやろ。本来の神は無相で属性が無いんやけれど、その神が属性を持ち姿を取ったのが神の化身なんや。
ポニョ:つまり、無相で属性の無い神が、神に帰依する者を祝福する為にいろんな姿を取ってこの世に来られるんやな。でも、その神の化身でも創造主の全ての力を備えてこの世界に来られる化身と、その時々の神の使命に必要な力だけを備えて来られる化身の二種類があるやろ。
ヨシオ:サッチャサイババとクリシュナ、ラーマはプーナアヴァターラと言って、今ポニョが言ったように全ての力を備えて来られたんや。ラーマに関しては、シータが誘拐された時に普通の人のように泣き悲しんだので、プーナアヴァターラでは無いという説もあるけれど、ババはプーナアヴァターラだと言っておられる。
ポニョ:ラーマ神は二万年前に降臨されたって言っておられたよな。そして、クリシュナ神は約六千年前やろ?降臨されたんは。そして、プレマサイババがマハサマディになってこの世を離れられたら、何千年もの間神の化身はこの世に戻って来られないと言っておられたな。
プレマサイは3人のババの中でも、大変他と違って見えるであろう。
そしてプレマサイ降臨の時までに、世界は今より良好な状態になっており、プレマサイは最初の20年間、誰にも名を明かさず、あごひげをつけた状態で動き回るだろう。P57神の化身SS Baba
ヨシオ:神の化身がこの世界にやって来なくてはいけない程、世界は荒れていないってことやろ。つまり、平和な時代が何千年も続くんや。
困難はやって来るかもしれませんが、それらは最終的には幸福を引き起こします。
ごく近いうちに、この世のすべての人が理想的な生活を送るようになります。
愛は力で得られるものではなく、その「源」から自然に生じるべきものです。
力は恐怖を引き起こし、愛を減少させます。
自分の中から自然に神聖な思いを湧き上がらせましょう。
自分の喜びを他の人と分かち合いなさい。16/3/03
ポニョ:そういう事なんやろな。ところでさっき、あんたはサッチャサイババはプーナアヴァターラやと言ってけれど、シルディババやこれから生まれて来るプレマババはプーナアヴァターラではないんか?
ヨシオ:ババは御講話で、シヴァシャクティのうち、シヴァ神がシルディババになって生まれ、お妃のパールヴァティつまりシャクティの部分がプレマババになって生まれ、それら両方の神さんが一つになって生まれたのがサッチャサイババだと言っておられるので、サッチャサイババだけがプーナアヴァターラだと思うけれど違うか?
ポニョ:多分そうやろな。ということは、今マハサマディと言って肉体を少しの間離れておられるけれど、近い将来再降臨された暁には、プーナアヴァターラに相応しい、全世界があっと驚く為五郎のようなどでかい奇跡をされるんやろな。
やがて、日がたてば今スワミの真実に気づいていない者でさえも、私を体験し、後悔の涙を流しながら私のもとへ戻ってくるでしょう。
非常に近い将来こういうことが起こるのだ。
スワミは現在こういうことを起こるのを制止しているが、しかし一旦それが起こることを私が許せば、全世界がプラシャンティニラヤムになるであろう。vol15Chap55
ヨシオ:実際、ポニョも知っているように、山脈を持ち上げるとか、空に現れるとか、全ての人の心の中に直接語りかけられるとか、あらゆる場所に同時に現れられるとか、将来に起こることを映画の予告編のように言われているんや。だから、ババがこのままマハサマディで終わりじゃないって俺たちは口を酸っぱくして、何度もこのブログで発信しているんや。
私が山脈全体を持ち上げるのをあなた方は目にすることでしょう。
その時が来るまで我慢強く私を信じて待つのです。P 22cap5SSS,Vol3
ポニョ:おいらもグロ襟の事を、このブログで取り上げているけれど、何も読者の方をネガティブな気持ちにさそおうとしているんじゃなくて、ババは世界が経済的、社会的に落ちて人々が頭を打った時に帰って来られますよ。だから、グロ襟がこんな悪さをやらかしますが、それは良い事なんですよ。株で資産を失っても、社会が混乱しても、世界中が地震や火山の噴火で大騒ぎになってもあたふたしなくてもいいですよ。そんな風に世界がなった時の為に、今から神様のことを思って御名と唱えて毎日生きて行きましょうね、ということを言いたいんや。
近い将来、サイの栄光は世界中に広まるでしょう。
それは千倍にもなって大きくなるでしょう。
その理由はサイの使命が本質的に善に基づいているからです。
どのような汚らわしさもありません。
すべての行為は純粋な動機から出ています。
サイのすべては真理にもとづいています。
サイのすべての活動は誰か他の者に頼らず執り行われています。
それでいて、すべては何の問題も無く、粛々と進められています。
収穫が終わると籾取りが始まります。
風は籾殻を吹き飛ばし、籾のみを残します。
この例えのように残った籾とは真の信者のことなのです。
そして信仰心の定まらぬ者は籾殻となって吹き飛んでいくのです。
これが真の信者かどうか選り分ける過程なのです。SS12/93p333
世界は神の身体です。
その身体に癌ができれば取り除かねばならない。
利己主義の増大に対して物質的反動とある種の調整作用と整理が起こる。p129サイババ世界の危機を救う。
ヨシオ:その大転換期の後には、千年至福の時代がやって来るんや。いわゆるゴールデンエイジや。俺たちは人類の歴史の大きな転換点に立っているんや。これから世界中の人類が父なる神を敬い、全ての人類や生きとし生けるものを自らの兄弟とみなして、ともに手と手を握って歩んで行く時代が始まるんや。お互い長生きして良かったな。
神の栄光は日増しに高まり、皆さんに喜びと至福をもたらします。
まもなく地球上からあらゆる不安が根絶されます。
今日、私たちは至る所で暴力行為を目にします。
しかし、何が起こっていても、それはある意味ですべて皆さん自身のためです。
だれもが神聖な思いをもつようになります。
すべての人が神の至福を味わうでしょう。
まもなく国中が平和と幸福を味わいます。
困難も苦しみもなくなります。
皆さんは苦難に遭うのではないかと考えて、恐れにうちひしがれています。
実際には、悲しみや苦しみといったようなものは存在しないのです。
どうしてそれらが皆さんを悩ますことなどできるでしょうか?16/3/03
ポニョ:あのね、いくらゴールデンエイジに向かって歩いて行くって言っても、あんたと手を繋いで歩いて行きたくはないぜよ。同じ手を繋ぐんやったら若くて可愛い女の子の方がええな。嬉しカルカルになるやろな。
ヨシオ:ところで、その時に君の奥さんは、誰と手を繋いで歩いているんや?
世界のすべての国々がインドに敬意を表するのを目にすることができる皆さんは、何と幸運でしょう!
しかも皆さんは、来たるべき将来ではなく、この肉体が皆さんと共に、皆さんの目の前にあるうちに、サティヤ サイという名への崇敬が世界中で響き渡るのを耳にすることができるのです。
また、皆さんはやがて、太古よりの永遠の法、すなわち、世界のすべての人々のためにヴェーダに定められているダルマ(正義)の、正当な本来の地位の復興を目の当たりにすることができます。人々を私のほうに引き寄せ、私の力と能力を顕示することによって人々を魅了することだけでなく、ヴェーダのダルマを復興することも、サイが決意したことなのです。
それはマーヤー(迷妄の現象)ではありません。
その現象は、真理を支え、非真理を根こそぎにし、その勝利において、あなた方すべてを忘我の歓喜に浸らせます。
これはサイの意志なのです。17/5/68