サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

黄金時代に向かって

2019-03-26 04:00:18 | 日記
この先皆さんは、さらに多くの栄光に満ちた出来事を目撃するでしょう。
サティア・サイが成し遂げることのできないものは、何一つありません。(拍手)
実際、スワミはその行動によって、人々に畏敬と驚きの念を抱かせることもできます。
しかし、スワミの唯一の目的は、すべての人々を幸せにすることです。
「ローカ サマスター スキノー バヴァントゥー(全世界が幸せになりますように!)」
他者の幸福のために尽力する人は、決して困難には見舞われません。
いかなる困難も彼らを動揺させることはできません。25/11/00


ポニョ:昨日の記事で映画の映像が消えたら銀幕しか残らない。映像は常に変わりいつもいろんなものを映し出しているけれど、その後ろにある銀幕は常に一緒で変わらない。そして、神を悟った賢者は、他のものたちと一緒に映画館の椅子に座って映像を見ているように見えるけれど、実は銀幕だけを見て至福に浸っている。それが神を悟ることだという例えが分かり易かったぜよ。

ヨシオ:この世を外的世界だとすると、内的な世界もあるはずやろ。その二つの世界を説明するのに、映画と銀幕の関係の例えで説明すれば分かり易いんや。人は、映画と銀幕を同時に見ることは出来ないやろ。銀幕が見えるのは映画が映っていない時だけやんか。

ポニョ:もちろんそうや。それに、銀幕はいつも存在しているけれど、映画は昨日の例のように停電したり、上映が終わったら消えてなくなるやろ。

ヨシオ:今、ポニョが言ったことはとても大切なんや。だって、銀幕は常に存在していて、映画である外的世界を映し出しているんやけれど、それって俺たちが住んでいる世界と内的世界の関係をそのまま表しているんや。

ポニョ:ということは、映画は銀幕の上に映しだされるから、内的世界が外的世界の基盤って事になるのかな?そういや、王仁三郎も霊主体従と言っていたよな。霊的世界が、体、つまりこの物質世界の上位に来るってことなんや。

ヨシオ:映画の世界に例えられるこの世界は、いつもいろいろとあって忙しく、じっとしていないやろ。いつも移り変わるし、何一つ永遠のものなんて無いやろ。鉄の塊でさえ千年も経てば錆びて真っ赤になり、やがて朽ち果てるやないか。でも銀幕に例えられる内的世界はいつまで経っても同じで変わらない。

ポニョ:銀幕が変化したら映像がきちんと映らなくなるぜよ。

ヨシオ:だから、外的世界は内的世界を基盤としているんや。それに、外的世界はそれが何で有っても、姿と名前を持っている。たとえ姿が無い空気であっても、それが顔をかすめた時には、人は風と呼ぶやろ。

ポニョ:いつも移り変わっていて、名前と姿を持っているのが外的世界の特徴なんやな。

ヨシオ:それに、人は起きている時に自分の感覚器官を使って生活しているやろ。その感覚器官を使ってこの世界を体験している間は、この世界はその人にとって真なんや。

ポニョ:ということは、昨日悟った人は他の人と同じ映画館に入って席に座っても、感覚器官を超えた霊的な目で外的な世界を見ているから、銀幕が見えているんやな。

ヨシオ:ポニョはもう、長い間霊的な書物も読んでいるし、こういう霊的な話をしてもすぐに飲み込めるけれど、普通、こういう話をすると、質問や疑問が多過ぎてなかなか前に進まないけどな。特に、今言ったように、この世界は人が感覚器官を使って体験している限りにおいて真や、というところでは、すぐに、ハイそうですか、という人は少ないな。

ポニョ:それほど、難しい話じゃ無いぜよ。あんたが難しそうに説明するから難しいように聞こえるだけで、要するに起きている時に五感を使って体験すれば、それはそれを体験している人にとっては、真やって言いたいんやろ。そして、眠っている時には、感覚器官によって意識的にそれらを体験出来ないから真ではないんや。だからこの世界は真でもあり、非真でもあるって言われているんや。簡単な事やないか。

ヨシオ:そういうことや。ポニョが説明した方が分かり易いな。この、真でも非真でもあることをマーヤー(迷妄)と呼ばれているんや。つまり、魔法のようなものや。そして、この魔法を操っている魔法使いが神さんなんや。

ポニョ:魔法使いサリーじゃなくて、魔法使いサイーやな。

ヨシオ:今ポニョが冗談で魔法使いサイーって言ったけれど、その魔法使いは名前と姿を持っているやろ。本来の神は無相で属性が無いんやけれど、その神が属性を持ち姿を取ったのが神の化身なんや。

ポニョ:つまり、無相で属性の無い神が、神に帰依する者を祝福する為にいろんな姿を取ってこの世に来られるんやな。でも、その神の化身でも創造主の全ての力を備えてこの世界に来られる化身と、その時々の神の使命に必要な力だけを備えて来られる化身の二種類があるやろ。

ヨシオ:サッチャサイババとクリシュナ、ラーマはプーナアヴァターラと言って、今ポニョが言ったように全ての力を備えて来られたんや。ラーマに関しては、シータが誘拐された時に普通の人のように泣き悲しんだので、プーナアヴァターラでは無いという説もあるけれど、ババはプーナアヴァターラだと言っておられる。

ポニョ:ラーマ神は二万年前に降臨されたって言っておられたよな。そして、クリシュナ神は約六千年前やろ?降臨されたんは。そして、プレマサイババがマハサマディになってこの世を離れられたら、何千年もの間神の化身はこの世に戻って来られないと言っておられたな。

プレマサイは3人のババの中でも、大変他と違って見えるであろう。
そしてプレマサイ降臨の時までに、世界は今より良好な状態になっており、プレマサイは最初の20年間、誰にも名を明かさず、あごひげをつけた状態で動き回るだろう。P57神の化身SS Baba

ヨシオ:神の化身がこの世界にやって来なくてはいけない程、世界は荒れていないってことやろ。つまり、平和な時代が何千年も続くんや。

困難はやって来るかもしれませんが、それらは最終的には幸福を引き起こします。
ごく近いうちに、この世のすべての人が理想的な生活を送るようになります。
愛は力で得られるものではなく、その「源」から自然に生じるべきものです。
力は恐怖を引き起こし、愛を減少させます。
自分の中から自然に神聖な思いを湧き上がらせましょう。
自分の喜びを他の人と分かち合いなさい。16/3/03

ポニョ:そういう事なんやろな。ところでさっき、あんたはサッチャサイババはプーナアヴァターラやと言ってけれど、シルディババやこれから生まれて来るプレマババはプーナアヴァターラではないんか?

ヨシオ:ババは御講話で、シヴァシャクティのうち、シヴァ神がシルディババになって生まれ、お妃のパールヴァティつまりシャクティの部分がプレマババになって生まれ、それら両方の神さんが一つになって生まれたのがサッチャサイババだと言っておられるので、サッチャサイババだけがプーナアヴァターラだと思うけれど違うか?

ポニョ:多分そうやろな。ということは、今マハサマディと言って肉体を少しの間離れておられるけれど、近い将来再降臨された暁には、プーナアヴァターラに相応しい、全世界があっと驚く為五郎のようなどでかい奇跡をされるんやろな。

やがて、日がたてば今スワミの真実に気づいていない者でさえも、私を体験し、後悔の涙を流しながら私のもとへ戻ってくるでしょう。
非常に近い将来こういうことが起こるのだ。
スワミは現在こういうことを起こるのを制止しているが、しかし一旦それが起こることを私が許せば、全世界がプラシャンティニラヤムになるであろう。vol15Chap55

ヨシオ:実際、ポニョも知っているように、山脈を持ち上げるとか、空に現れるとか、全ての人の心の中に直接語りかけられるとか、あらゆる場所に同時に現れられるとか、将来に起こることを映画の予告編のように言われているんや。だから、ババがこのままマハサマディで終わりじゃないって俺たちは口を酸っぱくして、何度もこのブログで発信しているんや。

私が山脈全体を持ち上げるのをあなた方は目にすることでしょう。
その時が来るまで我慢強く私を信じて待つのです。P 22cap5SSS,Vol3

ポニョ:おいらもグロ襟の事を、このブログで取り上げているけれど、何も読者の方をネガティブな気持ちにさそおうとしているんじゃなくて、ババは世界が経済的、社会的に落ちて人々が頭を打った時に帰って来られますよ。だから、グロ襟がこんな悪さをやらかしますが、それは良い事なんですよ。株で資産を失っても、社会が混乱しても、世界中が地震や火山の噴火で大騒ぎになってもあたふたしなくてもいいですよ。そんな風に世界がなった時の為に、今から神様のことを思って御名と唱えて毎日生きて行きましょうね、ということを言いたいんや。

近い将来、サイの栄光は世界中に広まるでしょう。
それは千倍にもなって大きくなるでしょう。
その理由はサイの使命が本質的に善に基づいているからです。
どのような汚らわしさもありません。
すべての行為は純粋な動機から出ています。
サイのすべては真理にもとづいています。
サイのすべての活動は誰か他の者に頼らず執り行われています。
それでいて、すべては何の問題も無く、粛々と進められています。
収穫が終わると籾取りが始まります。
風は籾殻を吹き飛ばし、籾のみを残します。
この例えのように残った籾とは真の信者のことなのです。
そして信仰心の定まらぬ者は籾殻となって吹き飛んでいくのです。
これが真の信者かどうか選り分ける過程なのです。SS12/93p333
世界は神の身体です。
その身体に癌ができれば取り除かねばならない。
利己主義の増大に対して物質的反動とある種の調整作用と整理が起こる。p129サイババ世界の危機を救う。

ヨシオ:その大転換期の後には、千年至福の時代がやって来るんや。いわゆるゴールデンエイジや。俺たちは人類の歴史の大きな転換点に立っているんや。これから世界中の人類が父なる神を敬い、全ての人類や生きとし生けるものを自らの兄弟とみなして、ともに手と手を握って歩んで行く時代が始まるんや。お互い長生きして良かったな。

神の栄光は日増しに高まり、皆さんに喜びと至福をもたらします。
まもなく地球上からあらゆる不安が根絶されます。
今日、私たちは至る所で暴力行為を目にします。
しかし、何が起こっていても、それはある意味ですべて皆さん自身のためです。
だれもが神聖な思いをもつようになります。
すべての人が神の至福を味わうでしょう。
まもなく国中が平和と幸福を味わいます。
困難も苦しみもなくなります。
皆さんは苦難に遭うのではないかと考えて、恐れにうちひしがれています。
実際には、悲しみや苦しみといったようなものは存在しないのです。
どうしてそれらが皆さんを悩ますことなどできるでしょうか?16/3/03

ポニョ:あのね、いくらゴールデンエイジに向かって歩いて行くって言っても、あんたと手を繋いで歩いて行きたくはないぜよ。同じ手を繋ぐんやったら若くて可愛い女の子の方がええな。嬉しカルカルになるやろな。

ヨシオ:ところで、その時に君の奥さんは、誰と手を繋いで歩いているんや?

世界のすべての国々がインドに敬意を表するのを目にすることができる皆さんは、何と幸運でしょう!
しかも皆さんは、来たるべき将来ではなく、この肉体が皆さんと共に、皆さんの目の前にあるうちに、サティヤ サイという名への崇敬が世界中で響き渡るのを耳にすることができるのです。
また、皆さんはやがて、太古よりの永遠の法、すなわち、世界のすべての人々のためにヴェーダに定められているダルマ(正義)の、正当な本来の地位の復興を目の当たりにすることができます。人々を私のほうに引き寄せ、私の力と能力を顕示することによって人々を魅了することだけでなく、ヴェーダのダルマを復興することも、サイが決意したことなのです。
それはマーヤー(迷妄の現象)ではありません。
その現象は、真理を支え、非真理を根こそぎにし、その勝利において、あなた方すべてを忘我の歓喜に浸らせます。
これはサイの意志なのです。17/5/68

何の映画を見ているんだい?

2019-03-25 04:00:36 | 日記
“もし永遠に続く幸福を味わいたいなら、その幸福の源を探さなければなりません。
その源はプレーマ〔愛〕です。
この世に愛より偉大なものはありません。
あらゆるものには代価があります。
永遠に続く幸福に対して支払うべき代価は、神聖なる愛です。
愛がなければ、どんなものもあなたに真の幸福をもたらすことはできません。
ですから、人にとって一番の富は愛です。
誰もがその富を得ようと努めるべきです。
その富を持てば、誰も皆、永遠に続く至福を味わうことができます。1/1/98”



ポニョ:昨日のスペイン版のパンチでデートの記事は心にグッと来たぜよ。人は、普段の何気ない生活の中に幸せを見つけ出していかなければならないなって思ったぜよ。幸せを得るために、別に何処か遠くに行かなくても、幸せは自分の身の回りにあるんやな。

ヨシオ:本当の幸せは、自分の身の回りではなく自分自身の中にあるんや。だから、普段の何気ない生活の中で、自分の中にある幸せを見つけ出す事が大切なんや。

ポニョ:見つけ出すって言っているけれど、別に隠れんぼをしているわけじゃないやろ?

ヨシオ:見つけ出すっていう言葉を使ったのは、ポニョが見ている周りの全ての人や物は全て、何一つ永遠の物なんてないんや。全ては雲のように移り行くものなんや。だから、その移り行くものに、自分の中にある真実、愛そのものを見つけ出せば全てが愛に見えるんや。

ポニョ:つまり、自分の中にある愛を自分の周りのものにも見出せば、それも愛になるって事なんか?

ヨシオ:以前記事にしたけれど、創造主はこの宇宙を自分の心のイメージ通りに創ったんや。つまり、想像力の力、意思の力、心の力を使ったんや。だからそれはスクリーンに写っている映像のようなもので、実体は無いんや。だからこの世界はいつも移り変わっているやろ。映写機が停電で止まり映し出されていたこの世界の映像が消えると、人々はそれまで映画のクライマックスシーンで興奮したり、悲しくてハンカチで涙を拭いたり鼻をかんだりしていたのに、突然今まで見ていたものが消えて、そこには白い銀幕しか無い事に気付くんや。銀幕は、戦場で爆弾が炸裂した映像を映し出そうが、侍が刀剣で斬り合いをしようが銀幕自体には何のダメージを与えないやろ。神さんもそれと一緒なんや。全ては神さんの心の中で映し出された映像で、それをアホやなとか、おもろいことしてるな、とか、なんでこんな事で悲しんだり怒ったりするんやろか、とか思って見ながら楽しんでおられるんや。

自らの実体をちらりと見ただけで、人のエゴ〔自我意識、アハンカーラ〕はなくなり、慢心と失意もなくなります。
そうなると、賞賛されて喜ぶことも、非難に悲しむこともなくなります。
そして、どんな嵐でも揺らすことができない山の頂のように、人は堅固になり、揺らくごとはなくなります。
映画館のスクリーンのように、中傷の火や賞賛の雨の影響を受けることもなくなります。20/2/1966

ポニョ:神さんって御自分が創った世界を見て喜んでおられるんやな。

ヨシオ:時々その映像に自分も出演されるんや。それが神の化身なんや。

ポニョ:全てが移ろい行く映像の中に実在が現れるんやな。だから歴代の神の化身はどんな事でもやってのけることが出来たんか。

ヨシオ:今回も同じ事なんや。ババはマハサマディ(亡くなる)までに私はこのような事をしますよと言われた事がまだ、なされていないやろ。でも、それをなされる為にまた再降臨されるんや。今は人々を試されている時なんや。神の化身だけがこの世界の実体で、誰もその意思を曲げたり、将来為す、と言われた事を遅らせたり出来ないんや。必ずそれは実現するんや。

ポニョ:ババはただの手をクルクル回して手品師まがいのグルやおまへんで。

将来、人々が沢山やって来るので私は車や飛行機を使って、一つのところから他の場所に移動するでしょう。
私は空を歩いて横切るでしょう。
そうです。
そういうことが起こるのです。
私を信じていなさい。
このプタパルティが、マドゥラになるのをあなたは見ることでしょう。
誰もそれらが起こるのを早めたり、遅らせたりすることは出来ません。
私はあなたを見捨てることは無いですし、あなた方も私から離れていくことなど出来ないのです。
例え、あなたが私への信仰を失ったとしても、あなたはそのことを悔いやんで大騒ぎしながら、またここへ戻ってくるでしょう。
私は、この身体にあと58年間とどまります。(2022年=97才)
このことはもうあなた方に約束しましたね。
あなた方の人生は私のこの地球における生と絡み合っているのです。
あなた方はこの偉大な特権を生かして行動するのです。SSSvol2p101

ヨシオ:話は戻るけれど、全ての人の人生もこれと同じで、自分が歩んで来たいろんな人生は、実はスクリーンに映し出された映像で実体を伴わないって気づく時が来るんや。人は映像を映し出していた銀幕だけを実はずっと眺めていたんや。

ポニョ:つまり、自分が人生で見ていた全てのもの、会話を交わした全ての人、悲しい事件や楽しかった思い出、愛をもらったり、捧げたりした全てのものの後ろには愛そのもののである神さんが銀幕としておられたという事やな。

ヨシオ:このように悟った人は、たとえ自分を襲おうとしてやって来た暴漢であっても、ただの実体を持たない映像であるということを見破っているので、その暴漢の中に愛である神様つまり銀幕を見ることが出来るんや。すると、暴漢は愛そのものとなり、自分を襲うのをやめて傍観してしまうんや。もちろんカルマを持っている人はそれを支払わなければならないけどな。

ポニョ:それってダジャレ?暴漢がポカーンと傍観するんか。

ヨシオ:つまり自分が見ているものが、例え自分を殺そうとしている狂人であっても、自分をいつも苦しめるライバルであっても、狂犬であっても、怒り狂った猛獣であっても、借金取りであっても関係無いんや。それらはただの映像だと悟った人には、それらは実在しなくなるんや。もし自分が肉体では無く、自分の中にある銀幕、つまりアートマ、愛そのものであると悟ったら、その自分自身である愛を、周りにある物や人に投影したら全てが愛に見えるようになるんや。でもそのためには、自分が実在である愛そのものであると悟らなければならないんや。

ポニョ:つまり悟った人はみんなと同じように映画を見ているけれど、実は映像ではなく、その後ろにある銀幕を見ているんやな。でも、それって退屈になるやろ。

ヨシオ:でも、その銀幕を見ることが映画のストーリーより面白かったらどうする?

ポニョ:それやったらもちろん銀幕を見るやろな。

ヨシオ:実は悟った人が見ているのは、俺たちが見ているものよりも一万倍も楽しいものを見ているんや。

ポニョ:一万倍は大袈裟やろ。

ヨシオ:俺はこれでも控え気味に言ってるんや。神の至福を体験した人は、この世の全ての楽しみより一兆倍の価値があるってババは言っておられるんや。

“アートマンの至福はこの世俗的至福より、一兆倍の価値があります。
一度このアートマンの至福を体験したら、他のことなど考えられません。
人は、すべてを忘れて、アートマの至福と一体となりそれに浸ります。
世界中にこの至福で満たされていないところはどこにもありません。
この世の万物には、生来この至福が含まれているのです。SSNewsVol14”

ヨシオ:全てのものを愛そのものである神と見ることが出来れば、もうこの世界に帰って来なくても良い人になれるんや。そのためには自分自身を愛で包まなければいけないんや。

信仰の目的とは、自らのハートにおわす神を認識する事、そしてその神の光と力をあなたの身体を通じて顕現さすことです。
これが成し遂げられたなら、この世の全てのものに対して投げかけられている神の愛があなたのハートの中から溢れ出てくることでしょう。
そうなれば、あなたの目はあらゆるものの中に神を見、あなたの手は万人のために良いことだけをするために使われ、そしてその結果、あなた自身が神の化身そのものとなり、至福に満ち、永遠の法悦を味わうことでしょう。
この状態にあっては、帰依者と神との違いは消え失せてしまいます。
常に神を憶念し、神に全託することによって帰依者は神自身となります。
それゆえ、あなたが常に神を思うなら、あなたは神の似姿となるのです。
その時、永遠の歓喜と平安を味わうのは他でもなく、あなた自身なのです。PD42

ポニョ:この前、そんなユーミンの曲を記事にしたよな。♬カーテンを開いて静かな木漏れ日の優しさに包まれたら、私が見る全てはメッセージ♬っていう歌詞やったかな?自分が神様の愛の優しさに包まれたら全ては神のメッセージになるんや。つまり、今、あんたが言ったように、自分が愛そのものに包まれたら愛が全てだって分かるんやな。

ヨシオ:今、ポニョが言ったように、自分が愛そのものであると悟るには、先ず自分自身が幸せにならないといけないんや。いつもニコニコしてるポニョみたいにな。ポニョは腹が減って来ると目の形が三角形になるけどな。

ポニョ:なってますか?カリカリ来てますかね?

ヨシオ:自分で分からないのが怖いけどな。神の元へ行ける一番最初の条件は、その人が幸せかどうかやねん。

ポニョ:いつもハッピーで何があってもニコニコしている事やな。それって簡単や。

ヨシオ:でも、ポニョのような能天気な人間は生まれつき、いつもニコニコしているから他の人より簡単やろな。一歩、他の人より神様に近いところにいるな。

ポニョ:そうなんやろか。自分では一歩人より遅れをとっているって思っていたけどな。そういうふうに言われたら嬉しくなって来たぜよ。

神の栄光は日増しに高まり、皆さんに喜びと至福をもたらします。
まもなく地球上からあらゆる不安が根絶されます。
今日、私たちは至る所で暴力行為を目にします。
しかし、何が起こっていても、それはある意味ですべて皆さん自身のためです。だれもが神聖な思いをもつようになります。
すべての人が神の至福を味わうでしょう。
まもなく国中が平和と幸福を味わいます。
困難も苦しみもなくなります。
皆さんは苦難に遭うのではないかと考えて、恐れにうちひしがれています。
実際には、悲しみや苦しみといったようなものは存在しないのです。
どうしてそれらが皆さんを悩ますことなどできるでしょうか?16/3/03












スペイン版パンチDEデート

2019-03-24 04:00:58 | 日記
“人間は不死の化身です。それゆえ、いつか自分の肉体が崩れ落ち、死が必定であることを想像することは、人間にとって難しいことであるのです。”1962/1/10

ポニョ:昔、「パンチでデート」という番組が若者に受けていたよな。

ヨシオ:俺たちも、それをもじって「パンチでモークシャ(解脱)」という記事を書いたな。あの時、ポニョがおちょくって面白かったよな。やっぱりポニョは大阪人のノリを持ってるな。

http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/1ed8a170fbfb92b0da889fcebc0ca7ae
ポニョ:ひと目会ったその日から、恋の花咲くこともある。見知らぬ貴女(あなた)と見知らぬ貴男にデートを取り持つパンチDEデート!や。そこでカーテンがさっと開いて初めて二人が顔を合わすんや。

ヨシオ:その時、テレビで見ていても少し緊張したよな。

ポニョ:それで、緊張した面持ちの二人が心の中で、「アチャーこんなブスに当たってしまった。」とか、「めちゃイケメンやんか。」とか思って、お互いの腹を探りながら、最後に付き合うかどうかスイッチを押して決めるんや。

ヨシオ:男は毎回イエスやったけど、女側がノーの場合が多かったよな。最近、スペインでも似たような事をやったんや。若い人たちを壁の両側に座らせて、同じ質問を幾つかするんや。そして、最後に壁を取り除いてお互いの事を紹介するんや。

ポニョ:ホー、面白そうやな。スペイン版パンチでデートか?それで、司会はやすしや三枝のようなコメディアンがやるんやろ。

ヨシオ:ところが、スペイン版のパンチでデートはちょっと趣が変わっていて、カップルを作るためにやるんじゃないんや。だから、壁の両側には若い男の子が一方に座って、女の子がもう一方に座るケースもあるけれど、壁の両側に女の子が座る場合だってあるんや。

ポニョ:なんや、それやったら何も面白く無いやんか。はいご対面~。と言ってカーテンがスルスルと開いても自分と同じ男が座っていたら、何やねんこれは!と言って、椅子を蹴って帰る人も出て来るやろな。

ヨシオ:その前に壁の向こうに座っている人が、男か女か声で分かるやろ。ところが、そうではなく、二人は手を取り合ったり、中には抱き合って泣いてしまう人もいるんや。

ポニョ:おいらには分からん世界やな。ちょっとあんた。まさか裏社会の好きな同性愛カップルを作る企画やないやろな。なんでそんなものをこのブログに紹介するんや。ちょっと酷いやおまへんか?

ヨシオ:まあ、まあ、落ち着いてポニョさん。俺の昔の相棒もそうやったけれど、O型の人ってめちゃ思い込みが激しいな。

ポニョ:昔、裏社会の操り人形で、安部首相の大叔父の佐藤栄作っていたけれど、その嫁さんがおいらと同じO型で、靴クリームを歯磨きと間違って、歯を磨いた話は有名やぜよ。でも、裏社会の人間とおいらと一緒にせんっとってくれますか?怒りますよ。

ヨシオ:ポニョが自分で言い出したんやないか。スペイン版のパンチでデートでは、さっきも言ったように、壁の両側の人たちに同じ質問をするんや。例えば、今、一つだけ願いが叶うのならどんな願いをしますか?とか、あなたにとって幸せって何でしょう?とか、すると一方に座っている人はサハラ砂漠を旅してみたいとか、テストに合格したらええな。とか将来ジャーナリストになりたいな。とか答えるんや。ポニョやったらどう答える?何か一つだけ願いを叶えてあげると言ったら何を願う?

ポニョ:そら、昔やったら可愛い嫁さんと一緒になりたいな。とか世界中の豪華料理を食べる旅に行きたいとか願うやろな。でも、今は世界中の人たちが幸せになれば良いなって願うな。

ヨシオ:優等生的な回答やな。さすがポニョさん。見直したな。すごい。

ポニョ:どこがすごいんや。

ヨシオ:それじゃ、二番目の質問にはどう答える?

ポニョ:二番目って、何やったかな。ああ、あなたにとって幸せとは何でしょう?やったな。そうやな。おいらにとって幸せって何かな。うーん。昔やったら、美味しいものをお腹いっぱい食べたときとか…、そうやな…。うーん、そうや!何処かひなびた温泉宿の一室で、フッカフッカの布団が意味ありげに二つ並べてあって、ススキのかんざしを頭に刺している新婚ピカピカの可愛い嫁さんがそばにいてるんや。それで浴衣を着ている風呂上がりの嫁さんの太ももの上に膝枕をしながら上弦の月を見ていると、まだうぶこい嫁さんが、熱燗徳利の首をヒョイっと摘まんで、「お月様を見るって久しぶりですわね。もう一杯如何?あなた。」なんて色気たっぷりに囁かれたら、「クエ~ッ!クエ~ッ!」と花の応援団みたいに両手を前に出しながら雄叫び声をあげて、部屋の中を幸せ気分で飛びまくるやろな。でも今は、世界中の生きとし生けるものが全て幸せになったら、おいらも幸せになるやろな。それまでは自分だけの幸せを感じる事は無いやろな。

ヨシオ:吉田拓郎の「旅の宿」がなんで突然出てくるんや。でも模範回答やったな。それにしても、そんな長いセリフを感情をこめながら一気に言えたな。その人たちも、ポニョと同じように、寝るときに幸せを感じます、とか、音楽を聞くときが一番幸せですとか、試験の成績が上がったときです、とか友達や家族と遊んでいる時です、とか答えたんや。

ポニョ:それが普通やろな。誰でも若い人やったらそう答えるやろな。ところでいつご対面~になるんや。ここまで聞いていても、全然面白くないやんか。

ヨシオ:それじゃ、ここから元記事を読んでもらいましょか。

http://grapee.jp/51240

ーーーーー引用ーーーー

間に壁を置いて座っている二人は、お互いまったく知らない関係です。「一つだけ願いが叶うのなら?」と二人に尋ねてみた結果、その答えに多くの人が考えさせられました。

1.もしも、一つだけ願いが叶うのなら、あなたは何を願いますか?

右側に座っている人たちが先に答えました。

サハラ砂漠を旅したい
試験に合格したい
ニューヨークでジャーナリストになりたい
面接に合格したい、自由に旅したいなど、多くの人が一度は願ったことがある願いかもしれません。


出典:YouTube

続けて、左側の人たちも答えました。

4人の子どもたちが幸せに生きてほしい
世の中にある全ての病気の治療法が発見されること
一度だけでいいから自分の足で歩いてみたい
答えを聞いた右側の人たちの中には、驚いた顔やハッとした表情になる人もいました。


出典:YouTube

顔も分からない相手の答えが、自分とは違うことについて少し考えているような二人。質問をしていた側は、さらに違う質問をしてみました。

2.あなたにとっての幸せは何ですか?

右側に座っている人たちは、

寝るときと、音楽を聞くときが一番幸せ
試験の成績が上がったとき
友達や家族と遊んでいるとき
学校に行って、友達に会って、音楽を聞いて…。その答えを聞いて、今度は左側の人たちがどこか寂しそうな顔をしています。


出典:YouTube

そして、左側に座っている人たちが答えます。

朝起きて娘の笑顔を見るとき
子どもたちの元気な姿を見るとき
お母さんが私の心配をしないとき
当たり前の小さなことに感謝できるとき

出典:YouTube

学校、仕事、家族、たくさんの願いがあって、わくわくした雰囲気で答える右側の人たち。そしてその反面、左側に座っている人たちは、淡々と答えていたようです。

最後に、壁の左右にいる人同士で自己紹介をします。そこで、右側に座っている人は、左に座っている人がガンを患っていることを知ります。右足にガンを患っているという14歳の少女、車いすに座って白血病だと微笑みながら話す12歳の少女、リンパ腫ガンを患っている18歳の少女。

スペインで行われたこの社会実験は、最後にこうメッセージを伝えています。

私たちは、幸せを失うかもしれないと感じるまで、その幸せの大切さに気付かない。そして、失ってからその幸せに気付く。


私たちはすぐそばにある幸せに、ちゃんと気付いているのでしょうか。この映像をきっかけに、明日ではなく、今日を生きることの大切さを考えさせられました。

ーーーーーー引用終了ーーーーー
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=5pynXxLh9iM
いつ自分の死が近づいてくるかはだれも知りません。
死の神があなたを捕まえようと縄を投げるとき、死の神はその人がそのとき何をしているか、それが良いことであるとか悪いことであるとかは考慮しません。
神を讃えて通り歩いている最中でさえ人は死ぬことはあるのです。
ですから、人は神の御名を唱えて、いつ死の神に会ってもいいように準備をしているべきです。21/7/05

あなたは、いつか捨て去らなくてはならない身体のために一日五回も食事をしています。
しかしあなたの本質であるアートマ(真我、魂) だけが、あなたに真の祝福をもたらし、あなたに平安と幸せをもたらすことができます。
アートマ(真我)レベルだけが、あなたにそれをもたらすことができ、身体のレベルでは、それを与えることはできません。ラニマーへの言葉

ポニョ:ちょっと、ジーンと来たぜよ。涙が出そうになったな。本当に健常人は自分がそういう目に合わないと、分からないことってあるよな。

ヨシオ:普通の人は、この世で生活していて自分の人生がずっと続いて行くと思っているもんな。でも、ある日病気になったり事故にあったり自然災害にあったりして、人生がひっくり返る時だってあるんや。というかそっちが普通なんや。だって、この世界には、一つとして永遠に続くものって無いんやから。

ポニョ:この全てが移り変わる世の中で、永遠の喜びを見つけることは出来ないもんな。以前、あんたの従兄弟さんがガンになり、残された命を毎日の単純な生活の中で幸せを見つけて生きて行ったっていう話をしたよな。

ヨシオ:俺たち妹とお袋の三人家族は、大家族制度の中で揉まれて過ごしていたんや。叔父が商売している店の三階にしばらく住んでいて、そこに働いている従業員や祖父母なども入れたら五十人以上も一つ屋根の下で生活していたんや。学校から帰って来て自分の部屋に入るまで最低五回は家の中で「ただいま!」と言わなければ自分の部屋にたどり着けなかったんや。

ポニョ:五十人は多いな。

ヨシオ:俺の親父は九人兄弟の長男で、二人は嫁に出て、一人は赤ちゃんの時に亡くなり、残りの叔父貴たち家族と住んでいたんや。それで、従兄弟たちと毎日、兄弟みたいに仲が良くていつも一緒に遊んでいたんや。そのガンになった従兄弟も小さい時から妹とバービー人形の着せ替えの服を自慢しあったりして、仲良く遊んでいたんやけれど、母親の実家が派手な商売をやっているので子供に何でも買ってあげるので従兄弟も物質主義って言うか、物にこだわるような子供で、よく妹とももめていたな。でも、自分が三十代の半ばでガンになり、幼い子供達二人を残してこの世を去らなければならない状況に置かれた時、従兄弟の生き方が変わったんや。ある日、妹に従兄弟から手紙が来たんや。「私は、今までこの小さな台所に立って、主人や子供達の為に料理を作り、食べ終えた後の皿やお椀を洗うのが面倒で嫌だったけれど、今では、子供達や主人の汚れた皿を洗うことが、どれだけ幸せな事だったのか気づかなかった自分に後悔しています。あとどれくらい自分に子供達や主人のために料理を作ってあげて、その食器を洗ってあげれる時間が残っているか分からないけれど、今は、毎日そういう単純な生活の中の幸せなひと時を大事にしながら、残りの日々を出来るだけ精一杯生きて行こうと思っています。」としたためてあったんや。従兄弟はその手紙を出した二ヶ月後に亡くなったんや。

すべての人は必ず死にます。誰もが死に向かって進んでいます。
それなのに誰かが死んだと聞くと、まるで死がいつかは誰もが迎える当たり前のことでは無くてひどく珍しい思いも寄らないことのように感じるのです。
特に身近な人や大切な人が亡くなった時には、悲しみにとらわれます。
それは、そこに執着があるからです。
死は当然のことと分かっていながら、それでも人の肉体のことで悩むと言うことは、その人の肉体に執着を持ってしまったからです。
すべての悲しみの原因は執着にあります。
だから、誰かが亡くなって悲しむ最大の理由は愛では無くて執着なのです。SGc19



神様との約束エピソード❺

2019-03-23 04:00:52 | 日記


いよいよ、歯科医の青年がオーストラリアを立つ日がやって来た。
丸三年に渡って、倉庫の中の重労働で、埃だらけになり、また、色んな雑多な物を、できる限り安く購入したり、フォークリフトの運転、トラックの手配、通関の手続きなど歯科医とは全く関係のない沢山の仕事をしてきた。
「私の人生で、こんなに沢山買い物をしたことは、後にも先にもこれが最初で最後でしょう。」と言った。
「スワミのお金を出来るだけ無駄なく使ったつもりです。」
「インドに戻れば、スワミにこれからどうすれば良いのか、インタビューがもらえるまでアシュラムに滞在するつもりです。」

世潮は、それを聞いて「君は、とても神を愛している。」

「誰にも負けない程の、深い信仰心だ。神への奉仕も熱心だ。」

だのに、どうして、肉体を持った神からだけ、指示を仰ぐ事を考えるのか?」

「私の見たところ、君は自らの良心、つまり心の中の神のささやきを聞いて、人生における色んな判断が出来るはずだ。」

「私は君に色んなものを購入するように、指示を出した。」

「しかし、それらの購入リストをつくるにあたり、私はインドにおられるサイババさんにお伺いを立てるのを見たかね。手紙を書いたかね。電話をしたかね。」

「全て、心の中のスワミはお見通しなのだ。」

「何をやるにしても、自分というものを計算に入れなかったら、神様が全てをして下さるのだ。」
「それ自体が、神の仕事になるのだよ。」

「このように、自分を何処かに捨て来て、自分を抜きにして全てを神に委ねると、君が何をしようと、すべては神への捧げ物となるのだ。」

「それが霊的な自信に繋がり、君が神の力を共有出来る資格を得れるんだ。」

「世の中に、自己中の人間が掃いて捨てるほどいるが、彼らは決して今、君が立っているこのレベルに登ってくることはできないのだ。」

「また、自分の毎日の生活で、ここまでは神に捧げる時間で、ここからは自分のための時間。などと言ってアダルトサイトなどを見て喜んでいる連中も、決してこんな高い霊的境地に達する事は出来ないだろう。」

「また、これは神への捧げ物で、これは自分の物、という思いを持っている者も、ここにたどり着くことは出来ないあろう。」

「君も、うすうすここに来て、気付いていると思うが、君は自分自身を自分で閉じ込めている檻から解放して、自由に羽ばたかすために、サイババさんは、君を私のところへ寄こしたのだよ。」

「ヨシオ、実はサイババさんが夢に来られて、あなたと同じ事を言いました。」

「いつになったら、お前は世潮のように世界を自由に飛び回るのか。私はいつでもその自由をお前にやるつもりなのに…と。」

「また、インタビュールームで、スワミは私の事を『お前はとてもラッキーだ。』と3回も言われました。」

「今回のご奉仕を振り返ってみると、その時は、大変辛かったですが、今は、とてもラッキーだ。と思えるようになって来ました。ありがとうございました。」

クリシュナはアルジュナに必要とされる忠告をすべて与え、アルジュナの捨てたエゴを受け取ったあと、自らの意思のままに行為する自由を与えました。
アルジュナの意思は完全にクリシュナのものとなったからです。
このようなレベルに達した弟子には自由を与えなければなりません。
VIDYA VAHINI 第12章

彼がインドに旅立って暫らくして、スワミの指示で、大勢の学生達が動員されて、大量の本が積み込まれた例のコンテナが、ようやくナロジンに到着した。

今回、世潮は、サイババさんと二人だけで、「ハヌマーン!」と叫びながらこれらの本を一箱ごと肩で担いで、倉庫に入れることにした。

インド人の青年が帰った後、サイババさんが世潮の夢に来られて、こう言われた。

「1997年12月11日にこのナロジン プロジェクトの事が世に知れ渡る。その日は木曜日だ」と。

その日に一体何が起こるのか、朝早く起きて待っていたところ、
有名なオーストラリアのテレビ番組である"60分"のスタッフが、パースから飛行機をチャーターして、朝七時に突然やって来た。

そして、「是非、世潮のやっている事をテレビで放映したい。」と言ってきたけれど、
マスコミは、嘘つきでマスゴミだ。と呼んで信用していない世潮は、彼らを門前払いにした。それから、すぐその後に、次は"カレントフェアー"という番組が同じくやって来た。
そして、新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、と一日中ひっきりなしにやって来た。

世潮は、「今日という日は、狂ってる。」と思った。
そして全てのメディアを追い返した。
このプロジェクトは、神さんと私の間の個人的な事だ。
どうして世間様に嬉しがりのように、知ってもらわなくてはならないのか。

「しかし待てよ。」

スワミが、このプロジェクトが今日この日に世に知れると言われたが、ひょっとしてマスゴミを通じてだったかもしれない。
それに、全てのメディアが同じ日に来るなんてとても不思議だ。偶然だとは思えない。
同じ時に来た二つのテレビ局でさえ、どうしてこのことを知ったのかと、お互いに探り合っていたではないか。
これは多分、スワミのご計画の一部かもしれない。それ以外の可能性って考える事が出来ないではないか。
と、フト気がついて、追い返した全てのメディアを呼び戻してこう言った。

「私は、別に逃げ隠れしている訳ではありません。」

「私の知っていることを、全てあなた方に明らかにします。」

「どんなご質問にでも、お答えします。」

「もし、倉庫の中の物を見たいのであれば、全て公開します。」

「写真や、ビデオは私の許可なしに、家族のメンバーを除いて、何処を撮っていただいても結構です。」
「しかし、一つだけ条件があります。」

「それは、私は、真実だけを話しますので、あなた方も私から聞いた真実だけを、人々に伝えてください。」

「決して、話を歪曲したり、へし折ったりしないようにして下さい。」

「この条件が、呑めるのであればいつでも、インタビューに応じます。」

「もし以上の条件をのまれるのであればインタビューに応じます。では、最初に一番先に来られた。60分さんからどうぞ。」

こうして、世潮の一番嫌いな、マスゴミからのインタビューが10日間以上、連日にわたって続いたのだった。

真の信者は、けなされようが、褒められようが、無名のままであろうが、有名になろうがそういう事に、頓着しないのです。彼は、この世俗の物事に捉われないのです。

しかしこの事は、ホンの序曲に過ぎなかった。

この後、次の三年間、毎日のようにアポなしの突然の訪問者が、オーストラリアだけではなく、海外からも絶え間無く押し寄せ、その数、総計三千人以上にも達した。
大学の講座にも取り上げられ、学生達が大きな観光バスで教授と共に、押し寄せて来た時もあった。その三年間は、子供達も含めてプライバシーが無く、いろんな人から写真を撮られ、ビデオを撮られ、いつも家には知らない人達がウロウロしているという、異常な状態が続いたのであった。
しかしこの期間、スワミがヨシオの夢に、頻繁に来られて色々なアドバイスをされた。

例えば、

「明日、シンガポールから、グループが来ますが、彼らを、あなたの家族とみなして接待しなさい。もちろん夕食もすべて出すのです。」

「宿泊先も確保しておきなさい。」

「明日、メルボルンから来る四人の女性たちは、物見遊山です。適当に相手をして、帰ってもらいなさい。」

のように。

まるでサイババさんと、チームを組んで接待をしているようだった。
また、ある国の大使とその随行員達がキャンベラからやって来て、

「自分たちも世界中が大津波に襲われることを知っている。」

「そのための準備も自国でしている。」

「あなたの、持っている情報を教えて下さい。」

「サイババさんの地図のよれば、あなたの国は多分、大部分が洪水の影響を受けないでしょう。」

「しかし、大きな地震などに対する備えは必要でしょう。」

「近隣の諸国から、多くの難民が押し寄せて来ることが予想されます。」

「自国の事だけではなく、そういう避難民への対策もしておいた方が良いと思います。」
とアドバイスすると喜んで帰って行った。

また、別の国の情報員もやってきて、同じような事を探りにきた。
こうしている内に、多くのサイの信者達がナロジンに移ってきた。

1999年12月31日から2000年にかけてのバジャン会には、ちょうど108人の信者が新しく建てたばかりのバジャンホールに集った。
でも、人口五千人の小さい街で、仕事を見つけるのが大変で、暫くするとまた、何処かに越して行った家族もたくさんいた。

サイスクールも設立しようという動きもあった。
オーストラリアだけではなく、国外からも視察にやって来た。
シンガポールからは、団体でツアーを組んで何度もやって来た。
その中の数家族は、ここに今もまだ住み着いている。

また、南アフリカの家族は、当初ニュージーランドへ移住するつもりだったが、いつ移住申請書を提出しても却下されるので、有名な霊媒師であるローズメリーにあって理由を聞きにいった。
すると、こう言った。
アフロヘアーの男があなたの申請書を、破り捨てている。
しかし、今回はそうしない。
その為には、あなた達は次の条件をのまなければならない。
それは、ニュージーランドの市民権を取ったら、オーストラリアに移り住まねばならない。
それも、東ではなく西の都市に。
だが、その都市に落ち着いてはいけない。
そこで、世潮という人が別のドアを開けてあなたを、迎えてくれるだろう。
あなた方は、そのドアを見つけないといけない。
そしてその翌年、彼らは、ニュージーランド行きのビザを取れた。
その年、ニュージーランドへ行く途中、家族でサイババさんに会いに行った。

インタビュールームで、サイババさんはローズマリーと同じことをその家族に言った。

2001年も過ぎ、ようやく人の波がおさまって一息ついた頃、世潮は、自分の母親の異常に気がついた。

彼女は、アルツハイマー病と診断されたのだった。



東洋子の病気は、ゆっくりと虫が床を這うように脳細胞を侵して行った。しばらくぶりに東洋子に出会った人でも、東洋子が認知症になっているのを見抜くのは難しかった。東洋子も人と会う時には、自分の持っている能力を最大限に使って、出来るだけ、自分が正常であると演出して見せた。でも、それは東洋子にとって大変な疲れを伴うことだった。
ヨシオは、まだ東洋子の病気がひどくならないうちに、東洋子と良い思い出を残したいと思い、あちらこちらと小旅行に出かけた。最初は、ウルルとオルガの巨大な岩を家族で見に行った。費用を節約するために、家族で小さいユニットをキャラバンパークで借りて、全員そこで寝泊まりした。オルガの風の谷を訪れた時は感激した。大きな岩の壁の間を歩岩を登り終えると、そこは眺めの素晴らしい峠のような岩の上に出てきたのだった。東洋子も、毎日孫に囲まれ手を繋いで歩き、子供に戻ったようにはしゃいでいた。

当初、ヨシオはアボリジニの聖地であるウルルには登るつもりはなかったのだが、ウルルに旅する前日、アボリジニの夢を見た。それは、アボリジニたちがヨシオを歓迎するダンスをしている夢だった。
その夢は、ウルルに登っても良いというサインだと分かった。あくる日、思ったより急勾配な岩肌に取り付けてある鎖を持ちながら、岩の頂上を目指して登り始めた。岩をほぼ登り切ったところを導かれるようにして少し道を外れ岩の上を彷徨っていると、人が十人程座れる小さな岩で囲まれた、平らな広場のようなところに出た。その一角に小さな洞窟があり、洞窟の中を覗くと思ったより深くて、人がやっと一人這って入って行けそうだった。その洞窟の入り口を離れたところから見ると人の目のように見えた。
というのも、洞窟の形は人の目のような形で高さ1メートルもなく、その目の中に太さ半メートルほどのタテ型の岩があり、それが瞳に見えるのだ。洞窟へ入るにはその岩との隙間を這い潜っていかなけれならない。
ヨシオはこの洞窟は地上界と地下にある幽界を繋ぐ出入り口かも知れないと思った。

ヨシオは、その洞窟の前の平らな場所で、お祈りをしなければならないと強く感じた。そこはアボリジニの神聖な礼拝所だったのだろうと推測できた。そうか、俺がこのウルルに来たのはこの為だったのだ。と分かり、目を静かに閉じた。そして、ガヤトリマントラを唱え始めた。
すると、ヨシオが座っていたウルルの岩が軽くなり、空洞化し始めたように感じた。
この地球上で一番大きい一枚岩の一つだと言われている岩が、実は岩では無く、神聖なエネルギーの塊のように思えた。
アボリジニたちがこの岩を神様だと信じて、何万年も礼拝して来た聖なる想念の波動が、岩全体を覆って物質を超え、岩そのものが霊的なエネルギーをたくさん取り入れていたのだ。

想念の波動は、人々の喜びと悲しみ、健康と病、幸福と苦悩、生と死の原因です。
人の人生は、想念の波動の力を完全に理解することにより意味あるものとなります。
全世界が精神的な波動により覆われています。
実際のところ、すべての世界は波動によって創られたのです。
それ故私たちの想念も、高貴な道へと向かわせなければならないのです。
人々の心は高貴な思いや好ましい感情で満たされるならば純粋で煌びやかに輝くでしょう。
この様に、純粋な心を培うことによってのみ、純粋な行動をとることが出来るのです。
そして純粋な行動をとってのみ、純粋な結果を得ることができるのです。SSIB1993p,3
人は他の人を傷つけようと、沢山の悪い思いを心に抱きます。
しかしこれらの、他の人を傷つける想念は10倍にもなってその人に返っていくのです。
この真理を人々は気づいていません。
~逆に我々の想念でもって他の人々の病を癒やすことも出来るのです。8/93p,211~3

そうだったのか。だから、アボリジニたちはこの神聖な岩自体を、神だと信じて礼拝していたのだと分かった。だから、アボリジニたちは観光客に、この聖なる岩に登って欲しくないのだ。ただの物見遊山の人々がたくさんやって来て、アボリジニたちの聖地である岩に染み込んでいる聖なる想念の波動を汚しているだけではなく、この岩を護っている聖霊たちをも侮辱しているように思えるのだろう。アボリジニにとってウルルは、寺院に安置してある神像と同じなのだ。
ヨシオは、深く息を吸って、ゆっくりとガヤトリを何度も唱えた。ウルルがガヤトリの聖なるマントラのパワーと一体になり、岩全体の波動が細かくなってどんどん浄化され、それと同時に岩の周囲の波動が変化して来ているように感じた。
聖なる岩が喜んでいる。グレートスピリッツが喜んでいる。ガヤトリで聖浄化されて喜んでいると、ヨシオは独り言を言った。

ガヤトリはやっぱりすごい。すごいパワーだと思った。この、大陸の中心にあり、世界のへそと言われているウルル。何万年も神として拝まれ、アボリジニの人々が畏敬の念を持って礼拝して来た岩、ウルル。この大陸に住む全ての人や生き物を守り、育んで来た世界最大で最古の聖なる岩が、今、宇宙で最強のマントラと出会って結び付き、二つの波動が一体となったのだった。
ウルルは、リンガムなのかもしれないとヨシオは思った。最新の調査によると、ウルルの地上に出ている部分はほんの一部分で、地面の下に隠れている岩の大きさは、大きすぎて果たしてどれぐらいなのか分からないとのことだった。

実は、この私たちが住んでいる宇宙自体がリンガムの形をしていて、創造主ブラフマンが創造した世界を形成する物質はホワイトホールから噴出し、やがて気が遠くなるような時を経て、また全てがブラックホールに吸い込まれて、元のブラフマンに帰する。
地球自体もリンガムで、地球のコアから出て来た磁力線が、北極から出て南極に向かって走り、また地球の内部に戻って行く。そして、ウルル。この巨大な一枚岩は、全体の姿を見せることなく、且つ全体の形を容易に想像出来る姿をしている。その岩が発するポジティブな波動は、何万年もの間、この大陸に住むものを霊的に導いて来た。その壁面の様々な岩のくびれや洞窟、岩の表面を水が流れて出来た紋様の一つひとつに、アボリジニたちのドリーミングタイムのストーリーがぎっしりと詰まっているのだ。大昔からアボリジニたちは、自分の子供達に、その一つひとつの紋様などを指差しながら、その英知溢れるストーリーを話して聞かせ、自然を神として敬い、尊敬し、そこから学ぶことを教えて来たのだ。

霊的なレベルに関して言えば、実は人間より自然の方が一段上の方に位置しているのだ。それゆえ、もし自然を尊敬せず、今人間がしているように、母なる自然から収奪しまくり、汚し、辱め、その警告を無視し続けていると、いつか大きなしっぺ返しが帰って来るのだ。
その時には地球の何処に人が隠れようと、全ての人類が自らの母なる地球を辱めているカルマを返すために、苦しまねばならないのだ。これは人類全体の連帯責任なのだ。そして、そのカルマを支払う時期が、もうすぐそこまで迫って来ているのだ。

ヨシオが、ガヤトリマントラを唱え終わると、大きな満月が地平線から登って来た。グルが、聖者たちが、そして、この偉大な霊的な岩を守って来たデーヴァ達が自分たちを見守って下さっていると感じた。
そうだ。今月はグルプニマ、グルの日がある月なのだと思い出しグルマントラも満月に向かって唱え始めた。
周囲が暗くなる前に岩から下り、しばらく離れたところから大きな岩を眺めた。
夕陽に照らされて岩肌の色が白っぽい色から、真っ赤に焼ける色に変化し、そして最後は月明かりで漆黒の闇に浮き上がる岩の表面の色の変化していくスペクタクルショーを固唾を飲んで見ていた。すると突然、ヨシオの脳裏にウルルが青い水の上に浮かんでいるビジョンが見えた。その巨大な岩全体を水に映し出しながら、波一つない鏡のような真っ青な水の上に浮かんでいるのだ。
その青い水に逆さまに映し出されている岩の映像と、岩がくっ付いて、それは横向きに置かれている巨大な丸いリンガムのように見えた。
ウルルはやはりリンガムだったんだ。とヨシオは思った。やがて、周りの空の色がだんだんと暗くなって来て、星々が空一面に現れ始めた。
ババが物質化された未来の地図によると、この辺り一帯は浅い内海になるのだ。

ヨシオたち家族が、ウルルで礼拝を捧げる旅に行っている間、ヨシオを訪ねて、台湾から天道教の道士が十人ほどの弟子達を連れてやって来た。ヨシオたちが留守なので、近くの天道教の信者の家に投宿して、ヨシオたちの帰りを待っていた。その時、道士は、ヨシオたちは今オーストラリアにある神聖な場所で、大事な使命を帯びて行っているところだと弟子達に述べていた。

一日二回ガヤトリを唱えるならば、その日のうちに無意識に犯した罪や、払い終えてないカルマを燃やし尽くすことが出来る。
~毎日これを行えば、他のどんなマントラを唱える必要もない。
あなたは自分の人生を神聖化することができる。
ガヤトリは万能で、あなたを災害から守るだけではなく、あなたを賢くし、学ばせ、成功に導くのだ。P,177 ANDI
決してガーヤトリー マントラをやめてはなりません。
他のマントラは、やめても、無視してもかまいませんが、ガーヤトリー マントラは少なくとも一日数回唱えるべきです。
ガーヤトリー マントラは、あなたがどこにいても、旅行しているときも、家で働いているときも、あなたを危害から守ってくれます。
西洋人はガーヤトリー マントラによって生み出されるバイブレーションを調査して、ガーヤトリー マントラがヴェーダで規定されている通りの正しいアクセントで唱えられると周囲が目に見えて光に満ちあふれてくることを発見しました。

ガーヤトリーマントラは、あらゆる力と能力を授けてもらうための神への祈りなのです。~ガーヤトリーマントラが唱えられると、さまざまな力がその人の内側から浮上してきます。ですから、ガーヤトリーマントラを不用意に扱うべきではありません。23/8/95


家に戻り、東洋子を知っている多くの人たちと、東洋子が記憶を失う前に、さようならという挨拶をすれば良いかもしれないと思い、東洋子が日本に住んでいた頃の電話帳を探し出してきた。そして毎日、一人ずつ電話をした。最初に、ヨシオはどうして突然電話でお邪魔しなければいけないのかを説明して詫び、そして東洋子に電話を替わった。
昔の友人や知り合いの人たちは、東洋子の久しぶりの声を聞いてとても喜んでくれた。東洋子も健常者と変わらないほど流暢に話していた。時々、同じ事を何度も繰り返して話すと、ヨシオは電話を切る前に相手の人にお詫びの言葉をかけたが、相手の方は全然気付いていないようだった。
東洋子はまだその時、相槌を打ったり、笑ったり、そして哀れみの言葉をかけたりすることが出来たのだった。でも、それもほんのしばらくの間だけだった。
サヨナラ電話の後、東洋子は急激に病状が悪化して行った。毎日の散歩もままならなかった。身体がくの字に曲がり、真っ直ぐに歩けなくなってしまったからだ。

ヨシオの生活は、完全に介護一色になってしまっていた。しかし、嫁と二人三脚で頑張った。
そんな介護で慌ただしい毎日を過ごしているうちに、いつの間にか十年の月日が流れた。ヨシオも還暦を迎えた。あれ以来、飛行機に乗る時間も余裕もなかった。時折エンジンの調子を見るために格納庫へ行くぐらいだった。
そんな時も,ヨシオは東洋子を連れて行かなければならなかった。東洋子はもう世潮の生活の一部になってしまったのだ。

毎年、冬が近づいて来ると、ヨシオは母を連れて子供達がいるパースに住むようになっていた。農場のあるところは内陸で東洋子には寒すぎたのだ。
そんな時、インドから送られてくる月刊誌サナザナサラチを読んでいると、サイババさんも病院に入院することになったという記事が載っていた。

ヨシオは、ババは96才までこの世で肉体をとって使命を果たされると聞いていたので、そのうちに回復されて退院されるだろうと思っていたが、ある日ニュースでババが逝去されたことを報じているのを知った。すぐさまインドのニュースチャンネルを見ると、サイババ崩御のニュース一色だった。ヨシオはすぐさま、これはスワミ一流のリーラ(神の神聖遊戯)だと思った。

一度死なれて生き返り、世界をあっと驚かせ、神の化身の神聖な力を近い将来、見せようとされていると思った。というのも、肉体を持っておられる間に、人類に対して約束された事が、まだ成就していないからだ。だから、ヨシオはババは必ずもう一度サティアサイババの御姿で復活されると分かったのだ。
でも、問題はいつそれが起こるかだ。いろんな情報が飛びかった。ある本には、またババが生き返るという記事がある、と聞いたので読んでみると、どこを探してもそんな記事はなかった。いろんな人がいろんな事を言っていた。

一番驚いたのが、サイの組織の公式見解だった。ババは96才で亡くなると言っておられたが、太陰暦では今年は96才なので、ババの予言は成就した。というものだった。
ヨシオはお腹を抱えて笑った。そして、帰依者の人たちの気持ちは分かるが、これはこじつけだと思った。知り合いのサイの組織のリーダーたちに、その見解は間違っていると手紙を送ったが返事は無かった。
ババのテストだ。一人ひとりに問われている。これでババから離れていく人は、帰依者ではないってことだろう。籾殻が風に吹き飛ばされるように、彼らは、「あゝ、今まで神さんだと思って信奉して来たのに、大きな誤りだった。ただのアフログルだった。」なんて言うんだろうと思った。
そしてたくさんの帰依者たちがサイババさんの元を離れるだろうと予想出来た。

また、この後、雨後の筍のようにサイババだと名乗ってデタラメなメッセージを伝える輩が恥ずかしげもなく出て来るだろうという事も容易に想像出来た。

例えば、肉体のババがこの世を去られましたが、私はババから生前いろんなメッセージをもらっています。これからは、私の言うことがババのメッセージです。とか、ババの霊体が私の体を乗っ取り、私の口を通じてメッセージを送っています。とか
ババが瞑想中にこういうメッセージを、私を通じて皆さんに下さいました。とか、
私が瞑想時に得たババからのメッセージによるとババは85才で肉体を脱ぎすてられましたが、元のコスミックフォームに戻って96才まで仕事を続けられると言っておられます。とか厚顔無恥な連中が多分お金を集める為に出て来るだろうと思った。
そう言う連中に騙されてくっついて行く帰依者はレベルが低く、サイババさんの教えを何一つ分かっていない、サイババさんの帰依者というのは名ばかりで無知で覆われた人なのだ。
そういう人達がサイの組織から消え去るのは、実は組織にとってとても良い事なのだ。霊的な組織は、数より質が大切なのだ。

しかしもしそのような輩が出て来たとしたら、それはサイの組織が出版しているある本にも責任があるのだ。その本はある帰依者がサイババのメッセージを受けて、「君と私へのサイのメッセージ」と呼ぶ本を出版したのだ。
個人個人がいろんなメッセージをサイババさんから受け取るが、それらはその人だけへのメッセージであって、それらのメッセージを本として出版して、「私はサイババさんからメッセージを受け取りました。サイババさんからの直々のメッセージですよ。是非みなさんもこのメッセージを受け入れて下さい。」という類の事を言い始めると、後々に大きな災いの種を残す事になるから、本のタイトルを「私が受け取ったサイのメッセージ」に変えなければいけないのではないかと進言したけれど聞いてもらえなかった。
そして、世潮が心配した通りその手の類いの者が、そのかま首を持ち上げている。
ほとんどの人たちは、将来が見えないからそれに対処するのが後手後手になり、大きな苦痛を得てしまうのだ。特にリーダーとなる人は、その能力がなければ組織を間違った方向に引き連れてしまうのだ。

遂にサイババの葬儀の日がやって来た。ヨシオはこれら自分の目の前に展開する全てのシーンは、サイババさんが仕組んだお遊びだと知っていたので、葬儀を見ても笑い飛ばして涙も出なかったけれど、ある日ホームバジャンで「プッタパルティの神様、私は来ました。」というヨシオが昔作ったバジャンを歌っている時に、ババの愛、無私の愛、無条件に全てを愛しておられるババの愛、自分にこれだけ愛を注いでくださっておられるババの無限の愛を思い出して声をあげて泣いてしまった。と言うのもサイババさんは、自分の体から離れる前に、出来るだけたくさんの帰依者たちの病いを身代わりになって自らの命を犠牲にされてから、肉体を離れられたと言う事が直感力で認識出来、ババの底知れぬ深い愛に一瞬触れてしまったからなのだ。皆はヨシオが大きな声で泣くのを初めて見たので、驚いて全員もらい泣きしていた。


ヨシオは、ババからの別離が寂しくて悲しいわけではなかった。もしそうなら、毎年ババに会いに行っているはずだ。
一度、心の中のババを見つけたら、インドにおられるババに会いに行くために、遠い距離を旅しなくてもいいのだ。胸の内、ほんの数センチのところにババはいつもおられるのだ。
実は、ババが肉体を離れられた大きな理由があるのだ。それは、これからババが自らの予言通り、人類史上最大の奇跡を執り行われるから、その準備をされているのだ。過去にこういうババについての不思議なエピソードがある。
それはまだババが二十五才の頃、重い病にかかられてバンガロールの帰依者の家で一年間近く静養されていたことがある。

その年の十一月二十三日には新しいマンディールが完成し、その後たくさんの帰依者が訪れることになっていた。そのたくさんやって来るであろう帰依者のために使う霊力を、その当時のババの肉体の中に取り込めるように、静養しながら調整されていたのだった。
あまり帰依者がいなかった頃は、例えば憑依された人が来ると、ババは全身に汗をかきながら、憑依された人の髪の毛を掴んで振り回したり、怒鳴ったり、殴ったりして、憑依霊を追い出されたが、帰依者が増えるに連れてババの霊力が増し、アシュラムにその人が近づいただけで、憑依した霊は肉体から逃げ出すのだった。静養している間に、それくらいババの霊力が増して行ったのだ。それと同じことが、今、起ころうとしているのだ。

ババがこれから人類のためにされる奇跡は、肉体を取られたババの霊体では持ちこたえられない程の巨大な霊力がいるのだ。それで肉体を脱ぎ捨て、霊力の制限のない霊体となって、山脈を持ち上げたり、何千もの身体を同時に世界中で出現させたり、大空を歩いて渡られる奇跡を世界中で同時に行われたりされると宣言されている。

それはとても人智では理解出来ないくらいの大きな奇跡なのだ。
だからそういう意味で、ババは霊体となって、あるいは宇宙的な姿で仕事をされるという指摘は正しい。でも、その事とババが肉体を再びまとう事とは関係ないのだ。
霊体の波動は物質である肉体よりも細かい。だから、霊体の波動を少し荒くしただけで、物質化が出来る。それが、人間たちが奇跡と呼んでいる神の御技なのだ。ババは、物質化は私にとって自然なもので、特別でも何でもありません。と言っておられるが、それは波動が一番細かい、いや波動以前の、波動をもたらしている神聖な光そのものである神様にとっては当たり前なのだ。

ババが、霊体を調整するために帰依者の家で静養されている時に、本当はもう死にたいと言われたことがある。また、肉体をとって生きて仕事をする事は、とても面倒くさい事だ。と言われたこともある。
神様であるババは、如何にこの肉体が神の御技を執り行う上で制限になっているか、邪魔になっているかよくご存知なのだ。
だから、面倒くさいと言われたのだ。
人の体には、肉体の他に、微細体、原因体 がある。
それぞれの各自の肉体の中に、限られた霊力を持っている微細体と呼ばれる霊体がある。人は限られた霊力しか持っていないのに、それ以上の霊力を使うと、肉体は生気を失って病いに倒れるのだ。
微細体も肉体も実は人が摂る食物から栄養を得ているのだ。肉体は食物の持つ荒い霊的波動から、微細体はより細かい霊的な波動から栄養を得るのだ。
だから人が肉体を脱ぎ去り霊体になると、その微細体にまだ多くの霊力を持っている魂は、自分の霊力を使って遺族や友人に前に幽霊のように姿を表す事ができるのだ。しかもより強い霊力を持っていると、その姿を物質の波動のレベルに落とし、人の体に触れることも容易い事なのだ。
いわゆるポルターガイストのように物も動かすこちが出来る。
しかし、普通、その微細体を維持できる期間はその人が生前蓄えた霊力によって長さが違うが、一般的に四十九日が限度と言われている。
神の化身のように霊力を無限に持っていると、微細体から、肉体のレベルに波動を落とし、人々の間を歩き回るのはいとも簡単な事なので、先程言ったような霊媒を使う必要は無いのだ。
だから、自分にはサイババの微細体が乗り移ってメッセージを送っているという輩がいたら、それは完全なペテン師か精神に異常を来している人なのだ。
普通霊媒体質の人は、何らかの読心術や遠くに物が見えたりするサイキックなパワーを持っているので、そういう人がサイババの微細体が自分に乗り移ったとうそぶいて、人々を騙すのはいとも簡単なことだろう。

ババは神様で無限の霊力を持っておられるが、一度人間の体に入った以上、肉体が持つ制限を自分に課すと言われたことがある。
ババは今、肉体の制限から解き放たれ、自由に無限の霊力を自在に使って今までと同じように、仕事を続けられている。だからと言って、96才までしか微細体を使って仕事をして、その後はしない。と言ってはおられない。96才以降も、とっくの昔に肉体を脱ぎ捨てたラーマ、クリシュナ、イエスや仏陀、シルディババが信者の求めに応じて姿を顕しておられるように、帰依者の前に現れられるだろう。

それとも、サッチャサイババは、プレマサイが来られたらもう、役割が終わりで、霊体でも仕事をされないとでも言うのであろうか。絶対そんな事はない。千年経っても、サッチャサイババのダルシャンを得たいと泣いてる帰依者の前にババは現れるのだ。
来るべき、史上最大の神の奇跡を行われる前に、ババはその使える霊力に制限がある肉体を脱ぎ捨て、人類のための一大神聖劇の公演を、今、舞台裏で準備をされているのだ。
今、自分たちがしなければならないことは、これまで通りババの御教え通り生き、その日を辛抱強く待つことだ。
今の世界を見回しても。誰が神を求めて泣いているだろうか?神を求めて泣くような、そういう事が起こらない限りは、人々は神の方に顔を向けないのだ。神様どうか助けて下さいと心から願わないといけないのだ。自分に災害や不幸が襲ってきて初めて人は頭を打って目覚めるのだ。

ヨシオはそう信じていた。だから、ババが出て来られるまでに、必ずゴタゴタがある。世界中が暗闇に包まれる時が来るのだ。そう信じて、ヨシオは毛布やテントなどを買って用意しているのだ。
その時に、人々が味わう苦しみを少しでも軽減したいという一心で、全財産を投げ打ってこのような仕事をしているのだ。人々から気狂いと呼ばれ、金の無駄遣いとか、ババの教えを分かっていないとか、過去二十五年間も様々な人々から批判され続けて来ているのだ。
それが、もうすぐ終わろうとしている。長いようで短かかった二十五年間だった。

もうすぐ、全世界はババの色で一色になるだろう。世界中がババを呼び求める声で満たされるだろう。歓喜の涙が、全ての人の頬を流れ落ちるだろう。
ヴェーダが世界中で唱えられ、人々がお互いに兄弟と呼び合う時代がやってくるだろう。全ての人が神を愛し、求め、その教えを学び、それに従って生きて行けばゴールデンエイジがやって来るのだ。
その産みの苦しみを、人類全体で共有しなければならないだろう。そして、すでに英知を持った一部の神に近い人々によって、ババの教え通り、世界中の人々が神の方へ導かれて行くのだ。
ヨシオはこう信じて、今まで生きてきたのだ。そして、ゴールデンエイジが実現した暁には、ヨシオは生まれる前の神との約束を果たしてもらいに、ババの元へ旅立つのだ。
ただ、彼の元に帰りたい、彼の御足にたどり着きたい…。それだけが、その事だけが、ヨシオがこの世にやって来た、ただ一つの目的だった。


時は早く過ぎ去り、人の寿命は氷の塊が溶ける様に、刻々と無くなっていっていることに気付くべきである。
人は自らの人生に幕を下ろすときでさえも、未だ自分がやらねばならなかった基本的なことでさえ見つけられていません。
何が義務なのでしょうか?
それは、人生の目標を見いだすことです。
人は、富、快適さ、地位、幸せ、を探し求めています。
それらは、結局のところ何だというのでしょうか?
人がそれらの世俗的な幸せのみを求めることによって、神からの祝福を得られなくなっているのです。それらの、一時的なはかない物質的な喜びが、いったい何だというのでしょうか?SS8/95p199
皆さんの頭の中は、世間のどうでも良いような話題でいっぱいになっています。
まずそれを空にして下さい。
そうしてはじめて、神聖な気持ち、神聖な思いで満たされるようになります。
沢山の人が目的の無い道を歩み、無意味な人生を歩んでいます。
泣きながら生まれてきて、泣きながら死んでいくのです。
その間どうでも良いようなことで泣いたりわめいたりしています。
皆さんはダルマの衰えを目にして涙を流すでしょうか。
ダルマが衰えた時こそが、泣くに値するときです。
力の限りを尽くしてダルマの衰えを改め、ダルマの衰えによって傷ついた部分を癒やしてあげなさい。SGc13
すべての人が、またすべての生き物が、平安と幸福を得ようと努めます。
誰もが人生の目的を知ろうとしています。
しかし、人々はその努力に成功することができないでいます。
強い決意をもって、目標に到達するまであきらめない人は、百万人に一人です。
限りある命をもつ普通の人は、それが自分の手に届かないものだと考えて、全くこの方面の努力をしません。
彼らは、物質的なその場限りの快楽を追及することに一生を費やします。
彼らは、衣・食・住こそが人生の三大目的であると勘違いしています。
その人生は、妻子を中心としたものになっています。
彼らは、人生にはこれよりも高い目的があるということに気がつきません。23/11/02

今日、人間は人生の目標を探求しません。
人生の目標を知ろうと努める代わりに、人間は自分の世俗的生命を心配しています。
動物や昆虫でさえ、自分たちの世俗的生存に関心をもっています。
生命の秘密を知ることは大事なことではありません。
人は、人生の目的を知らなければなりません。
それはとても大事なことです。
私たちの人生の目標は、アートマの原理に象徴された真理に他なりません。
人生の目標を探求する代わりに、人間は生命の秘密を知ろうとしています。
それは不毛な努力です。
これを知るためには、何度生まれ変わっても十分ではありません。
あなたの心を人生の目標に定めなさい。
生命については心配する必要はありません。1/3/03A
人は、はかない物事の追求に深く捕らわれて人生を過ごします。
人は、人生の各成長段階に特有の無益な思考に心を奪われます。
そして人生の最後に、自分は貴重な人としての生を、実にくだらないことを追い求めることで浪費してしまったと気づくのです。
これが人間の本性なのでしょうか?
人間が人生で学ぶべきことはこれなのでしょうか?
これらの活動は、水の泡のような束の間のものです。
それが人に永続する幸せをもたらすことはできません。
そうした取るに足りないことを追い求めることで自らの時間を費やすことは、愚行にほかなりません。7/10/05



神様との約束エピソード❹

2019-03-22 04:00:16 | 日記

完全に利己心が無く、行為の結果を全く考えず、集中して有能な仕事をし、しかも執着や欲望を待たず、全ての行為を神にささげる、それがアーナシャクテイーヨガの実践です。
アーナシャクテイーヨガはブッデイヨガよりはるかに優れ、中々凡人に出来ることではありません。
しかし私達は、アーナシャクテイーヨガの境地に達する努力を放棄してはなりません。
全力を挙げて努力し神の御加護があれば、一見不可能なことに見えることも成し遂げられます。5/87



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Sai's Messages for The Golden Ageの文庫本が出来ました。上下の二部に分かれますが小さいのでいつでも何処でもババの御言葉をポケットに入れて持ち運びが出来ますよ</script>"><script type="text/javascript" src="http://bccks.jp/bcck/128820/widget"></script>
また、この本の上下統合版も出来ました。A5版とちょっと大きいですがお得になっています。ポニョ書店からどうぞ

ある日、シドニーとブリスベンから訪問者があり、一人はサイオーガニゼーションの元太平洋州の統括世話人でアーサーヒルコットという人で、もう一人は全オーストラリアサイオーガニゼーションの会長だった。
なるほど、アーサーヒルコットはサイババさんから白いライオンというあだ名をつけられているだけあって、ヘソまで届きそうな白いあごひげを生やしていた。

彼らは、クリスマス休暇に大勢の信者をオーストラリアとニュージーランドから引き連れて、サイババさんのアシュラムを訪問していたが、ある日、サイババさんがアーサーヒルコットに「私はオーストラリアの写真を探している。その写真を持って来なさい。」と謎のような事をおっしゃったのだ。

そこで、百人近くいるオーストラリアのグループの一人ひとりに、オーストラリアの写真の事を聞いても誰も持っていないということが分かった。
しかしある信者が世潮のことを知っており、アーサーヒルコットに世潮の話をした。
翌日、ベランダに出て来られたサイババさんにアーサーヒルコットが
「実は、うちのグループの誰もオーストラリアの写真を持っていませんでしたが、パースのある一人の信者がどういうわけか、あちこち旅して写真を撮っているという話を聞きましたが、あなたの探しておられる写真というのは、その者の写真の事でしょうか?」と尋ねた。
サイババさんは、「そうだ。その日本人が撮った写真の事だ。イタリア人も一緒にいる。」と答えられた。
アーサーヒルコットは、「彼は一体写真を撮って何をしているんでしょうか?それは、奉仕なのですか?」
と尋ねると、サイババさんは、「お前が直接その者と会い、その者がやっておることが奉仕であるかどうかを自ら判断するが良い。」と言われた。
その頃世潮は、あるイタリア人の謎のような金持ちのグループのリーダーと知り合い、そのイタリア人がサイババさんの未来の地図を見て、その地図のコピーも持っているので、彼と一緒に車で旅をして西オーストラリア州の土地を探していたのだ。

そのイタリア人によると、世界中の大陸や島が地軸が傾く事によって大津波に呑まれるが、オーストラリアの西半分の内陸部が世界的に見ても、とても安全な場所だとサイババさんが物質化した未来の地図では示されているので、その安全な西オーストラリア州に、イタリア人のとても金持ちの帰依者たちがグループを作ってやって来たと言っていた。
そのグループのリーダーである彼の見解では、地軸は南東方向に五千キロ以上も傾くので津波が南東方向からやって来る。だから、オーストラリアの東海岸は全て太平洋からやって来る大津波にのまれてしまう。と言っても、大陸が海側へ向かって移動するので大陸に津波がやって来るように見えるという事だった。
その為に、オーストラリアの西半分はそれほど標高は高くはないが、太平洋側からの津波にのまれないので、比較的安全だという事だった。
それで全部で五十人くらいの規模のイタリア人たちのグループを組織し、彼らを守るために一人当たり何千万円もの予算で地下にシェルターを作り、一度ロックをしてしまうと誰も入れないような丈夫な鋼鉄製のゲートを作る予定だと言った。その為に西オーストラリア州の標高が高いところを見つけ、シェルターの中には三年分の食糧やサバイバル品を備蓄すると言っていた。
そのシェルターの何枚もある設計図を見せてもらったが、娯楽室もあり何億円も掛かるような本格的で大規模な地下シェルターだった。

世潮はそのイタリア人のリーダーに、「自分は助かりたくてこの仕事をしているのではないので、君達がやろうとしている事は、自分がやろうとしている事と全く相入れないが、その未来の地図を元に安全な場所を探す、というところまでは一緒に働けるだろう」とお互いに合意して共に車で旅をしていたのだ。
彼によると今ブラジルやノルウェーに住んでいる人や、1980年にドイツ人のグループにも、サイババさんは未来の地図を物質化していたようだ。

アーサーヒルコットは世潮に、インドにそれらの写真を持って行くように勧めた。そして、アシュラムの責任者であるスリニヴァサン宛に手紙も書いてくれた。

世潮は、サイババさんはいつも自分の心の中にいるので、わざわざインドまで行く必要は無いと思っていたが、イタリア人の強い押しに負けて彼らと一緒に行くことにした。
インドまで行着いて再びサイババさんに会うと、サイババさんは、「I'm very very happy.」と言って、世潮と持って来た写真の束を右手でポンと叩いて祝福したが、沢山ある写真の中から一枚選んではくれなかった。
イタリア人たちはとても不満だったが、世潮は「これで十分だよ。そのうち教えてくれるさ。要はタイミングだね。忍耐、忍耐。」と言って満足そうに帰って行った。

イタリア人たちは、「俺たちはそんなに待てない。もうこのプレマサイプロジェクトはやめた。別のところを探す」と言ってイタリアに帰って行った。
メインのイタリア人のグループは帰って行ったが、一人は残っていた。暫らくするとサイババさんは、その者をインタビューに呼ばれた。
彼は、「どうかプレマサイシティープロジェクトについて御教示下さい。」と言うと
「どこにプレマサイがいるのだ。プレマサイはあなたのハートの中にいるのだ。」
「外にプレマサイを求めてはいけない。」と言われた。
それで、プレマサイシティープロジェクトは終わった。
世潮はそのニュースを聞いて喜んだ。というのも、彼らはまるでカルトグループのようだったからである。
自分たちでプレマサイシティープロジェクトという名を付け、限られた裕福な家族だけが入れる大きなシェルターを作って自分達だけが助かろう。と画策していたからだ。
彼らのバックグラウンドはよく知らないが、とても裕福そうなグループだった。インドでは五つ星ホテルに投宿し、毎食高級レストランで贅沢三昧をしていた。

それに世潮自身は何も隠し事はないので胸襟を開けて話すが、彼らは隠し事やたくさんの秘密を持っていたからだった。多分支配層の連中の一部だったかも知れない。
これで彼らとの結び目がほどけた。でも、彼らは世潮が一度は見たいと思っていた、サイババさんの地図をプレゼントしてくれた。
しかも、彼らの中には建築家や設計士、科学者などがいて、サイババが物質化された地図を、現存する世界地図に当てはめて、正確にどこが大津波で襲われるかがよく分かる地図をくれたのだ。
もちろんサイババさんが、彼らを通じて世潮に与えたのだった。
神は、確かにパーフェクトなアクターだった。

ある年、子供達にもサイババさんに会わせたいと思い、嫁や子供たちも連れて行った。
その頃、サイババさんはキャンディが山盛りに積まれたお盆から、キャンディをわしづかみにされて、帰依者達にバラ撒かれるという事をよくやられていた。
大人も、まるで子供のようになって神の化身が触れたキャンディは縁起が良いと、それらを奪い合うのだ。
世潮にはその頃、三歳になったばかりの次男がいた。周りの人達から、キャンディボーイとあだ名をもらっていた。
というのも、サイババさんはいつもこの子をめがけて、毎日キャンディを投げられるので、この子の近くに座ればおこぼれをもらえるので、そんなあだ名がついたのだった。
その日も、何時ものようにキャンディを次男をめがけて投げられたが、少し後ろの方に席を取ったので、投げつけたキャンディが次男まで届かず、周りの大人達に全部キャンディを取られてしまったのだ。
サイババさんは、そのまま行き過ぎてしまわれたが、次男は楽しみにしていたキャンディをその日はもらえないので、少し悲しい顔をしてベソをかき始めた。それを見て世潮は思わず


宇宙を創造されるほどの、

お力を持たれた神様が、

キャンディを投げる力が足りなくて、

子供に届かず、べそかかす。

そういう摩訶不思議な事もあるもんだと、われ思うに、いと、おかし。


と、口ではなく、心を滑らしてしまった。
すると、十メートル程も先の方へ歩いて行っておられたサイババさんの歩みが止まった。
世潮は、いつも自分の心とサイババさんが繋がっているのを知っているので、自分の心の中での独り言に気を付けるようにしていた。
「しまった!」と思った。でも、もう手遅れだった。
サイババさんは、立ち止まったまま、首だけを大きく回して後ろを振り返られて世潮を見つめられた。

世潮は、背中に寒気が走った。
サイババさんは、世潮を暫くの間見つめられてから、再び何も無かった様に歩み始められた。
世潮にとっての次のダルシャンは恐怖だった。サイババさんは何かを自分にするか、それとも何か言われるということを、今までの経験によって容易に想像できた。
それでわざと会場に遅れて行き、後方の席、しかも普通だったらサイババさんがそこまで絶対来ないし、誰もそんな所に座らない会場へ続く階段に次男と座った。
そこからは、一番後ろに座っている信者まで十メートルは離れていた。サイババさんはまさかここまでは来られないだろうと思って安心していた。そしてサイババさんが現れた。

前列の方で、帰依者から差し出されたお盆に山積みになっているキャンディをわしづかみしたまま、世潮が座っている階段の方にまで一直線に歩いて来られた。
世潮は、そこから逃げ出したい気分だったがそうはいかなかった。
周りを見回しても、どこにも逃げ場はなかった。
気が付くと、目の前にサイババさんが立っておられた。

世潮は、目の前に立っておられるサイババさんを正視出来なかった。というのもこれから、何が起こるのか知っていたからだ。サイババさんがそんな後ろにまで今まで行かれたことは今まで一度も無かったので、会場にいた全ての人々の目が、これから起こるであろう神聖な神の劇の行方に注目していた。そして、それはすぐに起こった。

サイババさんが大きく手を振って目の前で、幼い子供と一緒に座って怯えている信者に向かって、思いっきり至近距離から手にいっぱいのキャンディを投げつけたのだった。

世潮の髪の毛の中や、シャツのポケットの中、とにかく身体中キャンディだらけになった。
皆は、神の創造した悲劇を見て笑い転げていた。

世潮は、心の中で「もしもし、サイババさん。少し痛かったですよ。

そんな至近距離でキャンディをぶつけなくても良いでしょう」

「あなたの教えを自分自身で破ってはいけないでしょう。」

「非暴力の教えを、御自身で実践しましょうね。」

「復讐もしてはいけないとおっしゃったではないですか。」

「これを日本では十倍返しと言うんですが、サイババさん。もしもし聞こえてますか?」

と思ったがすぐに打ち消した。というのも、またその思いも読まれ、後で痛い目に合うかもしれなかったからだった。

外に神を探しに行く道は、決して神には届かない

どんなに、巡礼を重ねてもその道はいつも行き止まり

真の神への道は、己が神だと悟る道

真の信者は、外を探さず、内探す

実は、信者と神はずっとずっと一つだったのだ

神はお前で、お前が神だったのだ

二つは一つで、一つが二つに見えるだけ

そんなトリックに引っかかり、人が困っているのを見て

陰で喜んでいるのは、だーれだ


妹夫婦家族も、サイババさんに会いに行こうとしていた。
インドは初めてなので、世潮もついて行こうと思ったが嫁がちょうど臨月を迎えていた。
しかし、「お義母さんもいるので私は大丈夫。一緒に行ってあげて。」というので急遽、後ろ髪を引かれながらも出かけることにした。
インドまでの飛行機の座席はいっぱいで予約は出来なかった。とりあえず、シンガポールまでは辿り着いたが、チェンナイまではキャンセル待ちだった。
十人以上の人が、世潮の前に待っていた。
出発二分前に、一人分だけキャンセルが出た。世潮の前の人たちは、2人以上の家族連れだったので、世潮に席が回って来た。
係員と走って機内に乗り込んだ。
言われたまま席に着くと、なんと妹の隣だった。


サイババさんは、ホワイトフィールドにおられた。
安宿に投宿した。狭い部屋に不似合いな長い蛍光灯が天井に付いているだけの部屋だった。
寝るためにスイッチを押して蛍光灯を消したが、しばらくすると自動的に蛍光灯が点灯した。そして、消え、また点灯した。その繰り返しだった。寝たかどうか分からない状態になった。
すると声が聞こえた。あの、サイババさんの声だった。

「明日、インタビューに呼ぶので準備をしておきなさい。」

「ありがとうございます。スワミ。少しお願いしてもいいでしょうか。」

「言ってみなさい。」

「今回は、妹夫婦家族のために来たので、ダルシャンラインで妹にインタビュールームに行くように声をかけて頂けませんでしょうか。」

「分かった。そうしよう。しかし以前のように、お前にどこから来た。と聞くと今回は、お前はどのように答えるのか言ってみなさい。」

「はいスワミ、もし私が、この自分がまとっている肉体と自分を同一視しているのであれば、私はこの肉体が住んでいるオーストラリアから来ました。と答えるでしょう。」

「そうではなく、もし私が、自分を自分の霊体と同一視しているのであれば、私は心の中で祀っているスワミの元から来ました。と答えるでしょう。」

「そして、自分をアートマだと悟っておれば、私はどこからも来ておらず、どこへも行っていない。私は全てに充満しており、偏在し、そして至福に満ちている存在だ。と答えるでしょう。」と答えた。

サイババさんは、「満足した。私はお前からそのような答えを聞くのを期待しておったのだ。」と言われた。

そのような、不二一元論に基づく哲学的なやり取りを暫らくしていた。

最後に、こう聞かれた。「明日、私は、シンガポールから来た三人のオーガニゼーションの役員も、お前たちと一緒にインタビューに呼び、彼らの頭に触れて祝福するつもりだ。」

「お前も、彼らと一緒に祝福して欲しいかね。」

「御手数でなければお願い致します。スワミ。」と答えた。そして自然に深い眠りについていた。

あくる日、綺麗に身支度をしていたら、甥っ子が「どうしてそんなに綺麗な身支度をするのか。」と尋ねた。

世潮は、「もうすぐすれば分かることだ。お前たちも今日、インタビューに呼ばれても良いように準備しておきなさい。」と答えた。

ダルシャンでサイババさんは、世潮が頼んだように妹に声をかけられた。そして、皆で意気揚々とインタビュールームに入って行った。
世潮は、いつもそうするようにサイババさんの真横に座った。

世潮は、サイババさんに何も質問はないのだが、電報で、嫁が無事に男の子を産んだということをインタビュー直前に知ったので、その次男を祝福してもらおうと思った。

「スワミ、私の新しいマーヤー(迷妄)について何か仰ってください。」

サイババさんが、帰依者の家でサイババとしての使命を始められた時に、それを心配して両親がやって来た。それを見て、帰依者たちに「私のマーヤーがやって来た。」と言われたのを思い出したからだ。

サイババさんは、「なんて言った?」といわれてから宙をじっと見つめたのち、世潮に「私は、彼を祝福してあげる。」と言われた。そして、ずっと前、インタビュールームで世潮の頬を手で弾くように叩かれたが、今回は同じ頬を優しく撫でられた。

世潮は、さすがに神様だ。そんなに前の事まで覚えておられる。自分のカルマを取られたんだと感激していた。

そして、「スワミ。あなたがこの私の身体を使って、西オーストラリアで、あるプロジェクトをしておられているんでしょう。」と聞いた。

スワミは何を今更という感じで、誰にも聞こえないくらい小さな声で、世潮の耳元で「そうだよ。」と言われた。

横に三人のシンガポール人が座っていた。

サイババさんは、一人ひとりの頭をポンポンポンと順番に手で三回叩いて祝福され、彼らの隣にいた世潮の頭もついでにポンという感じで祝福された。

早朝見たヴィジョンと全く同じだった。

世潮は、サイババさんは、絶対意味のないことや、無駄なことをされないのを知っていたので、彼ら三人と将来どこかで接点があると思っていた。

世潮の推測通り、四年後、その三人のシンガポール人は、ナロジンの世潮の家の応接間に客として座っていた。世潮の話を聞きにシンガポールからナロジンまで出向いて来たのだった。
シンガポール人たちは、世潮の事を名字から見て東南アジアか中国から来たと思い込んでいたが、日本から来たと答えると、驚きながらも四年前にサイの恩寵をたくさん受けている日本人の帰依者と一緒にインタビューに呼ばれた話をし始めたので、世潮は「それは自分の事だ。君達と再び会えるのを知っていた」と答えると、とても驚いていた。

サイババさんは、インタビュールームで他の日本人にも何か言われたが、英語で喋られたので世潮は通訳をかって出た。
そのあと、サイババさんは手の平を上に向けてじっとしておられた。
しばらくすると手の平の真ん中に、何か光るものが現れた。
銀でできたシルディババの頭だった。
それが、タケノコが生えて来るように全身二十センチメートルぐらいの大きさの像になった。
妹は、「すごい奇跡を見た!」と大きな声で叫んで泣いていた。まだそのシルディサイババの像は、体温の温もりを持っていた。

スワミは妹夫婦家族とも話し、皆はとても満足してインタビュールームを出た。
世潮は、出産したばかりの嫁と新しく増えた家族の一員に会うために、その日すぐにオーストラリアに帰るつもりだった。
帰依者へのダルシャンの後、サイババさんはゲートの向こうに歩みを進められて消えて行かれた。そこでは、サイババさんのダルシャンを待っているサイ大学の学生達が長い列をつくって並んでいた。

世潮はいつものように、サイババさんにお礼とお別れの挨拶をしようと、ゲートの手前まで近づいて、サイババさんの行方を追った。サイババさんがダルシャンを終えてゲートの中に消えてしまわれたので、大抵の帰依者たちは家路に着き、周りにはほんの数人の帰依者たちしかいなかった。
世潮は両手を合わせ「サイババさん。今回も色々と妹夫婦家族始め、私に祝福を与えてくださってありがとうございます。今回はこれで失礼します。今日これからオーストラリアに帰ります」と心の中で言った。

その瞬間、それまで学生たちの間を歩いておられたサイババさんの足が突然止まり、こちらを見られた。世潮は、「しまった。またやっちまった。」と思った。
心の中の独り言でも、全てサイババさんにはお見通しなのだ。

サイババさんは自分のお仕事を中断されても、世潮の為に時間をさかれる。
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
また、サイババさんの仕事の邪魔をしてしまった。
まだ自分の心をコントロール出来ていない。
心の中でサイババさんと話す習慣が出来てしまっている。
サイババさんが肉体として目の前にいる時に、サイババさんに心で話しかけると、その肉体を取られたサイババさんがその事に反応されて、自分に時間を割かれる。結果的にサイババさんのお仕事を自分が邪魔してしまう事になる。
そういうことまで考えて、自分の心をコントロールするのは無理だと思った。
今まで何度もサイババさんのお仕事を邪魔してしまった。

前回空港からアシュラムに着いた時も、丁度昼過ぎで全ての店は閉まっていた。
食堂も閉まっていたので昼食抜きになってしまった。
「少し腹が減ったな。今日は昼食抜きで我慢しろってことですか?それがあなたの意思なら、我慢します」と思っていたら、サイババさんの近くで奉仕しているボランティアの人が世潮の近くにやって来て
「サイババさんが少し口を付けられただけで、すぐにこれを持って行きなさいと言われたので、召し上がって下さい。」と言って、サイババさんのお下がりのカレーが盛り付けてあるお皿を持って来て下さった。

「御自分の昼食を俺のために…。」

サイババさんが普段食べておられる食事はとても辛くて、口から火が出そうだったが、感激の涙でその火を消しながら頂いた。

またちょうどご講話されている時に、ホワイトフィールドのアシュラムに着いた事がある。舞台の横にある小さい扉を少し開けて、久しぶりにお会いしたサイババさんを見てとても嬉しくなり「スワミ。」と思わず心の中でサイババさんに声を掛けてしまった。
サイババさんは講話を止めて、こちらを見て手を振って挨拶をされたということもあった。

それにサイババさんが世潮をインタビューに呼ばれる時は、同じ月日、九月十八日に呼ばれるのだ。今回もその日に呼ばれたのだ。

世潮は、ダルシャンが終わってゲートの中に入られ、学生たちの間を歩いているサイババさんに向かって、「いろんな祝福をいただき有り難うございました。サイババさん。オーストラリアに帰ります。さようなら」と心の中で言った時は、サイババさんは、もう五十メートルほど先の方まで歩いて進まれていたのだが、ヨシオが心の中で声を掛けると同時に、学生たちの列の中から抜け出て、こちらに向かって速足で歩いて来られた。
そしてなんと世潮が座っているゲートにまで再び出て来られた。
世潮は、サイババさんも自分にさよならを言いに来られたのだと分かり、左手を振った。
サイババさんは、それを見て右手を振られた。
まるで鏡の中の自分を見ているみたいだった。
嬉しくなって、両手を振った。
サイババさんも、両手を振られた。
思いっきり手を伸ばして振った。
サイババさんも、両手を伸ばして振られた。
あとは夢中で何をしていたか自分でも覚えていない。
分かっていたことは、もう一人の自分が少し離れたところで自分に向かって手を振っているという事だった。
強烈な不二一元のフィーリングだった。不二一元の愛のパワーだった。
自分が、周りの全てに融合して行く感じだった。
サイババさんが真の自分で、ヨシオという人物はサイババさんが鏡に映っている仮の姿だという事が体感できた。
そしてその鏡に映っている仮の姿である自分が消えて行く。
自分が溶けてなくなって行く…自分よさようなら…自分は実はあの方だったのだ。全ては一つだったんだ。この世に存在する全ての人々や生き物は姿かたちが違うだけで、実は彼なのだ。その彼が自分なのだ。全ては彼、つまり私なのだ。その自分が真我だと悟る不二一元の真理の光、英知の光がヨシオを包み込んで至福以外、光以外何も感じることは出来なかった。その至福感に浸りヨシオは涙が止まらなかった。
これ以上、もう一人の自分の仕事の邪魔をしたくないと思った。
サイババさんは、サイババさんの身体を使ってやられるたくさんの仕事がある。
サイババさんが、ヨシオという肉体を使ってされる仕事に集中しよう。
ヨシオという名の自分の肉体の為に、これ以上彼の時間をとって欲しくなかった。
これで、インドへの旅は最後にしよう。と心に決めた。サイババさんに迷惑がかかるから…。
帰りの、飛行機の中も、エアポートの中でも、サングラスを外せなかった。
ずっと涙が止まらなかった。どこからそれだけの量の涙が出て来るのか自分でも不思議だった。気を入れ替えても、全然無駄だった。涙が涙腺が壊れるほど出て来た。
全ては一つである、という教え、不二一元の愛のパワーを凌ぐものは、この世に何も存在しないという事をヨシオは実感した。そうだ全ては愛なのだ。
これは愛のパワーなのだ。

家に帰っても、次の三ヶ月間、サイババの写真は見れなかったのはもちろんの事、サイババという名前も耳から入るや否や、涙が出てきて普通の生活になかなか戻れなかった。
サイババさんに約束してもらった神との合一。至福そのものになる。それだけで十分だった。
それ以上何を望むことがあるのか。
この世俗的な世の中の事には全く興味を失っていた。
全てが神が愛でもってコントロールされている劇なのだ。
自分が思い悩む事なんてこの世界に何も無い。
全ては神のお遊びなのだ。
地軸が傾くだの、大津波だの、何の興味もなかった。
神が全部しておられている。神のゲームだ。
だから未来の地図なんて物質化して遊ばれるんだ。
この世の事象に自分の思いを乗せてしまうから、喜怒哀楽が生じるのだ。
全ての行為を、水の上に字を書くように淡々と行為の結果を神に委ねてする…。
何の思いもその行為の上に残さないようにすると、行為の結果は自分に何の影響も及ぼさない。まるで幻の如く消え去って行く…。
それが、ヨシオはオーストラリアの農場での仕事は、サイババさんから頂いた仕事だからやらしてもらっているだけで、でなければもちろん膨大な毛布を買い求めて保管するなんてしない。
生まれる前の、神との約束。
神に融合する。それがヨシオにとってすべてだった。


プタパルティの神様、私は来ました。

桜咲く国から、

サイラム唱えて、御姿浮かべて、

ダルシャンの列の中であなたを待ちます

愛の神様 サイラム唱えて、御姿浮かべて



(Rama Rahimkoのメロディで)


全てのイタリア人がオーストラリアから去った後、サイババさんが世潮の夢に来られた。
世潮と、サイババさんが並んで空に浮かびながら、ある農場を見下ろしていた。
その農場は、三角形の形をしており、一辺は雑木林で他の二辺は馬や羊が放たれている牧場だった。
そして、三角形の中央には小さい池のようなダムがあった。
サイババさんは、「ここはナロジンだ。将来、一大霊的センターになる。いろんな国から、様々な人達がやって来るであろう。」と言われた。
世潮はもう一年近く、あちらこちらに行って土地を探し続けていたので、土地勘も出来、標高の一番高いところに位置する町に決めるんだったら、世潮の心の中ではナロジンが第一候補だった。
それに、サイババさんの物質化された地図を拡大して分析していていたので、どの辺りが大津波の影響を受けないかも知っていたのだ。

この三角の土地も、ちょうど売りに出されたばかりで、ナロジンの中でも一番標高の高いところに立地していたので、「ここなら最高だ。」と世潮は思って、実はもう購入していて、後はサイババさんのサイン待ちだったのだ。もしサイババさんのサインが無かったら売りに出すつもりだった。
でもこうして、サイババさんがサインを下さったので、プロジェクトをスタートする事にした。イタリア人のグループの最後の一人がいなくなった途端にサインを下さったのは、彼らにこのプロジェクトを知られたくなかったからなんだろうと世潮は思った。

その翌日直ぐに、世潮はナロジンに車を走らせて大きな2500平米もある倉庫を購入し、そこに人々が将来、何らかの原因で避難されて来た時のために、毛布やらテントなどのサバイバル品を買い求めて時が来るまで保管することにしたのだった。

ただ世潮はその当時、オーストラリア英語が全く聞き取れず、値段の交渉なんて出来なかったので、サイババさんに、誰か私を助けてくれそうな人をよこして下さいと心の中でお願いしていたのだった。

ある日、若い体格の良いインド人の青年が「私は歯科医です。サイババさんにインタビューに呼ばれ、歯科医としてではないけれど、オーストラリアで奉仕の仕事があるのでお前のために良いから行きなさい、と言われたので来ました。」

「奉仕の仕事をしに来ましたので、給料は、一切要りません。私に宿泊場所や食事も含めて一切便宜を計らないでください。」

「たとえ、そうされてもお断りします。私は、何でもやりますから、おっしゃって下さい。」

「休日も休暇も要りません。もし必要なら、夜中でも働きますし、どんな重労働でもする覚悟です。」

「決して、勘違いしないで欲しいのは、私はスワミに、オーストラリアでの奉仕は、私自身の為に良いと言われたので来たのであって、決してあなたを助ける為にでは無いのです。」

「私自身の為に、来ているのです。私は、自分自身の人生をすべてスワミ捧げていますから。是非、遠慮しないで私のやるべき事をおっしゃって下さい。」

「そして、もし必要なら、何年でも期間限定無しで仕事をします。」と言いました。

世潮は驚いて彼に、「どのようにして私を見つけたのですか?」と聞くと、

「私の両親が、あなたと一緒に以前働いていたイタリア人たちのことを知っていたので、サイババさんがオーストラリアとおっしゃった時、他に誰も知り合いはいないし、すぐにあなたの事だと分かったのです。」

その後、彼は無償で三年間も、このサイのプロジェクトの為に身を捧げたのだ。

まず、毛布を何十万枚も注文し、続いてビニールシートやテント、簡易宿泊施設用の材料、野菜の種や、機織り機に糸紡ぎ機、オイルランプに風力発電装置、太陽光発電装置に雨水を貯めるタンク、自転車に無線装置、ロープに合羽、粉ひき機に粉塵マスクとありとあらゆるサバイバル品を購入した。

最後に、一番大事なサイババさんの書籍を大量に注文した。

スリサティアサイBOOKトラストの当時の責任者スリ氏は、今までこんなに大量の本の注文を受けたことがなかったので大変驚き、直接サイババさんに

「スワミ、私どもでこんなに大量の本の梱包は、とても出来ません。ご存知の通り、スタッフはすべて第一線からリタイヤした年寄りばかりですし、膨大な数の梱包した箱は相当な重さになります。」

「それに、こんなに、大量だと個別の箱では送りきれません。梱包する場所もありません。その上、コンテナでないと送りきれません。」

「そのような事を今まで一度もしたことがないので、この注文をどのようにすれば良いものでしょうか?」

サイババさんは、「オーストラリアから受けたXXXXX冊の注文ですね。」

「あなたは受けた注文をすべて、オーストラリアへ送らねばなりません。」

「私の大学の学生達を動員しなさい。そして、パッキングする場所ですが、9番シェッドを使ってよろしい。

「コンテナ輸送と通関業務は、セントラルカウンセルのメンバーで、チェンナイから来ているXXX氏が専門です。彼に任しておけば、大丈夫です。」

と、受けた注文の本の数まで、言っていないのにもかかわらず、一冊も間違えずに責任者に指示を与えられた。

その頃、オーストラリアの巨大な倉庫の中では、世潮はインド人の歯科医とたった2人で、ひと抱え30Kgもある毛布の束を、人力で数万個もトラックが運んで来たコンテナから降ろし、それをまた人力で倉庫に積み上げて行くという、とても気が遠くなるような骨の折れる作業をしていたのだった。毛布の山が高過ぎてフォークリフトが使えないのだ。

毛布を満載したコンテナを積んだトラックが、次から次へとパースからナロジンまで、片道200kmの行程をとんぼ返りし、みるみる倉庫に毛布の巨大な山が積み上がった。一日に五台の大型トラックから積み下ろすのが精一杯だった。この毛布の積み下ろしの作業だけで約一年もかかったのだ。

世潮はお互いに力尽きた時、何度も歯科医の青年と、「ハヌマーン!俺たちに力を与えてくれ!」」と声を掛け合った。

でも、スワミがいつも一緒にいてくれている、という信仰心が2人に力を与え続け、ようやく最後の毛布の束を積み上げた。
丸三年も、二人とスワミの三人で、休みも取らずに色んなものを購入して倉庫に積み上げた。

しかし、これで終わったわけではなかった。次に待っていたのは、税関による麻薬密輸摘発の為の抜き打ち検査だった。
毛布に麻薬を染み込ませ、密輸した輩が以前摘発されていて、世潮もその手のたぐいと疑われたのだ。
麻薬犬や、他の大勢の麻薬摘発官が、せっかく積んだ毛布の山を鋭いナイフでえぐり、中を麻薬犬に調べさすという作業が永遠と三日間に渡って続いた。
もちろん何も出て来るわけは無かった。
しかし後に残ったのは、散らかったままの、何万枚もの毛布の残骸だった。
それらを、また整理して並べるのはまた大変な作業だった。
そして、かかった検査の経費などは、法令により全て世潮が支払わねばならなかった。
でも何があっても、それはサイババさんが自分たちに良かれと思ってされている。自分たちの忍耐力を試されているんだ。そのテストに合格しなければという思いで頑張りぬいた。
いつもスワミと一緒に仕事をしているんだ。という強い信念のみが二人を支え続けたのだ。
こんな辛い作業をしても、誰からか給料をもらうわけでも、褒めてもらえるわけでもなく、逆に、人からバカなことに金を使っている。と批判され、将来や過去ではなく今を生きろ、サイババの帰依者の年長者からも説教され、サイババさんから直接指示がないということは、君たちのエゴでやっていることだ。
などと、多くのサイの信者からも散々批判された。サイの組織のバジャン会などに出かけても、多くの帰依者から冷たい顔をされるのでもう行かなくなってしまった。

でも世潮は自分を信じていた。自分の中におられるサイババさんが、全てやっておられることを。自分は、全てを神に捧げているだけだ。
これらの毛布が、将来人様の役に立つかどうかは、サイババさんが決められる事であって、自分ではない。これらの、毛布は自分が使うのか?
いや違う。自分の為に、購入したものなど何もない。自分はそういうことに全く関心は無い。
ただ家内と、母と三人で、日本で汗水垂らして働いて貯めたお金を、スワミに捧げようとしているだけなのだ。
日本で三人で支え合って、コインランドリーチェーンや様々なビジネスをやって来て、何億というお金を稼いだ。
毎日、百円硬貨を数え、銀行に持って行く。洗濯機や乾燥機の清掃と修理、そういう地道な仕事だった。
ビジネスをするまでは、高校や大学の学費さえ親戚に借りなければ支払えない、という清貧な生活だった。
でも、いつもお天道様をまっすぐ見て、三人で支え合って人生を歩んで来た。

金ができても、贅沢はしないで人様のために使ってきた。
オーストラリアに移住してからも、凶悪犯罪の犠牲者や、貧しい国からやって来た留学生たちを支援する為に一回当たり何十万円も寄付して来た。
でも今こうして、神様が人の姿を取って私達のために地上に来られてる。
そして、その神様が将来の地図を出して、人々に警告を与えておられる。
自分もそういうことが起こるという事をずっと信じてきた。
たくさんの人達が、着の身着のままで避難して来るだろう。
自分たちが、稼いだ金がそういう人達の為のに少しでもお役に立てればいいな、と思い、こうして人様から見たらバカなことをしている。
でも自分は真剣だ。全てを神に捧げ、何も得ることを期待しない。
全ての、持っている金をそれに使うつもりだ。
この世から永遠の至福が得れるなんていう、何の幻想も持っていない。
ただ、自分のこのような行いによって、サイババさんが喜んでくれるのが自分の喜びだ。
他に何もいらない。
金を使い果たして野たれ死にしようと何の後悔もしない。
ありがたいことに、家内もまた、最近老け込んできた母も、私と同じ思いを持っている。

子供は五人もいるが、ナロジンに引っ越すと、今までせっかく続けてきたシュタイナー教育が受けられなくなる。
でも神のお仕事が第一、社会のための仕事が第二、他人様への奉仕が第三、そして家族が第四番目で、自分自身の事は一番最後に持って来る、というサイババさんの教えの優先順位から見て行くと、教育のためにナロジンに引っ越せないというのは、その教えにそぐわない。
全ての主である神様が、人の世界に来て、私達人類の為に途轍もなく大きな仕事をされている。
そして、私達もその仕事の一部に関与出来る。この事は今までの前世で作って来た、悪いカルマを支払う絶好の機会だ。宇宙の創造主の仕事の一環を担えるのだ。何という幸運!
神様から見れば、本来は彼のものであるが、自分に預けて下さった金で勝った毛布など受け取って下さって、奉仕の機会も与えて下さっている。
しかもサイババさんの帰依者である素晴らしい青年や、サイの本を自ら指示して送って下さった。
とても幸運なことだ。サイババさん自らが、このプロジェクトをされている証拠だ。彼と一緒に仕事をしている。神の仕事をしている。
それだけで、充分だ。他に何が、自分の人生でいるんだろうか。その他には何もいらない。
神様からの祝福があれば、私たちの人生は勝利を勝ち得たのも同然だ。
人に何と言われて非難されようが、一切気にしない。自分を勘定に入れず全ての行為を神に捧げ、その行為の結果を一切期待しない。それは素晴らしい高度な霊性修行ヨーガなのだ。

神の導きのもとで、選ばれた人類だけが実践出来る最高のヨーガ 。

それをアーナシャクティ ヨガと呼ぶ。

世潮は実は、そのアーナシャクティ ヨガを実践しているのだ。

ある日、世潮はシドニーから長文の手紙を受け取った。

以前、アーサーヒルコットと一緒にパースまでやって来た、全オーストラリアのサイセンターを統括するサイの組織の会長からだった。その一部を紹介すると

「Bro、ヨシオ。スワミが私に、あなたのやっている事が、奉仕活動かどうか、自分で行って検証して確かめなさいと言われましたので、同僚のBro、アーサーヒルコットと一緒にあなたと会いましたね。」

「私自身の意見は、あなたのやっている事は、スワミのお教えから見て程遠いものであると思います。私には全く受け入れられません。スワミは将来の事を心配しないようにといつもおっしゃっています。あなたがされようとしている事は、スワミの教えが説く奉仕の教えとは程遠いものです。あなたは、自分ではあなたがしていることは、スワミの仕事だと思い込んでいるのでしょうけれど、それは大きな間違いです」

「あなたが、他の帰依者を惑わす行動や言動をしたりするのを止め、少しでもスワミの御教えをもう少し努力して学んで理解し、それを実践される日が来る事を祈っております。」という的外れな内容だった。

帰依者にはいろんなレベルの人たちがいる。ある一定のレベルに達すると、神はその帰依者に未来の世界を垣間見せられることもされるのだ。その為に未来の地図も物質化されるのだ。
それらを見せられた帰依者は何らかの行為を始めるのが普通なのだ。自分がそういうレベルではないからと言って、高いレベルにいる帰依者を批判するのは指導者として失格だ。指導者はもっと謙虚になるべきだ。

世潮は一度も、サイの組織の会長に認められたり、自分と同じように信じてもらいたいと思っていない。ましてや、西オーストラリアまで来るように頼んでいない。彼らがサイババさんに言われて勝手に自分に会たいと言ってやって遠路はるばる来ただけだ。
自分は一度も彼らに会いたいという欲望もないし会う必要もないのだ。
彼らに西オーストラリアまで行けとサイババさんが彼らに指示されたのは、自分とサイババさんがしているプロジェクトが、果たして正しいのかどうかを、彼らに判断させる機会を与えるという、サイババさんが彼らに与えたテストなのだ。
それは彼らの問題なのだ。なのに会いに来てやったというような、高飛車な態度を取り、しかも挙げ句の果てには自分が理解出来ないことをしている帰依者を批判する手紙を送って来る。
自分がここでやっていることが、スワミの御教えに合致したものであるかどうか、彼らを通じてサイババさんに尋ねたいという願望は微塵もないし、彼らを通じて知りたいと思ったこともなかった。
ここでやっていることは全く、サイと自分の間だけのことであって、第三者が口を挟むものではない。それに世潮は、100%このプロジェクトはサイババに捧げていて、サイババさんが導いて下さっていると信じていたからだ。
しかも、このプロジェクトを口実に、他の人から金を乞うたことも一切ない。
自分が稼いだ金を何に使おうが、他の人からあれこれ指図される言われはないのだ。
ここでしているプロジェクトは、彼の霊的レベルでは決して理解出来ないくらい高度な霊性修行なのだ。
世潮はその手紙を読んで、この会長は早晩スワミから更迭されるだろうと思った。

世潮はサイの組織の会長からの手紙を無視する事にした。

その同じ頃、インドではサイババさんが、全世界のサイババ組織の代表を務めるインドラシャー氏に、「オーストラリアの会長を更迭しなさい。」とおっしゃった。

そしてそうなった。

その元会長は今では、残念ながら反サイババキャンペーンに一役買っているという。
残念な事だ。彼はサイババさんのテストに落ちたのだ。聞くところによると、彼はシドニーの不動産開発会社の社長で何十万坪もある海沿いの豪邸に住んでおり、大津波が来るというような天変地異のセオリーなんて決して受け入れることは出来ないのだ。
この世に執着をしている者が霊的組織のリーダーになると、こういう事が起こるのだ。

またその頃、西オーストラリア州のサイセンターを統括する会長が世潮に会いに来て、あれこれと70項目にも及ぶ質問を準備し、世潮を罪人を尋問するようにして帰って行った。
世潮はそれらの質問に答える義務は一切無いが、辛抱強く全ての質問に答えて帰ってもらった。
その後しばらくして、解任された会長の代わりにサイババさんに任命されて赴任したばかりの事情をあまりよく知らない新任の全オーストラリアの会長の元に、その西オーストラリア州の会長は「Bro,ヨシオはラジニーシのようなフリーセックスアシュラムをナロジンでつくろうとしている。」というでっち上げの80ページにも及ぶ報告書をビデオテープを添えて提出した。
同じ頃、その全オーストラリアの新任会長のもとに「ナロジンでのサイグループ設立要望書」がナロジンの帰依者たちによって送られてきた。
新任の会長が受け取ったのは、西オーストラリア州のサイの組織の会長による80ページにも及ぶ、世潮批判で占められている書類が入った大きな封筒で、もう一通は、たった一枚のサイグループ発足要望書だけれど、一体どのようにしてこれら二通に対応して良いか分からず、スワミに直接会って尋ねることにした。

「スワミ、私は最近、西オーストラリア州のある地方の町のサイグループに関して、二つの郵便物を受け取りましたが、どうしていいか分からないのです。どうか、あなたの指示を仰がせて下さい。」

サイババさんは「ナロジンで、サイセンターをスタートさせなさい。」

「ナロジンサイグループの者たちに、EHVを実践するように伝えなさい。」

「そして、全オーストラリアEHV(人間の価値についての教育)会議をナロジンで開催しなさい。」と指示を出された。

世界中で何万というサイセンターがあるが、サイババさんが直接その地名を口に出し、そこでセンターを始めろと言われたのはとても珍しいのだ。

しばらくしてスワミの直接のご指示により、西オーストラリア州のたった五千人の片田舎の町で、全オーストラリアEHV会議が開催された。

そしてオーストラリア中から、何百人もの信者が会議に参加した。

しばらくして世潮は、その西オーストラリア州の会長が世潮のところにやって来て謝り、任期終了後、もう会長に立候補しないと首を垂れながら呟くのを聞いた。
世潮は会長の肩を抱いてその真っ白になった髪の毛を見ながら、「誰でも間違いを犯すものです。でもあなたのような長老は、もっと御自分のハートからのメッセージを聞けるようにならないといけません。」と忠告した。

サイはインドにいて、私はナロジンにいる。

でも、繋がっている。

深い深いところで繋がっている。

私とサイは誰よりも深いところで繋がっている。

信者と神を、深い深いところで繋ぐのが、アーナシャクティーヨガの力なり。

この信者と神の関係を誰であれ邪魔する者は、

たとえサイの組織の会長であっても、サイ御自身によって首をすげ替えらされる。



サイと私は深いところで繋がっている。

深い深いところで繋がっている。

サイの意思は私の意思。

そうだ。もともと、私の意志なんて無かったのだ。

と気づいた時、真のバクタ(霊性修行者)は神から自由を与えられる。

神の力を共有するものとなる。

それを気づかすのがアーナシャクティーヨガの力なり。

このヨガの力により、人は肉体を持つ神となる。

褒めよ、讃えよ、アーナシャクティヨガを実践する者を。

汝は、モークシャを得るのに、肉体を脱ぎ去る日を待つ必要はないのだ。