サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

神様との約束エピソード❺

2019-03-23 04:00:52 | 日記


いよいよ、歯科医の青年がオーストラリアを立つ日がやって来た。
丸三年に渡って、倉庫の中の重労働で、埃だらけになり、また、色んな雑多な物を、できる限り安く購入したり、フォークリフトの運転、トラックの手配、通関の手続きなど歯科医とは全く関係のない沢山の仕事をしてきた。
「私の人生で、こんなに沢山買い物をしたことは、後にも先にもこれが最初で最後でしょう。」と言った。
「スワミのお金を出来るだけ無駄なく使ったつもりです。」
「インドに戻れば、スワミにこれからどうすれば良いのか、インタビューがもらえるまでアシュラムに滞在するつもりです。」

世潮は、それを聞いて「君は、とても神を愛している。」

「誰にも負けない程の、深い信仰心だ。神への奉仕も熱心だ。」

だのに、どうして、肉体を持った神からだけ、指示を仰ぐ事を考えるのか?」

「私の見たところ、君は自らの良心、つまり心の中の神のささやきを聞いて、人生における色んな判断が出来るはずだ。」

「私は君に色んなものを購入するように、指示を出した。」

「しかし、それらの購入リストをつくるにあたり、私はインドにおられるサイババさんにお伺いを立てるのを見たかね。手紙を書いたかね。電話をしたかね。」

「全て、心の中のスワミはお見通しなのだ。」

「何をやるにしても、自分というものを計算に入れなかったら、神様が全てをして下さるのだ。」
「それ自体が、神の仕事になるのだよ。」

「このように、自分を何処かに捨て来て、自分を抜きにして全てを神に委ねると、君が何をしようと、すべては神への捧げ物となるのだ。」

「それが霊的な自信に繋がり、君が神の力を共有出来る資格を得れるんだ。」

「世の中に、自己中の人間が掃いて捨てるほどいるが、彼らは決して今、君が立っているこのレベルに登ってくることはできないのだ。」

「また、自分の毎日の生活で、ここまでは神に捧げる時間で、ここからは自分のための時間。などと言ってアダルトサイトなどを見て喜んでいる連中も、決してこんな高い霊的境地に達する事は出来ないだろう。」

「また、これは神への捧げ物で、これは自分の物、という思いを持っている者も、ここにたどり着くことは出来ないあろう。」

「君も、うすうすここに来て、気付いていると思うが、君は自分自身を自分で閉じ込めている檻から解放して、自由に羽ばたかすために、サイババさんは、君を私のところへ寄こしたのだよ。」

「ヨシオ、実はサイババさんが夢に来られて、あなたと同じ事を言いました。」

「いつになったら、お前は世潮のように世界を自由に飛び回るのか。私はいつでもその自由をお前にやるつもりなのに…と。」

「また、インタビュールームで、スワミは私の事を『お前はとてもラッキーだ。』と3回も言われました。」

「今回のご奉仕を振り返ってみると、その時は、大変辛かったですが、今は、とてもラッキーだ。と思えるようになって来ました。ありがとうございました。」

クリシュナはアルジュナに必要とされる忠告をすべて与え、アルジュナの捨てたエゴを受け取ったあと、自らの意思のままに行為する自由を与えました。
アルジュナの意思は完全にクリシュナのものとなったからです。
このようなレベルに達した弟子には自由を与えなければなりません。
VIDYA VAHINI 第12章

彼がインドに旅立って暫らくして、スワミの指示で、大勢の学生達が動員されて、大量の本が積み込まれた例のコンテナが、ようやくナロジンに到着した。

今回、世潮は、サイババさんと二人だけで、「ハヌマーン!」と叫びながらこれらの本を一箱ごと肩で担いで、倉庫に入れることにした。

インド人の青年が帰った後、サイババさんが世潮の夢に来られて、こう言われた。

「1997年12月11日にこのナロジン プロジェクトの事が世に知れ渡る。その日は木曜日だ」と。

その日に一体何が起こるのか、朝早く起きて待っていたところ、
有名なオーストラリアのテレビ番組である"60分"のスタッフが、パースから飛行機をチャーターして、朝七時に突然やって来た。

そして、「是非、世潮のやっている事をテレビで放映したい。」と言ってきたけれど、
マスコミは、嘘つきでマスゴミだ。と呼んで信用していない世潮は、彼らを門前払いにした。それから、すぐその後に、次は"カレントフェアー"という番組が同じくやって来た。
そして、新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、と一日中ひっきりなしにやって来た。

世潮は、「今日という日は、狂ってる。」と思った。
そして全てのメディアを追い返した。
このプロジェクトは、神さんと私の間の個人的な事だ。
どうして世間様に嬉しがりのように、知ってもらわなくてはならないのか。

「しかし待てよ。」

スワミが、このプロジェクトが今日この日に世に知れると言われたが、ひょっとしてマスゴミを通じてだったかもしれない。
それに、全てのメディアが同じ日に来るなんてとても不思議だ。偶然だとは思えない。
同じ時に来た二つのテレビ局でさえ、どうしてこのことを知ったのかと、お互いに探り合っていたではないか。
これは多分、スワミのご計画の一部かもしれない。それ以外の可能性って考える事が出来ないではないか。
と、フト気がついて、追い返した全てのメディアを呼び戻してこう言った。

「私は、別に逃げ隠れしている訳ではありません。」

「私の知っていることを、全てあなた方に明らかにします。」

「どんなご質問にでも、お答えします。」

「もし、倉庫の中の物を見たいのであれば、全て公開します。」

「写真や、ビデオは私の許可なしに、家族のメンバーを除いて、何処を撮っていただいても結構です。」
「しかし、一つだけ条件があります。」

「それは、私は、真実だけを話しますので、あなた方も私から聞いた真実だけを、人々に伝えてください。」

「決して、話を歪曲したり、へし折ったりしないようにして下さい。」

「この条件が、呑めるのであればいつでも、インタビューに応じます。」

「もし以上の条件をのまれるのであればインタビューに応じます。では、最初に一番先に来られた。60分さんからどうぞ。」

こうして、世潮の一番嫌いな、マスゴミからのインタビューが10日間以上、連日にわたって続いたのだった。

真の信者は、けなされようが、褒められようが、無名のままであろうが、有名になろうがそういう事に、頓着しないのです。彼は、この世俗の物事に捉われないのです。

しかしこの事は、ホンの序曲に過ぎなかった。

この後、次の三年間、毎日のようにアポなしの突然の訪問者が、オーストラリアだけではなく、海外からも絶え間無く押し寄せ、その数、総計三千人以上にも達した。
大学の講座にも取り上げられ、学生達が大きな観光バスで教授と共に、押し寄せて来た時もあった。その三年間は、子供達も含めてプライバシーが無く、いろんな人から写真を撮られ、ビデオを撮られ、いつも家には知らない人達がウロウロしているという、異常な状態が続いたのであった。
しかしこの期間、スワミがヨシオの夢に、頻繁に来られて色々なアドバイスをされた。

例えば、

「明日、シンガポールから、グループが来ますが、彼らを、あなたの家族とみなして接待しなさい。もちろん夕食もすべて出すのです。」

「宿泊先も確保しておきなさい。」

「明日、メルボルンから来る四人の女性たちは、物見遊山です。適当に相手をして、帰ってもらいなさい。」

のように。

まるでサイババさんと、チームを組んで接待をしているようだった。
また、ある国の大使とその随行員達がキャンベラからやって来て、

「自分たちも世界中が大津波に襲われることを知っている。」

「そのための準備も自国でしている。」

「あなたの、持っている情報を教えて下さい。」

「サイババさんの地図のよれば、あなたの国は多分、大部分が洪水の影響を受けないでしょう。」

「しかし、大きな地震などに対する備えは必要でしょう。」

「近隣の諸国から、多くの難民が押し寄せて来ることが予想されます。」

「自国の事だけではなく、そういう避難民への対策もしておいた方が良いと思います。」
とアドバイスすると喜んで帰って行った。

また、別の国の情報員もやってきて、同じような事を探りにきた。
こうしている内に、多くのサイの信者達がナロジンに移ってきた。

1999年12月31日から2000年にかけてのバジャン会には、ちょうど108人の信者が新しく建てたばかりのバジャンホールに集った。
でも、人口五千人の小さい街で、仕事を見つけるのが大変で、暫くするとまた、何処かに越して行った家族もたくさんいた。

サイスクールも設立しようという動きもあった。
オーストラリアだけではなく、国外からも視察にやって来た。
シンガポールからは、団体でツアーを組んで何度もやって来た。
その中の数家族は、ここに今もまだ住み着いている。

また、南アフリカの家族は、当初ニュージーランドへ移住するつもりだったが、いつ移住申請書を提出しても却下されるので、有名な霊媒師であるローズメリーにあって理由を聞きにいった。
すると、こう言った。
アフロヘアーの男があなたの申請書を、破り捨てている。
しかし、今回はそうしない。
その為には、あなた達は次の条件をのまなければならない。
それは、ニュージーランドの市民権を取ったら、オーストラリアに移り住まねばならない。
それも、東ではなく西の都市に。
だが、その都市に落ち着いてはいけない。
そこで、世潮という人が別のドアを開けてあなたを、迎えてくれるだろう。
あなた方は、そのドアを見つけないといけない。
そしてその翌年、彼らは、ニュージーランド行きのビザを取れた。
その年、ニュージーランドへ行く途中、家族でサイババさんに会いに行った。

インタビュールームで、サイババさんはローズマリーと同じことをその家族に言った。

2001年も過ぎ、ようやく人の波がおさまって一息ついた頃、世潮は、自分の母親の異常に気がついた。

彼女は、アルツハイマー病と診断されたのだった。



東洋子の病気は、ゆっくりと虫が床を這うように脳細胞を侵して行った。しばらくぶりに東洋子に出会った人でも、東洋子が認知症になっているのを見抜くのは難しかった。東洋子も人と会う時には、自分の持っている能力を最大限に使って、出来るだけ、自分が正常であると演出して見せた。でも、それは東洋子にとって大変な疲れを伴うことだった。
ヨシオは、まだ東洋子の病気がひどくならないうちに、東洋子と良い思い出を残したいと思い、あちらこちらと小旅行に出かけた。最初は、ウルルとオルガの巨大な岩を家族で見に行った。費用を節約するために、家族で小さいユニットをキャラバンパークで借りて、全員そこで寝泊まりした。オルガの風の谷を訪れた時は感激した。大きな岩の壁の間を歩岩を登り終えると、そこは眺めの素晴らしい峠のような岩の上に出てきたのだった。東洋子も、毎日孫に囲まれ手を繋いで歩き、子供に戻ったようにはしゃいでいた。

当初、ヨシオはアボリジニの聖地であるウルルには登るつもりはなかったのだが、ウルルに旅する前日、アボリジニの夢を見た。それは、アボリジニたちがヨシオを歓迎するダンスをしている夢だった。
その夢は、ウルルに登っても良いというサインだと分かった。あくる日、思ったより急勾配な岩肌に取り付けてある鎖を持ちながら、岩の頂上を目指して登り始めた。岩をほぼ登り切ったところを導かれるようにして少し道を外れ岩の上を彷徨っていると、人が十人程座れる小さな岩で囲まれた、平らな広場のようなところに出た。その一角に小さな洞窟があり、洞窟の中を覗くと思ったより深くて、人がやっと一人這って入って行けそうだった。その洞窟の入り口を離れたところから見ると人の目のように見えた。
というのも、洞窟の形は人の目のような形で高さ1メートルもなく、その目の中に太さ半メートルほどのタテ型の岩があり、それが瞳に見えるのだ。洞窟へ入るにはその岩との隙間を這い潜っていかなけれならない。
ヨシオはこの洞窟は地上界と地下にある幽界を繋ぐ出入り口かも知れないと思った。

ヨシオは、その洞窟の前の平らな場所で、お祈りをしなければならないと強く感じた。そこはアボリジニの神聖な礼拝所だったのだろうと推測できた。そうか、俺がこのウルルに来たのはこの為だったのだ。と分かり、目を静かに閉じた。そして、ガヤトリマントラを唱え始めた。
すると、ヨシオが座っていたウルルの岩が軽くなり、空洞化し始めたように感じた。
この地球上で一番大きい一枚岩の一つだと言われている岩が、実は岩では無く、神聖なエネルギーの塊のように思えた。
アボリジニたちがこの岩を神様だと信じて、何万年も礼拝して来た聖なる想念の波動が、岩全体を覆って物質を超え、岩そのものが霊的なエネルギーをたくさん取り入れていたのだ。

想念の波動は、人々の喜びと悲しみ、健康と病、幸福と苦悩、生と死の原因です。
人の人生は、想念の波動の力を完全に理解することにより意味あるものとなります。
全世界が精神的な波動により覆われています。
実際のところ、すべての世界は波動によって創られたのです。
それ故私たちの想念も、高貴な道へと向かわせなければならないのです。
人々の心は高貴な思いや好ましい感情で満たされるならば純粋で煌びやかに輝くでしょう。
この様に、純粋な心を培うことによってのみ、純粋な行動をとることが出来るのです。
そして純粋な行動をとってのみ、純粋な結果を得ることができるのです。SSIB1993p,3
人は他の人を傷つけようと、沢山の悪い思いを心に抱きます。
しかしこれらの、他の人を傷つける想念は10倍にもなってその人に返っていくのです。
この真理を人々は気づいていません。
~逆に我々の想念でもって他の人々の病を癒やすことも出来るのです。8/93p,211~3

そうだったのか。だから、アボリジニたちはこの神聖な岩自体を、神だと信じて礼拝していたのだと分かった。だから、アボリジニたちは観光客に、この聖なる岩に登って欲しくないのだ。ただの物見遊山の人々がたくさんやって来て、アボリジニたちの聖地である岩に染み込んでいる聖なる想念の波動を汚しているだけではなく、この岩を護っている聖霊たちをも侮辱しているように思えるのだろう。アボリジニにとってウルルは、寺院に安置してある神像と同じなのだ。
ヨシオは、深く息を吸って、ゆっくりとガヤトリを何度も唱えた。ウルルがガヤトリの聖なるマントラのパワーと一体になり、岩全体の波動が細かくなってどんどん浄化され、それと同時に岩の周囲の波動が変化して来ているように感じた。
聖なる岩が喜んでいる。グレートスピリッツが喜んでいる。ガヤトリで聖浄化されて喜んでいると、ヨシオは独り言を言った。

ガヤトリはやっぱりすごい。すごいパワーだと思った。この、大陸の中心にあり、世界のへそと言われているウルル。何万年も神として拝まれ、アボリジニの人々が畏敬の念を持って礼拝して来た岩、ウルル。この大陸に住む全ての人や生き物を守り、育んで来た世界最大で最古の聖なる岩が、今、宇宙で最強のマントラと出会って結び付き、二つの波動が一体となったのだった。
ウルルは、リンガムなのかもしれないとヨシオは思った。最新の調査によると、ウルルの地上に出ている部分はほんの一部分で、地面の下に隠れている岩の大きさは、大きすぎて果たしてどれぐらいなのか分からないとのことだった。

実は、この私たちが住んでいる宇宙自体がリンガムの形をしていて、創造主ブラフマンが創造した世界を形成する物質はホワイトホールから噴出し、やがて気が遠くなるような時を経て、また全てがブラックホールに吸い込まれて、元のブラフマンに帰する。
地球自体もリンガムで、地球のコアから出て来た磁力線が、北極から出て南極に向かって走り、また地球の内部に戻って行く。そして、ウルル。この巨大な一枚岩は、全体の姿を見せることなく、且つ全体の形を容易に想像出来る姿をしている。その岩が発するポジティブな波動は、何万年もの間、この大陸に住むものを霊的に導いて来た。その壁面の様々な岩のくびれや洞窟、岩の表面を水が流れて出来た紋様の一つひとつに、アボリジニたちのドリーミングタイムのストーリーがぎっしりと詰まっているのだ。大昔からアボリジニたちは、自分の子供達に、その一つひとつの紋様などを指差しながら、その英知溢れるストーリーを話して聞かせ、自然を神として敬い、尊敬し、そこから学ぶことを教えて来たのだ。

霊的なレベルに関して言えば、実は人間より自然の方が一段上の方に位置しているのだ。それゆえ、もし自然を尊敬せず、今人間がしているように、母なる自然から収奪しまくり、汚し、辱め、その警告を無視し続けていると、いつか大きなしっぺ返しが帰って来るのだ。
その時には地球の何処に人が隠れようと、全ての人類が自らの母なる地球を辱めているカルマを返すために、苦しまねばならないのだ。これは人類全体の連帯責任なのだ。そして、そのカルマを支払う時期が、もうすぐそこまで迫って来ているのだ。

ヨシオが、ガヤトリマントラを唱え終わると、大きな満月が地平線から登って来た。グルが、聖者たちが、そして、この偉大な霊的な岩を守って来たデーヴァ達が自分たちを見守って下さっていると感じた。
そうだ。今月はグルプニマ、グルの日がある月なのだと思い出しグルマントラも満月に向かって唱え始めた。
周囲が暗くなる前に岩から下り、しばらく離れたところから大きな岩を眺めた。
夕陽に照らされて岩肌の色が白っぽい色から、真っ赤に焼ける色に変化し、そして最後は月明かりで漆黒の闇に浮き上がる岩の表面の色の変化していくスペクタクルショーを固唾を飲んで見ていた。すると突然、ヨシオの脳裏にウルルが青い水の上に浮かんでいるビジョンが見えた。その巨大な岩全体を水に映し出しながら、波一つない鏡のような真っ青な水の上に浮かんでいるのだ。
その青い水に逆さまに映し出されている岩の映像と、岩がくっ付いて、それは横向きに置かれている巨大な丸いリンガムのように見えた。
ウルルはやはりリンガムだったんだ。とヨシオは思った。やがて、周りの空の色がだんだんと暗くなって来て、星々が空一面に現れ始めた。
ババが物質化された未来の地図によると、この辺り一帯は浅い内海になるのだ。

ヨシオたち家族が、ウルルで礼拝を捧げる旅に行っている間、ヨシオを訪ねて、台湾から天道教の道士が十人ほどの弟子達を連れてやって来た。ヨシオたちが留守なので、近くの天道教の信者の家に投宿して、ヨシオたちの帰りを待っていた。その時、道士は、ヨシオたちは今オーストラリアにある神聖な場所で、大事な使命を帯びて行っているところだと弟子達に述べていた。

一日二回ガヤトリを唱えるならば、その日のうちに無意識に犯した罪や、払い終えてないカルマを燃やし尽くすことが出来る。
~毎日これを行えば、他のどんなマントラを唱える必要もない。
あなたは自分の人生を神聖化することができる。
ガヤトリは万能で、あなたを災害から守るだけではなく、あなたを賢くし、学ばせ、成功に導くのだ。P,177 ANDI
決してガーヤトリー マントラをやめてはなりません。
他のマントラは、やめても、無視してもかまいませんが、ガーヤトリー マントラは少なくとも一日数回唱えるべきです。
ガーヤトリー マントラは、あなたがどこにいても、旅行しているときも、家で働いているときも、あなたを危害から守ってくれます。
西洋人はガーヤトリー マントラによって生み出されるバイブレーションを調査して、ガーヤトリー マントラがヴェーダで規定されている通りの正しいアクセントで唱えられると周囲が目に見えて光に満ちあふれてくることを発見しました。

ガーヤトリーマントラは、あらゆる力と能力を授けてもらうための神への祈りなのです。~ガーヤトリーマントラが唱えられると、さまざまな力がその人の内側から浮上してきます。ですから、ガーヤトリーマントラを不用意に扱うべきではありません。23/8/95


家に戻り、東洋子を知っている多くの人たちと、東洋子が記憶を失う前に、さようならという挨拶をすれば良いかもしれないと思い、東洋子が日本に住んでいた頃の電話帳を探し出してきた。そして毎日、一人ずつ電話をした。最初に、ヨシオはどうして突然電話でお邪魔しなければいけないのかを説明して詫び、そして東洋子に電話を替わった。
昔の友人や知り合いの人たちは、東洋子の久しぶりの声を聞いてとても喜んでくれた。東洋子も健常者と変わらないほど流暢に話していた。時々、同じ事を何度も繰り返して話すと、ヨシオは電話を切る前に相手の人にお詫びの言葉をかけたが、相手の方は全然気付いていないようだった。
東洋子はまだその時、相槌を打ったり、笑ったり、そして哀れみの言葉をかけたりすることが出来たのだった。でも、それもほんのしばらくの間だけだった。
サヨナラ電話の後、東洋子は急激に病状が悪化して行った。毎日の散歩もままならなかった。身体がくの字に曲がり、真っ直ぐに歩けなくなってしまったからだ。

ヨシオの生活は、完全に介護一色になってしまっていた。しかし、嫁と二人三脚で頑張った。
そんな介護で慌ただしい毎日を過ごしているうちに、いつの間にか十年の月日が流れた。ヨシオも還暦を迎えた。あれ以来、飛行機に乗る時間も余裕もなかった。時折エンジンの調子を見るために格納庫へ行くぐらいだった。
そんな時も,ヨシオは東洋子を連れて行かなければならなかった。東洋子はもう世潮の生活の一部になってしまったのだ。

毎年、冬が近づいて来ると、ヨシオは母を連れて子供達がいるパースに住むようになっていた。農場のあるところは内陸で東洋子には寒すぎたのだ。
そんな時、インドから送られてくる月刊誌サナザナサラチを読んでいると、サイババさんも病院に入院することになったという記事が載っていた。

ヨシオは、ババは96才までこの世で肉体をとって使命を果たされると聞いていたので、そのうちに回復されて退院されるだろうと思っていたが、ある日ニュースでババが逝去されたことを報じているのを知った。すぐさまインドのニュースチャンネルを見ると、サイババ崩御のニュース一色だった。ヨシオはすぐさま、これはスワミ一流のリーラ(神の神聖遊戯)だと思った。

一度死なれて生き返り、世界をあっと驚かせ、神の化身の神聖な力を近い将来、見せようとされていると思った。というのも、肉体を持っておられる間に、人類に対して約束された事が、まだ成就していないからだ。だから、ヨシオはババは必ずもう一度サティアサイババの御姿で復活されると分かったのだ。
でも、問題はいつそれが起こるかだ。いろんな情報が飛びかった。ある本には、またババが生き返るという記事がある、と聞いたので読んでみると、どこを探してもそんな記事はなかった。いろんな人がいろんな事を言っていた。

一番驚いたのが、サイの組織の公式見解だった。ババは96才で亡くなると言っておられたが、太陰暦では今年は96才なので、ババの予言は成就した。というものだった。
ヨシオはお腹を抱えて笑った。そして、帰依者の人たちの気持ちは分かるが、これはこじつけだと思った。知り合いのサイの組織のリーダーたちに、その見解は間違っていると手紙を送ったが返事は無かった。
ババのテストだ。一人ひとりに問われている。これでババから離れていく人は、帰依者ではないってことだろう。籾殻が風に吹き飛ばされるように、彼らは、「あゝ、今まで神さんだと思って信奉して来たのに、大きな誤りだった。ただのアフログルだった。」なんて言うんだろうと思った。
そしてたくさんの帰依者たちがサイババさんの元を離れるだろうと予想出来た。

また、この後、雨後の筍のようにサイババだと名乗ってデタラメなメッセージを伝える輩が恥ずかしげもなく出て来るだろうという事も容易に想像出来た。

例えば、肉体のババがこの世を去られましたが、私はババから生前いろんなメッセージをもらっています。これからは、私の言うことがババのメッセージです。とか、ババの霊体が私の体を乗っ取り、私の口を通じてメッセージを送っています。とか
ババが瞑想中にこういうメッセージを、私を通じて皆さんに下さいました。とか、
私が瞑想時に得たババからのメッセージによるとババは85才で肉体を脱ぎすてられましたが、元のコスミックフォームに戻って96才まで仕事を続けられると言っておられます。とか厚顔無恥な連中が多分お金を集める為に出て来るだろうと思った。
そう言う連中に騙されてくっついて行く帰依者はレベルが低く、サイババさんの教えを何一つ分かっていない、サイババさんの帰依者というのは名ばかりで無知で覆われた人なのだ。
そういう人達がサイの組織から消え去るのは、実は組織にとってとても良い事なのだ。霊的な組織は、数より質が大切なのだ。

しかしもしそのような輩が出て来たとしたら、それはサイの組織が出版しているある本にも責任があるのだ。その本はある帰依者がサイババのメッセージを受けて、「君と私へのサイのメッセージ」と呼ぶ本を出版したのだ。
個人個人がいろんなメッセージをサイババさんから受け取るが、それらはその人だけへのメッセージであって、それらのメッセージを本として出版して、「私はサイババさんからメッセージを受け取りました。サイババさんからの直々のメッセージですよ。是非みなさんもこのメッセージを受け入れて下さい。」という類の事を言い始めると、後々に大きな災いの種を残す事になるから、本のタイトルを「私が受け取ったサイのメッセージ」に変えなければいけないのではないかと進言したけれど聞いてもらえなかった。
そして、世潮が心配した通りその手の類いの者が、そのかま首を持ち上げている。
ほとんどの人たちは、将来が見えないからそれに対処するのが後手後手になり、大きな苦痛を得てしまうのだ。特にリーダーとなる人は、その能力がなければ組織を間違った方向に引き連れてしまうのだ。

遂にサイババの葬儀の日がやって来た。ヨシオはこれら自分の目の前に展開する全てのシーンは、サイババさんが仕組んだお遊びだと知っていたので、葬儀を見ても笑い飛ばして涙も出なかったけれど、ある日ホームバジャンで「プッタパルティの神様、私は来ました。」というヨシオが昔作ったバジャンを歌っている時に、ババの愛、無私の愛、無条件に全てを愛しておられるババの愛、自分にこれだけ愛を注いでくださっておられるババの無限の愛を思い出して声をあげて泣いてしまった。と言うのもサイババさんは、自分の体から離れる前に、出来るだけたくさんの帰依者たちの病いを身代わりになって自らの命を犠牲にされてから、肉体を離れられたと言う事が直感力で認識出来、ババの底知れぬ深い愛に一瞬触れてしまったからなのだ。皆はヨシオが大きな声で泣くのを初めて見たので、驚いて全員もらい泣きしていた。


ヨシオは、ババからの別離が寂しくて悲しいわけではなかった。もしそうなら、毎年ババに会いに行っているはずだ。
一度、心の中のババを見つけたら、インドにおられるババに会いに行くために、遠い距離を旅しなくてもいいのだ。胸の内、ほんの数センチのところにババはいつもおられるのだ。
実は、ババが肉体を離れられた大きな理由があるのだ。それは、これからババが自らの予言通り、人類史上最大の奇跡を執り行われるから、その準備をされているのだ。過去にこういうババについての不思議なエピソードがある。
それはまだババが二十五才の頃、重い病にかかられてバンガロールの帰依者の家で一年間近く静養されていたことがある。

その年の十一月二十三日には新しいマンディールが完成し、その後たくさんの帰依者が訪れることになっていた。そのたくさんやって来るであろう帰依者のために使う霊力を、その当時のババの肉体の中に取り込めるように、静養しながら調整されていたのだった。
あまり帰依者がいなかった頃は、例えば憑依された人が来ると、ババは全身に汗をかきながら、憑依された人の髪の毛を掴んで振り回したり、怒鳴ったり、殴ったりして、憑依霊を追い出されたが、帰依者が増えるに連れてババの霊力が増し、アシュラムにその人が近づいただけで、憑依した霊は肉体から逃げ出すのだった。静養している間に、それくらいババの霊力が増して行ったのだ。それと同じことが、今、起ころうとしているのだ。

ババがこれから人類のためにされる奇跡は、肉体を取られたババの霊体では持ちこたえられない程の巨大な霊力がいるのだ。それで肉体を脱ぎ捨て、霊力の制限のない霊体となって、山脈を持ち上げたり、何千もの身体を同時に世界中で出現させたり、大空を歩いて渡られる奇跡を世界中で同時に行われたりされると宣言されている。

それはとても人智では理解出来ないくらいの大きな奇跡なのだ。
だからそういう意味で、ババは霊体となって、あるいは宇宙的な姿で仕事をされるという指摘は正しい。でも、その事とババが肉体を再びまとう事とは関係ないのだ。
霊体の波動は物質である肉体よりも細かい。だから、霊体の波動を少し荒くしただけで、物質化が出来る。それが、人間たちが奇跡と呼んでいる神の御技なのだ。ババは、物質化は私にとって自然なもので、特別でも何でもありません。と言っておられるが、それは波動が一番細かい、いや波動以前の、波動をもたらしている神聖な光そのものである神様にとっては当たり前なのだ。

ババが、霊体を調整するために帰依者の家で静養されている時に、本当はもう死にたいと言われたことがある。また、肉体をとって生きて仕事をする事は、とても面倒くさい事だ。と言われたこともある。
神様であるババは、如何にこの肉体が神の御技を執り行う上で制限になっているか、邪魔になっているかよくご存知なのだ。
だから、面倒くさいと言われたのだ。
人の体には、肉体の他に、微細体、原因体 がある。
それぞれの各自の肉体の中に、限られた霊力を持っている微細体と呼ばれる霊体がある。人は限られた霊力しか持っていないのに、それ以上の霊力を使うと、肉体は生気を失って病いに倒れるのだ。
微細体も肉体も実は人が摂る食物から栄養を得ているのだ。肉体は食物の持つ荒い霊的波動から、微細体はより細かい霊的な波動から栄養を得るのだ。
だから人が肉体を脱ぎ去り霊体になると、その微細体にまだ多くの霊力を持っている魂は、自分の霊力を使って遺族や友人に前に幽霊のように姿を表す事ができるのだ。しかもより強い霊力を持っていると、その姿を物質の波動のレベルに落とし、人の体に触れることも容易い事なのだ。
いわゆるポルターガイストのように物も動かすこちが出来る。
しかし、普通、その微細体を維持できる期間はその人が生前蓄えた霊力によって長さが違うが、一般的に四十九日が限度と言われている。
神の化身のように霊力を無限に持っていると、微細体から、肉体のレベルに波動を落とし、人々の間を歩き回るのはいとも簡単な事なので、先程言ったような霊媒を使う必要は無いのだ。
だから、自分にはサイババの微細体が乗り移ってメッセージを送っているという輩がいたら、それは完全なペテン師か精神に異常を来している人なのだ。
普通霊媒体質の人は、何らかの読心術や遠くに物が見えたりするサイキックなパワーを持っているので、そういう人がサイババの微細体が自分に乗り移ったとうそぶいて、人々を騙すのはいとも簡単なことだろう。

ババは神様で無限の霊力を持っておられるが、一度人間の体に入った以上、肉体が持つ制限を自分に課すと言われたことがある。
ババは今、肉体の制限から解き放たれ、自由に無限の霊力を自在に使って今までと同じように、仕事を続けられている。だからと言って、96才までしか微細体を使って仕事をして、その後はしない。と言ってはおられない。96才以降も、とっくの昔に肉体を脱ぎ捨てたラーマ、クリシュナ、イエスや仏陀、シルディババが信者の求めに応じて姿を顕しておられるように、帰依者の前に現れられるだろう。

それとも、サッチャサイババは、プレマサイが来られたらもう、役割が終わりで、霊体でも仕事をされないとでも言うのであろうか。絶対そんな事はない。千年経っても、サッチャサイババのダルシャンを得たいと泣いてる帰依者の前にババは現れるのだ。
来るべき、史上最大の神の奇跡を行われる前に、ババはその使える霊力に制限がある肉体を脱ぎ捨て、人類のための一大神聖劇の公演を、今、舞台裏で準備をされているのだ。
今、自分たちがしなければならないことは、これまで通りババの御教え通り生き、その日を辛抱強く待つことだ。
今の世界を見回しても。誰が神を求めて泣いているだろうか?神を求めて泣くような、そういう事が起こらない限りは、人々は神の方に顔を向けないのだ。神様どうか助けて下さいと心から願わないといけないのだ。自分に災害や不幸が襲ってきて初めて人は頭を打って目覚めるのだ。

ヨシオはそう信じていた。だから、ババが出て来られるまでに、必ずゴタゴタがある。世界中が暗闇に包まれる時が来るのだ。そう信じて、ヨシオは毛布やテントなどを買って用意しているのだ。
その時に、人々が味わう苦しみを少しでも軽減したいという一心で、全財産を投げ打ってこのような仕事をしているのだ。人々から気狂いと呼ばれ、金の無駄遣いとか、ババの教えを分かっていないとか、過去二十五年間も様々な人々から批判され続けて来ているのだ。
それが、もうすぐ終わろうとしている。長いようで短かかった二十五年間だった。

もうすぐ、全世界はババの色で一色になるだろう。世界中がババを呼び求める声で満たされるだろう。歓喜の涙が、全ての人の頬を流れ落ちるだろう。
ヴェーダが世界中で唱えられ、人々がお互いに兄弟と呼び合う時代がやってくるだろう。全ての人が神を愛し、求め、その教えを学び、それに従って生きて行けばゴールデンエイジがやって来るのだ。
その産みの苦しみを、人類全体で共有しなければならないだろう。そして、すでに英知を持った一部の神に近い人々によって、ババの教え通り、世界中の人々が神の方へ導かれて行くのだ。
ヨシオはこう信じて、今まで生きてきたのだ。そして、ゴールデンエイジが実現した暁には、ヨシオは生まれる前の神との約束を果たしてもらいに、ババの元へ旅立つのだ。
ただ、彼の元に帰りたい、彼の御足にたどり着きたい…。それだけが、その事だけが、ヨシオがこの世にやって来た、ただ一つの目的だった。


時は早く過ぎ去り、人の寿命は氷の塊が溶ける様に、刻々と無くなっていっていることに気付くべきである。
人は自らの人生に幕を下ろすときでさえも、未だ自分がやらねばならなかった基本的なことでさえ見つけられていません。
何が義務なのでしょうか?
それは、人生の目標を見いだすことです。
人は、富、快適さ、地位、幸せ、を探し求めています。
それらは、結局のところ何だというのでしょうか?
人がそれらの世俗的な幸せのみを求めることによって、神からの祝福を得られなくなっているのです。それらの、一時的なはかない物質的な喜びが、いったい何だというのでしょうか?SS8/95p199
皆さんの頭の中は、世間のどうでも良いような話題でいっぱいになっています。
まずそれを空にして下さい。
そうしてはじめて、神聖な気持ち、神聖な思いで満たされるようになります。
沢山の人が目的の無い道を歩み、無意味な人生を歩んでいます。
泣きながら生まれてきて、泣きながら死んでいくのです。
その間どうでも良いようなことで泣いたりわめいたりしています。
皆さんはダルマの衰えを目にして涙を流すでしょうか。
ダルマが衰えた時こそが、泣くに値するときです。
力の限りを尽くしてダルマの衰えを改め、ダルマの衰えによって傷ついた部分を癒やしてあげなさい。SGc13
すべての人が、またすべての生き物が、平安と幸福を得ようと努めます。
誰もが人生の目的を知ろうとしています。
しかし、人々はその努力に成功することができないでいます。
強い決意をもって、目標に到達するまであきらめない人は、百万人に一人です。
限りある命をもつ普通の人は、それが自分の手に届かないものだと考えて、全くこの方面の努力をしません。
彼らは、物質的なその場限りの快楽を追及することに一生を費やします。
彼らは、衣・食・住こそが人生の三大目的であると勘違いしています。
その人生は、妻子を中心としたものになっています。
彼らは、人生にはこれよりも高い目的があるということに気がつきません。23/11/02

今日、人間は人生の目標を探求しません。
人生の目標を知ろうと努める代わりに、人間は自分の世俗的生命を心配しています。
動物や昆虫でさえ、自分たちの世俗的生存に関心をもっています。
生命の秘密を知ることは大事なことではありません。
人は、人生の目的を知らなければなりません。
それはとても大事なことです。
私たちの人生の目標は、アートマの原理に象徴された真理に他なりません。
人生の目標を探求する代わりに、人間は生命の秘密を知ろうとしています。
それは不毛な努力です。
これを知るためには、何度生まれ変わっても十分ではありません。
あなたの心を人生の目標に定めなさい。
生命については心配する必要はありません。1/3/03A
人は、はかない物事の追求に深く捕らわれて人生を過ごします。
人は、人生の各成長段階に特有の無益な思考に心を奪われます。
そして人生の最後に、自分は貴重な人としての生を、実にくだらないことを追い求めることで浪費してしまったと気づくのです。
これが人間の本性なのでしょうか?
人間が人生で学ぶべきことはこれなのでしょうか?
これらの活動は、水の泡のような束の間のものです。
それが人に永続する幸せをもたらすことはできません。
そうした取るに足りないことを追い求めることで自らの時間を費やすことは、愚行にほかなりません。7/10/05



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