サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

認知症も癒すヴェーダの力①

2019-03-28 04:00:59 | 日記

福山加代子は、五島列島の富江出身で、その昔、隠れキリスタンの島で有名な同じ五島の中通島から迫害を受け、逃げて来た家族で育った。
五島列島の教会


縁があって、高橋興蔵という仙台出身の、当時、日本の植民地だった青島で大きな会社を経営しているビジネスマンと一緒になり、東洋子という娘を生んだ。

興蔵は戦後間もなくして亡くなり、東洋子は、母一人娘一人の家庭で育った。
加代子は、夜中になると起き出して一晩中、墨と筆で壁一面に何やら書いていた。
そして、朝起きても、その事を全く覚えておらず、逆に自分と全く違う書体と文体、しかも内容も自分が全く預かり知らぬ、霊の世界の事なので誰かが夜中に入ってきてイタズラでもしていると思っていた。
東洋子は、その母の奇妙な振る舞いに恐れおののき、人からそれはお筆書きといって、誰かの霊が乗り移っていると教えられたので、何度も一人でお百度参りをするうちに母、加代子の奇行は見られなくなった。

加代子が亡くなったのは、東洋子がまだ18歳の時だった。その後東洋子は結婚して二人の子を授かったが、そのあとすぐに今度は夫が病で世を去った。
東洋子は、若干二十三歳だった。
その後、三歳と生後四ヶ月のふたりの幼い子を女手一つで育て上げて結婚させ、孫ができた頃にサイの帰依者となった。
サイババさんに、初めて会いに行った時、エコノミーチケットを買ったのに行きも帰りもファーストクラスの席に案内された。
アシュラムで他の信者から、サイババさんが東洋子の事を、前世でシルディのババに食事を世話した事がある、と言われた、ということを聞いた。

スワミ(サイババ)は、東洋子をインタビューに呼んだ時、満面の笑顔で「How are you?」と言って話しかけられた。
インタビュールームでスワミが目の前で話しておられるのを聞いていると、自分の今日までの苦労してきた人生のいろんな場面が、走馬灯のように、クルクルと目の前に現れては消えた。
そしてその自分では苦労の連続だと思っていた人生の後ろには、実はいつもサイババさんが見守っておられたんだ。という事を知った。
インドから戻り、毎日瞑想を始めると、人の頭の周りに色が浮かんで見えるようになった。

昔から直感力が強くて、息子や嫁とコインランドリーのチェーンを経営していたが、ある日、一人の客を見ると直ぐに、その人が凶悪人だと分かり警察に通報したことがある。
警察も、大変驚いていた。指名手配にされたばかりで、ポスターも出来ていなかった。
多分その頃から、少しオーラが見え始めていたのかもしれない。
その色によって、良い人か、悪人か、嘘をついているか、本当のこと言っているのかも分かる。
勿論、その人の性質などは、手に取るように分かる。
「ほとんどの人は、赤やね。」
「欲望が強すぎる。」と言っていた。
自分のこの能力は、家人にも話さないようにしていた。
しかし、朝に挨拶に来た息子や孫に、その日に起こるであろう出来事や、将来のことをアドバイスすることもあった。
67歳で、認知症アルツハイマー病と診断された。
最初は、徐々に進行していたが、だんだん進行が早くなって行った。
もう、人の顔を見分けることもできなくなり、身の回りの事も自分で出来なくなっていった。
トイレの場所も分からなくなり、家中、張り紙だらけになった。
また、キッチンでは、ガスや電気の付けっ放し、水道の出しっ放しなど、日常生活にも大きな影響が出て来た。
そんな頃、サイババさんが東洋子の部屋に現れ始めた。

私達には、見えないが東洋子には見えるらしい。
部屋で大きな声で、サイババさんと思われる人とよく話すようになった。
大声で笑っていた。楽しそうだった。
また、夜中に一人で廊下を独り言を言いながら歩いているので、何を言っているのかと、聞き耳を立てていると、ナント、私たちには見えないが、サイババさんに手を引かれてトイレに連れて行ってもらっているところだった。
しかし、時々、突然不機嫌になって理由もなく孫の顔をぶったり、悪態をついて嫁を泣かせたりしていた。
嵐が吹きすさぶ中、夜中にこそーっと忍び足で家を抜け出して、捜索願を出して警察にお世話になったのもこの頃であった。
まだ夜も明けやらぬ午前四時に大雨の中、道路の真ん中に崩れ落ちて濡れたボロ布のようにうずくまっていたのを、それをもう少しで間違ってはねようとした軽トラックの運転手に保護されたのだ。
家人が警察と一緒に自宅から2キロメートルも離れたところの家の居間で、暖炉の前でお茶をすすりながら座っている東洋子に駆けつけた時には、太陽が昇り始めていた。
東洋子は、毛布に包まりながら「この人たち面白いよ。私の事を、そー君って呼ぶんや。」と言った。
その家の人たちは東洋子を見てずぶ濡れだと言ったのだった。(Soaking wet)
東洋子は娘にプレゼントをあげるつもりだったらしく手に花をしっかり握りしめていた。

普段の生活はほとんど自分で何も出来なくなってしまってきたけれど、頭がしっかりしている時、東洋子は息子を枕元へ呼び、
「私は少し気狂いになっているんだ、と自分で思っています。」
「もしあなたと、嫁さんが私の世話をしきれない時が来れば、躊躇せず私を老人ホームに入れてください。」と言った。
確かに、もう限界だった。
夜中に、テスト勉強中の孫の部屋に入って悪態をついたり、食べ物や汚物を投げまくったりして、孫たちは、家中を走って逃げまくる時もあった。
もう、どうしても家では介護し切れないので、近くにあるまるでリゾートホテルのような、人口の滝まである、素晴らしい老人ホームがあるのでそこに入ってもらうことになった。

いよいよ入居の日、世潮は良心の呵責に苦しんでいた。
毎月の費用は、年金でまかなえるという。
保証金も退出時9割返還だという。
好い事だらけのように思えた。
マネージャーはニコニコして、「これであなたは介護の束縛から、自由になれますね。ご苦労さんでした。」と言った。
東洋子の以前通っていた陶芸教室の日本人の先生も、ここで働いているので言葉の心配はなさそうだ。
でも朝は、シャワーだという。
東洋子は、お風呂で無いとダメだ。
それに、乱暴になるとすぐに薬を処方するらしい。
「徘徊を始めても、廊下が口状になっているので、くるくると回れるだけで、どこにも行けないのです。」とマネージャーは誇らしげに言った。

「あなたのお母さんぐらい症状が進んでいると、すぐに寝たきりになっておとなしくなり、手がかからなくなりますよ。」
施設は立派だが、入居者の人格を尊重していないように思えた。
その朝、サイババさんが夢に出て来られた。

「東洋子の幸せだけを考えなさい。自分の事は、一番最後に。そうすれば答えは、自ずから出ます。」
そうだ。東洋子にとって家族と一緒に、孫たちと一緒に生活するのが一番なのだ。
家族に大きな迷惑をかけているが、みんなを説得してみよう。
それに、母の面倒を見るのは自分のダルマだ。
それを捨てる訳にはいかない。
と考え、老人ホームへ向かっていた車をUターンさせた。
そして、家族にみんなに迷惑をかけているけれど、何とかして、一緒に生活してあげて欲しい。
もしそれが叶わないのだったら、ここのすぐ近くに別居して、私一人で介護するから、いつでもおばあちゃんに、会いに来て欲しいと告げた。
みんなは、家族全員でやっぱり、おばあちゃんを見ると言ってくれた。
家族会議の翌日、サイババさんの御講話が載っている雑誌がインドから届いた。
サイババさんはご講話で、自分の母親を老人ホームに入れずに面倒みなさい。と書いてあった。

その後、地獄のような日々が続いたが、孫二人が大学生だったのにも関わらず、介護士の資格を取ってくれていた。
「今まで、お父さん、お母さんだけに頼っていたおばあちゃんの介護を、僕たちプロがするから問題ないよ。」
と言ってくれた。優しい子達だ。
車椅子生活になったのは76歳の時で、自分の事は、何一つ出来なくなっていた。
廃人の一歩手前だった。
身体も、くの字型に曲がり、食欲もなく、二十八kgまで体重も落ち、一日中寝てばかりで、お迎えはもう時間の問題だった。
もう発病して、九年目を迎えようとしていた。
ちょうどその頃、サイババさんが「ルッドラムを唱えなさい。」

と、ご講話でおっしゃったので、毎日、朝夕二回唱え始めた。
世潮は、うたた寝している時に、嫁が一人でルッドラムを詠唱しているのを聞いたことがある。
自分の身体の細胞の中の原子が突然激しく振動を始めた。
これが、シヴァダンスと表現されているパワーだと知った。
その結果、細胞一つひとつが活発化し始めて来て、血が沸騰しているようだった。
その後、そのパワーは、家全体を揺すり始め、遂に天井を突き破って天空を舞い上がり、世界中に拡散して行った。
凄いパワーだと思った。嫁が、ただ一人で詠唱しただけで、こんなにもすごい。
それ以来、家族全員で、詠唱することにした。東洋子は、おとなしく横に座って聞いていた。
時には調子に合わせて、手拍子もすることもあった。
東洋子の体重が目に見えて増え始めたのは、この頃だった。
そして、ほとんど話せなかったのに、少しずつ言葉が口から出てきた。
そうするうちに、歩き始め、食事も自分で出来るようになった。
もう、明らかだった。ヴェーダのお陰だ。と、家族の誰もが感じていた。

ヴェーダの詠唱を聞くだけでも、心を清めることが出来るのです。18/10/93
マントラから発する宇宙エネルギーは供儀の火壇の火から立ち上る炎と共に上昇し、全世界に広がり大気を清めます。
19/10/92