サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

大山康晴十段との対局

2017-01-08 23:00:35 | 日記
物質、生命力そして良心を一つと見なしなさい。
常に真実を告げる良心の声に注意していなさい。
良心の声に従えばあなたは決して誤った道へ迷い込むことはありません。SS21/1/93

ヨシオ:俺の学生時代の友人から年賀状が来て、「自分もそろそろ七十才ですが『心の欲するところに従がえども矩(のり)を 踰(こ)えず』って難しいですね。」と書いて来たんや。それって何の意味なんかな?

ポニョ:心はのり巻きをもっと食べたいけれど、我慢しなさいという意味やぜよ。

ヨシオ:のりの字が違うやろ。その友達は俺より年上であと二、三年で七十才になるんやけれど、今、大学の学長をやっているんや。だから俺より遥かに教養があって囲碁の達人なんや。学生時代に何度か一緒に囲碁をやったけれど、ハンディキャップをもらっても一回も勝てなかったな。俺は短気やから囲碁とか将棋に向いていないんや。

ポニョ:ふーんあんたにそんな友達がいたんか?囲碁の名人とあんたとイメージが全然合わないぜよ。あんたは負けそうになったらすぐに茶ぶ台返しをしそうやもんな。

ヨシオ:でもあの林海峰は俺の遠い親戚なんやで。家の壁一面にいろんな囲碁の手が書いた紙が貼ってあってそれを見つめながら生活するんやて。それにこう見えても、昔、中国を一人で旅してた頃、中国将棋を教えてもらってよく指していたんやで。日本に帰ってからも日本の将棋の第一人者である大山康晴十段が会長をされている中国将棋普及協会から中国将棋のトーナメントがあるから遊びに来いなんて言われたから行って、大山康晴十段と手合わせしたことがあるんやで。その時に大山十段が最初の一手を指された後、俺は長考に入り、しばらくしてから「手がありません。投了です。」と言ったら「色々あるやないの」と言って大笑いされたな。

ポニョ:またあんたの得意の冗談や。ほんまに人を煙に巻いてばっかりの人生やぜよ。大山康晴と言えば泣く子も黙る五冠を達成した日本を代表する棋士やぜよ。その方を煙に巻くなんてあんたらしいな。おいらは大山康晴十段より浪速の騎士、王将で有名な升田幸三の方が好きやな。通天閣の地下にある将棋センターでいつも打っていたんやで。牟田はんは大阪の誇りやぜよ。さっきの話に戻るけれど、そのあんたの友達が年賀状に書いて来た言葉は有名やぜよ。それは孔子の言葉で、七十才になれば、心の思うままに振る舞っても過ちを犯すことの少ない人生を歩めるようになりましょうっていう意味やぜよ。

ヨシオ:なんや知ってたんか?さすが歩く雑学辞典やなポニョは。それじゃ孔子はポニョのような六十才の人の事をなんて言ってるんや。

ポニョ:六十才になれば、耳順(みみしたが)う境地にならなければいけないんや。この意味は、普通、人は年取ると頑固になって他の人の意見を聞かなくなるけれど、そうではなく、誰の意見でも耳を傾けて謙虚に学び、素直にならないといけないという意味やぜよ。

ヨシオ:そうなんや。孔子がこういう事を言ってたんやな。

ポニョ:孔子はとても霊的に目覚めた人で、自分の心の中の声を聞くことが出来たんや。人は誰でも過ちを犯すけれど、孔子は人生で過ちを犯さない為にはどうすれば良いのかを探求していて、五十才にして自分の心の中から聞こえて来るメッセージに従えば決して過ちを犯さないって気付いたんや。

ヨシオ:心の中のメッセージって良心の囁きの事やないか。

ポニョ:その通り。それで孔子はその良心の囁きを聞いて自分の役割、天命を認識し、世にいろんな教えを説く事を自分の使命だと知って諸国行脚を始めたんや。でも良心の囁きっていわゆる直感力の事やろ?人って心から直感力以外にいろんな想いっていうか想念が湧いて来るから、どれが直感力でどれが想念かよく分からないぜよ。

ヨシオ:確かにそういう事はあるよな。人の一日には三つの時間があるんや。朝起きるとスカッとするやろ。リフレッシュして。その早朝の時間帯は浄性の時間帯なんや。それは約四時間続き早朝三時から七時までなんや。その後、激性の時間帯が始まって人は学校に行ったり会社に行ったり、忙しく家事を始めたり買い物をしたりするやろ。その後夕方には人々はいろんな欲望を昼間の激性の時間帯に満たした後、満足するから再び浄性の時間がやって来て、その時間帯にその日一日の総括をして、神さんにその日の行為を捧げたり、もしその日に誤って人を傷付けたら、そういう間違いをもう二度としない様に誓ったり、自分の内面に入って真の自分と会話出来る時間なんや。でも早朝の浄性の時間帯より激性の要素が入り込んでいるんや。というのも自分の霊体にその日にあったいろんな事を刻み込んでしまっているから。特に人と会ったり触れたりしたら、その人の霊体に大きく影響されるんや。この時間帯に早朝の浄性の時間帯と同じぐらい浄性になれる人は、全ての行為を神さんに捧げれる人だけなんや。その浄性の時間帯が過ぎた後、人は夕食を食べるとだんだん眠くなって来て鈍性の時間帯が始まるんや。それで人は寝床に就くけれど、その鈍性の時間帯に寝ないで夜中近くまで映画やテレビを見たり、ネットをしたりして起きていると、またその後激性の時間帯がやって来るので、その激性の時間帯が来るまでに寝ないと心がアクティブになって眠れなくなるんや。

ポニョ:それって夜の十二時になると魔法が解けて普通の少女になってしまう物語みたいやぜよ。魔法が解けるまでに舞踏会から逃げ出して馬車に乗らないといけないんやけれど、時間が来ると馬車がかぼちゃに変わったりしてしまうんや。でも逃げ出す途中でハイヒールの靴が片一方脱げてしまって、その片一方の靴を頼りにその少女を捜していた王子様は遂に少女を見つけるんや。

ヨシオ:白雪姫の物語か?

ポニョ:違います。シンデレラでした。

ヨシオ:ああそれなら知っている。森で寝ているところを王子さんが来てキスをしてくれて目を覚ますんや。

ポニョ:違う。それは眠れぬ森の美女や。シンデレラは意地悪な姉二人にいじめられるお話でした。あんたは何にも知らんな。

ヨシオ:アニメの事はどっちでもええやないか。俺が言いたかったのは、その浄性の時間帯に日常生活や人生の方向性を決める大事な決定をすれば、間違った判断をしにくくなるんや。逆に激性の時間帯や、鈍性の時間帯に自分の運命に関わる大事な判断を下してしまうと、それは往々にして誤った判断になって後で後悔してしまうんや。だから俺は寝る前とかの鈍性や激性の時間帯に頭に浮かんで来た想念は絶対に信用しない様にしてるんや。

ポニョ:ふーん。そうなんや。それって面白いよな。同じ自分の頭から出て来た思いが時間帯によって信じられるものであったりそうで無かったりするって。

ヨシオ:人を外見から見ると肉体しか見えないけれど、霊的な目で見るとその肉体の中に霊体が見えるんや。人が早朝の浄性の時間帯になると、熟睡して真の自分であるアートマと融合してそのアートマの至福を体験して肉体に戻って来たところやから、まだ自分の霊体はそのアートマと融合した至福の体験をしっかりと覚えているんや。アートマは宇宙の全てを知り、世界の全てをコントロールしているから、その全知の知識をまだ霊体に刻んでいる早朝の時間帯にいろんな判断をすると間違いを犯しにくくなるんや。逆に昼間の激性の時間帯に肉体で体験した様々な事を霊体に刻んだまま重要な件について判断してしまうと往々にして間違った判断をしてしまうんや。もちろん鈍性の時間帯に何か重要な判断をするなんてもっての外や。だから大事な事を決める時は必ず早朝の浄性の時間帯にするって決めれば良いんや。

ポニョ:おいらはいつも晩飯を食ってリラックスした鈍性の時間帯に次の日にするいろんな事を決めるから間違った人生を歩んでしまったんやろか?

ヨシオ:重要な事は人は霊体や肉体に包まれてそれらの影響を受けてしまって、アートマからのメッセージを無視しまいがちになるんや。だから人生を誤るんや。人は出来るだけアートマの意思に沿った生き方をする様に心がけていかないといけないんや。聖者はそういうアートマのメッセージを常に聞く事が出来るから常に正しい人生を歩めるんや。

想念は心から生ずるのです。
その為、直感が不二一元的であるのに対して、想念は二元的です。
想念はあなたの都合によって湧き起こる場合が良くあります。
一方、直感は、心と知性の両方を超越しています。
直感は真理の直接認識です。
ですから、直感は真理に基づく確信を意味します。
つまり言葉を換えれば直感とは、人知の及ばない英知の発現ということが出来るでしょう。想念は正しいことも間違っていることもあるでしょうが、直感の促しは真理以外の何ものでもありません。
想念はほとんどの場合、感覚的で世俗的な性質を持っています。
一方、直感は内なる声、つまり良心のささやきであり、神聖なるものです。
理性により、時折あなたは人を疑ったり人に怒ったりすることもあるかもしれませんが、良心つまり直感は、あなたの内なる純粋意識を呼び起こすのです。STPSp280


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