快楽も苦痛も全ては人の思いが根源です。
~人の思いは眼に見えず微かですが全宇宙の中に潜在的に潜んでいます。
原子は小宇宙です。
~人の思いはその人の行為の基盤です。
それゆえ自分の思いを常に見張っていなさい。
人は願いが叶うと満足し、願いが成就しないと失望します。
しかし彼は、願いが成就しない時その原因を探求しようとしません。
失敗は自分に欠点があるからです。
ハートが清らかであるならば行為は良い結果を生みます。
ハートこそ努力の成否を決定する原因です。
それゆえ思いを正しく用いなさい。
人が世界に関して抱くビジョンは、彼が世界をどう見るかによって決まります。
人は自分が感じるままの人になる、といわれています。
想いが崇高であれば、結果もまた崇高です。10/5/92
ポニョ:今年はおいらのおっ母の五周忌でした。
ヨシオ:ポニョのお袋さんが亡くなられたのは、俺のお袋の二年前やったな。俺のお袋より確か二つ年上やったから、二人共亡くなられたのは同じ歳や。それって偶然やな。
ポニョ:二人共享年七十九歳やったもんな。確か、生まれた干支はサル年と戌年やったかな。
ヨシオ:でも俺のお袋はもうとっくに認知症になっていたし、亡くなる前の数年間は喋りかけても余り反応が無かったし、自分の事は自分で何も出来なかったけれど、ポニョのお袋さんは亡くなる前まで洗濯物を干したり、自分でシャワーを浴びたり、毎日散歩に行ったりして、しっかりされていたよな。精神的な病気やったから、もちろん昔のようにニコニコされてはいなかったけどな。
ポニョ:そう。昔はいつもよく笑って周りを明るくさせていたんやぜよ。とてもシンプルな性格で、働き者で贅沢は全然しなかったぜよ。いつも良い事しか思わずに人の悪口なんて言ったのを聞いた事がないぜよ。神様の事を信じていたかどうか知らないけれど、精神的な病になったので、サイババさんのお写真を持って行くと、毎朝手を合わせてお祈りをしていたな。
ヨシオ:ポニョとそっくりやないか。
ポニョ:楽しみは京都の山奥にある柚子の里に行って温泉に入る事やったんやぜよ。食事付きで当時で五千円のツアーがあったんや。電車でも行けるんや。保津峡駅から一時間程歩けば着くし、柚子の里から自治会のバスも迎えに来てくれるんや。
ヨシオ:愛宕山の裏ぐらいか?俺は愛宕山にはよく登ったけどな。そういや愛宕山の近くに水尾っていう三、四十戸ぐらいの集落があるって聞いた事があるな。そこの事か?
ポニョ:そうやぜよ。おいらもおっ母に付き合わされて初めて行ったんや。昔のままの落ち着いた集落や。清和天皇が水尾をとても気に入られて、その地に骨を埋めるって決めたぐらいなんや。そこに立派な清和天皇を祀った神社やお墓もあるぜよ。水尾天皇と呼ばれて親しまれているんやぜよ。水尾は昔から柚子の栽培で有名やけれど、秋になると秋の七草であるフジバカマが満開で、おいらがおっ母と行った時はもうミズバカマの盛りは過ぎていたけれど、それでも見応えはあったぜよ。当時はほとんど観光客もいなかったので、とても静かな環境で、店の切り盛りで毎日忙しかったおっ母が気に入るはずやなって思ったぜよ。おいらもめちゃ気に入ったんや。それでよく亀岡から保津峡をカヌーで下ったんやけれど、保津峡駅に着いたらカヌーを駅の横に置いて、水尾まで柚子風呂に入りに行ったぜよ。冷えた体が心地よく暖まり、肌もツヤツヤになって良かったな。ビタミンCがタップリと湯の中に含まれているんや。今から振り返っても、贅沢な人生やったぜよ。
ヨシオ:水尾か。俺は京都に暫く住んでいたけれど、そんな奥まで足を運んだ事はなかったな。
ポニョ:今では有名やぜよ。晩秋から柚子の収穫が始まるんや。十二月に行けばどの家の軒先にも収穫した柚子が山積みになっていて、柚子の香りがそこら中するんや。
ヨシオ:ふーん。良さそうなところやな。でも冬は寒いやろな。
ポニョ:冬は寒いもんでヤンス。寒くなかったら冬じゃないでしょう。
ヨシオ:そらそうやな。こちらは日本と反対で冬が終わり春がやって来たけれど、今年の冬は寒かったな。記録を更新したって言ってたな。最低気温が0度まで落ちたのは久しぶりやったな。南極の氷が溶けて南氷洋の海水が冷たくなっているんやて。それで空気も冷やされて寒い冬になったんや。暖炉用に用意してあった木が、毎日のように二十四時間燃やしたのでこの冬で全部無くなったんや。だから来年の冬に備えて、毎日チェーンソーで強風で倒れた木の丸太を切って、たくさん暖炉用の木を切っているんや。新しく切った木は少なくとも一年以上日に当たるところに置いて乾燥させないと、暖炉で燃やしてもよく燃えないんや。
ポニョ:あんたの農場の周りは木はたくさん生えているもんな。いろんなユーカリの木があるよな。
ヨシオ:俺の家の周りに生えている木で一番多いのは、ワンドゥという種類のユーカリの木で世界で一番硬い木なんや。水に浮かばないんやで。しかも硬すぎてシロアリも食べれないんや。ペンキも塗らずに塀やフェンスに使っても何十年もそのままで、めちゃタフな木なんや。でも乱伐し過ぎて少なくなって来てるな。条例でもう伐採してはいけない事になっているんや。そのワンドゥの枝を拾って集めて燃やすと、長い間燃えるんやで。ワンドゥで思い出したけれど、この前、嫁さんと散歩に行って、いつも歩いている裏山の見晴らしの良いところで休憩していたら、目の前のワンドゥの木が何かおかしいんや。何がおかしいか分からなかったんやけれど、普通じゃないんや。俺は近眼やからよく見えないから近寄って見ると、なんと木の根っこからてっぺんまで直径2センチくらいの丸い鉄の棒が何本も木の幹に刺さっていたんや。
ポニョ:誰がなんで事をそんなするんやろうか。
ヨシオ:それは、その鉄の棒を掴んで人が木に登れるようにしてあったんや。多分見晴らしが良いところなので昔は火の見やぐらに使っていたんやろな。俺は喜んで途中まで登ったんやけれど、下で嫁さんが危ないと大声を出しているので、途中で登るのを止めたんや。今度一人で行って登ろうかな。
ポニョ:面白そうやな。でも刺さっている鉄の棒って、いつのものか分からないし、錆てるやろ。それに人が登ってもその重さに耐えきれるのかどうか信用出来ないぜよ。どれくらい深く幹に刺さっているかも分からないし。それにそのワンドゥっていう木は結構背が高いんやろ。
ヨシオ:と言っても三十メートルぐらいかな。高さはしれているよな。以前もこのブログで紹介したけれど、もっと南に行けば、カリフォルニアにある世界一高い百十五メートルもあるセコイアの木の次に高い、カリの木という木が生えているところがあるんや。ペンバートンというところやけれど、一番高いカリの木は百メートル近くもあるんやで。メルボルンの南にはセコイアより一メートル低いだけの木も生えているんや。しかも幹が真っ直ぐな木なんや。それで昔は帆船のメインマストにその木を使っていたので、やはり乱伐されて一部の地域にしか生えていないんやけどな。そしてその木にも、鉄の棒が打ち込まれていて、上まで登れるんやで。俺も登ったけれど、上の方はちょっとした風でも結構揺れるのでスリルがあって面白かったな。強風の時に登ればもっと面白いやろな。
ポニョ:あのね…スリルがあり過ぎるっちゅうに。丸い鉄の棒だけを掴んで登っていくんやろ。手が滑ったら落ちるぜよ。そんな高い所から落ちたらイチコロやないの。それは危険が危ない。
ヨシオ:それらの木は、昔、山火事の際の火の見やぐらやったんや。昔は落ちた人もいたやろな。今では鉄棒同士を針金で結んでいるので、滑って落ちても針金に引っかかると思うで。いや、やっぱり隙間が大きいから落ちるかも。もちろん危険やけれど、それほど思ったほど危険じゃないな。
ポニョ:放射能入りの食べ物を食べるよりは安全やぜよ。
ヨシオ:でもさすがに上の方まで登ると目が眩むけどな。ビルで言えば三十階建て以上の高さと同じビルの高さやからな。てっぺんまで登るにはガッツがいるな。下から誰かが登って来たら引き返すのが難しいしな。俺の冒険好きな娘はてっぺんまで行きよったで。うわ〜揺れる揺れると大声で楽しそうに叫びながら、あっという間にてっぺんまで行きよったんや。
ポニョ:あんたの娘さんは高所恐怖症じゃないんやな。あんたも空を飛ぶのが好きやから、多分あんたの遺伝子がたっぷりと入っているんやろな。
ヨシオ:そういう面では、五人の子供の中であいつが結構俺に似てるところがあるな。昔はおてんばやったので、五人の子供の中で一番叱ったんやけれどな。俺の悪いところがあいつの中に見えたから、叱ったんやろか。
ポニョ:この世の全て反作用、反映、反響 やもんな。あんたの悪いところを、あんた
があんたの娘さんの中に見つけたから怒ったんやぜよ。それって面白いな。
あなたの思いはすべて、あなた自身の反映です。
それは 神とは何の関係もありません。
ですから、自分の考えは外界の反作用、反映、反響 にすぎないと知るべきです。
神は、反作用を超えており、反映を超えており、反響を超えています。
神は唯一なる神聖な響きを有しています。
それは真理です。神は 不変なる真理です。
しかし、それを理解する者はいません。
それは、道徳と誠実さ という正義の道を歩んで、初めて理解することができるのです。17/7/97
~人の思いは眼に見えず微かですが全宇宙の中に潜在的に潜んでいます。
原子は小宇宙です。
~人の思いはその人の行為の基盤です。
それゆえ自分の思いを常に見張っていなさい。
人は願いが叶うと満足し、願いが成就しないと失望します。
しかし彼は、願いが成就しない時その原因を探求しようとしません。
失敗は自分に欠点があるからです。
ハートが清らかであるならば行為は良い結果を生みます。
ハートこそ努力の成否を決定する原因です。
それゆえ思いを正しく用いなさい。
人が世界に関して抱くビジョンは、彼が世界をどう見るかによって決まります。
人は自分が感じるままの人になる、といわれています。
想いが崇高であれば、結果もまた崇高です。10/5/92
ポニョ:今年はおいらのおっ母の五周忌でした。
ヨシオ:ポニョのお袋さんが亡くなられたのは、俺のお袋の二年前やったな。俺のお袋より確か二つ年上やったから、二人共亡くなられたのは同じ歳や。それって偶然やな。
ポニョ:二人共享年七十九歳やったもんな。確か、生まれた干支はサル年と戌年やったかな。
ヨシオ:でも俺のお袋はもうとっくに認知症になっていたし、亡くなる前の数年間は喋りかけても余り反応が無かったし、自分の事は自分で何も出来なかったけれど、ポニョのお袋さんは亡くなる前まで洗濯物を干したり、自分でシャワーを浴びたり、毎日散歩に行ったりして、しっかりされていたよな。精神的な病気やったから、もちろん昔のようにニコニコされてはいなかったけどな。
ポニョ:そう。昔はいつもよく笑って周りを明るくさせていたんやぜよ。とてもシンプルな性格で、働き者で贅沢は全然しなかったぜよ。いつも良い事しか思わずに人の悪口なんて言ったのを聞いた事がないぜよ。神様の事を信じていたかどうか知らないけれど、精神的な病になったので、サイババさんのお写真を持って行くと、毎朝手を合わせてお祈りをしていたな。
ヨシオ:ポニョとそっくりやないか。
ポニョ:楽しみは京都の山奥にある柚子の里に行って温泉に入る事やったんやぜよ。食事付きで当時で五千円のツアーがあったんや。電車でも行けるんや。保津峡駅から一時間程歩けば着くし、柚子の里から自治会のバスも迎えに来てくれるんや。
ヨシオ:愛宕山の裏ぐらいか?俺は愛宕山にはよく登ったけどな。そういや愛宕山の近くに水尾っていう三、四十戸ぐらいの集落があるって聞いた事があるな。そこの事か?
ポニョ:そうやぜよ。おいらもおっ母に付き合わされて初めて行ったんや。昔のままの落ち着いた集落や。清和天皇が水尾をとても気に入られて、その地に骨を埋めるって決めたぐらいなんや。そこに立派な清和天皇を祀った神社やお墓もあるぜよ。水尾天皇と呼ばれて親しまれているんやぜよ。水尾は昔から柚子の栽培で有名やけれど、秋になると秋の七草であるフジバカマが満開で、おいらがおっ母と行った時はもうミズバカマの盛りは過ぎていたけれど、それでも見応えはあったぜよ。当時はほとんど観光客もいなかったので、とても静かな環境で、店の切り盛りで毎日忙しかったおっ母が気に入るはずやなって思ったぜよ。おいらもめちゃ気に入ったんや。それでよく亀岡から保津峡をカヌーで下ったんやけれど、保津峡駅に着いたらカヌーを駅の横に置いて、水尾まで柚子風呂に入りに行ったぜよ。冷えた体が心地よく暖まり、肌もツヤツヤになって良かったな。ビタミンCがタップリと湯の中に含まれているんや。今から振り返っても、贅沢な人生やったぜよ。
ヨシオ:水尾か。俺は京都に暫く住んでいたけれど、そんな奥まで足を運んだ事はなかったな。
ポニョ:今では有名やぜよ。晩秋から柚子の収穫が始まるんや。十二月に行けばどの家の軒先にも収穫した柚子が山積みになっていて、柚子の香りがそこら中するんや。
ヨシオ:ふーん。良さそうなところやな。でも冬は寒いやろな。
ポニョ:冬は寒いもんでヤンス。寒くなかったら冬じゃないでしょう。
ヨシオ:そらそうやな。こちらは日本と反対で冬が終わり春がやって来たけれど、今年の冬は寒かったな。記録を更新したって言ってたな。最低気温が0度まで落ちたのは久しぶりやったな。南極の氷が溶けて南氷洋の海水が冷たくなっているんやて。それで空気も冷やされて寒い冬になったんや。暖炉用に用意してあった木が、毎日のように二十四時間燃やしたのでこの冬で全部無くなったんや。だから来年の冬に備えて、毎日チェーンソーで強風で倒れた木の丸太を切って、たくさん暖炉用の木を切っているんや。新しく切った木は少なくとも一年以上日に当たるところに置いて乾燥させないと、暖炉で燃やしてもよく燃えないんや。
ポニョ:あんたの農場の周りは木はたくさん生えているもんな。いろんなユーカリの木があるよな。
ヨシオ:俺の家の周りに生えている木で一番多いのは、ワンドゥという種類のユーカリの木で世界で一番硬い木なんや。水に浮かばないんやで。しかも硬すぎてシロアリも食べれないんや。ペンキも塗らずに塀やフェンスに使っても何十年もそのままで、めちゃタフな木なんや。でも乱伐し過ぎて少なくなって来てるな。条例でもう伐採してはいけない事になっているんや。そのワンドゥの枝を拾って集めて燃やすと、長い間燃えるんやで。ワンドゥで思い出したけれど、この前、嫁さんと散歩に行って、いつも歩いている裏山の見晴らしの良いところで休憩していたら、目の前のワンドゥの木が何かおかしいんや。何がおかしいか分からなかったんやけれど、普通じゃないんや。俺は近眼やからよく見えないから近寄って見ると、なんと木の根っこからてっぺんまで直径2センチくらいの丸い鉄の棒が何本も木の幹に刺さっていたんや。
ポニョ:誰がなんで事をそんなするんやろうか。
ヨシオ:それは、その鉄の棒を掴んで人が木に登れるようにしてあったんや。多分見晴らしが良いところなので昔は火の見やぐらに使っていたんやろな。俺は喜んで途中まで登ったんやけれど、下で嫁さんが危ないと大声を出しているので、途中で登るのを止めたんや。今度一人で行って登ろうかな。
ポニョ:面白そうやな。でも刺さっている鉄の棒って、いつのものか分からないし、錆てるやろ。それに人が登ってもその重さに耐えきれるのかどうか信用出来ないぜよ。どれくらい深く幹に刺さっているかも分からないし。それにそのワンドゥっていう木は結構背が高いんやろ。
ヨシオ:と言っても三十メートルぐらいかな。高さはしれているよな。以前もこのブログで紹介したけれど、もっと南に行けば、カリフォルニアにある世界一高い百十五メートルもあるセコイアの木の次に高い、カリの木という木が生えているところがあるんや。ペンバートンというところやけれど、一番高いカリの木は百メートル近くもあるんやで。メルボルンの南にはセコイアより一メートル低いだけの木も生えているんや。しかも幹が真っ直ぐな木なんや。それで昔は帆船のメインマストにその木を使っていたので、やはり乱伐されて一部の地域にしか生えていないんやけどな。そしてその木にも、鉄の棒が打ち込まれていて、上まで登れるんやで。俺も登ったけれど、上の方はちょっとした風でも結構揺れるのでスリルがあって面白かったな。強風の時に登ればもっと面白いやろな。
ポニョ:あのね…スリルがあり過ぎるっちゅうに。丸い鉄の棒だけを掴んで登っていくんやろ。手が滑ったら落ちるぜよ。そんな高い所から落ちたらイチコロやないの。それは危険が危ない。
ヨシオ:それらの木は、昔、山火事の際の火の見やぐらやったんや。昔は落ちた人もいたやろな。今では鉄棒同士を針金で結んでいるので、滑って落ちても針金に引っかかると思うで。いや、やっぱり隙間が大きいから落ちるかも。もちろん危険やけれど、それほど思ったほど危険じゃないな。
ポニョ:放射能入りの食べ物を食べるよりは安全やぜよ。
ヨシオ:でもさすがに上の方まで登ると目が眩むけどな。ビルで言えば三十階建て以上の高さと同じビルの高さやからな。てっぺんまで登るにはガッツがいるな。下から誰かが登って来たら引き返すのが難しいしな。俺の冒険好きな娘はてっぺんまで行きよったで。うわ〜揺れる揺れると大声で楽しそうに叫びながら、あっという間にてっぺんまで行きよったんや。
ポニョ:あんたの娘さんは高所恐怖症じゃないんやな。あんたも空を飛ぶのが好きやから、多分あんたの遺伝子がたっぷりと入っているんやろな。
ヨシオ:そういう面では、五人の子供の中であいつが結構俺に似てるところがあるな。昔はおてんばやったので、五人の子供の中で一番叱ったんやけれどな。俺の悪いところがあいつの中に見えたから、叱ったんやろか。
ポニョ:この世の全て反作用、反映、反響 やもんな。あんたの悪いところを、あんた
があんたの娘さんの中に見つけたから怒ったんやぜよ。それって面白いな。
あなたの思いはすべて、あなた自身の反映です。
それは 神とは何の関係もありません。
ですから、自分の考えは外界の反作用、反映、反響 にすぎないと知るべきです。
神は、反作用を超えており、反映を超えており、反響を超えています。
神は唯一なる神聖な響きを有しています。
それは真理です。神は 不変なる真理です。
しかし、それを理解する者はいません。
それは、道徳と誠実さ という正義の道を歩んで、初めて理解することができるのです。17/7/97