サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

一喜一憂しましょう

2017-10-18 16:00:14 | 日記
問題が起きたとき、問題のことを考えてはなりません。
ただ『これはすべてアニッ ティヤム(非真実)だ。
それはこの世の次元に属していることだ。
私はこれをすべて超越している』と考えなさい。
そして、私の名前を唱え続けなさい。
そうすれば、私はそ れに立ち向かう強さをあなたに授けましょう。ラニマーへのインタビュー

ポニョ:昨日、蟻さんを例に出して、感情をコントロールする事が大切だという話をしたけれど、そこのところは難しいぜよ。だって目を開ければ自分の周りは物質世界やし、ほっぺたをつねれば痛いし。どうやって自分の感情を蟻さんのようにコントロール出来るんや。

ヨシオ:この世はわざといろんな苦しみを体験するように作ってあるんや。だからこの世から永遠の幸せを得ようとしても絶対に無理な事なんや。また自分の身体もいつかは滅びてしまうんや。人は人生のどこかで必ず頭を打って初めて自分は肉体じゃない、自分はこの世界に属していないと悟ることが出来るんや。それまではいくら言葉で言っても、ポニョのように理解出来ないんや。
でも大事な事は、どんな事がっても、人はこの世界でハッピーに暮らすようにならないといけないんや。だってこの世界は、神さんが遊びで作られた世界やから。
どんな苦しい事があっても、この物質世界で自分に与えられた義務を立派に果たし、それらを神さんに捧げる事なんや。この世界には、何一つ完璧なものなんて無いんや。全て朽ち果てるんや。俺が一生懸命買い集めて倉庫に保管した物も、やがて朽ち果てたりして、使い物にならなくなるんや。それが普通の事や。だからやるだけやったら、あとは忘れるようにしないと、いつまで経っても自分がした事を引きづって人生を歩んでいたら、何度も生まれ変わってもきりがないんや。

ポニョ:でもイエスさんのように、裸にされて磔にされる為に十字架を担いで坂道を登らせる時に、ハッピーな顔を出来ないぜよ。

ヨシオ:ポニョなら出来るやろ。怒っていても嬉しそうな顔をしてるやないか。

ポニョ:内面は憤怒の怒りの火で燃え上がっているんでヤンス。さっき、純粋な動機でする事が必要やと言っていたけれど、サイババさんは人が汚れのない動機でする事は、神さんが全て面倒見ると言っておられるぜよ。

ヨシオ:確かに動機の純粋さって大切やもんな。

動機の純粋さは、あなたが平安を得る上で最高の保証となります。
良心の呵責とは、慈悲の心が苦しむことです。
正しい行いをしていれば、眠りが妨げられたり、健康が害されたりするような、悪い影響を受けることはありません。1008の宝石 P.24

ポニョ:神さんがその人の行為が正しい行為かどうかを見られる時に、先ずその人の動機を検証されるんやぜよ。以前も紹介したけれど、イギリスの孤児院を運営している人が全然お金が無くて、五十人以上の子供達を食べさせて行くことが出来なかったんや。でもその人は自分の動機が純粋であれば神さんが必ず助けてくれると信じていたから、お金が無くても全然平気やったんや。その人が信じている通り、毎日、誰かが野菜やパンや料理を届けたり、食べ物を買うお金を寄付したりして、半世紀以上もその孤児院を続けておられるんやで。

ヨシオ:それってすごいよな。この世界は一体誰がコントロールしているのかが分かるよな。でも動機が純粋であっても、常にこの世的な見地から見て、全てが上手く行くとは限らないんや。イエスさんも人々を助けたい、人々に英知を授けたいという清い動機で伝道をされたけれど、磔にされたりしてひどい目に遭われたやろ。またインドの聖者や聖女達も、家族親類や義理の母からひどいいじめを受けたり、村人から迫害されたりした例は数限りなくあるやろ。もちろん本人達は、それらをひどい体験だと思っていないやろうけど。でも神に近ければ近いほど、そういう困難な事がそういう聖者達を待ち受けているんや。

ポニョ:サイババさんだって子供の頃や青年の頃に、村人からひどい迫害をされて一時期、村はずれの洞窟に身を隠されていたぜよ。それにめちゃきつい兄嫁さんにも井戸の水汲みを命じられて、毎朝、十キロ近く歩いて重たい天秤棒を肩に食い込ませて家に水を運んでおられたぜよ。そんな事をさせられたから背が伸びなかったんやろな。

ヨシオ:それは関係ないやろ。神様が面倒を見るという意味は、人々がこの世界で幸せに暮らせるという意味ではないんや。今言ったように、逆にひどい目に遭ったりするんや。
今、初めて明かすけれど、俺もサイババさんに、将来、俺はある人に殺されると言われたんや。そしてその人がどんな人か、どこで殺されるのか、そしてどんな風にして殺されるのかを教えてもらったんや。でもサイババさんは、こういうことが起こるけれど、私がストップするので安心しなさいと言われたんや。神の事だけを毎日思い、神の仕事だけをして来たつもりでも、人がこの世で生きている限り、そういう悲惨な事件が起こるんや。

ポニョ:へえ〜それは初耳やぜよ。あんたは意外と口が固いんやな。知らんかった。でもあんたは悟った魂じゃないから、この世から消えた方が世の中の為になるかも。ところで誰ですか?そのあんたを殺そうとする輩は。まさかおいらじゃないやろ。

ヨシオ:アホ。なんでポニョやねん。サイババさんがその男のビジョンを見せてくれたけれど、まだ顔もしっかり覚えているんや。だから俺はいつ死んでもよいように準備してるんや。俺にとってはこのブログは遺書みたいなもんやろな。俺が今まで経験した来た事やサイババさんから得た英知を全部書き出しているから。

ポニョ:でもサイババさんはそういう事が起こるのをストップすると仰ったんやろ。大丈夫やぜよ。

ヨシオ:たとえ死ななかったとしても、植物人間になったりして、こうして文章が書けなくなったりするかもしれないやろ。

ポニョ:遺書って大袈裟やぜよ。でも人は神さんからギータさんのように手取り足取りして面倒を見てもらっている帰依者もいれば、あんたのように放ったらかしの人もいる。人それぞれで面白いな。

ヨシオ:ポニョはさっきから俺の事を、神さんから放ったらかしにされていると言っているけれど、俺の事をしっかり愛してくれている嫁さんや子供達や友達を通じて、サイババさんは俺の面倒を見てくれているんや。帰依者によっては、サイババさんの中にさえ、その神聖さを見る事さえ出来ない人だっているやろ。
また、サイババさんの中にだけしか、神の神聖さを見れない人もいる。そういうレベルの人には、神さんはサイババさんの肉体を通じて、直接その人達と話をしたり、ビヴティや指輪などを物質化して神聖遊戯を見せたりして、そのレベルに応じて帰依者にその神聖さを顕されるんや。
だからそういうレベルの帰依者は、常にサイババという名を持ったインドにいる神の化身の肉体の近くにいて、その神の化身が取られた肉体が神だと思い込んでいるから、サイババさんにインタビューに呼ばれたとか、呼ばれなかったとか、話しかけられたとか無視されたとか言って一喜一憂するんや。また神の化身の肉体が神だと思い込んでいるから、その神の化身が行くところならどこでも付いて行って、サイババさんの追っかけをしたりするんや。でも全てが神だと信じている帰依者には、神さんは、その人が見る全てのもの、接触する全ての人達を通じてその神聖さを顕されるんや。ポニョは一体、どっちの人の方が霊的レベルが高いと思う?

神性は人間性という覆いに包まれています。
ですから、皆さんは、神性が皆さんの目に触れないように隠しているマーヤー(迷妄)を克服しようと努めなければなりません。
「この、人としての姿の内には、あらゆる神の実在、あらゆる神の本質、言い換えるなら、人が神のものと見なす、あらゆる名と姿が顕現している」
疑いがあなたの気をそらせるのを許してはなりません。
あなたの心の祭壇に、私の神性に対する固い信心を据えさえすれば、私の実体を見ることを勝ち得ることができます。
そうする代わりに、もし、時計の振り子のように揺れ動き、あるときは信じ、あるときは信じないなら、決して真理を理解することも、至福を得ることもできません。17/5/68


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