サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

縫いぐるみで遊びたいな

2016-11-02 00:00:11 | 日記
子供は神の申し子と言われています。
子供のうちは、憎しみや怒りや嫉妬に駆られることはありません。
イエスは、子供にはどこにも悪いところが無いのだから、子供は神のようだと言っています。
子供のうちは、心にも身体にも何も悪いところはありません。
悪い心からおこる悪い感情が無いから、子供は美しいのです。
大きくなるにつれて、子供達に少しずつ悪い性質が身についてきます。
そうなると、子供の持っている美しいものが失われてしまいます。
悪い心は、悪い言葉と悪い行いとなって、子供の美しさを無くしてしまうのです。
人の持っている美しさは、少しずつ無くなっていきます。
そういったはかない美しさは、永遠の悦びを与えてくれません。
ロバだって生まれたばかりの時はかわいいものです。
それが大きくなってくると、腹が出てきて醜い姿になってしまいます。
悪いところが無いうちはどんなものでも美しく見えます。
ですからこの世界では、どんな人もどんなものも美しさは限られています。
ということはそこから生まれる悦びも限られているのです。
美しさと悦びはいつも一緒にやってきます。
美しいけれどつまらないものなどどこにも無いし、おぞましい姿の楽しいものも見ることはありません。
永遠に喜ばしく、永遠に美しいただ一つの摂理は何でしょう。
それはアートマです。
アートマは変わることも移ろうこともありません。
それどころか、アートマには何の姿も無いのです。
美しさと悦びが、アートマの姿です。SGc19

ポニョ:サイの学生さん達のお話を見ましたか?良かったやろ。

ヨシオ:見た見た。良かった。良かった。とても良かった。大変良かった。

ポニョ:二回づつ繰り返さんとってくれますか。

ヨシオ:七回シリーズやけれど、二回づつ見たから二回づつ繰り返して言ってるんや。学生さん達のサイババさんに対する愛が伝わって来てこちらも純粋な心になりそうやったな。

ポニョ:それは大変正直な感想ですな。純粋な心になりそうやったという事は、まだ純粋じゃないって事を認めている事になるぜよ。正直でよろしい。

ヨシオ:純粋な心を持っているんやったら。こんな仕事してないやろ。純真な心を持っていないから、また生まれ変わってややこしい記事を書いたり、毛布をめちゃたくさん買わないといけなくなるんや。

ポニョ:ああそうやったな。あんたは何万枚も毛布を買って保管してるもんな。いつ来るか分からない地球規模の大洪水に備えて。

ヨシオ:その話をすると長くなるから、今日はポニョが勧めてくれたyou tubeのstudent of Saiの話に戻ろうか。

ポニョ:おいらが面白かったエピソードは幾つかあるけれど、サイババさんが学生達を本当に愛しておられるなって分かるエピソードがとても良かったぜよ。例えば夜中にコダイカナルに到着して学生達が道中どうやったか心配して聞かれたり、十分ものを食べれたとか聞いておられて、学生達の部屋の横にサイババさんの部屋があるけれど、学生達を見る為に少しドアを開けてそこからよく顔を出されて学生達に気を使っておられた話が良かったぜよ。ああいうふうにサイババさんから愛をもらうと、自然にババさんへの愛も育まれるよな。

ヨシオ:帰依者と神の関係は愛なんや。その愛は、男女間の愛や親子や夫婦間の愛ではなく、純粋な見返りを求めない愛でないといけないんや。そういう意味で学生さん達の心は純真な心を持っているんやろな。今、ポニョが言った言葉で気になった言葉は、サイババさんから愛をもらうと、自然にババさんへの愛も育まれるってとこや。それは逆で、先ず神への愛があって、あの学生さんのような神からの恩寵をもらえるんや。逆じゃないんや。先ず自らの信愛の心を養うんや。恩寵が先ではないんや。

ポニョ:でもあのような恩寵をもらった学生さんのハートはとろけて神一色になり、神への愛が目覚めるぜよ。だから先ず神の恩寵が先にやって来るんや。

ヨシオ:いや、そうではないんや。ババさんは一人ひとりの霊的成長段階に合わせて恩寵を下さるんや。例えば、まだババさんを神だと受け入れるほどの準備が出来ていない霊的レベルが低い学生が、ババさんから指輪とか腕時計をもらっても、その人はババさんの奇跡を疑い、袖の中に隠し持っているに違いないとかと思うやろな。逆に充分に霊的レベルに達してる人は、ババさんがダルシャン会場を遠くから一目見ただけで、興奮し、神を悟る事が出来るんや。だから多くのサイの学生の中からコダイカナルへ連れて行ってサイの恩寵を受けた学生は、神の恩寵を受けるに値する霊的レベルに達した学生なんや。

ポニョ:以前、人がこの世で体験するいろんな事は、全て何の偶然も無いという話をしたよな。結局全てはなるべくしてなるって事なんやな。

ヨシオ:人の心は汚れが付いている鏡のようなもので、その汚れた部分というのは自分の欲望とかエゴなんや。人はこの世で似た者同士が集まるとか、似た者同士が友達になったりするやろ。それって他の人の鏡に付いている汚れが、自分の鏡の汚れによって自分の鏡に写らず見えないからなんや。でもババさんの鏡は一点の汚れも無いから、全ての人々の欠点や欲望やエゴが丸見えなんや。そういう意味でババさんの前で書く仕事なんて一切出来ないんや。

ポニョ:全ては読まれているんやな。恐ろしいな。

ヨシオ:なんでやねん。ポニョは何か隠し事でもあるんか?

ポニョ:別に何も無いけれど、ババさんがお若い頃に親しく交わった人は、ババさんと一緒にいることはとても難しいと言ってたよな。と言うのも、ババさんはガラスの陳列棚のように、人の心の中が透き通って見えるから、ほんの少しでもネガティブな事や、良からぬ事を心の中で思うだけで、ババさんはその事にとても傷つかれて、ひどい場合は二、三日ご自分の部屋にこもって出て来られなくなるって言ってたよな。だからババさんといる時は絶対にそういうネガティブな事を心の中でさえ思う事が出来ないんや。

ヨシオ:ババさんといる時だけではなく、遠くに離れていてもすぐにバレているんや。だから常に正しい事だけをし、自分がやりたい事や、欲しい物があってもそれを周りの人に分け与え、自分の貴重な時間であっても、出来るだけ自分の時間を自分自身にではなく、他の人々の為に使い、人生を神様に捧げて生き、全ての生きとし生けるものを神の顕われと見る霊性修行をやっていると、だんだんエゴや欲望が無くなって来て心の鏡に付いている汚れが取れて来るんや。すると不思議な事に、自分が普段接している人ばかりではなく、初めて会った人の心の中まで透き通るようによく見えるようになって来るんや。その人がどんな欲望を持っているとか、どのような傾向を持っている人だとか、心では思っていないのに言葉に出して言っているとか、お世辞を言ったり、嘘をついているとか、そういう事が全て分かるようになって来るんや。

ポニョ:自分の鏡の汚れが取れて行くに連れて、相手の心の鏡に付いている汚れが自分の鏡に写し出されて来るって事なんかな。

ヨシオ:そうなんや。だんだん霊性修行が進むに連れてそういう事が普通になって来るんや。これは神様からのプレゼントとであると同時に、その人がこの世にどれくらい忍耐を持って住んで行けるかという挑戦でもあるんや。だって少しでもそういうエゴや欲望、接した人たちが隠し持った欲望や陰謀が見え始めたら、その人と一緒にやってくのが難しいやろ。人間関係にとても辛い思いをするんや。だからだんだん人嫌いになって行くんや。それと同じ理由でさっきポニョが言ったように、ババさんが人のネガティブな心が100%読めるから、それにとても傷つきとても辛くて部屋に籠られたんや。霊性修行が進むに連れて人の心はまるで幼い子供のように小さな事で無邪気に喜び、小さな事でも傷つき、小さな生命にも愛を注げれるようになるんや。俺が昨夜、何時間もポニョが紹介してくれた動画を見て一番心に残ったシーンは、コダイカナルでババさんは、いろんな動物の縫いぐるみのプレゼントをもらったシーンや。

ポニョ:それってシリーズ第五回目のやつやぜよ。
https://m.youtube.com/watch?v=qhSUL3CgeVo

ヨシオ:そうやったかな。その縫いぐるみのプレゼントをもらった時は、それらの縫いぐるみを大きなテーブルに一列に並べて、一つひとつ手に取って見て子供のように楽しんでおられたんや。

夕食後、学生達と部屋でくつろいでおられた時に「あの縫いぐるみのおもちゃは誰が買ったんですか?」と聞かれたんや。買った人の名前を言うと「もう一度あの縫いぐるみの犬を見たいな」と言われたんや。それで急いでそれらの縫いぐるみを持って来るととても喜ばれて、小さい子供達にこれらの縫いぐるみをプレゼントしたいから呼んで来るように言われたんや。

そして子供達に「どれでも好きな縫いぐるみを取るように」と言われたんやけれど、虎の縫いぐるみを持っている子供に「君はその虎のようだね。」とか言ってからかって楽しんでおられたんやけれど、少し大きい子供が小さな縫いぐるみを選んだのを見て、「君はもう少し大きいのを選べば良いよ。そうそう。どれを選んだい?鹿さんか。隣にいる子と同じじゃないか。」とか言って、まるでご自分が縫いぐるみをもらったように喜んでおられたんや。神さんって完璧な役者で、この世にいる時は、その時々の状況に応じて自分の役柄を演じられるけれど、俺はその時のババさんに神さんの本当の姿、真の性質を見たと思ったな。

ポニョ:神さんに近づくって子供の心に近づく事と同じなんやろな。純真で、素朴で、心に一点の汚れも無く、天真爛漫で、愛に溢れている、そういう人に私はなりたい。

ヨシオ:それってポニョのキャラに限りなく近いやないか。どんな嫌な事があっても、オクラの天ぷらさえ食べてたらハッピーになるやないか。

ポニョ:神さんもオクラが好きなんか?

ヨシオ:誰もそんな事を言ってないやろ。

ハートは柔らかく、心は甘く、時間は神聖である、と言われています。
その状態の下で、一体どこから欠陥が生じるのでしょう?
あなたの心が神聖で、純粋で、柔らかく、甘い思いに満ちていることを確実にする必要があります。
偉大なサーダカでさえ、まず第一に優しいハートを育てるべきです。
神の贈り物である今回の人間としての生を無駄にすべきではありません。
神には神の計画があり、そのために神はあなた方全員に命を授けたのです。
神は、各人がそれぞれ他の人々の理想となることを意図しています。
あなたはその理想を知るよう努力すべきです。
その理想は、純粋かつ神聖です。
人間のハートの重要性は、ハートの純粋さと神聖さにあります。
不純な思いが入ってくると、ハートは不純になり、行動は邪道に陥ります。
あなたの想念や欲望はすべて全身に広がりませんか?
自分が言っていることと別の行動を取るのは正しいことですか?
言うことと考えることの出所は別ではありません。
体の各部へと向かう流動体の流れの源は一つであり、それはハートです。
ハートを愛で満たすなら、あなたの発言と行動は純粋で神聖なものになります。五つのインドリヤ〔五感〕は、主要タンクから給水される複数の蛇口のようなものです。
もし、主要タンクが純粋な思いという水で満ちていれば、どうして不純な思いや行動が生じることなどあるでしょう?
ハートが純粋な愛に満ちていれば、舌が不純な言葉を発することはなく、目が淫らなものを見ることもありません。
また耳は神聖さを汚す音を聞くことを避けるでしょう。24/11/00