サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

クリシュナ物語(31)

2016-07-26 00:00:02 | 日記
ポニョ:昨日から毎日、サイババさんのダルシャンを中心とした動画をSai love からいただいて掲載して行きたいと思います。これから約5カ月間お付き合い下さいね。さて本題ですが、数回前の話で、クリシュナがドラウパティを助ける前に、ドラウパティがクリシュナに対してどんな事を捧げたかを検証してから、助けたって所が面白いよな。神さんに敬愛を込めて捧げるならば、小さな果物でも、花一輪でも、葉っぱ一枚でも、神の恩寵を得る事が出来るんや。

ヨシオ:俺たちは毎朝と夜にルッドラムを唱えているけれど、ババは祭壇に小さな葉っぱ一枚でも良いから備えなさいと言っておられたな。葉っぱってとても神聖なんやで。特にトゥルシーの葉っぱは綺麗に宇宙の姿リンガムの形をしてるんや。その中でも一つの枝から三枚の葉っぱが分かれて付いているトゥルシーの葉っぱは特に神聖で、この物質的な世界と霊界、そして神界を現しているんや。だから俺たちもアクアポニックスで育てたトゥルシーの葉っぱを毎日お供えするようにしてるんや。

ポニョ:トゥルシーの葉っぱか。おいらのアクアポニックスでは育ててないぜよ。キュウリの葉っぱとか、レタスの葉っぱやったらあかんのんかな。そうや。オクラの葉っぱはどうやろか。富士山には月見草がよく似合うように、ポニョにはオクラの葉がよく似合うぜよ。

ヨシオ:突然、太宰治が出て来るか?まあ、ポニョの好きなようにしなさい。

クリシュナは、全知、全能、すべてを包含している者、満願成就をもたらす者として、万人に知られていました。それでもなお、クリシュナは、自らが執り行うことになっていた戴冠式の際の供犠(ラージャスーヤ ヤーガ)の前夜にパーンダヴァ兄弟の長兄ダルマラージャのもとに行き、「どんなセヴァでも引き受けよう」と申し出ました。クリシュナをそうするよう駆り立てたのは、セヴァ(奉仕)をすることへの熱意でした。そして、クリシュナは、「来賓たちが祝宴に興じた食堂を掃除する仕事を自分が引き受けるのはどうか」と言いました! クリシュナは、外側の清浄と内側の清浄を強調しました。きれいな服ときれいな心が、理想の組み合わせです。

『マハーバーラタ』の物語のクライマックスであったクルクシェートラの戦いの間、クリシュナはアルジュナの戦車の「御者」となって一日中戦場で仕え、それから、日が暮れて戦いが休戦すると、馬たちを川に連れて行って心身がさわやかになるよう水浴びをさせ、それから、すさまじい争いの最中に負った傷に軟膏を塗ってやりました。さらに、クリシュナは、手綱と馬具を修繕し、次の日も戦車がよく戦えるようにもしました。

ギーター〔『バガヴァッドギーター』〕は、この世俗の海で上手に泳ぐ方法を教えています。家族は海のようなものです。人生は川の流れです。ギーターは、人生という川の流れの中で浮かぶのに大変役に立ちます。ギーター、聖書、コーラン、その他の諸聖典は、実に実用的な道具であることを心に留めておかなければいけません。諸聖典はただの理論的な哲学なのではありません。ここ、アナンタプルに来るには、特定の道を進んでこなければなりません。そうしなければ目的地には到達しません。第一歩は、正しい道を見つけることです。それから、その道を進み始めなければなりません。このように、もし皆さんが神に到達したいのであれば、ギーターを手に持って、「ギーター」だとか、「神」だとか言って言葉を唱え続けるだけでは十分ではありません。ギーターの指示に従うことが必要です。アルジュナがクリシュナに言ったことを忘れてはなりません。

カリシュエー ヴァチャナム タヴァ
私はあなたの命令に従います


そのとき初めて、クリシュナは全責任を負い、アルジュナを戦いに勝たせることができました。クリシュナは、「パールタ サーラティ」〔大地の息子の御者、「パールタ」は「大地の息子」の意でアルジュナの別名〕とも呼ばれています。地上の兄弟姉妹は「パールタ」と呼ばれます。それゆえ、すべての人は「パールタ」です。神はあなたの体という馬車の御者であるということを、完全に信じなくてはいけません。

ドリタラーシュトラ〔カウラヴァ百人兄弟の父である盲目の王〕はサンジャヤ〔戦場で起こったことを見てドリタラーシュトラに報告をするという役割を与えられていた人物〕に尋ねました。

「おおサンジャヤよ、クルクシェートラ〔マハーバーラタの戦場〕(ダルマの地として知られる)で、わしの息子たちとパーンダヴァ兄弟は、何をしておるのか?」

戦場へ赴けば、人は当然のことながら戦いに従事するでしょう。しかし、その質問は、誰が勝利を手に入れるのかということでした。そのため、サンジャヤは戦争のすべてを順序立てて語り、それから、最後にこう言いました。

ヤトラ ヨーゲーシワラハ クルシノー
ヤトラ パールトー ダヌルダラハ
タトラ シリール ヴィジャヨー ブーティヒ
ドゥルヴァー ニーティヒ マティ(フ) ママ

ヨーガの主なるクリシュナの在るところ
弓矢を携えたアルジュナの在るところ
幸運、勝利、繁栄、そして、永遠なる道徳あり

〔バガヴァッドギーター最終章最終節〕

クリシュナとアルジュナが共に立つところには、必ず勝利があるでしょう。「ダヌルダラ」とは、「弓を握っている人」のことです。その真の意味は、「信仰をしっかり握って手離さない」ということです。「アルジュナ」〔白、朝もやの色〕とは、「純粋なハートを持つ人」のことです。ですから、神は純粋なハートと揺るぎない信仰を持つ人に付き添う、ということは明らかです。神があなたと共にいるならば、成功は必ずついてきます。ですから、信仰をあなたの呼吸だと考えなさい。あなた方全員が、人生において成功を勝ち取りますように。

パーンダヴァ兄弟の長兄ダルマラージャは、誠実にサティヤ(真理)を遵守する人物でした。ところが、クルクシェートラの戦いのときに、たわいのない嘘を言うよう説得されました。それは100パーセント正直だとは言えないが、許される範囲の誤魔化しであると、ダルマラージャは考えました。敵軍の大将である弓の名手ドローナを殺すためには、何とか策を講じて弓を置かせなければなりませんでした。そこで、パーンダヴァ軍は計略を練り、戦闘用の象にドローナの息子と同じアシュワッターマという名前つけて、その象を殺したのでした。それから、そのことをすぐにドローナの耳に入れるべく、パーンダヴァ軍に、

「アシュワッターマが殺された、象の」

と歓声を上げるよう命じました。これはまったくの事実です。しかし、兵士たちが語尾を発するときには、いつも太鼓を打ちならし、ラッパを吹き、トランペットを鳴り響かせたので、ドローナには最初の「アシュワッターマンが殺された」だけしか聞こえませんでした。当然ドローナは、それを息子が敵の手で殺されたという意味に受け取りました。ドローナはがっくりと肩を落とし、その手はいつものように俊敏に弓と矢を操ることができなくなりました。その瞬間、ドローナは襲撃され、殺られてしまいました。

ダルマラージャは、自分が仕向けたこの一つの罪、一生のうちでたった一度の罪により、何分かを地獄で過ごさなければならなかったと叙事詩に記述されています。これが、たとえ一寸でもサティヤから離れるとどうなるかということです。

死後、その少しの滞在のために、別の世界からの使者がダルマラージャを地獄に連れていく間、地獄の住人たちの吸っていた空気が、不意にさわやかなよい香りになり、これまで望みもしなかった不思議な安らぎと喜び、ワクワクするような、そしてウキウキするような気持ちを感じました。それは、その恐怖と拷問の世界に神聖な魂が近づいてきたことによるものでした。不幸な罪人たちは、ダルマラージャを見て気持ちを落ち着かせよう、楽になろうとして、まわりに集まってきました。

(自らの刑期がすぐに終わって)ダルマラージャが天国の方に向き直ると、もっと長くいてほしいと地獄の全住民が叫び声を上げました。灼熱と苦痛に戻るのが嫌だったのです。その哀れな嘆きを聞くと、ダルマラージャは、自分の天国行きをもたらした功徳のすべてを地獄の住民たちに引き渡すと宣言しました。ダルマラージャは彼らと共に留まることをいとわなかったのです! しかし、その偉大な放棄の行為は、苦しむ者たちのためになったばかりのみならず、ダルマラージャに天国での暮らしの延長と、天国の中でもさらに栄誉ある場所をもたらすこととなりました。命というものは、苦痛を和らげ、悩みを軽くし、平安と喜びを促すことに使うのが最善です。

https://m.youtube.com/watch?v=LY36j7t4qic