サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

日本人の簡素な精神

2016-07-09 00:00:03 | 日記
簡素さは、神聖さのサインです。SSSvol6p,104
バラタの文化の持っている謙虚さ、誠実さ、一体性が、感情的な過ちをいやすために重要だといわれています。必要以上の贅沢さ、競争心をあおる物欲、富や権力の追求などは、一時的なものですぐに消え失せてしまいます。簡素な生活やインドの聖者たちによる高潔な思いは、幸せで大きな平安をもたらしてくれるでしょう。SSvol9p207

ポニョ:それでは今日もさっそく江戸時代の人々の暮らしぶりから、その善良性や簡素な生活を見て、私達の物に溢れた生活がどれくらい心を汚しているのかを見ていきましょう。

ヨシオ:昔の人の写真を見てもその善良性や天真爛漫なところがよく見えるよな。

ポニョ:ちょっと下品な話やけれど、二つのグループに分けてお尻を向け合い、プーっとオナラを一度に出してどちらが大きなオナラが出るかというオナラ大会みたいな事もやってたんやて。

ヨシオ:それは面白そうやな。くさそうやけれど。ほんまにそんな事で大笑いしていたんやろな。当時はエンターテイメントもそんなに無いしな。でも面白そうやな。こんな大会をしたらポニョ:ポニョに勝てる奴なんていないやろ。

ポニョ:あのね、そこでどうしておいらが出てくるんや。というわけでさっそく江戸時代にタイムスリップ!
「逝きし世の面影」 渡辺京二著より一部引用です。
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-571.htmlより
■第六章 労働と身体 ―――――――――――――――――

●アイム・アンベール(スイス遣日使節団長 「幕末日本図絵」)

この国が
「幾世紀もの間、質素であると同時に安易な生活の魅力を満喫してきた」
ことに感銘を受けずにはいられなかった。

●ブラック 東海道の旅人について

・・・彼にとっては、道のりなど考えになかったようだった。
好きなように時間をかけ、自分なりの早さで、行けさえすれば、
来る日も来る日も、一日中歩いた。

時間の価値などまったく念頭になかった。
商取引の場合でさえ、ヨーロッパ小人の最大の当惑は、
時間通りに契約を実行させるのが難しいことであった。
いや、不可能だったといった方がよいかもしれない。
著者はこれを「社会全判にみなぎる悠長さ」という。

●ジョージ・H・ブスケ(司法省顧問 「日本見聞記」)

日本人の働き手、すなわち野良仕事をする人や都会の労働者は
一般に聡明であり、器用であり、性質がやさしく、また陽気でさえあり、
多くの文明国での同じ境遇にある大部分の人より確かにつきあいよい。

彼は勤勉というより活動的であり、精力的というより我慢強い。
日常の糧を得るのに直接必要な仕事をあまり文句も言わずに果たしている。

しかし彼の努力はどこで止まる。
・・・必要な物はもつが、余計なものを得ようとは思わない。
大きい利益のために疲れ果てるまで苦労しようとしないし、
一つの仕事を早く終えて、もう一つの仕事に取りかかろうとも決してしない。
一人の労働者に何かの仕事を命じて見給え。
彼は常に必要以上の時間を要求するだろう。

注文を取り消すと言って脅して見給え。
彼は自分が受けてよいと思う以上の披露に身をさらすよりも、
その仕事を放棄するだろう。どこかの仕事何入って見給え。
ひとはたばこをふかし、笑い、しゃべっている。

時々槌をふるい、意志をもちあげ、
次いでどういう風に仕事にとりかかるかを論じ、それから再び始める。
日が落ち、ついに時間が来る。さあこれで一日の終わりだ。
仕事を休むために常に口実が用意されている。
暑さ、寒さ、雨、それから特に祭である。
・・・一家を支えるにはほんの僅かしかいらない。

●オールコック

すべての職人的技術において、問題なしに非常な優秀さに達している。

モースはアメリカの大工が高価な機械を使うよりも
日本の原始的な道具を使う日本の大工の方が優秀であるという。

●チェンバレン

下層階級は概して強壮で、腕や脚や胸部がよく発達している。
上流階級はしばしば病弱である。

■第七章 自由と身分 ―――――――――――――――――

●オールコック

日本の下層階級は、私の看るところをもってすれば、
むしろ世界のいずれの国のものよりも大きな個人的自由を享有している。
そうして彼らの権利は驚くばかり尊重せられていると思う。
裁きは公平で、法規と習慣さえ尊重すれば、決して危険はない。

●ヴェルナー(「エルベ号艦長幕末記」プロシャ使節団)

絶対的専制支配が行われている日本において、
個人は時に立憲的なヨーロッパの諸国家においてよりも
多くの権利をもっていた。

幕府が病院を建てようとしたが、そこには貧しい農夫が畑を耕作していた。
この土地を地価と収穫高とを算入して幕府に譲渡するように頼んだ。
だが農夫は自分が巻いた種をまず収穫したいと思うと指摘し、
幕府の依頼をあっさり拒絶した。

彼にはその後、2倍、3倍の価格が提示されたが、彼は強情な態度を改めず、
最後にはどんな条件でも土地を譲渡するつもりはないと宣言した。
幕府は他の不適当な土地を購入することになったという。

●ジーボルト

町村の制度はたいへん自由であったー町年寄や庄屋は地主たちが選んだ。
地方に駐在する捕方も、奉行所の役人もまったくいなかった。
非常に愉快に感じたのは、
僧侶の支配力が村民に影響を及ぼさなかったことである。
農村の人びとの境遇は大部分のヨーロッパ諸国におけるよりましである。

●オバマール・フィッセル(「日本風俗備考」出島オランダ商館勤務)

専制主義はこの国では、ただ名目だけがあって実際には存在しない。
自分たちの義務を遂行する日本人達は、完全に自由であり独立的である。
奴隷制度という言葉はまだ知られておらず、
封建的奉仕という関係さえも報酬無しには行われない。

上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、それを看れば、
一般に満足と信頼が行き渡っていることを知ることができよう。
著者はフィッセルからみて将軍や大名など
何ら羨むべき存在ではなかったようだ、という。

●オールコック
上司は下司に対して、
「つねに慇懃で穏やかな態度で話しかける。」

●ウィリアムズ(「ペリー日本遠征随行記」)

水を汲みに行ってくれた少女に硬貨数枚を与えると、
案内の役人は彼女にそれを返させた。
住民はこれらの役人達を尊敬していた。
だが、こわがってちぢこまっているわけではない。

●アリス・ベーコン(「Japanese Girls and Women」)

家庭内のあらゆる使用人は、自分の眼に正しいと映ることを、
自分が最善と思うやりかたで行う。
命令にたんに盲従するのは、日本の召使いにとって美徳とはみなされない。
・・・使用人は自分のすることに責任をもとうとしており、
たんに手だけではなく意志と知力によって彼女に仕えようとしているのだ
・・・仮にそれが命令への不服従を意味するとしても、
雇い主のために最善を計ろうとするのだ。

●ニコライ(神田ニコライ堂の創設者)

民衆は不満を口にしているという。
この国の貧しさの責任は政府にあると、口をそろえて非難している。
・・・それでいて、この国には乞食の姿をほとんど見かけないし、
どの都市でも、夜ごと、歓楽街は楽と踊りで賑わいにあふれている。
これが、支配者の前に声なくひれ伏す当方的隷従だろうか。

■女性についてーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●アリス・ベーコン

彼女は嫁ぎ先で多くの子を産んだが、そのすべてに先立たれ、
婚家のお荷物になるよりはと、弟の家に身を寄せた。
そこは子沢山だったので、
彼女は実の母とともに子供たちの世話を引き受けた。
上の子から下の子まで、次々と彼女の世話になった。

彼女の背中で眠り、なやみがあれば聞いて貰い、いっしょに町歩きを楽しみ、
彼女の引出から思いがけず現れるおもちゃや菓子によろこばされた。

七十歳になったとき彼女が手がけた子供たちはみな成人して、
その幾人かは自分の家を構えていた。

彼女の曲がった腰と皺だらけの顔は、そのどこでも歓迎された。
彼らはかわるがわる喜んで彼女をもてなし、
彼女が自分たちに惜しみなく降り注いだ愛情に報いるのだった。

■第十章 子どもの楽園 ―――――――――――――――――

●メアリ・フレイザー(「英国公子のみた日本」)

別当は道路の中央に安心しきって座っている太った赤ちゃんを
抱き上げながらわきへ移したり、
耳の遠い老婆を道のかたわらへ丁重に導いたり、
実際10ヤードごとに人命を一つずつ救いながらすすむのだった。

●モース

世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、
そして子どものために深い注意が払われる国はない。
ニコニコしている所から判断すると、
子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい。

●アビラ・ヒロン(イスパニア商人)

子どもは非常に美しくて可愛く、6、7歳で道理をわきまえるほど
すぐれた理解を持っている。
しかしそのよい子どもでも、それを父や母に感謝する必要はない。
なぜなら父母は子どもを罰したり、教育したりしないからである。

●ルイス・フロイス

われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。
日本ではそういうことは滅多に行われない。
ただ言葉によって譴責するだけである。」

●オイレンブルク

子どもが転んで痛くしたときとか、私たちがばたばたと馬を駆って来たときに
怖くて泣くとかいう以外には、子どもの泣く声を聞いたと事が無い。

●モース

世界中で、両親を敬愛し老年者を尊敬すること、
日本の子どもに如(し)く者はない。

●ブスケ

父と母とが一緒に見世物に行くときは、一人か二人の子供を背中に背負うか、
または人力車の中に入れて連れて行くのが常である。

●ネットー

日本では、人間のいるところならどこを向いて見ても、
その中には必ず、子供も2、3人は混じっている。
日本では子供はいつも大人と一緒に出かけたのだ。

●グリフィス

日本人が非常に愛情の深い父であり母であり、
また非常におとなしくて無邪気な子供を持っていることに、
他の何よりも大いに尊敬したくなってくる。

●モース

屋敷の召使いの女の子(9つか10歳)を連れて夜市を散歩したとき、
十銭ずつ与えてどんなふうに使うか見ていると、
その子らは地面に座って悲しげに三味線を弾いている貧しい女、
すなわち乞食の笊(ざる)に、
モースが何も言わぬのに、それぞれ一銭ずつ落とし入れたのである。


「カリユガでは嘘をつくものだけが成功を勝ち得ることが出来る。」と言われています。
しかし、カリユガではそのように言われているとしても、正直さを保つということは一番重要なことなのです。
あなたが一度嘘をつくと、その嘘によって嘘まみれになってしまうが、真理に基づいた行為は愛に満ち簡素で安全である。
公言しなければならないことだけを公言し、話そうと思ったことだけを話す。
あなたが、経験したことだけを話すようにする。
それ以下でも、それ以上でもない。SSSvol5p106