■2002年 フランス 110分
■2007.3.25 GyaO
■監督 ダイ・シージエ
■出演
ジョウ・シュン(お針子) リィウ・イエ(マー)
チェン・クン(ルオ) ツォン・チーチュン(仕立屋)
《story》
中国文化大革命の真っ只中の1971年、マーとルオは、反革命分子として再教育のため、山奥の鳳凰山に送り込まれる。村人たちは、読み書きができず、文明とかけ離れた生活をしていた。村長を中心に規律を守る村で、二人は過酷な労働に従事した。村人はバイオリンを知らず、時計を知らず、しかしながら二人のもたらす文明に興味を抱き、映画などの話に耳を傾けた。唯一の機械として大切にされたミシン、それを扱う仕立屋は大事にされた。その孫娘のお針子と二人の青年たちは親しくなり、彼女にお話を聞かせたたり、文字を教えた。そしてルオと彼女は愛しあうようになる。マーも密かに恋心を抱いていたが、二人をそっと見守るのだった。ある日、ルオの父親が病気だという知らせが入る。ルオは一時、その村を後にする。しかし、彼女のお腹の中には子どもがいた。マーは密かに堕胎の手伝いをする。その後、彼女も自分をためしたいと村を出る。それから27年後、その村はダム建設のため水の底に沈むことになる。
かけ離れた世界
懐かしい風景の中で、都会と田舎のかけ離れた世界があった。そして、現代ではその風景も水の中に沈み、飲み込まれようとしている。都会の文明の波ではなく、都会のしわ寄せが押し寄せているようで寂しさを感じる。文明の波だとしても、歓迎されるものではなきけど、都会に生きる人々の犠牲になっているようでいい感じがしない。昔の遮断された都会と田舎、これほど大きな違いがあるのかと驚いた。文字が読めない人、時計を知らない人・・・・しかし、政治の人々を抑圧する思想はしっかり根付いているからもっと驚きだ。現代では、中国の個々の格差は激しいという。貧富の差だけでなく、学力の差もきっと激しいのだろう。格差は心の荒れを生む。平和とはかけ離れていく。
二人の青年は、結果的にお針子の人生をもてあそんだのだ。何も知らなければ幸せに暮らせることもある。後から考えてみたらそういうことになる。27年後に、その村は沈むことになるけれども、もっとさわやかな雰囲気の中で彼女と再会できたかもしれない。自然を愛し、村を大切に考え、しきたりを守ってきた純粋だった彼女の心に、もっと何かを求めて歩こうとする外への目が開いた。そのときは、きっとそういう未来を見ようとする人間が必要だった。彼女の力が、彼女自身の人生を輝かせることができたら、それを二人が未来で見ることができたら、もっとちがった終わりかただっただろう。
公式サイト「小さな中国のお針子」
楽観的に考えよう
うまくいかないことがあったとき、いつまでもいつまでも心に残る。深い考えもなしに、自分がそれをすることが合っているのか考えることもなく、やってしまうと失敗する。自分は他人とはちがう。自分の中で何度も熟慮し、先を見通してやらなければ行けない。結局感情に身を任せてしまう形になった。しかし、今度はそれを裏返しに考えていくことが大切だ。そうすることが良かったんだと考える自分をつくらなければいけない。そうしたことを生かすことを考えるのだ。さあ、ゆっくり反応を見てみようじゃないか。その反応をじっくり分析して、これからの細かな動きを考えるのだ。
今朝、夢を見た。これから葬式があることを忘れ、礼服を用意していなかったのだ。今から帰ったら間に合わない。近くの店に駆け込んで、店員のおばさんに話したら、何とかしてくれるという。何てラッキーなんだと思った。失敗が幸運に変わった。まさしくそのことを暗示しているのだろう。