■2004年 韓国 122分
■原題「Fighter in the Wind」
■2007.2.14 wowow
■監督 ヤン・ユノ
■出演
ヤン・ドングン(チェ・ペダル(崔倍達))
平山あや(陽子) 加藤雅也(加藤)
チョン・テウ(チュンベ)
チョン・ドゥホン(ボムス)
パク・ソンミン(龍馬)
国分佐智子(龍馬夫人)
真樹日佐夫(武術協会元老)
《story》
「正義なき力は無能なり、力なき正義も無能なり」
1939年、日本の統治下にあった朝鮮。チェ・ペダルは、パイロットになるために日本に密航する。航空学校に入ることはできたが、戦時下の日本では朝鮮人は差別されひどい仕打ちを受けるだけだった。あるとき、ペダルは教官と争い、加藤大尉との戦いで負けてしまう。戦争が終わり、日本に残ったペダルはチェンベと小さなパチンコ店を開くが、やくざに襲われてしまう。そのとき、幼い頃に武道を教わったボムスと出会い、武道を習った。そのボトムがヤクザに殺され、ペダルは山奥に入り、厳しい修練を行った。そして、その後、日本の道場を巡り、武闘家たちとの試合に挑むのだった。
こんな人もいたんだ
こうして日本で活躍している朝鮮の人は多いんだなと思った。どの国であっても、優しさをもって、人を大切にしようとする人は立派だと思う。対戦相手を殺してしまい、その奥さんと子どものために、できることをしようとする気持ちは、尊いものだ。それは日本人だからとか朝鮮人だからとかではないのだ。日本人でも、いい人はいいぱいいるし、悪い人もいっぱいいる。ヤクザは日本の恥だ。国の名前をあげてひとくくりにしたくない。このペダルという人間が、ただ強さだけを持とうとしたのではなく、精神をも強く優しく鍛え上げているからすばらしいのだと思った。そういえば、最近見た「SOIRIT」も同じようなストーリーだった。初めは強さだけを求めていたけど、本当の人間の強さとは力ではなく、心であることを見せてくれた。アクションではあるが、見せるだけのアクションではなかった。
公式サイト「風のファイター」
『交差点』 重松 清 【BOOK】
だんだんとただの思い出ではなく、吃音と人間関係の葛藤とが重なり、悲しくなったりうれしくなったり、「生きている」って感じがしてきた。今までの短編は、どこか卑屈で、自分が世界の不幸の中心なんだと言わんばかりで、まるで自分の姿を見ているようでいやだった。直接は吃音と関係ないが、間接的に人生に一こまを見せてくれ、言葉にでくても、そこに何らかの意味や主張を、自分なりに作ることができた。作者は、そんな大袈裟なものはないと言っているが、ただ見るだけじゃあつまらないものだ。見て、動いた自分の感情を何らかの方法で表現したいものなんだと思う。だから、つたない言葉で、えらそうに込められた主張を推理する。映画も本も、私は同じ気持ちで見る。感情が動かないのっぺりしたものや、頭の中で意味を言葉にできないものは不可なんだ。
少年の人を思う気持ちが、最後は思われる気持ちに変わっていく。ベンチに無理に入って来た人、押し出された人、見ていた人、どの心もそれなりにしんどい。交差点は人と人とが別れる場所。初めは、少年がつきあって通り過ぎた交差点が、いつの間にか付き添われる交差点に変わってしまった。だれを恨めばいいのだろう。初めに少年が言っていたように、実力の世界だ。最後に少年がはじき出され、これでチームはまとまるなんて、なんて皮肉なものなのか。「がん・・・」 それは本当は自分が「がんばる」と言うことで、耐えることだったなんて。そんな立場の逆転ってあるよなあ。