ロンドン・パラリンピック

2012年09月05日 | 雑感 -

テレビ放送時間が、オリンピックよりも、かなり短い。
世間的な注目度も、低いようにも思う。

それでも敢然と感動を呼び、たとえようもない感慨を
もたらしてくれる。

「人間って、凄い!」

心から、そう思う。



私は、介護経験があるゆえに、高齢者が一人で杖をついて、
ゆっくりと歩いていると、眼が離せなくなる傾向がある人だ。

また、自分の精神的な弱さから、身体が不自由な人を観ると、
どうしても一言で説明できない感情が出てくる。
それは、同情ではなく、自分では乗り越えられないだろうと
思うからこその“複雑な感情だ”と、つくづく感じる。

だからこそ、パラリンピックの参加者の「一生懸命さ」と、
その先にある「突き抜けた清々しさ」が・・・
不自由な身体や、境遇の厳しさを忘れさせてくれるぐらいの
ものすごい感動に変化してあらわれる。

平凡な自分には、彼らの存在そのものが、ドラマチックに映り、
不思議な感情に包まれることが しばしばである。




私が、まだ相当に未熟な頃・・・随分前のことだが・・・
重度の身体障害者の方の生活介助の経験があるのだけれど、
必要以上に気を遣いすぎて、自然に介助できなかった。
緊張してしまったのが、相手にも伝わったようだった。
もちろん、短時間では相手との気持ちの交流は難しいので、
当然のことではあるけれども、これらの実体験から・・・
とても印象的な経験だった。
人一倍、感じる力を持つ彼らには、私の緊張は快適では
なかっただろう。

特別に、そして、過剰に“考えすぎた” のが原因だったと、
今更ながら思うけれど・・・
あの頃は、そんなことの片鱗さえも解らなかった。




人間が持つ「可能性」なんて、自分で諦めたら「そこまで」だ。

だから、常に結果に縛られる五輪よりも、パラリンピックこそ、
心底「平和の祭典」のような気がして仕方がない。
参加することに意義がある!
そう、思える。


発祥の起源は違っても・・・
世界的な一流アスリートによる国際競技大会であることには、
オリンピックと何ら変わりはしない。


「シンプルな生活」へのシフト

2012年09月04日 | 出来事 -

最近、極力 「シンプルな生活」 に徹底するように
シフトしているところである。

荷物も捨てるものと、残すモノをイメージしながら、
生活している。

シャンプー・リンス・コンデショナ―のたぐいは、
皆捨てる予定。
トリートメントもそうで、ほとんど無くなったら、
次のボトルは買わない。

以前は、塩洗顔や、塩洗髪などをしていたが、
さすがに・・・それは、建築材の保護のため、
いつも、いつもは、出来ないだろう。

今後は、弱酸性で、捨てても問題のない、環境にも
配慮したシャンプー瓶がひとつになる予定。

そして、艶を出すためには、現在は「あんず油」を
使用している。
ヘアオイル用だけれど、天然100%あんず油だ。
これがあれば、トリートメントの必要はなくなる。

昔の人は、つばき油を使ったらしいが、
あんず油は少しだけ微妙な香りと、手触りが違う。
べたべたしないのが、何より良い。

自分が出す排水にも気を配りながら、周囲の科学的物質は
少しずつ排除していきたいと思っている。