誰にでも出来る 「挨拶」

2011年11月14日 | 仕事 -


これでも(私は)プロジェクトのトップを まかされている立場だ。
だから、面倒な仕事も増えてくる。
今日は、部下の査定を提出しなければならないという・・・
やりたくもない書類が、突然、舞い込んできた。

いくつかの項目にわかれ、書き込まれるようになっている査定表は、
いずれ幹部にわたり、それらは「ボーナス」に反映されるという。
社員さんには、「ボーナス」があるんだなぁ。
羨ましいことだ。
どんなに頑張っても、また、社員と同等のことをしても、
あるいは、社員以上の立場で、社員以上の仕事の成果をあげても、
わたしたちには「ボーナス」というものなどない。
そのために、査定するのか・・・と、何か・・・無常で複雑な関係性を
感じつつも、会社の方針には従わなければいけない。

“フリーランスのたわごと” だ。



夏からの数ヶ月間、社員である部下の これまでの仕事ぶりを振り返る。
こういう書類を送りつけられると、いろいろと冷静に感じることも
出てくるのだが・・・・
とても、とても、基本的な「挨拶」ができていないことを、
まず第一に「私は指摘したい」と 強く感じた。
会社内であれば問題なくとも、外に出て、外部者と仕事をする時に
挨拶ができないのは とんでもないことだと思う。
恥ずかしいことでもある。
これは「能力」とかの問題ではなく、その人個人の基本的姿勢と
習慣の問題である。
その背景には、社会(&社会人)に対する礼儀があるし、
個人としての自覚もあるように思う。



どんなに偏差値の高い大学を卒業していても、挨拶ができなくて、
人に信頼してもらえず、社会常識観念が欠落しているようでは・・・
未来は厳しいと感じる。
挨拶なんて、あっという間に改善できるものだ。
誰もが出来る習慣である。
フツーであれば、ごくごく当然に “社会人の行為”に属している。

こんな何でもないことができない30代にもなる大人が・・・
この日本社会にはゴロゴロいることが・・・切ない現実である。
こういう基本的なことぐらいは、社員研修でやらなかったのか!
家庭では しつけられなかったのか!
そんな素朴な疑問にかられて、ついぞ、強く書いてしまいそうだ。

コミュニケーション能力や、統率力、洞察力・・・・そんなものは、
「能力」に属するものだが・・・
挨拶は、それ以前に属する“人としての基本的な行為だ”と思う。



まずは、書類を一読して、時間がたってから、再び・・・
頭が冷静になった頃に、書き込むこととしよう。

このところ、仕事の関係で、毎日、六本木辺りに外出している。
熟考しながら、査定表に書き込む時間もない。
来週か、今週末に、ゆっくりと作成することにしよう。