「竹下通り」の混雑

2010年08月14日 | ナンセンス -

今夜はフルコースのディナー日だったので、それまでの間は(少しでも仕事をしようと)
とりあえず(正午頃に)会社に出向いた。

電車を降りて、びっくり!!

「原宿」駅前、「竹下通り」が、人人人・・・・。 パンクしている。

日本語のみならず、英語、中国語、韓国語・・・・すごい!!

記念写真を撮っている人もたくさんいて、「さすが」というべきか・・・
人をかきわけ、歩くのも大変なぐらいの「あふれっぷり」である。


写真は、今日の昼間の竹下通りの光景である。
これを、私は、「いもあらい状態」と呼ぶ。



そういえば、私も・・・高校時代の修学旅行で、真っ赤な「雷門」の紙袋をさげて、
セーラー服のままで、友達と この場所を訪れたことがある。そして・・・・
知らない若者に、「いやぁ、かみなりもぉ~ん!」と笑われたのを思い出す。

竹下通りって、「やっぱり、すごい人気なんだなぁ~」と感じる。
そういえば、常に、お店は変化しているし、気楽で楽しいショッピングができるのは、
今も昔も変わらない。


猛暑に負けない体力

2010年08月13日 | 環境 -

今年の猛暑は、ものすごい。
雷雨や落雷も多く、豪雨は全国的に多発している。
過激な暑さが続いた後には、激しい雨が降り続く。
熱帯化しているような予想のつかない異常気象である。

今年は「体内の“気”をすべて奪っていきそうな暑さ」である。

この身体がシャッキッとしないのは、やはり「夏バテ」なのだろう。


それに加えて・・・精神的な状況も影響している。
昨夜、先日も会った「思い出の人」が、体調を壊したという連絡が入って、かなり落胆!
その人は、現在「ICUに入っている」というシリアスな連絡だった。
(先日、連れ合いを亡くしたばかりの人である)
私の父の時のように、ご主人の魂が連れて行かないかと・・・・心配になってくる。
お盆だし・・・・余計なことも考えてしまうものだ。

それで、自分もまた自律的な行為を怠ってしまい、気力が低下していくのを感じる。




季節の変わり目の体温調節には・・・・・
人は、その人なりの精気を使っているように思う。

こういう不安定な気候が続くと、身体はだるく、気持ちも落ち込んだり、疲れたりもする。
また、仕事においての日頃の積み重なった疲れが、(突然)休んだりすると・・・・
どどっ~っと押し寄せてきて、睡眠どころか・・・起きるのが億劫に思えたりもする。

本当に、人としての集中力を欠く「倦怠感」「脱力感」に襲われる。




私はというと・・・小さな「快楽」のために、まわりまわって自分の健康を害している。
たとえば・・・
冷房をつけたまま就寝して、夏風邪をひいたり、
食べたいものを食べ過ぎて、胃腸に負担をかけたり、
テレビをつけたまま就寝して、気がついたら朝で、そのままテレビがついていたり、
・・・・・・なんともはや、だらしのない現象だ。
怠慢な自分の生活態度が、引き起こした結果である。

しかし、本当に、身体が・・・・だるいなぁ。 気持ちも、たるんでいる。
やらなければならないことが、いくつかあるのに、実際は やっていない・・・。

基礎体力と、気力を増進させる何か・・・が、必要ではないかと感じる日々!

頭では理解できていても、なかなか身体がついていかないものである。
完全なる「生活習慣の改善」は・・・。
たとえ、それが、ベターな方法だと、心から思っていてもだ。
疲れを理由に、怠慢に走る自分を恥じながら、「息をしていること」に、ただ感謝!



スイカの甘い香り

2010年08月11日 | 食事 -

郷里の(豪農である)叔母宅から、再び 「スイカ」 が届いた。
今度は、中位の大きさ (それでも大きい) が一つと、小さな丸いスイカが一つ、
そして、小ぶりで楕円形の柔らかい皮のスイカが一つ・・・・。

前回届いた 「びっくりするぐらいの巨大スイカが、二個入ったダンボール」 は、
さすがに 宅急便のおじさんも重そうだった。

今回は、箱もひとまわり小さくて、かわいい大きさで、とても食べやすそうだ。
また新種だと言う楕円形や小玉スイカは、割ってみるのが本当に楽しみである。

しかし、スイカは、切ってみないと・・・・味の具合がわからない。
これがまた、ギャンブルみたいで、なかなか楽しい。



まず最初に、一番大きな中くらいのスイカを切ってみたが・・・・
叔母さん宅のスイカに、間違いはほとんどない。
今年も、素晴しい甘さと、水気があって、「夏」を満喫できる雰囲気である。


そして、郷里からのたよりは、本当に嬉しい。
それに・・・・・とっても、美味しい。
叔母さんは、高齢なのだが・・・・スイカの周りに、ナスだのピーマンだの、ナシだのが、
隙間を埋めるように押し込まれていて、これを救い出すのもまた、楽しい作業だ。
宝探しのように、野菜や果物の一つ一つを手にしながら、冷蔵庫に収めていった。


スイカを割った途端・・・
田舎の風景が、目に浮かんできて・・・・叔母さん宅の庭先で、いつものように
かぶりついているような錯覚を感じるぐらい・・・・部屋中が、甘い香りに満ちて、
「スイカ」の存在感に、ノックダウン状態である。

栄養ビタミン満載! 
利尿作用もあり、疲労回復になるスイカのカリウム!
夏バテ気味の私にとっては、最高の贈り物である。



「愛する」ということ

2010年08月09日 | 言葉 -
 

   Love means never having to say you're sorry.


  ~ 愛するということは、後悔しないこと ~


  「ある愛の詩」という古い映画(1970年公開)の一説である。



  いつの時代にも、似たような感情と、似たような結果は、人々に訪れている。
  人間の「人を愛する気持ち」に、大差はないだろう。

  出会うべくして、出会い・・・・愛すべくして、愛した相手なのだから、
  何らかの教訓があっても、しかるべきだろう。

  「自分の全てを賭けて、他人を愛すること」は、俗世ではごくごく稀であっても、
  映画の中では、頻繁に成立する。
  この映画もまた、数多くの人々に影響を与えた映画であることに、間違いはない。
  当時の青春映画としては、印象深い映画の一つだったのだろう~と思う。
  主演を努めたライアン・オニールの数奇な運命と、この映画との不思議なシンクロが、
  映画ファンとしては興味深いところでもある。
  
  

早起きの利点

2010年08月07日 | 自分 -

本当に久しぶりに「早起きをした」。

「今日」という時間が、たっぷりある。
「空気が清々しい」。
「暑くないぞ~~」。


自然豊かな場所に暮らしていて、プライベートルームの窓を全開にして就寝すると、
昨年までは、朝4時や5時には、必ず起きていた。
鳥たちの泣き声で、目が覚めるからだ。
ウグイスの季節などは、本当に快適な気分だった。
もちろん、二度寝をしたりして、充分な睡眠時間はとるのだが・・・・

最近は、窓を開けて寝ることがなくなったので、全く早起き人間ではなくなった。
 (窓があけられない理由があるのだが、ここでは明記することは避けよう!)

だから、本当に、早起きは、「ひさしぶり」なのだ。

今年の春も、鳥の鳴き声を感じつつも、窓は閉めた状態だったので、
遠くに聞こえる鳥の気配に、少しだけ意識が向かいつつ・・・戻りつつ・・・・



今朝は、暑さのため寝ていることができず・・・起きてすぐに、思わず冷房をつけて、
冷蔵庫の「スイカ」にかぶりついた。 美味しかった。身体中に冷たいものが・・・・。
それで、生気を取り戻し、熱湯を沸かして、暑い「蕎麦茶」を入れて、飲んだ。
今度は、私の身体中に温かいものが・・・。 人間サウナのような感覚!(笑)。

ちなみに、最近は、「麦茶」ではなく、「蕎麦茶」を、冷蔵庫で冷やしてよく飲んでいる。
蕎麦茶を入れる時の・・・部屋中に立ち込める「そばの香り」は、たまらない。
健康を意識しているわけではなく(麦茶も身体によい)、好きなものを選ぶことを
今は優先している。
気分が変われば、選ぶ物も変わる。
心と口が欲するものを、身体に吸収している。
素直な自分の気持ちに従う生活・・・・これが、私の理想だからだ。



労働者の権利と待遇

2010年08月06日 | 仕事 -
過日のプロジェクトメンバーの中に、ある企業の代表の方がいらっしゃった。
私よりも、年上で、経験も(もちろん)豊富な人である。

仕事のために、地方に出かけたときのことだった。
夕食後の宿泊先では、だいたいラウンジやフリースペースで(あるいは部屋で)、
お酒をかこんだ懇談会が、なんとなく始まるのが常である。

私は、所属が違うので、それほど気を遣うことでもないのだが・・・
ひとつだけ気になったことがあった。
私に対することで、心に強くひっかかった言葉だったからである。

  「君のような人間は、めずらしい。しかし、みんながそんなやり方をしていたら、
   この業界はつぶれてしまう・・・ような気がする。
   君を決して否定しているのではなくて、現実を言っているまでだからね」

しかし、その語り口は、何か稀有なモノを見るような言い方で、明らかに私にとっては、
(批判はされずとも)快適な雰囲気ではなかった。 たとえ何を言われても、私の感想は、
大切なものが守れない業界であれば、つぶれてしまったり、改訂を余儀なくされることは
自然の流れではないかという印象をもったことと・・・・もう一つは・・・・
そういう業界に執着する意味があるのかと、素朴に疑問を感じた。

現代の社会では、とにかく・・・・
会社の意向や、企業代表者の経営方針が、全ての舵(指針)となっている・・・。




私は、前の会社で、労働条件が無謀で、私が紹介した人材の報酬を支払わなかったので、
代理人として(私が矢面に出て)180万円ぐらいを交渉して、支払ってもらった。
第三者の代理人として、書面にも、きっちりと署名・捺印して、最後まで闘った。
その後、私の番になると、「代理人(弁護士)をたてるので、待っていてください」と
言われ、数ヶ月の期間・・・連絡がなかったので、メールで問い合わせたら、一方的な
理解不能なメールが届いた。 
それは、交渉拒否の内容だった。
そのため、1ヶ月の準備期間を経て、裁判所に訴状を提出した。
最近、非常に 簡潔に、安価に、執り行われる「労働審判」という仕組みを使用した。
結果としては、私は希望額には満たなかったものの・・・・最初は「一銭も払わない」と
言っていた会社は、三桁万円以上の単位の追加報酬を支払うことで示談した。
私は、示談する必要性も感じなかったし、法律違反をして、労働者をコケにする大会社の
横暴さを世の中に問いたかったぐらいだった。
あらゆる媒体&方法を使いながら・・・・。
だから、途中では・・・「私は、決して示談はしない」と、何度も言い張った。
しかし、相手の会社としては内容を公開されては困るので、また、同様に大所帯の上に、
先方には(違法行為という)弱みがあって、おそらく示談金をつむ結果となったのだろう。
(この状況が公開されれば、かなりシリアスな現実となることは明白であった)
弁護士同士の暗黙の打合せがあって、私は当方の弁護士に説得をされた・・・。



上記の件を称して、冒頭の中小企業代表の発言に通じる。
すべてが労働基準法に則り、遂行されているとは思えないし、そんな簡単なことは、
私ごときでも理解はしている。
ただ、労働を提供してる従業員に対する「相当なる対価」は、それなりのものが必要だ。
でなければ、当初の約束され、契約された労働条件を守るべきだろう。
追加で仕事を無理に押し付けたり、労働者の立場を横暴な態度で変えたり、過度の労働を
長期間にわたって強いるのは、健康を害する要因である。
従業員としての人権を考えても、あまりにもひどい扱いに辟易する。
何かがあった場合は、ちゃんと双方が前向きに話し合って、状況を共有してから、
労働内容や労働条件についても確認するべきだ。



私は、果敢に提訴したことにより、周囲からは「あぶない人」のように思われているかも
しれないけれども、「正当な権利を主張した」だけである。

また、通常の人間関係があって、「仕方がないかぁ」と思える配慮があれば、このような・・・
ドロドロの裁判劇を演じることもなかっただろうと、(今は)しみじみ感じる。
誰もフォローしないで、会社のイメージを貶めることになった事実は、私にとっても
非常に遺憾な現実として残っている。
( 事後対応を きちんとしてくれていたら、私は 裁判には しなかっただろう・・・)

元凶となった現場の担当者は、「うつ病」で、虚言と妄想、そして記憶障害に侵され、
産業医に「休暇命令」をもらって、上司に申請しても、休めない状況で働かされていた。
結局、このことが大きな現場の問題となり、小さな穴が 大きなバクハツを引き起こした。


私は・・・
これまでは、「人間関係ありき」で、うまく仕事を遂行して、敢行してきたわけで・・・
過去に 「もめたりしたことは一度も無い」。
私が果敢に挑んで行った上場している大会社は、そういう「人と人とのつながり感」や、
従業員に対する「権利」などは、全く無視された会社だった。
実際、“横暴な言葉と態度が普通だった”ことで、こういう結果になっただけである。



ただ、結論から言うと、当初、裁判なんて「ストレスだけだ」とみんなに言われたが、
自分に対する「勇気」と、自分を受け留める「自信のようなもの」が備わり、私には、
かなり得たものが多かったと思っている。 
貴重な人生経験にもなった。
一人の人間が、上場会社を相手にした闘いという事実は、かなり大きな意味をもつ。
毎回、裁判所に、弁護士を三~四人も連れてくるなら、その弁護士料の金額だけで、
示談金がすぐに成立しただろうに・・・。
いつもそう言いながら、私の担当弁護士と 笑っていた。
もちろん、前例をつくりたくなかったのは解るが、それなら尚のこと誠意をもって、
会社は私と対峙するべきだったのではないかと、(時間を経た今は)冷静に感じる。


当時、多くの従業員は、「泣き寝入り」をしていた。
その会社は、二重契約をしたり(これは違法行為である)して、契約社員を派遣したり、
現実には力量のない人間が正社員として高給を取り、派遣社員や登録メンバーの仕事を
斡旋した金額で、かなり急成長した悪徳会社(私が感じた限りでの判断です)である。
取締役はじめ、数名との話し合いは全て録音したが、彼らの発言を吟味して分析すると、
本当に違法な現実が浮き彫りになり、矛盾ばかりの発言ばかりだった。
まさに「まやかし」と「詭弁(きべん)」の繰り返しで、あきれ果てる内容だった。
だからこそ、本当に、当時は、「公表したい」という気持ちが大きくなっていったのだ。
誠実ではない姿勢と、違法にあたる行為は、いつか・・・天罰がくだると、今も思っている。

30年後に、その会社が、今の位置にいるとは、決して思えない。
持続不可能な会社であり、そういうシステムであり、立て直す力量を持たない大会社だ。


私は基本的にフリーなので、たくさんの会社や、プロジェクト現場にかかわり・・・・
いくつかのセオリーを身につけてきた。
その中でも、あのような悪徳な誠意のない態度で接する会社は、生涯、はじめてだった。
従業員を、言いなりになる「虫けら」のように考えているような一方的な態度だった。
だから、訴状を突然に突きつけてしまったが・・・・彼らは、私が、そこまでするとは
思っていなかったらしい。
他の皆と同じように、きつく書いた交渉拒否メールで終わると思っていたのだと思う。
しかし、そのメールも、結果として、横暴な証拠の一部として提出されることになった。



日本人は、何故・・・・「泣き寝入り」をする人が多いのだろう。
過大な自己主張は嫌われるし、私も理解ができない。
しかし、当然の「人間としての労働者権利」は、「主張する」のがよいのではないか―と
考えている私は・・・・稀有な存在なのだろうか。
会社にクビをきられるから、とか・・・・生活に困るから、など・・・・理由をあげたら、
ほとんど私だって同じ状況である。
しかし、周囲の人は、「交渉(実行)することが難しい」という。
其々に、条件は違うのはわかるが・・・市民団体もあるし、相談や弁護料の問題だって、
最近はいろいろな対処方法がある。
そして、会社の労働組合をつくり、一人ではなく、みんなで闘うということだって、
時機をみれば実行不可能なことではないはずなのに・・・・。
何故、立ちあがって、交渉をしないのだろう。
喧嘩するのではなく、上手く関係を構築するため、必要な経路だと思うのだけれど・・・。

私にしてみれば、一労働者として、また一人の人間として、最低限の権利と待遇を
手にするためには、「勇気をもって上申することも、必要ではないだろうか」と思う。


この経済状況があってのことだと思うが、泣き寝入る人が、どんどん増えているような
印象がするのだが、現実はどうなのだろう。


私は、「うつ病」になる前に、現在の自分を取巻く環境を見直すことが大切だと感じる。
過剰労働の果てにあるのは、生きがいのない、働き甲斐のない「自分欠落思想」であり、
健康的な生き方だとは思えない。
とにかく、自分の心と感情を大切に、考えてほしいものである。
自分の人生を切り開くのは、会社でも上司でもなく、自分自身であるということを・・・。



現在の会社では、過剰労働で、昨年の新入社員の全員15名が、この一年で辞めて行った。
仲のよかった人は、頭痛に苦しめられ、しばらく休んで他の会社へ行くと言っていた。

本当に、「健康的な生活」を送ることの大切さを感じる。
私は、あの時、裁判所に訴状を出さなかったら、“精神的にかなりまいった” と思う。
後悔が残っただろうと、予想されるからだ。
結果オーライであるが、私個人は、本当に「これでよかった」と心から感じている。




話題は、変わって・・・・・
今日は、ヒロシマの原爆記念式典。
昨年もこれについてはブログで触れたが、やっと米国関係者が今年初めて参加した。
反対派も多い中で、「オバマ大統領の強い意志で実現した」と伝え聞くが・・・
本来であれば、これは、昨年に実現してしかるべきことである。
ノーベル平和賞を頂いたからには・・・・という背景も感じられて、素直には喜べず、
ただ、現実としては、亀の歩みながら一歩一歩前進していることは認めつつも・・・
「核廃絶」への道は遠いからこそ、私たちの願いが強くなっていくのを 感じる。



イチローの夏 CF

2010年08月05日 | マイブーム -
演技者としても素晴しい才能を発揮している「イチロー」。

今夏のCFで、阿波踊りを背景に、素晴しい笑顔で、冷たそうなビールを飲んでいる。
撮影したのは、真冬の1月と聞いたが、さすがイチローの存在感はピカイチだなぁ。

今年も、8月のお盆時期には、徳島県のいたる場所で、沢山の連が「阿波踊り」を踊り、
鐘や三味線などのお囃子「よしこの節」が鳴り響く・・・・。



あのCFを観るたびに、徳島に帰りたくなる。


スイカは、水がわり

2010年08月05日 | 食事 -

叔母さん宅の 「スイカ」 に、助けられている。

現在は・・朝食も、寝る前の水分補給も、「スイカ」 になっている。

こんな暑い日は、特に 「スイカ」 から始まる朝の水分補給リレー!

「野菜ジュース」「豆乳」 などなど。

これで、どうにか、生きているようなものだ。

仕事の「後始末」

2010年08月04日 | 仕事 -

一昨日の理不尽な仕事の後処理。
「一時は、どうなるものか」と思ってたが、現況 どうにか収拾がついたような状態だ。


昨日、私は、深夜作業の仮眠後、朝8時には処理メールの長文を書いていた。
そうしたら、誰かからのメールを着信。
  「昨日は、あなたにあたってしまってごめんなさい」という謝りの羅列が・・・。
  「あなたに怒っていたのではないことだけは、わかってほしいです」などなど。
  「いえいえ、そんなぁ・・・とんでもない」と即座に書きつつ、私の心は凍っている。


私の立場は、其々の間の潤滑油なのだ。
 (はがれたものをくっつける接着剤のようなモノ)
すべて「仕事」として割り切って、それでいながらも、自分の自尊心を尊重しながら、
日々の歩みをゆったりと 進めていくしかない。
優先順位を考えつつ、且つ、一番大事なことを落とさないように気をつけながら・・・。


あのような一日もまた、何らかの経験としてプラスになっているのだろうか。
単純な疑問と、気恥ずさが、私の心を、ささ~っと渡り鳥のように すりぬけて行く。


「謝る」ことは、勇気のいることだと思うし、一日過ぎて冷静になったのかもしれないが、
「一度起こってしまったことを、無かったことにはできない」のが、「現実」だ。


私の中にも、ほんの少しだけ、冷静に「分析しようとする気持ち」が 働いている。
そんなもの、これからの私には、全く必要ないのに・・・・。


最期のお別れ

2010年08月04日 | 出来事 -

今、深夜の二時。
最終の電車で帰宅して、コンビニでだらだらと歩き回って・・・・ミルクを買った。

訃報をうけて、本日の午後3時、荼毘にふされる人の自宅に出かけていった。
斎場に行けないので、夜八時すぎに会社を飛び出し、電車に乗り込み、タクシーを拾って、
やっとの想いで、駆けつけた。 (31日に逝かれたという)
この俗世界から、人を送るというのは、本当に悲しい儀式である。

化粧をしていたのに、いつのまにかドロドロになり、素顔のような状態になってしまって、
頭の中もぼぉ~っとしていた。
暑いし、辛いし、身体も追いついていかない。
           (昨夜の作業も禍している)


しかし、行って良かったのは・・・・
15年以上ぶりに会うような、懐かしいメンバーが、顔をそろえていた。
声をかけてもらっても、最初わからなかったりして、年月の流れは不思議なものだ。
いたるところで、「何処に住んでいるの?」「今、何しているの?」と、お互いの
近況を、廊下の隅などで話し合っている。
私は、終始、亡くなった方の奥様に寄り添って、話を聴いていた。
 (彼女には息子さんがいるが、先妻のお子さんで、ご自分としては複雑な状況なのだ)

半身不随になってしまっているその人は、「天涯孤独になってしまったわ」と嘆く。
「私も、そうですよ」
「そうなの。 時々、寂しくなるでしょう?そのとき、どうしているの?」と、
私に尋ねてくる。
「電話で友達に話をして、聞いてもらいます」
「そうなの。ためてたら、よくないものねぇ」
喪主として、気丈に頑張っているものの、とても疲れているような・・・というよりも、
かなり落胆しているような感じがした。
私と会って初めての言葉は、「死んじゃったわ・・・」だった。

皆が集っている内は良いが、きっと全てが終わった後には、
どっぷりと疲れ果ててしまうことだろう。



私は、どうしても“横たわっている人”と最期の別れはしないタイプだったのに、
昔の仲間は本当に優しいのか、残酷なのか・・・・無理無理に・・・・
私を抱え込み、後から支えてくれて、その人の目の前に連れ出してくれた。
背中を押され、引きずり込まれたような感じだった。
人前での久しぶりの「嗚咽」は、恥ずかしくも無く、辛い気持ちをそのまま放置したまま
さらしていたら・・・・お酒を飲んでいたり、雑談中の昔の仲間達が私の周りに集合し、
男女問わず、皆が涙をためたり、泣き出したりしてしまった。
結局、私は、外国の「泣き女」のようになってしまった・・・・。
私が、そそくさと霊前から離れたら、仲間達は昔話や晩年の話をしはじめて・・・
それぞれに故人を慈しんでいた。
いろいろな葛藤が、個々の胸の内にはあっただろうけれども、年月がそれを打ち消して、
まるで「同窓会」のような状態になって、「ハグ」と「握手」の嵐だ!

あらためて、私の青春時代の未熟な時期を、リフレインした感覚は、とても新鮮で、
どこか すっぱくて・・・・切なかったなぁ、やっぱり。


いつも思う。
こんな機会じゃないと会えないなんて、なんかとても複雑な感覚だ。


「生きる」ということは、本当に簡単なようで、奥深い人間の営みである。

人が、どのような評価を下そうとも、自分は自分らしく、最期を迎えたいものだ。
決して無理をすることなく、自分らしく・・・・。



「会っておいた方がいいよ」
先輩から さりげなく言われた一言が、心にしみたから・・・自分の決め事を壊して、
最期のお別れをしたが、「やっぱり、私にとっては、耐え難い悲しみが襲ってきた」。
今、思い起こせば・・・・ただ泣くだけで、ちゃんとした言葉をかけてこなかった私は、
本当にダメな態度だったと思う。
でも、息子さんが、「そうだよね、君は特別だったから、当然だよね」と言ってくれ、
涙で慰労してくれたのは、有難かった。

今年の春、体調が悪くなったとき、無理をしても・・・会いにいくべきだった。
昨秋の弾んだような電話の声が、今も私の耳には残っている。
「いやぁ~久しぶりだな。会いたいな~」


心からご冥福をお祈りいたします。


仕事の「割り切り感」

2010年08月03日 | 仕事 -

なぜか「重なるときは、重なるものだ」ということは、何度も経験している。

昨日の私は、「驚愕事実の発覚」⇒「茫然自失」⇒「一生懸命」⇒「無常観」という
非常に “あぶないサイクル” の中に、埋没していた。
それを、何度も、何度も、繰り返していたのだ。

どっぷりと、自分が自分を律する機会を失うぐらいに、次から次へと、たくさんのことが
私に襲い掛かってきて、「複雑な状況」と「理不尽な環境」に包まれ続けた。
携帯電話は、常に鳴りっぱなしだった。
メールをチェックしようとしても、それが かなわず、私の心情は泥沼のようだったなぁ。
余波は、翌日まで続き、仕事は深夜まで繰り越した。 徹夜もどきだ。



自分に「全く非がない」状況にありながら、何故、このように謝り通すのかと・・・・
置かれている立場を呪う反面、もう一人の自分は「アホラシイ」という気持ちが、
ふつふつと煮えたぎって、あまりに理不尽な状況に、涙もこぼれてこなかった。
まさに、私の気持ちが、「冷凍庫」の中に、押し込まれているようだった。
そして、カチコチに、凍っているような感じだ。

本当に、年に何度か、あるかないかの大凶日だった。




「泣きっ面に蜂」のように、次に届いたのは、若い頃お世話になった人の訃報だった。

仕事では、言葉とは裏腹に、“氷のような心” のような “対応” をしておきながら、
昔の友人と話していたら、不可解な涙がどんどんと溢れてきて、止らなくなった。
今年、会おうとして、会えなかった人が・・・・死んだ。
事務的な話をしながら、心の中を伝えようとしたら、涙無くしては語れない。
私の青春時代の思い出が、また一つ・・・・灯を消した。
昨秋、電話で久しぶりに話して、「会わなければ!」と思った人だったが・・・・
会おうとしたとき、すでに病魔が襲い掛かっていた。
最後は、肝臓がんだったと言う。




今日は、その他にも、やらなくてはならないことが、山積状態で、私は・・・・
許容範囲を軽く超えた状況だったと思う。

それでも、こうして、少しだけの虚しさと、泣いた後のすっきり感を、この身に抱いて、
今日もまた、冷静な仮面をつけて、「こと」をすみやかに進ませていかなければならない。

仮面など かぶりたくない。
仕事も順調にやっていきたい。
しかし、あらゆることが「うまくいかない時というのは、あるものである」。

重なるときは、本当に重なって同時に「やってくる!」。




私は、人間ができていないので、とにかく「逃げ出したくなる」。
しかし、逃げられないのが容易に解ってしまうので、時折、損な役割を担うことになる。
スタッフに頼られたり、そういうプロジェクトのトップだったりして、どのようなことでも
対処することを避けられない境遇におかれてしまうのだ。

これらの経験が、「糧」になったり、「経験」になったりしていれば良いが・・・・
自分の人生の「垢」にならないように努力はしている。
ただ、今日のように、全く余裕がないとき・・・私は、本能で動く。
察知した状況を、直感のまま判断して、動くしかない。
結果は、後からゆっくりとついてくるだろうと、簡単に決め付けているのだが、
確証など、全くないに等しい。



自分にとって、喜ばしいことは、「執着心が薄れていっていること」。
自分にとって、一番哀しいことは、「信頼していた人に対する気持ちが変わってきている」
という明確な事実である。

しかし、人の気持ちは変わる。
だから、当然の流れでもある。
決して、自分を責めてはいけない。
私には、非はなく・・・・たとえ、どんなに頑張っても成立しないものがあるとしたら、
それは「そういうこと」なのだ。
現実を、ありのまま受け容れ、執着心を薄れさせていき、徐々に、より自分らしい人生、
自分らしい生き方を模索していこうと思っている。


疲れの果てには、“眠り”しかない。
美味しいものを食べて、とにかく、休める日まで「頑張ろう」と思っている。
この身体を横たえることができる、その日までは・・・・・。

そして、今日は、とにかく「明るいことを考えるように努めよう」。