「 グループセッション 」

2015年08月05日 | 仕事 -
企画書を 書き慣れているからだと思うが・・・

ブレストの中でさえも意図や目的意識を固めることから始め、
同時に、其々の意見を引き出した上で、総括して進行していく
「 まとめ役 」 は、いつも 私に 回ってくる。


 現在、9名のグループの中で、年長者の男性がトップに
 いるにもかかわらず、まとめ役として 彼をたてつつも、
 具体的に進めていくのは私であり、書面にまとめるのも私。

 それを、毎週のように、何度か繰り返すたびに、
 周囲の目は自然と・・・。



おしつけられているという捉え方をするとマイナスになるので、
自分のために機会が与えられた と 解釈して、良い方向へ
考え方をあらためて、作業することにしている。
要は、自分の都合の良いように、ある現象の解釈を変えて、
やる気を 自分で奮い起こしているだけだ。
しかし、私は「このようなこと全て」を、他人に言うことはない。
グループの誰もが、私の心の中に入り込むことはできないし、
私が伝えない限り 確実なことは 知りえないことだと思う。

せっかくやるなら、
結果としてやらなくてはならないのなら、
可能な限り前向きに快くやりたい というだけのことだ。


しかし、グループのメンバーは、
「一人で 抱え込まされて やらされている 」 と感じず、
「一人で 私たちのために やってくれている 」 と感じるようで、
何らかのねぎらいの言葉が 私に与えられるということは・・・
彼らもまた、個々に思うところがあるのだろう。

     


私からしたら、出来上がった書類の中に、自分の感想を入れ込み、
結論として まとめ込むことで、この行為を完結させようとしている。
総括やリサーチからのまとめは、大事なラインだと思うので、
そのあたりを自分で日々悩みながら仕上げられるのは、ある意味で
有難いことなのではないかと解釈している。