笑顔

2009年04月10日 | 雑感 -


人は誰もが老いる。

明日は、また一日だけ「老いている」。


「あっ、今日は、いらっしゃる!!」
桜が満開の庭を、かぼそい手で、ゆっくりと花びらを掃いている老人―。
おそらく70歳は、軽くすぎているだろう。
私は、その人の名前もしらない。
ただ、とても素敵な笑顔をふりまく人で、
その笑顔をみただけで、私の中にシアワセな気分がわいてくる。

私は、当地に引っ越してきてから、彼の「老い」を見続けてきた。
今朝、久しぶりに、道端で遭遇したときも、出勤途中の私をすばやく見つけて、
笑顔はそのままで「ちょっとタイミングが早かったな」と思ったらしく、
また(自然と目線を落として)庭の桜の花びらを掃きはじめた。
そして、ほどよく私が家に近くなってきてから、挨拶をするのである。
お互いに、あふれんばかりの「笑み」である。

「おはようございます」
「いってらっしゃい~」

笑顔という“シロモノ”は、本当に偉大なパワーを与えてくれるものだ。

父を亡くしてすぐの頃は、あの笑顔を見るたびに(なぜなのかわからないが)
いつも挨拶して別れた後、駅まで歩きながら頬をぬらしていた。



5年前の彼は、とても元気で、犬を連れて、我が家まで散歩に良くきていた。
はつらつとして(いかにも高齢だが)足取りも軽やかだった。
人としての精気も、明らかにみなぎっていた。
その後、病気をされて・・・
しばらく会えない時期があって・・・
それが、数ヶ月、そして、また数ヶ月となり・・・
あるとき、すり足で歩く姿を見たときは、すごくショックだった。
今は、少し元気になられたが、毎日のように会えることがなくなった。

だから、今日のような日は、電車に乗るまで、ウキウキとした気分でいられる。


ただ、挨拶をかわすだけの人なのに・・・
もしも、あの人が「この世」から逝ってしまったら・・・
私は、怒涛のように泣くだろう。


その家には、大きな桜の木がある。
いつも、いつも、立ち止まっては見上げる日々を経て、
風に舞い散り、庭や道を覆いつくす「桜の花びら」を見ると、本当に切ない。
「桜よ、散ってしまうのか」という刹那な想いが、あの老人と重なるのだろうか。
そんなことを感じるだけで、ちょっぴり「じ~ん」としてしまう。


「老いる」ことは、そういうことなんだろうけれど、
順番に「老いていく」ものなのだろうけれど、
気持ちの良い朝には、そんなことなど考えたくはない。
しかし、何故か、想像してしまう自分が、とても辛い。
複雑な気持ちになってしまう。


「長生きしてほしい」
「一日でもいいから、長生きしてほしい」
そう、思わずにはいられない人である。