磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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広島原爆戦災誌 第五巻 資料編

2008年12月16日 | 読書日記など
『広島原爆戦災誌 第五巻 資料編』
   広島市役所・編/広島市役所1971年

峠の自筆の詩が口絵でありました。



■目 次■
一、(イ)広島市永年防空計画  1
  (ロ)昭和十六年度広島市防空計画  99
二、広島県下に於ける空襲被害状況表  321
三、防空日誌  341
四、炎のなかに  379
五、被爆者救援活動の手記集(曉部隊)  419
六、(県政)雑記帖  567
七、比治山国民学校迷子収容所・五日市戦災児育成所  633
八、広島原子爆弾被害調査報告(気象関係)  689
九、原子爆弾に依る電気工作物の被害調査  733
十、8・10広島陸軍兵器補給部ニ於テ新型爆弾ニ関シ研究会  795
十一、軍関係災害調査報告文書集  803
十二、原子爆弾傷研究綴(広島第一陸軍病院)  935
十三、被爆広島の写真記録者たち   971
編集後記  1003
刊行の経過  1007


短波放送を聴いていた人もいたようだ。下「」引用。

「投下された爆弾が、原子爆弾であることは、八月六日の夜、アメリカからの短波放送を聞いて知った。」

内臓が放射線でおかされたという……。下「」引用。

「部隊の軍医であった内田大尉は、連日夜遅くまで精力的に走り廻って救護作業を実施していたが、夜遅くになっても、毎日私に報告してくれた。ある晩、報告に来た内田大尉が、憤然として「部隊長殿、戦争には負けられませんよ。今度の爆弾は実に非人道的なものです。死体の解剖所見によると胃袋の内部を、ワイヤーブラッシでこさいだようになっていたものや、内臓の小さな管までも血液で閉塞していたもの等、真に残忍なものです。」と話した言葉が、今も忘れられない。赤痢のような症状で死亡した無数の人達の胃袋は、このようになっていたのかも知れない。私をはじめ、出動者の多数の者が二日目ごろから下痢を始めた。人により程度の差はあったが、その後一か月も続いたものや、復員後も下痢を続けた者もあった。私も胃袋がどうにかなったのではあるまいかと心配したものである。」

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京都に原爆が落されたというデマがあったという。下「」引用。

「死体の中にガスが発生したのであろうか、半裸又は全裸状の死体の顔も胴も、二倍ぐらいに膨張、目の玉が飛びだし、口はあごがはずれる程に大きく開いて、中から下がとびだしている。まるで怪物が野球のボールをくわえているようだ。胴ははちきれんばかりに膨らんでいるから、乳で男女を見分けることはできない。そして、幾十とある死体の三分の一程は、腹の皮が破れて内臓が風船玉か氷ノウのように出ている。色はネズミ色だったが、黄色だったか忘れたが赤ではなかったように思う。肛門から腸が飛びだしており、男子の睾丸は焼物の狸のそれよりも大きくふくらんで股間を押し拡げている。おそらく遺族が見てもすぐには判別できないであろうと思う程の物凄い形相で天をにらんでいた。丁度、ここでの作業をしている時だった。長崎の原子爆弾が誤り伝えられたのだろうか、京都も爆撃でひどい災害を受けたらしい、というデマがささやかれた。私の戦隊には京都出身の者が一○名程いたのでみんな蒼くなった。私も家にいる母や妹がこんな格好で死んでいるのかと思ったときは全身から力が抜けた。」

左の頬に穴のあいた赤ちゃん……。下「」引用。

「日時は記憶に明らかではないが、若い男の人が、誕生日前かと思われるふっくらとかわいい男の子をつれて来られた。見ればかわいそうに左の頬にぽっかりと穴があいているのである。
 この子は母の乳ばかり飲んでいたらしく、ミルクを与えても、ゴムの乳首になじめず、てんで飲もうとしない。私はほとんど自分の子供と顔を合わすことは出来ない状態であったから、私の乳はかなりはっていた。試みに乳房をくわえさせるとおいしそうにゴクゴクと飲みはじめていた。-略-」

第五巻 資料編 【PDF】












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