『記憶の光景・十人のヒロシマ(小学館文庫)』
江成常夫・著/小学館2005年
『記憶の光景・十人のヒロシマ』
江成常夫・著/新潮社1995年
■目 次■(小学館文庫)
高野鼎 家族の絆 7
寺前妙子 三十三年目の訃報 41
中尾伝 火の海 77
室積淑美 モンペ姿の妹 107
橋本明 前夜の酒盃 139
高蔵信子 二人の生と死 169
島原稔 泉水の少女 199
田岡英子 乳房の悲しみ 227
小松清興 一人だけの日々 257
金分順 日本との決別 287
あとがき 324
「文庫版のためのあとがき 330
解説 色川大吉 332
原爆投下時の広島市内地図 340」
*上「」内は、文庫にのみある記事。
文庫の裏表紙に書かれてあります。下「」引用。
「“閃光の痛みも知らない人間に「ヒロシマ」を語る資格があるのだろうか”そんな思いの著者が、撮影と取材を目的に初めて広島を訪れたのは、一九八五年のこと。“負の昭和”をテーマに取り続ける写真家が、まず始めたのは、被爆体験を聞くことだった。
本書は、十人の被爆体験を、聞き書きと現在の風景写真を重ね合わせて綴ったものである。
悲惨極まりない現実に直面しながら、生き抜いてきた十人の人生と言葉には、強く胸を打たれるものがある。戦争体験が風化していく現在、原爆で亡くなった多くの犠牲者の霊に捧げる「鎮魂の書」。」
写真は少ない……。
戦時、笑うと叱られたという……。下「」引用。
「戦時色が強くなって、学校の服装は上がセーラー服、下はモンペですよ。女学生といえば、箸がころんでも笑う年ごろでしょう、ところが、あのころは笑顔を見せちゃいけんのです。電車の中で笑ったりするとほかの乗客が『今、どういう時局かわからんか!』いうてね、きつく叱られました。」
独立工兵ということが書かれてありました。下「」引用。
「「独立工兵いうても、年を取って野戦では役に立たない兵隊の集まりですよ。赤紙(召集状)が来て入隊はしたものの、最初のころは一カ月勤めたら次の一カ月は自宅に待機したしておったです。」
この文の前に「太平洋戦争が勃発した時、橋本はちょうど三十歳。」と書かれてあります。
京都の本派本願寺保母養成所を卒業したと書かれてありました。
語り部をされている人もおられます。
朝鮮人の人は差別されたことを書かれていた。
「文庫版のためのあとがき」にこう書かれてありました。下「」引用。
「文庫版の話がもちあがった時、すぐに思い立ったのは「ヒロシマ」の一人一人を再訪することだった。
十人の被爆者のうち鬼籍に入られた高野さん、橋本さん、島原さんの三人はご親族と面会することができた。また高蔵さんと韓国・大邸(テグ)市在住の金さんとは電話でしか話せなかったが、ほかの五人とは再会を喜び合うことができた。ただ、安否を確かめるなかで胸に響いたのは、被爆がもたらした肉体の傷痕と心の傷は、被爆から六十年が過ぎても癒えていないことである。それはそのまま「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ナガサキ」、二度とあってはならない原稿禍へのメッセージでもある。」
index
もくじ
江成常夫・著/小学館2005年
『記憶の光景・十人のヒロシマ』
江成常夫・著/新潮社1995年
■目 次■(小学館文庫)
高野鼎 家族の絆 7
寺前妙子 三十三年目の訃報 41
中尾伝 火の海 77
室積淑美 モンペ姿の妹 107
橋本明 前夜の酒盃 139
高蔵信子 二人の生と死 169
島原稔 泉水の少女 199
田岡英子 乳房の悲しみ 227
小松清興 一人だけの日々 257
金分順 日本との決別 287
あとがき 324
「文庫版のためのあとがき 330
解説 色川大吉 332
原爆投下時の広島市内地図 340」
*上「」内は、文庫にのみある記事。
文庫の裏表紙に書かれてあります。下「」引用。
「“閃光の痛みも知らない人間に「ヒロシマ」を語る資格があるのだろうか”そんな思いの著者が、撮影と取材を目的に初めて広島を訪れたのは、一九八五年のこと。“負の昭和”をテーマに取り続ける写真家が、まず始めたのは、被爆体験を聞くことだった。
本書は、十人の被爆体験を、聞き書きと現在の風景写真を重ね合わせて綴ったものである。
悲惨極まりない現実に直面しながら、生き抜いてきた十人の人生と言葉には、強く胸を打たれるものがある。戦争体験が風化していく現在、原爆で亡くなった多くの犠牲者の霊に捧げる「鎮魂の書」。」
写真は少ない……。
戦時、笑うと叱られたという……。下「」引用。
「戦時色が強くなって、学校の服装は上がセーラー服、下はモンペですよ。女学生といえば、箸がころんでも笑う年ごろでしょう、ところが、あのころは笑顔を見せちゃいけんのです。電車の中で笑ったりするとほかの乗客が『今、どういう時局かわからんか!』いうてね、きつく叱られました。」
独立工兵ということが書かれてありました。下「」引用。
「「独立工兵いうても、年を取って野戦では役に立たない兵隊の集まりですよ。赤紙(召集状)が来て入隊はしたものの、最初のころは一カ月勤めたら次の一カ月は自宅に待機したしておったです。」
この文の前に「太平洋戦争が勃発した時、橋本はちょうど三十歳。」と書かれてあります。
京都の本派本願寺保母養成所を卒業したと書かれてありました。
語り部をされている人もおられます。
朝鮮人の人は差別されたことを書かれていた。
「文庫版のためのあとがき」にこう書かれてありました。下「」引用。
「文庫版の話がもちあがった時、すぐに思い立ったのは「ヒロシマ」の一人一人を再訪することだった。
十人の被爆者のうち鬼籍に入られた高野さん、橋本さん、島原さんの三人はご親族と面会することができた。また高蔵さんと韓国・大邸(テグ)市在住の金さんとは電話でしか話せなかったが、ほかの五人とは再会を喜び合うことができた。ただ、安否を確かめるなかで胸に響いたのは、被爆がもたらした肉体の傷痕と心の傷は、被爆から六十年が過ぎても癒えていないことである。それはそのまま「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ナガサキ」、二度とあってはならない原稿禍へのメッセージでもある。」
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もくじ