龍の声

龍の声は、天の声

「愛国心がある人の割合が低下、なぜ?」記事のタイトルを入力してください(必須)

2014-09-04 20:46:54 | 日本

内閣府が実施する社会意識に関する世論調査の結果によると、愛国心が強いと答えた人の割合が昨年に比べて減少した。一部では日本は保守的になっているといわれてきたが、その流れが逆転してしまったのか?

この調査は内閣府が、国や社会に対する国民の基本的な考え方を知る目的で毎年実施しているものである。2014年の調査では、愛国心が強いと答えた人(「非常に強い」「どちらかといえば強い」の合計)は昨年に比べ2.7ポイント減少し、55.3%となった。また、今後国を愛する気持ちをもっと育てる必要性があると答えた人の割合も3.5ポイント低下し76.3%となった。単純に数字だけを見ると、愛国的な考えを持つ人が昨年よりも減少したことになる。

このところ、中国や韓国との対立が激しくなっていることから、近年になって愛国的な傾向が強くなったと思われているが、必ずしもそうではない。長期的なデータを見てみると、愛国心は2002年を境に上昇に転じて以降、基本的に同様の傾向が続いており、特に最近の現象ではないことが分かる。2002年から2003年にかけては、日本の不良債権処理がピークとなり金融危機すら懸念される状況でした。非正規労働者の問題が大きく取り上げられるようになってきたのもこの頃からである。まさに日本経済の転換点ともいうべきタイミングだから、経済力の相対的低下と愛国心の上昇の方に、高い相関性があるのかもしれない。

年齢別に見てみると、ほぼすべての年齢層で愛国心が強いという人の割合が減少しているが、年齢によって、愛国心の状況は大きく異なる。愛国心が強いと答えた人の割合は、70歳以上では70%以上と高く、年齢が下がるにしたがって低下し、20代では40%前後になる。もっとも2000年の調査では、20代で愛国心が高いと答えた人の割合は20%台前半だったが、70代での割合は今とあまり変わっていない。ここ15年における愛国心の増加は若年層が中心であったことが分かる。

経済と愛国心に相関があるのだとすると、ここ15年の若年層における愛国心の著しい増加は、中高年層との経済的格差がひとつの要因になっているという仮説が成立する。一方、この調査には、国の政策に対する評価という項目も含まれているのだが、国政に民意が反映されていると答えた人の割合は、昨年に比べて急上昇している。しかも、この項目は日経平均との相関が極めて高いことが知られている。

両者を考え合わせると、今回、愛国心が高いという人の割合が減少したのは、アベノミクスによる経済的恩恵を国民が感じ取り、政治への不満が減少したからなのかもしれない。










「天皇・皇后両陛下の鎮魂慰霊への御覚悟」

2014-09-04 20:46:07 | 日本

菅家一比古さんからの「言霊の華」が届いた。
以下、要約し記す。



今年の六月二六~二七日、天皇、皇后両陛下の十度目の沖縄訪問。学童疎開船対馬丸の悲劇からまる七十年を迎えた今年、慰霊碑と記念館を訪ね、生存者らと面会された。これまでにも両陛下はサイパン、硫黄島にも足を運ばれ、来年はパラオを訪問し慰霊されるという。

梅雨が明けたばかりの炎天下の沖縄で背広にネクタイ姿、皇后様は白の上下のスーツという正装で、どんなにお暑いことであっただろう。生涯かけて先の大戦で亡くなった犠牲者に対して、そこまでして慰霊訪問されるお覚悟とお心はいかばかりか。

先帝陛下(昭和天皇)のお志を継いで祈られる陛下のお姿に、平和に対する並々ならぬ決意と想いが感じられてならない。そのような両陛下が靖国参拜できないという異常な状態が続いているのは全く持って悲しいことである。

老骨に鞭打って被災地を訪問されるお姿に、国民の多くがかたじけなく勿体無く感じているに違いない。国内で災害が起こる度に両陛下のお心を案じてしまう。心を痛め我々のために祈って下さる、泣いて下さる無私なる方が、日本国家の国民の最頂点にいらっしゃるということ。それはもう神であり、キリストである。真の親である。一刻も早く両陛下が安んじられる美しい国、平和で豊かな国を築いていかねばならない。

天皇陛下の大御心(おおみこころ)は日本国内に留まらない。日本国内と等しく世界人類平和のため、心を痛め祈り続けておられることを忘れてはならない。天皇国日本に生を享けたことを、天に心から感謝したいと思う。






「神の御前に、英霊たちの御前に、大本氣で立つ!」

2014-09-04 20:45:14 | 日本

菅家一比古さんから、「言霊の華」が届いた。
以下、要約し記す。


八月十五日恒例の靖國神社参拝を有志の方々として参拝した。その日の午後のTVの人氣番組「ミヤネ屋」で、正座して祈っている私の様子がアップで映し出されたのには驚いた。ここ数年、毎年のようにTV出演を果たしいる。(笑)

美し国では数年前から富士山登拝組と靖國参拝組に分かれ行動している。八月十五日に富士山登拝するのは、この日が富士浅間大社奥宮(山頂)の例大祭があるためである。この母神(木花咲爺比売)の大祭の日に、大東亜戦争は終了したのである。沖縄戦は六月二十三日の海神祭(アマテラス大神)の日に終了した。共に母神の日である。

傷ついた我が子を抱きしめるかのように戦争は終わった。「よく頑張ったね。もういいの、もういいの。本当によく頑張った。」母神の眼には滂沱(ぼうだ)の涙が・・・。

私は八月十五日の富士山登拝こそ最大の英霊へのご供養と考え、平成二年から二十四年連続で登拜を斎行している。富士山頂と靖國の杜での鎮魂供養と祈り。国の為に楯となり犠牲になって死んで逝かれた二百八十万柱の英霊の霊魂は消滅などしていない。実は、生きている。

我々の思いを敏感に感じ取っており、国の行く末を思い導いておられる。だから私どもの会は魂で参拜する。魂でしか英霊たちの魂に届かない氣がする。神の前に英霊たちの前に裸になる。真底本氣になる。禊のときもそうである。

「大神さま、大神さま 日の本の男(お)の子 ここにあり!
我、日本の柱とならん 我世界人類の眼目とならん」

と大本氣で叫んでいる。
大本氣で神のみ前に立つ、大本氣で英霊のみ前で誓う。この大本氣こそ、魂で叫ぶ、魂で動く何モノでもないのである。

明治維新、回天はそのような日本人、青年たちによって達成されたのである。





「ワクワクドキドキについて」

2014-09-04 20:44:30 | 日本

菅家一比古さんから「言霊の華」が来た。
以下、要約し記す。



本モノはキラキラしている。
この頃あちこちで聞く言葉に「ワクワクドキドキすることをやる」と言うのがある。それはきっと心が喜ぶことを選択するという意味だろう。それは間違っていないと思う。ただ一つ言いたいことは、泥棒だって痴漢だって「ワクワクドキドキ」でやっているかもしれない。

登山家が何故、山に登り続けるのか。アスリートが何故、辛い思いをして競技に挑戦し続けるのか。野球少年もサッカー少年も好きで始めたのか。好きで始めたはずのものが、そのプロセスでどれだけ厳しい練習、訓練が待ち受けていることか。茶道も華道も書道もそうである。その厳しいプロセスの中から「鋭い喜び」が生じる。

この「鋭い喜び」は魂に直結した証拠である。私のお山登拜も、日々の禊もそうである。このように文章を書くのも、書物を読み研究活動をするのもそうである。魂から来る鋭い喜びがあるからである。

実はそれは「鎮魂」あってのこと、「鎮魂」伴ってのこと。鎮魂のため、辛いプロセスを経て、愈々本モノに近づいていく。これが地に着いた「ワクワクドキドキ」なのである。

安易に考えてはいけない。最初、嫌で嫌で仕方なかった営業活動が、お客様や上司の評価や実績を打ち立てることで、遂に営業のプロとなり、皆から尊敬され輝いている人は多くいる。最初から「ワクワクドキドキ」などしていない。

鎮魂が進んだ人は何事にも感動し、ワクワクドキドキできる。そしてこれらの人の特長は「キラキラ」している。ギラギラではなくギトギトでもない。キラキラしている人こそ本モノなのである。






「神秘を捉える感性を磨こう -日常から非日常へ」

2014-09-04 20:43:42 | 日本

菅家一比古さんから、「言霊の華」が届いた。
以下、要約し記す。



私が未だ幼稚園に上がる前、確か四、五歳の頃かと思う。釧路に住んでいた我々家族は、その頃世界一の透明度を誇る摩周湖に行きた。道も舗装されておらず、でこぼこ道を三時間かけて車で出かけた。(現在は一時間足らず)

鉄柵の間から覗いた摩周湖のあまりの美しさに金縛り状態となってしまい、家族の声も何も聞こえなくなった。我を完璧に忘れてしまい、釘付けにされたのである。刻々と変化する湖面の色、幻のように浮かんでいる小島。神々しい摩周岳。

私は幼いながら摩周湖に神を見てしまったのである。私の魂が摩周湖の霊魂(みたま)に共鳴を起こした。この時、自然や美に対して心のレセプター(鋳型)ができたのだと確信している。

だから子どもの頃より山を見ても海を見ても、花も木々も全てが懐かしく感じるようになった。ここに古神道家としての源流がある。「神秘」を感じる、「神秘」を捉える感性や霊性は、昔の日本人であれば普通に持っていたものである。

先月、医師である陰山康成先生が主宰している国際和合医療学会の知夫里島研修ツアーに参加した。知夫里島は「隠岐の島」の南に位置する島でパワースポットで有名である。

陰山先生が以前この島の診療所で赤ヒゲ先生を二年程勤め、この時自らの霊魂が大きく啓けた経験を持った。その関係で近年知夫里島研修を毎年行うようになった。

私は知夫里島に行ってその海、山の自然の美しさに言葉を失った。沖縄以外にこのような美しい海があったのか。日常から非日常に入り込んだ私は、魂が悦んでいるのを感じた。時間が止まったような感じである。きっとこの時、人は癒され浄化されるのだと思う。

皆さまもこの夏、日常から非日常へ、魂の体験、即ち神秘体験を是非味わっていただきたいと願う。







「本モノの強さ」

2014-09-04 20:42:53 | 日本

菅家一比古さんから、「言霊の華」が届いた。
以下、要約し記す。



去る八月四日、参議院議員会館で中山恭子先生と対談した。これまで何度かお目にかかったが、二時間も話し込んだのは初めてである。中山恭子先生は拉致担当大臣、少子化対策担当大臣を務められている。

曽我ひとみさんや蓮池さん夫妻など帰国者五人をこのまま日本に留め置くべきだと断固主張し、政府、外務省方針を変更させたのも中山恭子先生の力である。拉致問題を担当する前はウズベキスタン兼タジキスタンの特命全権大使を務められた。

赴任した直後に隣国キルギスで日本人鉱山技師四名が拉致、誘拐されるという事件が起きた。外務省方針での慣例では、事件の起こった当事国との協力連携による解決であった。この時も外務省からはその指令が出ていた。

しかし日本人四人はテロリストグループによってタジキスタンに連行されキルギスに居ない。中山恭子先生は辞表を懐に忍ばせクビを覚悟で外務省方針に反し、タジキスタン政府と直接交渉をし続けた。

矢面(やおもて)に立って大使館員と共に全力を尽くした。そのリーダーシップの甲斐があって二カ月後、四人の日本人は解放された。中央アジアの国々はこの姿を見続けていた。

そして中山恭子先生、日本国に対する信頼と評価は絶大なものになった。外務省方針に従っていたら問題解決は難しかったと言う。このような先生だから、サッチャーのような鉄の女かと思われがちだが、全然違う。

「先生は内に秘めたる信念、凛としたご人格、本当に素晴らしいですね」と申し上げたら、「いえいえとんでもない、私はごく当たり前のことを普通に淡々とやっていただけのことですよ」と。対談の二時間を通してその穏やかな口調、雰囲氣はついに変わらなかった。

「ただ当たり前のことをしているだけ」この言葉には今迄日本が当たり前のことをしてこなかったことを裏づけるようでならない。東大経済学部から東大法学部大学院、パリ・ソルボンヌ大学への留学という俊英の国際派でありながら、日本女性としての「たおやかさ」「しなやかさ」を決して最後まで失わないその姿に、どれだけ多くの外国人が魅了されたことだろう。

誇りある日本人の姿、日本女性の姿は実にこの「たおやかさ」「しなやかさ」にあり、それが日本の伝統文化に基づくものと、つくづく感じ入った次第である。私はこの二時間ですっかり癒されてしまった。






「美濃の剣術家のブログ④」

2014-09-04 07:03:17 | 日本

◎胴打ち再考

私は胴打ちが大好きです。両足裏三点(拇指球・小指球・踵前)に加重して歩み足を遣うようになってから、面、小手、胴、突き、どの部位もなめからかに打突できるようになりましたが。特に右胴はスパッと決めることができるようになってうれしい。自画自賛ですね(笑)。左足をスゥーと送り出し、間境(まざかい)を越えながら剣先で相手の左目を突くようにして、相手が面を防御するために手元を浮かせる端に小手、手元を上げれば右足を送り出して右胴を打ちます。小手の場合は左足を送り出して打つ場合もあります。右胴は体全体を送り出す勢いで打つと、腕力に依存せず強く打てます。

かつて、剣道においては正面打ちがもっとも高い位(くらい)の技だと言われていたそうです。耳にもし、目にしますが、これは一面的な見方ではないでしょうか。どの部位もなめからに打突できるように修練した上で、相手との関係性によって業前(わざまえ)の仕掛けから打突に自然に繋げていくことが、理合にかなった遣い方だと思います。そうした意味合いにおいて、胴打ちは私にとって大事な技なのです。


◎形稽古で錬る

たしかに大日本帝国剣道形(日本剣道形)は、初級者用として編まれたものです。しかし、その初級者用の形でさえ、満足に打てない方が多いのが現状です。五・六・七段の指導者を対象にした剣道講習会に参加すると、呼吸、体構え、太刀構え、目付、運足、打突動作、残心等々、高段者として当然修得しておくべきことができない方が多いのを目の当たりにします。剣術に由来する剣道において、間合と拍子を適切に遣うことは肝心要です。形稽古を軽視している方は、すぐにわかります。太刀の扱い方からしてあきれるほど無神経です。

数年前に七段の方々ばかりが大勢集まる稽古会に参上しました。竹刀稽古の後の形稽古にも参加させていただきました。その日は形稽古用の模造刀を遣っての稽古。下帯を巻いていない方が半数。18名の七段の方々のうち、満足な太刀遣いで形を打てる形は3名のみ。

あなたは刀が遣えますね、これから私と形を数回合わせて、最後に演武しましょう、と当時稽古会を主宰されていた教士八段の方からお話しがあり、稽古と演武。形の合わせから演武まで約40分と短い時間でしたが、大変勉強になりました。

私は形稽古を重視して修業していますが、刀が遣えると言えるレベルではありません。太刀遣いも含めすべてに渡り未熟であり修業中の身です。ゆえに、形稽古で鍛錬することが楽しい。形稽古をおこなうたびに新たな気づきが湧き出てきます。


◎基本動作を再構築する

構え方が崩れていては上達は難しい。大きな鏡の前で中段の構えを徹底的に見直してみましょう。私は三段の頃、少名子道場の前師範から「今の構え方や打突の仕方ではこの上に行けませんよ。一度構え方や打突の仕方を見直してみなさい」とひと言ご忠告いただき、一年かけて見直しました。右足に7、左足に3の割合で重心をかけていたのを、5対5に修正し、両内踝(くるぶし)の真ん中に重心落下点を通しました。上げ過ぎていた左踵は床に軽く着くまで下ろしました。(現在では両足裏三点に加重) また、手元を引いて小さく構えていたのですが、左拳を臍(へそ)の前、みっつ分にして懐(ふところ)深く構えるようにしました。目付も相手の全身を見渡すように広くしました。

この構え方で送り足、歩み足、開き足、継足といった足捌きと、打ち込み台への正面打ち、小手打ち、胴打ち、諸手突きを繰り返しました。少名子道場の定例稽古会が始まる前に早めに道場に行き、軽くストレッチをした後20分程度ひとり稽古をしました。大きく振り上げて打ち込む、半ば振り上げて打ち込む、突き刺すように小さく打ち込むという三つの打ち方や、さまざま足攻めをして打突の機会をつくり打突するといった、ひとり稽古も重ねました。構えたところから打ち間に入り打突する体勢―フォーム―を強く自覚して稽古したことは、その後の修業に非常に役立ちました。

構え合ったところで足で小刻みに拍子をとるようなことは、百害あって一利なし、と自覚できたのも、このひとり稽古の最中でした。攻めて崩して打突する、攻めて引き出して応じ返す、といった遣い方ができるようになるには、構え方と足捌きと太刀捌きから力みを抜き去ることが必要です。なめらかにしなやかに動作するために、今も工夫を重ねています。修業とは脱皮を重ねることですね。現状を打破するために、稽古を工夫する努力が必要です。


◎打突の瞬間と踏み込み

たとえば、正面を打った瞬間と踏み込みは、高段者であっても、たぶん99%の方々が一致していないでしょう。正面打ちに限らず、どの部位の打突もそうだと思います。打突した直後に踏み込んでいる方が99%でしょう。一致しなければならないという方も、範を示す時は一致していても、地稽古や試合になると一致していない。私も一致していません。打突の瞬間と踏み込みが一致しなければならないということはありません。たしかに一致していれば、いわゆる腰の入った打突姿勢になり綺麗です。ここまで書いてきましたが、一致させるように稽古してみようかと思うようになりました。何か新しいことがみえてくるかもしれません。



<了>