龍の声

龍の声は、天の声

「懐かしがられる存在」

2014-09-25 06:59:11 | 日本

菅家一比古さんから「言霊の華」が届いた。
以下、要約し記す。



先日、体力をつけるために東京都立川市にある昭和記念公園に行ってきた。美しいコスモス畑は圧巻だった。そして日本庭園を歩き散策を楽しんだ。

昭和記念公園に行った理由はもう一つある。公園に隣接している「昭和天皇記念館」を見学するためである。未だ一度も行ったことがなかった。久し振りに昭和陛下のお顔とお声をVTRで拜見した。

米国訪問や欧州旅行のご様子も出てきた。心の底から懐かしさがこみ上げ、涙が止まらなかった。まるで亡き父や母の懐かしい面影を見ているかのように。

昭和天皇さまが何故こんなにも懐かしいのか。

それはきっと、その御生涯を通して無私なる生き方、神への祈り、国民の幸せと安心、平和を切に願われる祈りに因るものだと思われる。その内的な因縁があるからこそ「愛の復元力」が私たち国民の心に働くのだと思う。

私のために泣いて下さったご存在があり、私のために祈り続けて下さったご存在がある。その無私なる存在によって知らず知らずに浄化され生かされていた。親の愛とはそういうものだろう。

だから懐かしいのである。愛の復元力が私の中に働いている証拠である。たとえ横道に外れようが、遠回りしようが、必ず立ち直るようになっている。しかし果たして、この頃の親は子どもたちから懐かしがられているのだろうか。

だから中々子どもたちが立ち直れないでいるのでは?社長は社員に懐かしがられているのだろうか?教師は生徒に果たしてどうだろうか?

懐かしがられる存在になりたいものである。






「戦後日本に教育はあったのか」

2014-09-25 06:58:29 | 日本

菅家一比古さんから「言霊の華」が届いた。
以下、要約し記す。




私がまだ幼い頃、吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐事件が起き、社会は大騒ぎになった。殺人事件でも起きようものなら、大々的にニュースになっていた。時代は進み、日本はバブル経済に踊り、人々の生活は豊かになりながらも拝金主義がまかり通り、心は荒んでいく一方だった。

国民全体が人間として、日本人として、誇り、恥じらい、生かされている喜びと感謝を失ったかのようである。

今から十九年前、オウム真理教の事件が起き、連日TV報道がなされ、まるで巨大ホラー映画を観ているかのようだった。その三か月前に起きた阪神淡路大震災のニュース報道がかすんでしまったほどである。

ホラー映画はあくまでもバーチャルな世界のつくり話だが、この二、三十年の社会を騒がす事件はあまりにもホラー映画もどきが多い。身の毛もよだつ残忍な事件が後を絶たない。どうしてしまったのか日本人。

これは実に日本の霊性がグチャグチャになってしまったからに他ならない。それは鎮魂システムの崩壊に因るものである。家庭教育から何が消えてしまったのか。そして学校教育から何が消えてしまったのか。

それは「型(かた)」である。それにより「恥じらい」と「清らかさ」と「潔さ(誇り)」が消えた。そして慈悲(愛)。教育とは受験勉強とは別ものである。

いかに人間性を育てるか。その土台づくりの上に人それぞれの特性を見い出し、その能力を引き出してあげること。これが親と教師の務めである。

戦後日本に実は教育がなかったと言ってもいい。その原因が日教組にあったことは言うまでもないことである。