龍の声

龍の声は、天の声

「父の体験談」

2015-10-06 07:24:36 | 日本

わが輩の父は、生長の家 谷口雅春先生の熱心な弟子である。
戦後間もない、丁度父が59歳の頃、貴重な体験をされた。
以下、その父の体験談を記す。



私は、十年余り前に胆石にかかりまして、胆石という病気は、皆様ご承知の方もあろうと思いまするが、非常に腹が痛くて、物が食べられなくて、少し食べても吐いてしまうという病気でございます。その吐き方が、腹が空っぽになってもまだ吐きまして、遂にしまいには黄色い苦いものが出て来ても、まだ吐くという非常に苦しい病気でございます。この痛さと苦しみとによりまして物が食べられませんので体が衰弱してまいります。

その病気にかかりまして、どうかして治したいと、あちらこちらと病院を尋ねて廻ったのでございますが、どの病院へ行きましても、「これは手術するより他に道がない」と申しますので、あちらこちらと尋ねて廻りました。最後に大垣の市民病院へ行きまして、どうかしても治してもらいたいと思って行きましたところが、そこで精密検査をして頂きますとそこでも、「これは胆石に間違いない。手術するより他に仕方がない」と申されまして、「直ぐに入院するように」と申されました。

その時に、病院の方で病室を探して頂きましたが都合が悪くか、都合が良くか、その時は病室が一つも空いておらなかったので三日間の薬を頂いて、「三日間経ったら病院に来てください。その時は入院する準備をして来るように」と申されました。もう私も心を決めまして、どこへ行っても「手術せないかん」と言うから、今度は手術して、すっかり治してもらおうと思いまして、そのつもりで家へ帰ってまいりました。

そうしましたところが、私の近所に神戸の方で戦争中に疎開して来られました三輪良子さんという先生がおられまして、その方が時々私のところへ来て生長の家のお話を聴かせて頂くんですが、私はそんな話を聞いたり、本を読んだりして病気が治るというような阿呆なことないと思っておりまして、ちょっとも聴く気にならなかったんでございます。それが不思議なことに病院から帰りますと、その方が来られまして、また話をして下さいますので、じゃ一遍しっかりと聞いてみようか、どっちにしても三日経ったら病院に行って手術しとらんならんから聴いてみよう。聴いたって損するじゃないし、病気も悪うなるんやないから、そうしようと申しました。そうすると早速、私の所から二里ほど隔った所に、高松さんという、これまた生長の家に非常に熱心な方がございまして、その方に来て頂きまして色々とお話をして頂きました。まあ、ちょっと変わったことを言うなあと、その時思っとったんですが、高松さんがお帰りになる時に「今晩は私の家で生長の家の誌友会があるから、その時に大垣の岩田守雄先生がお見えになりますから、岩田先生に一泊していただいて、明日個人指導をして頂いてはどうが」と言われました。そこで「では、そうさせて頂きます」ということで、明朝ふらふらの体を妻に支えられ、バスに乗って高松さんのお宅へ行ったんでございます。

そうして、いろいろ岩田先生のご指導を受けました。そして、だんだん聴いておりますうちに、涙があふれてきて、「ああ、私は本当に申し訳ないことをしておったなー」という心が起こってまいりました。

と申しますのは、私は幼少にして自分の母が他界しております。その後に継母(ままはは)が来て私を育ててくれたんですけれども、なにしろ、この継母というものは、どうも具合い悪いものでございまして、それで、父を恨み、継母を恨み、前の母を恨みとおす暮らしをしておったんでございます。それがお話を聴くうちに、こころから「ああ、すまなかった。申し訳なかったなー」という気持ちで一杯になったのでございます。それと共に、戦争中には、家内や子供には随分不自由をかけておった。「すまなかったなー。 兄弟たちにもすまんことをしておったなー」というこころが起こってまいりました。妻も一緒に涙を流していました。

そうこうしておりますうちに、丁度お昼頃になりましたので、さあ、もうお暇して帰ろうと思っていますと、高松さんの奥さんが、「もうお昼ですからご飯を食べて帰って頂きたい」と言われ、机の前にご馳走を出されたんでございます。しかし私の食べられそうなものは何もございません。その当時私は、小さいこのくらいの盃に一杯ほどの重湯で、ずうっと毎日を暮らしておったんでございます。ご飯粒が一粒でも入っておると、物凄く腹が痛いので、重湯だけで日常の命を支えておったんでございます。だが、そこへ出されたご馳走が、普通の人の食べるご馳走でございましたので、何一つとして私の口に入れそうなものはございませんので、それでもじもじしておりますと、そばにおられた岩田先生が、「前に出されたご馳走は、神様から与えられたものであって、それをこの家のお方が、あんた方に食べて頂こうと真心こめて作って下さったものであるから、有り難く思って頂きなさい。絶対どうもない。もし悪うなったらわしが責任を持つ、絶対安心して食べなさい」と言われました。それで頂こうと思いまして、前に出されたのが今も忘れませんが、大きな皿に稲荷鮨がいっぱい盛ってありました。稲荷鮨と申しましても店の寿司屋の寿司とは違いまして田舎の方でございますから、大きな鮨でございました。

それを一つ頂きました。それがなんとも美味しかったので、三つ四つ頂きました。そうして出されてある烏賊(いか)の煮つけやら、いろいろのご馳走を頂きました。その時「ああ、しまった。俺はこんなの食べはいけなかったんや、今までご飯一粒食べても腹痛かったんや、これはしまったことした!と一瞬思ったんでございますが、不思議なことに、それっきり腹痛は起こらなくなりました。

そして、その後現在まで医者にかかったことは一遍もございません。
父や母や継母や世間にこころから感謝が出来たときに、すでに病気は消えていました。不思議と言えば不思議、当然と言えば当然だと思った次第でございました。一切の迷いのこころのうっ積を、懺悔(ざんげ)のこころによって洗い浄められたとき、突然胆石という病気が消えていたのでございます。
唯々、感謝の気持ちで一杯でございます。

ありがとうございます。









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