龍の声

龍の声は、天の声

「李花集」

2015-10-09 08:11:10 | 日本

李花集(りかしゅう)は、後醍醐天皇の皇子、宗良(むねなが)親王の家集。集中の和歌の最下限から考えて、1371(建徳2)年以降の成立とされている。

上下2巻、部立があり、上巻は春夏秋冬、下巻は恋と雑歌である。親王の歌899首を含め、総計1006首収められている。『新葉和歌集』撰進の際に、多くの歌が収められた。

宗良親王は、後醍醐天皇の皇子(第四・第五・第八皇子など諸説ある)。母は二条為世の娘為子。護良親王(尊雲法親王)・尊良親王の弟。後村上天皇の兄。

嘉暦元年(1326)、十六歳で妙法院門跡を嗣ぎ、同時に親王宣下を受けて尊澄法親王と称された。元徳二年(1330)、二十歳にして兄尊雲の跡を受け天台座主となる(叡山の兵力と結ぶための父帝の策かと言う)。元弘元年(1331)、後醍醐天皇と共に笠置に拠ったが、翌年捕えられて讃岐国に流された。鎌倉幕府滅亡後の同三年(1333)に帰洛し、天台座主に復す。延元元年(1336)六月、一品に叙せられる。足利尊氏らの蜂起によって父帝の新政が瓦解した後、還俗して宗良親王と改名。以後、遠江国井伊谷・越後国寺泊・信濃国大河原などを転々とし、南朝勢力挽回のため奮闘する。この間、延元三年春頃、敗戦により一度は吉野へ落ちのびた。興国五年(1344)までに信州大河原城に落ち着き、以後はここを主たる拠点としたらしい。正平五年(1350)頃から、いわゆる観応の擾乱を機に反撃に出、同十年(1355)には越後から信州諏訪へ移ったが、同年八月、甲斐国桔梗原の決戦で北朝方小笠原氏らの軍に敗れ、南朝方には大きな痛手となった。文中三年(1374)の冬、信濃から吉野行宮に帰り、天授三年(1377)、大和長谷寺で再度落飾。同年冬、再び信濃に下り、同六年頃西上して河内国山田に住む。最晩年の事蹟は不詳であるが、元中二年(1385)遠江井伊城で薨去とも伝え(信濃宮伝・南朝紹運録など)、また信濃大河原で薨去とも言う(醍醐寺「三宝院文書」)。静岡県引佐町の井伊谷宮境内に陵墓があり、同宮に祭神として祀られている。

幼時から母の実家である二条家に出入りして和歌に親しむ。特に従兄の為定との親交は長く続き、正平十五年(1360)為定が亡くなった時には哀傷歌五十首を詠んで為定の子為遠のもとに贈った。北畠親房も生涯を通じての歌友である。漂泊・転戦の生涯にあって歌道に怠ることなく、家集『李花集』に収められる数多くの作を残した。吉野帰山後は南朝歌壇の指導者として活躍、天授元年(1375)の「南朝五百番歌合」の判者を務め、同二年、「南朝内裏千首歌」に評点を加えた。翌年、自らも「宗良親王千首」を詠む。この間、北朝では新千載集(二条為定撰)・新拾遺集(二条為明・頓阿撰)と勅撰集編纂が続いたが、宗良親王を含め南朝関係者の歌は採られなかった。このため天授六年(1380)、南朝方の歌人の作を集成して『新葉和歌集』を撰し、翌年弘和元年長慶天皇より准勅撰の綸旨を賜って、同年十二月三日奏覧した。同集に自作を九十九首採り、他にも少なからぬ作を読人不知として撰入している。勅撰集には、読人不知として新続古今集に三首入集。自撰家集『李花集』は文中三年(1374)以後まもなくの成立か。




【李花集】


『諏訪の海や 氷のうへは 霞めども なほうちいでぬ 春の白波』(李花集)

◎諏訪湖はまだ氷が張り、その上に霞が立ちこめているけれども、やはり春だけあって、解け始めた氷の隙間からほとばしり出た白波よ。



『ふるさとと 聞きし越路の 空をだに なほ浦とほく かへる雁がね』(李花集)

◎越の国は雁の故郷だと聞いたが、ここの空さえ飛び去って、仮の宿とした浦から更に遠く北へと帰って行く雁の群れよ。



『時鳥 いつのさ月の いつの日か 都に聞きし かぎりなりけむ』(李花集)

◎ほととぎすよ、いつの年の五月のいつの日であったか。あの日が、都でおまえの声を聞いた最後であったのか。



『霧をへだてゆく ゐな野の原の 夕霧に 宿ありとても 誰かとふべき』(李花集)

◎猪名野の原に夕霧が立ちこめて、人里との間をさらに隔ててゆく。そこに我が宿があるとしても、誰が尋ねて来たりするだろう。



『いづかたも 山の端ちかき 柴の戸は 月見る空や すくなかるらむ』(李花集)

◎どちらの方角も山の稜線が迫っている庵からは、月を眺めようにも、空が少ししか見えないだろうなあ。



『いかがせむ 月もみやこと 光そふ 君すみのえの 秋のゆかしさ』(李花集)

◎どうしましょう。月もそこが都だといっそうの輝きを添えて照る、我が君が行宮(あんぐう)となさるの住の江の秋――どんなに美しいことか、行って見たくてなりません。



『月に君 思ひ出でけり 秋ふかく 我をばすての 山となげくに』(李花集)

◎月に私のことを思い出してくれたのですね。もう秋も深まった季節、姨捨山ではないが、私を思い捨ててしまったものとばかり歎いていましたのに。



『忘れめや 都のたぎつ 白河の 名にふりつみし 雪の明ぼの』(李花集)

◎忘れたりするだろうか。都を奔り流れる白川の我が住まい。その名にふさわしく降り積もった雪の曙を。



『おのづから 雪ふみわけて 問ひこしも 都にちかき 山路なりけり』(李花集)

◎在五中将が惟喬親王のもとへ雪を踏み分けて訪れたのも、都から程近い山道だったからこそなのだ。我が住まいは比較にならぬほど遥かな遠路、誰一人訪ねてくれる人などいない。



『雪つもる 越のしら山 冬ふかし 夢にもたれか 思ひおこせむ』(李花集)

◎雪の積もった越の白山は冬の趣も深い。夢にも誰が思いを寄せてくれるだろうか。



『木曾路河 あらしにさえて 行く浪の とどこほるまを しばし待たなむ』(李花集)

◎木曾川は冬の山風に凍って、波も滞っています。その間は、しばらくお待ち頂きたい。



『旅の空 うきたつ雲や われならむ 道もやどりも あらしふく頃』(李花集)

◎旅の空に定めなく漂う片雲――あれが我が身なのだろうか。道もなく宿りもない、山風の激しく吹く頃。



『ひとり行く 旅の空にも たらちねの 遠きまもりを なほたのむかな』(李花集)

◎独り行く旅の空にあっても、父上の遠くからのご加護をやはり頼みにすることよ。



『あかで散る 花のまぎれに 別れにし 人をばいつの 春かまた見む』(李花集)

◎見飽きることなく散ってしまった桜の舞い乱れる中、あわただしく別れてしまった人と、いつの春再び逢うことができよう。



『をはつ瀬の 鐘のひびきぞ 聞こゆなる 伏見の夢の さむる枕に』(李花集)

◎暁を告げる初瀬の鐘の響きが聞こえるよ。伏見の夢の覚めた我が枕元に。

 

『夢の世に かさねて夢を 見せじとや 尾上の鐘の おどろかすらむ』(李花集)

◎夢の世に重ねて夢を見せまいと、山の上の鐘が目を覚ましてくれたのだろうか。



『われを世に ありやととはば 信濃なる いなとこたへよ 嶺の松風』(李花集)

◎もし誰かが私のことをまだ生きているのかと尋ねたら、信濃の伊那という所で。否々、もはやこの世を去ったと答えてくれ、峰の松風よ。



『歎かじな しのぶばかりの 思ひ出は 身の昔にも ありしものなり』(李花集)

◎今さら嘆くまいよ。ただ耐えるしかないような辛い思い出は、我が身の昔にもあったものなのだ。












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