龍の声

龍の声は、天の声

「弘道館記とは、」

2015-10-09 08:12:05 | 日本

徳川斉昭

◎館記の解説

弘道とは如何なる義であるか。弘道とは人が能く道を弘めるといふ意である。即ち道を世に弘め、人々に能くこれを実行させることである。然らば其の道とは何であるか。道とは天地に基いた人の大道である。

凡そ事物には理法(則)といふものがある。宇宙の万物皆夫々此の理法に順つてゆくことが道である。即ち天地には天地の道があり、人には人の道がある。故に人たるものは、斯の道から寸時も離れることは出来ない。而して我が日本民族としての遵ひ守るべきの道、これ即ち皇道である。

謹んで考へるのに、神代に於て、畏くも 天祖天地に基づいて大中至正の道(極)をお立てになつて、斯の国を肇め、斯の国に君臨し、斯の国民を教へ導きなされ、そして後世御子孫がこれを承け継がれるやうに、天業の基をお定めになつた。これによつて、天は高く地は低く、各々其の所を得て安らかに万物皆夫々時を得て完全に生々発育して居る。神皇が世界に照臨し、天下を統べ治められるのに、一として斯の道に由りたまはぬことはない。斯の道によりて宝祚は無窮であり、斯の道によりて国体は尊厳であり、全国民は斯の道により安寧幸福であり、又斯の道の光被によつて諸外国の民までも悦服し同化する。神州の宇内に冠絶する所以、此に存するのである。而して御歴代の 天皇は、畏くも 天祖の立て給うたかやうな立沢な道を以て、これで充分であると御満足なさらず、更に他国の長所を取入れ、斯の道の内容を一層立派なものにすることを楽しみとなされた。乃ち支那の理想時代と謂はれた唐虞三代(尭・舜、夏・殷・周の三代)の政治文化の如き、其の美点を資り入れて皇政上の御参考となされた。是に於て、宇内に冠絶する我が皇道が、愈々大きく、愈々明らかに、愈々善美を極めるに至つた。

然るに、中世この方、此の正道に反した邪悪な外来思想が世人を欺き惑はし、また見識の狭い、心卑しき儒者や、時代に迎合して学の本義を曲げるやうな学者が出て、我が国粋を捨てて外国の風に惑溺するやうになつて、為に畏れ多くも 天皇の御徳化が漸次に衰替し、兵禍戦乱続出し、皇道の世に明らかでなくなつたことが随分久しい間であつた。

我が東照公には、乱世を治めて正造の御世に引きかへされ、皇室を尊び、夷狄を攘ひ、武功文徳並似び勝れ、以て天下太平の基を開かれた。我が祖威公(頼房)領を常陸に封ぜられるや、夙に日本武尊の御性格を慕はれ、神道を尊崇し、武備を治め整へられた。次いで義公は威公の志業を継承してこれを大成することに努められ、或る時支那の伯夷・叔斉の伝を読んで痛く感動し、更に儒教を崇ばれ、人倫を明らかにし、大義名分を正し、以て皇室の御垣の守となられた。爾来百数十年の間、子孫代々其の遺業を承け継ぎ、朝廷及び幕府から甚大なる御恩沢を被り、以て今日に至つたのが水戸藩の実情である。さうであるから、苛も臣子たるものは、斯の道を益々推し弘め、先祖の美徳を愈々顕し、以て列聖の鴻恩に報い奉ることを深く思はなければならぬ。これ則ち弘道館の設けられた所以である。

次に建御雷神を館内に祀つたのは、どういふ訳であるか。これは皇道の淵源を崇拝する精神からである。皇道の淵瀬は固より 天祖であるから、天祖を祀るのが本筋ではあるが、人臣が 天組を祀ることは畏れ多いといふので此の神を祀つたのである。建御雷神は、神代に於て 天祖の大御業を御助けなされた御神であらせられ、しかも領内鹿島に鎮座まし霊験あらたかなるによつて、此の神を祀り、以て報本の義をこれに寓し、領内の民をして斯の道の由つて来る所を知らしめようとするものである。

その孔子廟を館内に造営したのは、如何なる訳であるか。それは決して神儒同格の施設といふのではない。惟ふに唐虞三代の道を折衷して中正の処に定められた孔子教が、忠孝仁義を重んずる其の精神に於て、我が皇道精神と一脈相通ずるものがあり、古米我が国の治教上に寄与するところが尠くなかつたので、斯の敦の本尊たる孔子の徳を欽慕し、其の教に資りて尊び、人々に我が皇道の内容が益々大きくなり、愈々明らかになつたことが、決して偶然でないことを知らしめようとするものである。

嗚呼、我が水戸藩下の士民たるもの、日夜懈ることなく、斯の館に出入して学び、我が神州固有の皇道を遵奉し、皇道の精華を発揮する為の助として儒教を取入れ、忠孝の大義を重んじ、且忠と孝とは一本で二物ではないことを体得して実行し、文武は其の帰を一にするものであるから、両道分れることなく一本筋で修練し、また学問と事業との一致を認め、理論と実際とが相離れないやうに修養し、敬神と崇儒が其の一方に偏し、又は神儒同格とならぬやう留意し、能く衆人の考を集め、衆人の力を展べ、上下一体一気、治教に努力し、以て国家無窮の御恩に報い奉るやうにしたならば、ただに我が藩祖宗の志を堕さないばかりでなく、在天の神霊も亦御降りになつて御助け下され、真に皇道を推弘める所以となるであらう。
これ実に弘道館教育の方針とするところである。

斯の弘道館を創立し、其の政教を一にして斯の道を推弘しようとするものは誰であるか。権中納言従三位源朝臣斉昭である。









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