龍の声

龍の声は、天の声

「カタカムナ神社を訪ねて」

2015-05-07 07:43:20 | 日本

神戸市の六甲山系金鳥山から岡本に下る途中に芦屋道満の墓と噂される祠(ほこら)があり、その周辺が狐塚(きつねずか)と言う岩にからんだ巨木が生い茂る場所がある。その祠は十数年前には「山の神」を祀る祠と言われていた。楢崎皐月(こうげつ)が、2カ月余り生活をしていた。そこへ、たまたま平十字なる人物が訪れ、カタカムナ神社のご神体と称する巻物を示した。
タカムナ文明とは、今を遡ること2万年から5万年前の超高度な文明である。

今回、大型連休を利用して、このカタカムナ神社を探すための旅に出た。
松永先輩(81歳)・赤根さんの3名である。

松永先輩談には、「今から20年数年前のことだが、知人に連れられカタカムナ神社(祠)に行った。場所は芦屋川駅から上に上がり、奥池と言う地名の所である。山の中の綺麗な湖の場所である。その地域に豪邸がある。車も10台以上止められる駐車場がある豪邸である。そこからフラットな獣道を数十メートル行くと、そこには祠がある。恐らくここがカタカムナ神社(祠)跡と思われる。そしてそこの祠にいる老女から、いろいろカタカムナ文明についての話を聞いた。また、老女が呪文を唱えると小鳥が沢山集まってきた。」という。

今から20年数年前のことであり記憶が定かではなく、いくら探しても、当時と現在とではその地域の開発が進んでいて、大枠は掴めたが、よくは分からない。結果的には祠の場所は特定することができなかった。

だが、皐月晴れの山中での歴史を訪ねる旅は、カタカムナ人とは己自身の事だとも思えた。




『カタカムナへの道』関川二郎著、上古代語のまとめ


◎「カミ」の意義について、

カタカムナ人は自分たちが感受していた「生命の根拠」ヨリドコロ・因って来るチカラの存在)を(カ)と言い、その「潜態の本質」である(カ)が「現象」として現れたもの、すなわち「生命の実質」であるものを(ミ)と言った。
そしてすべての生命の根拠(あらゆるもの共通の起源)を(カ)の(ミ)すなわち「カミ」と呼んだのである。


◎祈りの効力について

カタカムナの「イノリ」は、向上(カミにムカう)のために「イノル」のであって、現実を超越して「神」や「仏」に救いを求めるためのものではない。
「イノル」のは向上の方法(スベ)であるが、「向上のスベ」を知れば、そしてそれを「実習」し続ければ、「波動力」が増しただけ確実に救われていくのである。


◎感謝について

自分たちが生かされている天然自然のヒビキの感受を「ありがたい」と感じる思念は、脳の発達した人間のみに発する二次波動には違いないが、しかしそれは極めて自然であり、その波動は人間の間だけではなく天然自然に通じるヒビキを持つものである。

「ああ、私は生き(イキ)ている。私は呼吸(イキ)をしている。私は今(イマ)ここに存在する」と言う大覚が得られるのである。

この「イノチのアリガタサの実感」こそ、人間以外の動物にない高次の脳の幕開けであり、幼児性を脱皮する第一歩になる。人間と他の動物が感受する機能は同様でも認識過程において大きな違いの出る所以はここにある。

そしてさらに、その有り難い「モノ」が諸々の物質や生命を生み、太陽をも輝かせている大きな「チカラ」に繋がるものであることを感受し、その感受に基づき、一方ではその力の根源を知ろうと大脳知能を凝らし、一方では人間の分を認識し、それが心から「ヒレフス心」となって姿形に表れ、その姿形によって、「アマウツシ、カムウツシ」がなされることを知り、次第に「実感と思考の相乗作用」によって、「カタカムナの物理(サトリ)」が開発されるものと推定される。


◎霊性と価値観について

なぜ人は、死んで「あの世」に持って行くこともできない富や、名誉や、地位を得ることに大切な時間とエネルギーを費やして、死んでも「あの世」に持っていくことのできる、最も大切な「霊性の向上」に努力しないのか。

それは低い価値観の家であると言わなければならない。低い価値観とは「価値あるものを価値がないと考え、価値のないものを価値あるもののごとく信ずる」ことであり、高い価値観とは「価値あるものを価値ありと判断し、価値なきものを価値なしと判断する」正方向の価値観を言う。

この価値観の違いは霊性の向上に伴って変化するが、これは価値観を変えれば霊性が変わるかと言うと、必ずしもそうではない。価値観というものは付焼刃(つけやいば)で変わるものではなく、霊性が向上すれば自ずから価値観が変わるのである。

鍛錬の繰り返しによって大きいアワ量を獲得した人は、禍(わざわい・反方向の渦の憑依)に苦しめられている人々のために、そのチカラを集中して、「反」の波動(渦)をそれが本来あるべき世界に処を得さしめることが可能となる。しかし鍛錬不足で未熟な術者が、自己の力が勝る「反」のチカラに対して無謀な挑戦をしたときは、厳しい返り討ちに合うことを覚悟しなければならない。








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