スヌスムムリクの生々流転日記

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東京都清瀬市「中里富士塚」

2019-08-25 23:00:00 | 富士塚

日枝神社水天宮から歩いて中里富士塚までやってきました。

富士塚No.81

所在地:東京都清瀬市中里4-1132

鳥居の右側には清瀬市による説明板がありました。

清瀬10景 中里富士山

中里富士山は、富士山を信仰する人々の集まりである富士講によって江戸時代文化年間頃築かれたといわれ、高さが約10m、東京都の有形民俗文化財に指定されています。
毎年9月1日には、ここで、東京都指定無形民俗文化財である中里の「火の花祭り」が行われます。
この行事は、講中が富士塚で経文を唱えたあと、円錐形の麦わらの山に火がつけられ、その火にあたり、灰を家に持ち帰って門口にまくと火災除けや魔除けになり、畑にまくと豊作になると伝えられているものです。

清瀬市

清瀬市による説明板の上にあった「火の花祭り」の様子。

その隣には東京都による解説板もあります。

東京都指定有形民俗文化財 中里の富士塚


所在地:清瀬市中里4-1132
指定:昭和60年3月18日
丸嘉講武州田無組中里講社により、柳瀬川右岸の段丘縁辺地に築かれた。文政8年(1825)再築という伝承や、頂上の石祠に同年の銘があることなどから、文化文政年間(1804~1830)の築造と考えられる。明治7年(1874)に2m程かさ上げされ、周囲よりの高さは約9mである。
北側の鳥居を潜ると登山道が九十九折りに続く。途中1合目から9合目までを記した小さな石柱がある。山頂には文政8年の石祠と、大日如来を刻む石碑が建つ。この石祠は富士山頂の「仙元大菩薩」の社を象ったもの。中腹には、富士山五合目に祀られる「小御嶽神社」の碑がある。少し下った先には、富士講が往路に参詣する「高尾山阿闍梨明王」の碑。その中間に、帰路で詣でる「道了大薩埵」の碑が建つ。
富士信仰に関する石造物を具備する一方、今日でも富士登山や火の花祭りなどの講行事が継続されている。また全山赤土で、一般の富士塚に見られる溶岩は一切使われていない。舟運に依存できない内陸地域の富士塚の、典型的な様式を示している。なお、講に関する中里丸嘉講関係資料が附として指定されている。初期の富士塚として、また江戸後期に武蔵野に進出した富士講の活動を知る上で重要である。

平成23年3月建設 東京都教育委員会

富士塚麓の右側にはお地蔵様と庚申塔がありました。

富士塚麓の左側には手水舎と碑があります。

それではさっそく登ってみましょう。

溶岩ではなく土を盛った塚で、登山道がつづら折りに山頂へ続きます。

久しぶりに非常に大きな富士塚です。

号目石もあり、五合目には小御嶽神社の碑がありました。

山頂の祠。

山頂から見下ろす登山道。

9mはなかなかの高さですが木々が生い茂っていて遠くは見えませんでした。

暑い中ここまで歩いたのと、蚊が多く飛び交っていたのですぐに撤収しました。


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