スヌスムムリクの生々流転日記

過ぎ行く日々の風景(2012.5.4~)ご訪問ありがとうございます。

東京都小金井市「滄浪泉園」

2020-07-12 23:00:00 | 湧水

今日は東京都小金井市の湧水を2つ巡ってみました。

まずは滄浪泉園へ行きました。

所在地:東京都小金井市貫井南町3-2-28

この滄浪泉園は外交官、衆議院議員などを歴任した波多野承五郎が明治末期に別荘としたところで、その名の由来は、大正8年、この庭で遊んだ犬養毅元首相によって名付けられ、入口の右側にある石の門標は犬養毅の自筆によるものだそうです。

入園料100円を支払い入園しました。

門をくぐり抜け、緑豊かな木々の中の石畳を道を下ります。

突き当たりを左折すると東屋のあるちょっとした広場にでます。

そして「順路」という看板に沿い細い坂道を下っていくと池が見えてきます。

この池の回りを反時計回りに進みます。

池の回りを歩き始めると橋が架かっています。

まずはこの橋の下が湧水口になっており、池に流れ込んでいます。

そしてしばらく進むとまた湧水口があります。

滄浪泉園の湧水は東京の名湧水57選に選定されています。

ハケ

段丘崖下部の窪みのような部分から泉がこんこんと湧くところを一般に「ハケ」と呼んでいます。

市内にはこのような場所がいたるところにみられ、「小金井」の地名も豊富な湧水が湧くところから起こったとも伝えられています。

こちらも池へと流れ込んでいきます。

散策路途中には、かなり年月か経過している「馬頭観音」と書かれた石碑もありました。

池に映る緑がとてもきれいです。

画像の右側に最初の橋が見えたのでズームしてみました。

残念ながら橋の下は暗くてよくわかりませんでした。

しばらく歩くとお地蔵さまが立っています。

おだんご地蔵

このお地蔵様は正徳三年(一七一三年)いまからおよそ二百六十六年前念仏供養のためにまつられたものです。

何を見、何を想っているのでしょうか?

素朴で柔和なお顔だちは、このお地蔵様がたどってきた長い歳月を私たちに語りかけてくれるかのようです。

お地蔵様の足元にはエビネが自生し、五月頃には花のじゅうたんを敷きつめふくいくとした香りを届けます。

池から水が流れ出ています。

その流れは滝となって流れ落ちています。

そして園を出て暗渠に流れ、野川へと流れています。

池の回りを歩き終え最初の広場に繋がる道を上りはじめるとまたお地蔵さまがたっていました。

鼻欠け地蔵尊

この石仏は寛文六年(一六六六年)いまからおよそ三百十三年前に庚申さまとしてまつられたもの市内でもっとも古いお地蔵さまです。

信仰のため何度も触られたからでしょうか、目や鼻などが欠け落ち、昔の人の厚い信仰が伝わって来るようです。

背後の椿は樹齢百年を悠に越すと見られ季節には真紅の花を散らせお地蔵さまを飾ります。

水琴窟がありました。柄杓で水を流してみるととてもよい音がします。

滄浪泉園は、大岡昇平の小説「武蔵野夫人」の舞台となった「はけ」を生かした庭園として知られており緑地保全地区に指定されています。


東京都小金井市「貫井神社湧水」

2020-07-11 23:00:00 | 湧水

東京都小金井市の遊水地、貫井神社へ行ってみました。

所在地:東京都小金井市貫井南町3-8-6

大正12年にこの湧水を利用しプールがつくられたほどで、この画像の右下にある記念碑が建っています。

最初の画像の左側。境内から流れる湧水が池に流れ落ちています。

こちらは最初の画像の右側。こちらも境内から湧水が流れ落ちています。

最初の画像の階段の右下。何かはわかりませんがお口から湧水が流れ落ちています。

貫井神社の鳥居。鳥居の向こうには赤い橋がかかっています。

池の東側から。

池には鯉が泳いでいます。

池の西側から。

貫井神社拝殿

貫井神社の創建年代は不詳ながら、湧水の出る当地に弁財天として古くより祀られていたのではないかといい、明治維新後貫井神社と改称したといいます。

社殿の周囲を湧水が流れています。

社殿の西側から時計廻りに歩いてみましょう。

こちらが一番の量を誇る湧水地点です。

こちらは東京都の名湧水57選に選定されています。

きれいな水が湧き出ていますが、残念ながら看板にもあるように飲料水には適していないそうです。

社殿の裏側。

社殿裏側の湧水地点。

面白いことにここから左右に湧水は流れ出しています。

社殿東側の湧水の流れ。

こちらの真っ赤な末社は厳島神社でしょうか?

「小金井」という地名は、黄金に値する豊かな水が湧くことから名づけられたそうです。


東京都昭島市「拝島公園湧水」

2020-05-23 23:00:00 | 湧水

龍津寺から拝島公園まで歩きました。

まずは住吉神社があります。

寛保元年(一七四一年)拝島山守護総鎮守として比叡山日吉神社より勧請延暦寺から拝島山山王大権現の称号を賜わる。寛保より明和に至る二十六年の間氏子一日一銭の醵金により神輿祭礼具完備、嘉永五年(一八五二年)現社殿を再建、明治二年社号を日吉神社と改称、今に至る。(境内掲示より)

住吉神社鳥居の左側にある湧水地点。

住吉神社本殿

本殿には色鮮やかな彫刻が施されています。

 

拝島大日堂仁王門

仁王門の創建年代は明らかではありませんが、門の掲額「密厳浄土寺」の書は由緒あるものである。これを蜀山人は、調布日記の中で「宮方の書にやいずれも高貴なる人の書なるべし」と記している。仁王門は間口九メートル、奥行六・三メートルあり、門内には都指定有形文化財の金剛力士像が安置されている。(昭島市教育委員会掲示より)

ちなみに画像の左には「拝島のフジ」があります。

少し前まで咲いていたのでしょう。

大日堂へ続く階段下。

大日堂階段下の右側にある「おねいの井戸」

この井戸は拝島町にある有名な三つの井戸のひとつで、別名「お鉢の井戸」と呼ばれています。室町時代の末期(四百年余り前)滝山城主北条氏照の家臣であった石川土佐守が大日堂に娘「おねい」の眼病のなおることを祈り、さらにこの井戸の水で眼を洗ったところ、よくなったといい伝えられています。(昭島市教育委員会掲示より)

大日堂階段下の左側にある湧水地点。

拝島大日堂

天台宗寺院の拝島大日堂は、拝島山密厳浄土寺と号します。拝島大日堂は、天暦6年(952)の多摩川洪水の際に中州に流れ着いた大日如来の木像を、大神の浄土にあった浄土寺に安置、滝山城築城の折にその鬼門除けとして、当地に移したといいます。天正年間(1573-1591)には北条氏照の家臣石川土佐守の娘於ねいの眼病を祈願、井戸で眼を洗ったところ平癒したので、堂字を再建、8寺院を建立、天正19年(1591)には徳川家康より10石の御朱印状を拝領したといいます。本尊大日如来座像をはじめとする諸仏像をはじめとして、拝島のフジやおねいの井戸など多くの文化財を所蔵しています。

大日堂と拝島大師の間にある坂道。

その坂道の真ん中辺りにある湧水地点。

拝島山本覚院(拝島大師)

本覚院は、織田信長の焼討ちにあった比叡山から慈恵大師像(元三大師像)を救い出して、諸国を流浪していた天台座主敬湛大僧都が、天正6年(1578)拝島に大師像を安置して創始したといいます。滝山城主北条氏照の重臣石川土佐守が拝島大日堂を再建した時に寺観が整ったといい、江戸期には拝島大日堂と共に徳川家康より御朱印状を拝領していました。

本覚院 南大門

本覚院 文殊楼

本覚院 五重塔

本覚院 転法輪蔵・経経堂

六画円堂・弁才天堂の池から奥の院 多宝塔を望む。

本覚院 大黒堂

本覚院 本堂

本堂の脇から流れ出る湧水地点。

多宝塔の下にある池に流れ落ちます。

こちらは本覚院の東側、国道16号を渡った所にあるせせらぎ。

以前は田んぼだったと思うのですが今はほとんど埋め立てられて宅地となっていました。


東京都昭島市「龍津寺湧水」

2020-05-22 23:00:00 | 湧水

今日は東京都昭島市拝島町にある湧水地を巡り歩いてみました。

まずはこちら「龍津寺湧水」です。

所在地:東京都昭島市拝島町5-2-37

曹洞宗寺院の龍津寺は、玉應山と号します。

龍津寺は、青梅天寧寺四世説翁星訓禅師が開山、義徹宗廓居士(花房主計頭)が開基となり、天文年間(1532-1555)に創建、天正19年(1591)には徳川家康より寺領3石の御朱印状を拝領していたといいます。

龍津寺惣門

龍津寺山門

龍津寺本堂

龍津寺は拝島丘陵が多摩川まで落ち込む際にあります。

湧水は龍津寺の裏側の崖地の3カ所から湧き、奥多摩から運んだ巨石を積みあげてつくられた、昭和用水堰から取水した水量豊かな水路に落ちます。

湧水は境内へ入らず、東か西の道から裏手に回ります。

水路の脇はゆったりと遊歩道が続きます。

一番上流の湧水地点。水量が一番多いようです。

上流から二番目の湧水地点。

水路の途中には休憩スペースがあります。

この辺りに鯉が泳いでいて餌をやっているお子さん連れを見かけました。

そしてこの休憩スペースの前に三番目の湧水地点があります。

湧水地点の左にある看板にあるように、こちらは東京の名湧水57選に選定されています。

湧水は崖線に沿って流れて行きます。


東京都昭島市「諏訪神社湧水」

2020-05-17 23:00:00 | 湧水

今日は買い物に出掛けたついでに昭島市にある諏訪神社へよってみました。

所在地:東京都昭島市宮沢町2-35-23

平安時代の創建と伝えられ旧宮沢村の鎮守だそうです。

そして、こちらには鳥居の右側の細長い看板にあるように「東京の名湧水57選」に選定されている湧水があります。

鳥居をくぐり、進むと石垣が組まれた罫線が見えてきます。

その中腹に社殿があります。

遊水地点は石垣の左下にあり、神社の手水舎となっています。

まずは急な石段を登りお詣りをしました。

本殿の右側にある白山神社。

社殿前か境内を見渡す。

季節がら緑がとてもきれいです。

こちらが湧水地点です。

湧き出た水は境内の水路に流れ出ます。

今日は大勢のお子さん連れの家族が沢ガニを捕まえていました。

三密状態でした(^^;)。

バケツの中を覗くと20匹くらい入っていました。

こんなに捕まえて、大丈夫か?乱獲じゃない?しかも神社の境内で・・・

と心配になってしまいました。

流れ出た湧水は厳島神社の池に流れ落ちます。

厳島神社

厳島神社の池から神楽殿の下を流れて行きます。

神楽殿では太鼓の練習が行われていました。

境内から流れ出した湧水。

屋敷脇を流れる湧水。

辿っていくと道路下の暗渠に流れていました。

周辺の民地にも湧水があり、自家用のワサビを栽培しているそうです。