更新の間隔が、少し空いてしまいました。
最近は普段でも、どんどんと加速するような時の
流れの感覚に(それがたとえ幻想であれ)ついて
いけないと思うこともしばしばですが……
師走ともなると、それがさらに倍加されたような
気がしてしまい……
ほんとうに、一日が半日ほどの速さで過ぎていく
ようで、あいた口が塞がりません。
それでも、自分にもたらされたことのすべてを、素
通りさせることなく、しっかりと観ていたい、そうい
う意識は常に持っているつもりです。
そして、できることなら(いえ、本来できるはずです
が)、自らの意図することを経験したい、そうも思っ
ているのです。
そう念じていた結実なのか、おとといの木曜日の
朝、例の「夢前案内猫」に会いました。
(「夢前案内猫」のことは、これまでにも何回か書
いています。一番最近の記事は、2013年11月2
日付にあり。)
さらに同じ日の夕方、仕事帰りに地元の駅に降り
立ったとき、ほうっとため息が出るほど美しい夕日
をみました。
そしてそれは……快活さそのもののエネルギーを
発しながら、グルグルと回っているようだったので
す。
こんな様子の太陽は、前にもみたことがある、そう
思いつつ、しばしそれを見つめていたら……
その直後、その残像が、マゼンタ色の楕円形にな
ってあらわれたのです。
限りなくピュアで、心を惹きつけられる、そんな色合
い。
それが、宙に浮かんだかと思うと、その後入った駅
前のビルの白い壁に、まるでマゼンタのセロファン
を貼り付けたように見えました。
そしてそれは、ものの数分で、消えていきました。
あのマゼンタ色は、一体どんな現象なのか、どんな
意味を持つのか、今の自分の視点からは、把握す
ることができません。
でも、それはそれとして、今はこの色をしっかりと
みておこう。
そして、心につよく刻んでおこう。
それだけが、今ここの自分にできることだから。
そんな誓いを立てたのでした。
(「グルグル回る太陽」については、2011年2月7日
の記事に書いています。その他にも、太陽に関する
記事が数編あり。関心がおありの方は、「太陽」の
カテゴリーをごらんください。)
最近は普段でも、どんどんと加速するような時の
流れの感覚に(それがたとえ幻想であれ)ついて
いけないと思うこともしばしばですが……
師走ともなると、それがさらに倍加されたような
気がしてしまい……
ほんとうに、一日が半日ほどの速さで過ぎていく
ようで、あいた口が塞がりません。
それでも、自分にもたらされたことのすべてを、素
通りさせることなく、しっかりと観ていたい、そうい
う意識は常に持っているつもりです。
そして、できることなら(いえ、本来できるはずです
が)、自らの意図することを経験したい、そうも思っ
ているのです。
そう念じていた結実なのか、おとといの木曜日の
朝、例の「夢前案内猫」に会いました。
(「夢前案内猫」のことは、これまでにも何回か書
いています。一番最近の記事は、2013年11月2
日付にあり。)
さらに同じ日の夕方、仕事帰りに地元の駅に降り
立ったとき、ほうっとため息が出るほど美しい夕日
をみました。
そしてそれは……快活さそのもののエネルギーを
発しながら、グルグルと回っているようだったので
す。
こんな様子の太陽は、前にもみたことがある、そう
思いつつ、しばしそれを見つめていたら……
その直後、その残像が、マゼンタ色の楕円形にな
ってあらわれたのです。
限りなくピュアで、心を惹きつけられる、そんな色合
い。
それが、宙に浮かんだかと思うと、その後入った駅
前のビルの白い壁に、まるでマゼンタのセロファン
を貼り付けたように見えました。
そしてそれは、ものの数分で、消えていきました。
あのマゼンタ色は、一体どんな現象なのか、どんな
意味を持つのか、今の自分の視点からは、把握す
ることができません。
でも、それはそれとして、今はこの色をしっかりと
みておこう。
そして、心につよく刻んでおこう。
それだけが、今ここの自分にできることだから。
そんな誓いを立てたのでした。
(「グルグル回る太陽」については、2011年2月7日
の記事に書いています。その他にも、太陽に関する
記事が数編あり。関心がおありの方は、「太陽」の
カテゴリーをごらんください。)