先回、「ギザ十」(縁がギザギザの十円玉)のことを書いたとき、その
最後にこう締めくくりました。
(宇宙の采配を信じ、ゆだねることができる日まで)
「ゆっくりゆっくりと、歩いて行こうと思います。」
書き終わった後で、この「ゆっくりゆっくりと」という部分が妙に心に
引っかかって、しょうがないのです。
その理由は、すぐにわかりました。
自分を変えるのに、「ゆっくりと」する「必要」はないからです。
ただ、宇宙を信頼し、すべてをゆだねますと決意し、宣言すればいい
のですから。
その瞬間に、もう私の周波数は高まっているはず。
そう、変容は一瞬のうちに完了するのです。
「ゆっくりゆっくりと」と私が書いてしまったのは、「変容」につながる決意
と宣言(いのり)を発する境地へ至るまでの道のりを意識したからだと思
います。
でも、「ゆっくりゆっくりと」する「必要」はどこにもありません。
できれば私は、スピーディーに変容したいのです!
(意外?にもせっかちなロージー、でした。)
最後にこう締めくくりました。
(宇宙の采配を信じ、ゆだねることができる日まで)
「ゆっくりゆっくりと、歩いて行こうと思います。」
書き終わった後で、この「ゆっくりゆっくりと」という部分が妙に心に
引っかかって、しょうがないのです。
その理由は、すぐにわかりました。
自分を変えるのに、「ゆっくりと」する「必要」はないからです。
ただ、宇宙を信頼し、すべてをゆだねますと決意し、宣言すればいい
のですから。
その瞬間に、もう私の周波数は高まっているはず。
そう、変容は一瞬のうちに完了するのです。
「ゆっくりゆっくりと」と私が書いてしまったのは、「変容」につながる決意
と宣言(いのり)を発する境地へ至るまでの道のりを意識したからだと思
います。
でも、「ゆっくりゆっくりと」する「必要」はどこにもありません。
できれば私は、スピーディーに変容したいのです!
(意外?にもせっかちなロージー、でした。)