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Rolling 55

「転がる石は苔生さず」いつまでも、いつまでも転がり続け・・・
お池にハマって、さぁ大変!  by belage

イタリア紀行[44]  シチリア⑳ シラクーサでの夕食

2013年09月15日 07時54分07秒 | イタリア紀行2013

夜10時を大きく回った頃。宿の可愛いお嬢さんに教えてもらった宿のそばのレストラン。
地元で超人気店ということで勇んでいったのですけど、あらら、もう満席で今日の材料は
売り切れですって!

残念、海外で食材がなくなるような人気の店って初めて。ちょっと残念でした。

仕方なく、お隣のお店に。はい、ここでも定番のビールをお願いして、白ワインを頼んで。
ん~ん、このビールもきりりとしてうまい!

ボクが頼んだのが海の幸スパゲティ。実はここでもウニのスパゲティをお願いしたんですが。
回答はやはりまだ生育が悪くて解禁されておらず、よって市場に出ていないんですって。
やはり今年はどの国も異常気象なんだと改めて実感。残念至極。

それにしてもこのボリューム。海に近いせいか、魚介が新鮮。味付けもマイルドでとっても
美味しかったです。

こちらは奥様が頼んだアサリのボンゴレ。ちょっと分けてもらって試食。アサリが肉厚で
ぷりんぷりんと。こちらの料理にはほとんどのメニューに香草が載っていますが、これと
の相性が抜群。なんやら場末の食堂って感じではありましたが、それでもなかなかの
お味。シチリアの食文化は素晴らしい。

これはパプリカのマリネ。ボクも時々作るのですが、なかなかこういう味には出来ません。
日本のパプリカとちょっと味が違って、噛みしめると後から甘みが浮いてくるんですよね。
あとオリーブオイルの鮮度が問題なのかも知れません。

焼き魚。これもオイルとホワイト・ビネガーで戴きましたが、ビネガーがいい味で。
魚自体は日本と変わりはないけど、調味料の違いでまた醤油とは違った魚の
旨さを感じます。

はい、またまた満足の夕食でありました。

 

ーこの項おしまいー

 


イタリア紀行[43]  シチリア⑲ シラクーサの旧市街3

2013年09月14日 16時28分23秒 | イタリア紀行2013

夜も深まって(と言っても8時くらいですが、まだこんな明るくて)、街の明かりが灯されて。
ここはシラクーサの旧市街の中心部。広場には噴水があって、周りは市庁舎やその関連
施設のようであります。

心配していた治安の問題も全くなさそう。極めて穏やかな、しっとりした感じの町並みです。
そうそう、ここはあのギリシャの賢人、アルキメデスのご出身地でありました。

プリント生地のお店かしら。とても色鮮やかな。やはりイタリア、この色彩感覚は
ちょっと真似が出来ません。

ドレスアップして、これからレストランにでも行くのかしら。欧米の人ってオン・オフの
切り替えがホントに上手。ボクなんかは年中短パン、Tシャツで(苦笑)

中心街にあるカテドラル。小さな教会ですが、ギリシャ風の建築でなかなか素敵な
ファサードです。やはりイタリア本土の教会とはちょっとテイストが違います。

港町のイメージでこの街を散歩しましたが、あの喧騒さとかいかがわしさが全くなく、
なんやらあのほのぼのしたイタリア映画に必ず出てくるアット・ホームな街という
印象を強くしました。

ボクのイタリア・ローカル都市の経験の中ではベスト5に入るくらいのいい街です。

 

ー続くー

 

 


イタリア紀行[42]  シチリア⑱ シラクーサの旧市街2

2013年09月09日 16時14分49秒 | イタリア紀行2013

シラクーサの旧市街の散歩の続きです。
夕暮れ時ともなれば細い路地にテーブルが出され、レストランも稼ぎどき。
しかし、この細い道にミニがよく似合いますが、車出せないですね(苦笑)
こんなところにぶち当たっったら最悪。バックでこの細い道を後戻りなんて
ボクには到底出来ません。

裏通りは人気もなく、騒音も全く聞こえて来ません。

これは何かの工房でしょうか。アンティークな飾り物主体のお店のようです。

こちらは洋装店。流石イタリアという感じのバッグ。色遣いが素敵です。
家の奥様なぞは流石にこれを持って東京は歩けませぬと弱気であります。ヨーロッパの
シニアな女性って結構こういうのを持って颯爽と歩かれていますが・・・

旧市街の目抜き通り。若い人たちの人口密度がぐんと上がって。
日本もそうですけど、最近の若い女性のスカート姿って殆ど見かけませんね。
ま、最近はおばさまたちもパンツ姿が多いようですが。これは海外でも同じです。

右の建物。窓を全面潰して、タレントさんの顔写真を。オペラの歌手かなぁ。

 

ー続くー

 


イタリア紀行[41]  シチリア⑰ シラクーサの旧市街1

2013年09月09日 08時29分40秒 | イタリア紀行2013

夕暮れどきを見計らって旧市街地を散策。このシチリア、あのマフィアの国というイメージが
あるし、まして港町。ちょっとおっかなびっくりの探索でありましたが。意外や意外、全然治安
を心配するような面は全くなく、寧ろこじんまりとしてとてもアット・ホームな雰囲気で、イタリア
を散策しているという気分に浸れました。 

旧市街地の入り口辺りにあったギリシャ時代の遺跡。これも神殿の跡であります。

おそらくこれから食事にでも出かける方たちでしょうか。こういう風景を見るとまるで
自分が映画の中にいるような気分になってきます。映画と言えば、シチリアはあの
「ゴッド・ファザー」が突出して有名ですが、「ニューシネマ・パラダイス」という、映画が最大の
娯楽であった頃のシチリアを描いたとっても素敵な作品があります。場所はアドリアーノ
という村が舞台ですが(今回は残念ながら行ってません)、是非機会があればご覧ください。
かなり感銘を受けると思いますよ。

こういう場所もあって、ボクも多少ビビるのですが、構わず突き進んで(笑)

 

ー続くー

 


イタリア紀行[40]  シチリア⑯ シラクーサのギリシャ劇場

2013年09月07日 08時34分13秒 | イタリア紀行2013

あの素敵なアグリジェントのお宿を辞して、車は一路イオニア海に添って北上。
シラクーサという古都に向かいます。途中で撮影したイオニア海。

シラクーサの港の近くに宿を取り、運転の疲れを癒やすため暫し午睡。夕刻徐ろに町を散歩
です。

 

こちらは新市街の目抜き通り。ここも一方通行が多いです。宿に着く前に一通の標識(写真右)
を見落として逆走。幸い、車の通りが少なくて事なきを得ましたが。日本と違って、こんな低い
場所に看板出さないでよね。てっきり目線より上しか見ない習慣があるものだから・・・(汗汗)

向こうに見える三角錐の建物は教会です。

ホテルから1時間くらい歩いたでしょうか。鬱蒼とした森のなかに。ジャカランタの大木が
綺麗に花を咲かせて。昔いたケニアではこの花が春になると咲きそろい、桜の花の代わり
に皆でお花見をしたものでした。

こちらがギリシャ劇場。ギリシャ時代紀元前3世紀に建設されました。その後ローマ人に
より改築を経て現在に至るでありますが、ご覧の通り現在でも十分に活用されています。
丁度この日はシチリアの人気アーチストの演奏会とかで、実は入場禁止というか、
チケットが売り切れて入場出来ないはずでありましたが・・・

別に演奏は聞くつもりもなかったので、チケット売り場の若い女性になんとか1分でもいい
から見せて欲しいと懇願。変なオヤジだと思ったんでしょうね、にべもなく売り場の窓口
を閉めちゃって(苦笑)

途方に暮れておりましたら、丁度近くにセキュリティ・ポリスが何人か屯していて。そのうち
の一番偉そうなひと(マフィアのボスみたいな方でしたが)に、「実は日本からはるばる
この遺跡を見に来たんだが、まさか今日演奏会があるとは知らず・・・明日日本に帰らねば
ならないし。なんとかちらっとでも見せて貰えませんか」と懇願。びっくりしたのは、このボス、
二言返事で「分かった、5分だけなら入場させてあげる」だって!で、若い可愛い女性を
案内役につけてくれて。彼女イタリア語しか話せませんでしたが、何か一生懸命説明して
くれて。(ボクは今スペイン語を勉強中で、その甲斐あってか、イタリア語は3分の1
くらいは朧気に分かるようになっています)

でも、シチリアの人って親切ですねぇ。まぁまぁ、家の奥様なんぞは大感激。こんなふうに
されるとファンになっちゃいますよね。お陰でただで演奏まで聞いちゃったりして。結局
5分どころか30分近くもいちゃって。ほんと有難うございました。

 

一番上はこんなふうになっていて。この孔は一体何でしょう。明らかに人があけたもの
と思われますが。案内のお嬢さんにお聞きしたんですけど、残念ながら英語は通ぜず。

で、彼女が案内してくれたのがここ。なんと劇場の一番上に泉が。彼女「Fontana」と
言ってましたので間違いないのですけど、もしかしたらローマ人の作ったものかも、です。
恐らくサイフォンの原理を使って、この丘の上まで水道を通していたのではと想像して
ますが。

この劇場、古代から15千人が収容できたそうです。現代だってこの人数を収容できる劇場
は日本でもないし。如何に、ギリシャ、ローマ時代にこの町が繁栄していたか、これで分かり
ますね。それにしてもマイクのない時代、15千人もの観衆を酔わせた当時の俳優さんやら
歌手の喉ってどんな構造をしてたんでしょう。

いんや~、シチリア人のご親切に感謝、感謝であります。

 

ー続くー 


イタリア紀行[39]  シチリア⑮ アグリジェントの小粋なレストラン

2013年09月04日 16時13分10秒 | イタリア紀行2013

あのホテルの陽気なイタリア人の代表なような宿のオヤジさんに紹介されたこのレストラン。
まだ出来て1年くらいとのお店のオーナーの話でありましたが、なかなかのもの。こんなところに
(と言っては失礼ですが)、こんな素敵なお店がとちょっとびっくり。お値段もお手頃で、味も良し、
従業員の接客も素晴らしく、流石食の宝庫シチリアと感心した次第です。

お店の看板を写したのですが、このスペル、よくわからない(苦笑)なんて読むんんでしょう。
「SIMPOSIO」あるいは「SIMPACIA」かなぁ。

 

 

 

 テーブルに案内されて、オーダーしたプレートが出てくるまで、他の客もいないのを幸いに、
例によって室内を撮影しておりましたら、店のマネージャーが何か勘違いされたんでしょうか。
ボクを日本の料理評論家と思ったのか・・・
良かったら店内を案内します、なんて言って、全部で2フロアーある全室(ダイニングが全部
で5部屋、全部入れると100人くらい座れるテーブル席がありました)
勿論、バーカウンターも休憩の前室もあって、完璧なレストラン。最後にはオーナー始め
コック長まで挨拶に来たりして(苦笑)

テーブル・アレンジメントもこじゃれています。

 

まずはビールで喉を潤して。お次は赤ワインを。ハウスワインですが、これが結構な
お味で。勿論ビールも美味いのです。イタリアはワインの国。ビールなんてもっての
他という人もいますが、イタリアビールはなかなかの味なんです。イタリア人も平気で
ビールを飲んでます。イタリアに行ったら是非ビールも試してね。

このワインのデカンタ、素敵でしょう(誰ですか、シビンみたいだなんて! Oh,No!! 爆)
こんなの自宅でも使ってみたいけど、置き場に困るのよね。

前菜のパスタ。実はシチリアは「うにのスパゲティ」が有名。ところが、今年は例によって
天候不順。まだうにが取れないんだそうです。例年ならこの時期には解禁になっている
んだが、とても申し訳ないとのオーナーの説明がありました。で、残念ながらシーフード
のスパと相成りましたが、これがエビのミソの、あのまったりした味が嬉しく、絶品であり
ました。

こちらは白身魚。トマト味のソースが、これまた美味。

イタリア版ラタトゥイユ。上に載っている黒いのが不思議な味で、丁度挨拶に見えられた
コック長に聞いたら、なんとナスの皮ですって。これを細く切ってオリーブオイルでカリカリ
と揚げたらしい。なんとも言えぬ不思議な味で、これはボクの「Bの料理」でもいずれ使って
みたいです。

こちらはイタリア・ナスとズッキーニ、パプリカの焼き物。

いずれも素材のうまさを引き立たせる焼き方で、ハーブの味と香りが素敵な逸品で
アグリジェントのあの遺跡の感動を改めて思い出しながら美味しく戴きました。

場所はホテルから歩いて数分のところです。

 

ーこの項おしまいー

 


イタリア紀行[38]  シチリア⑭ アグリジェント 「神殿の谷」7

2013年09月03日 08時47分53秒 | イタリア紀行2013

今回の神殿の谷巡りも愈々終焉に。大分最初の出発点から長い距離を登ってきました。
ふと振り返ると。
いやぁ、あのコンコルディア神殿の美しい姿が。まさにアテネのパルテノンを想起させる
姿です。小高い丘の上というギリシャ神殿建築の鉄則がこのシチリアにも活きていました。

この画面の尾根筋が見える範囲でずっと奥のほうから歩いてきました。この風景を見た
瞬間、今までの疲れも暑さも見事に吹き飛んで。

一面に見える緑はオリーブとアーモンドの大木。特に春のアーモンドの開花時期は
素晴らしいでしょうね。三年前ミラノを3月の下旬に訪問した時、一面ミモザとこの
アーモンドの花が満開で、日本の桜の花見をしている気分になりました。 

初夏の黄色い花に囲まれたヘラ神殿です。ヘラはギリシャ神話の全能の神、ゼウスの奥様。
この神殿は彼女に捧げられたものです。

 

この神殿の基壇(下部)の色が上と違って白っぽくなっているのにお気づきでしょうか。
元々はこの神殿の谷の神殿全部は白い漆喰が塗られていたそうな。更に、其の上には
極彩色の塗装がなされていたという。ちょっと想像が出来ませんが。

かろうじてこの神殿の下部だけが白くなっていて。不思議に思って色々調べてみたら
そんな記述に出くわしました。

この神殿は標高で120mの位置にあるそうです、地中海にも近いので、きっと海からも
みえるんでしょうね。一度海からどんなふうに見えるのか見てみたい気もします。

これ、オリーブの巨木。でか~~~!こんなの初めて見ました。

さて、ヘラ神殿ともサヨナラをして元きた道を戻ります。コンコルディア神殿にもサヨナラを告げて。

閑話休題。この神殿の谷で見つけたビーナス。下の方にカメラマンがいるのですけど、
なんと物凄いショッキング・ピンクというか、オレンジのドレスで、とても遺跡の雰囲気と
似合わぬ服装をされて(笑)

恐らくモデルさんなんでしょうね。下の谷で出会って、ボク等が2,3時間遺跡見物を
している間、ずっと同じ場所で撮影をしていました。お疲れ様です(笑) 

 

ー続くー

 


イタリア紀行[37]  シチリア⑬ アグリジェント 「神殿の谷」6

2013年09月02日 16時02分10秒 | イタリア紀行2013

コンコルディア神殿を後にして再びだらだらとした上り坂を歩きます。前方には最後の
目玉のもう一つの神殿の頭柱が見えています。

途中で見つけたサボテンの花。綺麗に咲いています。

この道すがらには丘陵の斜面にそってこんな擁壁が。恐らく防御用の擁壁であろうと
思われるのですけど、この穿たれた半円は?もしかして水道??でも、防御壁であれば、
一番破壊されやすいところに水道を設けるのは理に適っていないし・・・はてさて何で
ありましょう。。。単なる明かり取りかも知れません。こういう場所に立つと色々とあらぬ
ことまで想像して(苦笑)

こんな建築物が延々と続きます。まぁ、いうなれば神殿に繋がる表参道でありましょう
から、きっとお店屋さんとか、住居、休憩所の類であったのかも。

擁壁の裂け目から向こうの丘を臨みます。河岸段丘の特徴ですけど、妙に人工的に
切り取ったような雰囲気が。もしかしたら、あちら側にも遺跡が残っているのかしら、
なんて興味をそそられます。

大分崩れてしまっていますが、階段を擁し、物見塔の一部であったような。

最後の神殿が大分近づいてきました。

 

ー続くー

 


イタリア紀行[36]  シチリア⑫ アグリジェント 「神殿の谷」5

2013年09月02日 08時04分35秒 | イタリア紀行2013

なだらかな馬の背をゆっくり登っていくと、突然この神殿が現れます。この忽然と言うのが
ちょっと感動モノ。 

ほぼギリシャ時代の完全な姿が。いやぁ、見事な保存状況です。

アテネのアクロポリスの最初の神殿建設は紀元前6000年にまで遡り、初期のものは
木造であったとか。その後、石造りとなりましたが、度重なる地震で崩壊したものが多く、
現在最も有名なパルテノン神殿は紀元前5世紀に建設されたそうですが、あちらは白亜
の大理石。でも、その前の神殿はこちらと同じように石灰岩であったようです。

そういう意味でこの神殿はパルテノン神殿の前身的な見方が出来るかも知れません。

当地のこの神殿の名前はコンコルディア神殿

実はこの神殿紀元6世紀頃からキリスト教会として使用されていました。それ故、この
ように保存状態が良かったようです。その後イスラム寺院としても使用され、例の
レコンキスタ以降再度キリスト教寺院として復活した歴史があるそうです。神仏習合
であった日本とはまた違うヨーロッパ寺院の歴史ってホントに興味深いものがあります。

太陽の日差しが眩しい。その理由は、下の写真。

あはは、神殿の下にはこんな彫刻がゴロリンと。思わず笑っちまいましたが。ヨーロッパ
の人たちって平気でこういうことをするのよね。日本なら不敬罪?(笑)ボクは好きですが。

この青年像の背中には羽が生えているので、恐らくあの太陽に灼かれて地に堕ちた
イカロスの神話に基づくものであろうかと思うのです。で、これを見た瞬間、上の写真を
撮りにまたこの土漠をエッチラ上がって、わざわざ太陽を写したりして(苦笑)

お陰様でいい写真が撮れました。

ギリシャ神話の登場人物って、みな生き生きしてとても人間臭くて好きなんですよね。
この「イカロスの失墜」というストーリーも大好きな物語のひとつ。ところでイカロスの
父親はダイダロスといいますが、彼がラビリンス(迷宮)を作った人。最近世界でも
このラビリンスという言葉が流行っていますが、ギリシャ神話の影響がまだ現代にも。

近年では一時アラブの春で沸いたエジプト、そして今度のシリアと中東がまたぞろ
ラビリンスに入ってしまいました。オバマさんの議会を巻き込んだ戦略、果たして
うまくいくかなぁ。参戦、不戦の何れにしても米国の求心力はなくなり、益々世界は
混迷の度を深めるような。

イカロスのようにならねばいいのですが・・・

 

ー続くー

 

 


イタリア紀行[35]  シチリア⑪ アグリジェント 「神殿の谷」4

2013年09月01日 16時26分25秒 | イタリア紀行2013

アグリジェントの町並みとサボテンです。歩いていて分かったのですけど、どうも
この地帯は土漠に近い乾燥地帯のようです。オリーブの木もちょっと乾燥した感じの
土壌に生えている気がしますが。このまま放置されると何れ砂漠になっちまうんじゃ
ないかと心配したりして。

ブーゲンビリアの花が綺麗。この建物脇に小さな美術館のようなものが。そちらにちょっと
お邪魔。

入り口から外を覗いた処。

玄関に飾られた彫刻。なんやら子供の妖怪じみたのが剣をもってやたら物騒なんですが(笑)

その足元をふと見ると・・・

なんとまぁ、キティちゃんがいらっしゃるじゃありませんか(笑)
ホント、ヨーロッパのキティちゃん人気は凄いものがあります。ソフト・ジャパンの大きな
担い手。この会社さんの売上の海外比率は既に海外のほうが多いんですってね。
殆どこのキティちゃんが稼いでくれているそうです。

この美術館は現代芸術を展示しているようです。最後の絵にはなんとUFOが。
この絵のモチーフは最初にご紹介した神殿です。正式名称を忘れておりましたが、
カストル・ポリュデウケス神殿」といい。このアグリジェント市の象徴となっている
そうです。

確かにこのアグリジェントはシチリアのパワースポットとなる資格はじゅうぶんありますね。
神々への信仰。そしてUFO.こういう飛躍も楽しいものです。

さて、再び遊歩道に戻って。丘の上を目指します。道の正面に見えるのが確か
博物館であったと記憶しています(今回はパスしました)
そのずっと先に、この神殿の谷のハイライトの遺跡群があります。

 

ー続くー

 

 


イタリア紀行[34]  シチリア⑩ アグリジェント 「神殿の谷」3

2013年08月31日 16時20分37秒 | イタリア紀行2013

皆さんが座ってガイドさんの説明を聞いています。
この遺跡、まるでピラミッドの出来損ないみたいなカタチをしています。多分、これはローマ時代の
遺跡で、戦って死んだ兵士を祀るために構築されたもの。ローマはクレオパトラ時代にエジプトへも
侵攻していますので、そこからこの墓陵のヒントを得たのかも知れませんね。 

恐らく住居跡であろうと思いますが、基礎の周りには二筋のトレンチが。深さが違います。
想像するに深いのが下水で浅いのが上水かなぁ。これはギリシャ時代じゃないかしら。
ローマ時代になると、もっと現代に似たカタチで表れて来ます。ポンペイの遺跡なぞは
下水も上水もちゃんと蓋がしてあって。紀元前と紀元後ではかくも土木・建築技術が発達
したのかと目を見張らせられます。この分け方はキリスト教の観点からのものですが、
この時代の前後では、キリスト教という統一宗教の確立だけでなく、こうした技術史的にも
大きな差異があるように思えます。

この一帯の考古学エリアは「神殿の谷」と呼ばれていて、ボクにはとっても奇異感があるのですが。
文明史のどこを紐解いても、谷で文化が発達したなんて聞いていないので。せいぜい、宮崎駿さん
の「ナウシカの谷」くらいのものじゃないかと(笑)

実際歩いてみると完全になだらかな丘に全て位置しています。いわば「馬の背」に広がる都市
だったんですね。

こちらは完全に崩れ去った遺跡。神殿跡にしては随分と礎石の間隔が狭いです。住居跡
でしょうか。それにしては礎石の数が多すぎるような。何かの公共建築物であったのかも。

柱頭が見えています。こちらはこの遺跡群で一番古い神殿。ヘラクレス神殿
この神殿の谷の神殿の中で一番古いものです。

夾竹桃の花と一緒に。

この神殿は過去の地震で崩壊したそうです。

当たり前ですが、8本残る柱頭を真横から撮影したら、一本に見えます。かなり正確に
施工されていますね。高さは人物と比較して下さい。結構でかい神殿であったと容易
に想像出来ます。

柱の前面に置かれた巨大な石・カタチから想像すると祭壇の一種でありましょう。
上部が平でありますので、もしかして生贄を捧げたものかも知れません。血痕の
痕跡を探してみましたが、当然の事ながら発見できませんでした(苦笑)

こうして見上げていると、この柱頭の上にどんな梁が、そしてどんな屋根が載っていたのか、
などなど、いつまでも興味が尽きません。遺跡見物の楽しみはこの想像にあります。

再び現在のアグリジェントの町並みです。

 

ー続くー

 

 


イタリア紀行[33]  シチリア⑨ アグリジェント 「神殿の谷」2

2013年08月30日 08時54分59秒 | イタリア紀行2013

遺跡にひっそりと咲いている花。芭蕉がこれを見れば俳句をひとひねりでしょうけど、
はい、浅学なボクでは・・・

確かに神殿の谷というだけあって、こんな坂道もあったりして。観光客が列をなして。
6月の初旬ではありますが、日差しはもう夏。でも、風は冷たいです。しかし、これだけの
巨石が辺り一面に散らばって。流石30万都市。往時は相当規模の建築群があったんで
しょうね。

あのローマの笠松とはちょっと趣が違いますが、これも松の一種のようです。
この地域の松は枝ぶりが面白い。

丘の頂きはこのような物見塔の跡があって。やはり防御を考えて砦のような機能もあった
ように思われます。向こうに見えるのがアグリジェントの新都心。この神殿の地を人が離れ
たのはどんな理由からなんでしょう。その後30万以上の人口を抱えていたとは思えないし、
やはり防御のために、より高い場所に移動したのかなぁ。因みにこの神殿の谷は海から
1KMも離れておらず、アグリジェントの新市街は海から3KM強離れています。

ギリシャ時代と現代の差が3KMなのかしらと不思議な感覚に。

丘の平坦なところにこんな変な巨大な物体が。これはちょっとびっくりです。
ギリシャ人は芋虫が好きだった!?(笑)

一体なんでしょう?

ぐるりと回って。これで正体がつかめました(笑)巨大な人体像。恐らくは神殿の守り神的
存在であったのでは。そして立像であったんでしょうね。腕の部分で屋根を支えていたように
思えますが。

それにしても、ギリシャ本土ではこんな像は皆無であり、やはりこの地独特のものなんでしょうね。
巨石を組み合わせてというのがとてもめずらしいです。この文化って対岸のアフリカ・アラブ
からのものかなぁ。エジプト文化に似たようなものを感じます。

こちらは石積みの下から日干し煉瓦が覗いています。ん~ん、こういうのを見るとちょっと
頭が混乱してきます。石積みの基礎の上に日干し煉瓦を積むのは分かりますが。ここも
発掘するとまた何かが出てきそうな感じがしますが。時代がよく分からない・・・

大きな岩は全部当時の建築資材と思われます。これだけの石を積み上げた都市、
想像しただけでも楽しくなります。ギリシャはアテネの神殿遺跡よりこちらのほうが
ボクには興味を抱かせるものが多いですねぇ。

岩山の間から地中海の水平線が見えますよ。

 

ー続くー

 


イタリア紀行[32]  シチリア⑧ アグリジェント 「神殿の谷」1

2013年08月29日 08時18分37秒 | イタリア紀行2013

神殿の谷(と言っても小高い丘が中心ですが)から眺めたアグリジェントの町並み。
サボテンの花がボク等を迎えてくれて。

このアグリジェントにギリシャ人が入植を始めたのが紀元前6世紀。主として彼らは
ロードス島から渡って来たんだそうです。そしてこの町が繁栄を極めたのが紀元前
5世紀で、その最盛期には人口30万人を擁したと記録されています。30万人という
とボクが住んでいる市と同じかそれより大きい。大変な人口密度であったと思われ
ます。

そして、現在遺跡群として残っているのが大小合わせて約20も。当時は
多神教であったにしても、如何に神の存在が大きかったか。我が市にそんなに神社・
仏閣があるんだろうか?小さいのを含めると結構20は超すかも知れませんが、
なにせ時代の蓄積が違います。それを差っ引くと如何に敬虔な信者が多かったかと
思わざる得ません。当時は農・漁業主体でありましょうから、必然として豊作・豊漁を
願う神事は頻繁に行われていたんでしょうね。

多分ボク等の泊まったホテルは画面左側の一番高いところ。奥に大きな建物がふたつ
見えますが、ひとつはカテドラル。その真ん前にホテルが位置しています。

オリーブの木が。ボクは知らなかったのですが、オリーブって物凄い巨木になるん
ですってね。スペインではオリーブの木に住んでいる人もいるとか。アフリカでは
バオバブの木が大木として有名で、その木に3家族が住んでいるのを見たことが
ありますが(えっ、木の上じゃないですよ。木の中です 笑)

神殿の谷の入口でチケットを求めて。ホテルから車で20分以上走ったかしら。
結構市街とは離れたところにありました。チケット売り場から最初の神殿遺跡まで歩いて
10分くらい。緩やかな坂道を登りつめると。丘の稜線の一番高いところに。

ギリシャ神殿というとあのアテネのアクロポリスを思い浮かべますが、こうして崩れた
遺跡も風情があります。ボクが昔いたアラブのイエメンにも同じように大理石で作られた
神殿の遺構がふたつ現存します。時代としては紀元前6~7世紀とされますから、年代
的には同じくらい。当時はイスラム世界もまだ多神教の時代でありました。柱頭の装飾
はないものの、神殿のカタチは似通ったものがります。イエメン遺跡の時代は当時の
世界の賢帝といわれたソロモン大王の時代ですので、こうした神殿の造りは中東から
ギリシャへ伝播されたのかも知れませんね(こんな仮説を言うと学者さんから叱られる
かも 知れませんが)

 

ー続くー


イタリア紀行[31]  シチリア⑦ アグリジェントの宿2 「豪華朝食」

2013年08月28日 08時35分30秒 | イタリア紀行2013

こちらがダイニング。このホテル、斜面を利用しているので、日本でいう二階がエンタランスで
このダイニングは一階にあります。とてもゆったりとしたスペースで。

こちらが朝食を用意してくれた宿の女将さん。なかなかの美人さんで、失礼ながらあの
ご亭主の奥様とは!いえいえ、よくお似合いのカップルでございまする。彼女フランス
のご出身で、英語が喋れなくてごめんなさいって。とっても上品な、ちょっとシャイな方
でありました。

 

いかにもイタリアンなとてもアット・ホームな雰囲気。飾り付けは彼女の趣味なんでしょうね。
ベッドルームも同じようなトーンで女性の心配りが随所に見られて。

これはバターナイフ。可愛いです。お土産にと思って色々お店をみましたが、同じよう
なのがなかった。残念。

食器もなかなか素敵じゃありませんか。

淹れたてのコーヒーがうまい。とれたてのメロンだそうです。ちょっとウリに近い味
だけど、結構甘かったです。

 

このハムもうまかったなぁ。

このトマトが美味しかったぁ。イタリアってホントにトマトがうまいです。

そして前の日にご主人が希望を聞いていた品々が。げっ、殆どスイーツじゃないですか!
これ一人前!!

もう一人前がこちら。定番のカンノーロ(中央の白いやつ)の他色々。
うちの奥様は喜んでいましたが、饅頭怖いのボクはたじたじ(爆)
朝からこれは無理無理。で、これを包んで貰ってボク等の昼飯に。

これが可愛い。真ん中に見えるのはピスタチオ。ちっちゃなマーブルチョコが沢山!
これ全部女将さんの手作りだそうです。こりゃ昨晩は大変だったでしょう。大変おいしゅう
ございました。深謝、深謝。

シチリアの食文化の実力を思い知らされた朝食でありました。

久々に素晴らしい宿に出会いました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご興味あるかたはこちら。ボクはBooking Comから予約しましたが。

B&B Liola

 住所:Via Duomo 125,Agrigento
 電話:・+390922602926

 

ー続くー

 


イタリア紀行[30]  シチリア⑥ アグリジェントの宿1

2013年08月27日 16時21分33秒 | イタリア紀行2013

モン・レアーレの大聖堂を後にして、車は一路南の方向へ進路を取り、穏やかな山並みを
進みます。このシチリアはイタリアの胃袋を満たす偉大な農業国で、ワインの大産地であり、
オリーブの一大産地でもあります。勿論小麦もといった具合です。それ故、古代からギリシャ
の植民地として栄え、ローマの植民地ともなり、度々カルタゴやら他アラブ・モスリム勢力
の侵食を受けたのも増大する人口を養うためということで歴史の必然であったような気が
します。

こういう侵略の歴史は現代でも引き継がれ、どこかの国の軍事力強化と経済援助という
二枚看板は古代と全く変わらぬ姿でありましょう。歴史を学ぶというのはこういうことなんだ
とボクなぞは思うのですが(苦笑)

そして、話を本筋に戻すと、このアグリジェントは古代ギリシャの遺跡が眠る町。

例によって山道のくねくね道を山の頂に進むとこんなトンネルのような道が数箇所。道が
狭い上に暗いし、先が見えない道を進むのはちょっぴり不安(苦笑)

でも、進まないことには。

こういう山の中腹にある都市を訪問するのはなるたけ山の上の単純な道路沿いのホテルが
いいと思ったのですが。あはは、予想に反してもっと道は複雑系でありました。例によって
道に迷う事二度、三度。

 

こういう道って見通しがきかないから方向感覚がつかめないのよね。日本みたいに看板
なんてないし、どこも同じ建物だし(ぶつぶつ)

道に迷ったら人に聞くのが一番ですが、歩いている人なんていやしない(笑)
イタリア名物の洗濯物があるから人は住んでいるはずなんですが。


この洗濯物を見て、家の奥様がけだし名言を。彼女もこういう景色を何回も
見て、具に観察していたのでしょう。
「なるほど、こうして沢山干してあるけど、見せるように干してあるわ」だって。
見てほしくないものは流石に干してないそうです。ん~ん、奥様もなかなかの
慧眼であります(笑)

まぁ、そうこうしているうちに、やっとホテルに辿り着いて。実はこの先100Mくらいで
随分探したのです。数人に道を訪ね、やっと知っているという人を見つけて。ご丁寧に
ホテルの玄関まで案内して貰って。ホント、ラテンの人って親切なのよね。

で、写真の右上にタイルが貼ってありますが、これがこのホテルの看板!これだけ~~~
こりゃ分かんねぇわ!(爆)

ヨーロッパのサインボードは本当に控えめで、だからって性格が奥ゆかしいわけではないの
ですけど(笑)ま、これも旅の楽しさの一部。

この写真の方がこのホテルのオーナーさん。二人の後ろの玄関を開けたら、このマフィアの
手先みたいな顔と体型のオーナーが両手を広げて迎えてくれて。それもいきなり、ボク等
夫婦のファースト・ネームを連呼しながら。このゲストの名前を正確に呼んでくれるって
嬉しいものです。5つ星のホテルでも滅多にやってくれません。ボクの知っている限りでは
アメリカのフォーシーズンと初期のラマダ・ホテルくらいかなぁ。特に、ラマダ・ホテルは1980
年代に急成長したのですが、その秘訣がフロントが必ずゲストを名前で呼ぶというのがウリ
でありました。今は世界各国にチェーンを広げて、その良い接客もなくなったようですが。

単純なぼくなんぞは、この一言で、このホテルは実力あるぞと喜んでしまいました。

フロントに掲げられたウエルカム・ボード。これから訪ねる遺跡と民族衣装の女性が
描かれて。このフロントでまず、このホテルのレクチャーを受けて。まぁ、イタリア人
らしく、でっかい声で。そして明日の朝食は彼の奥様の手製のパンを出すけど、どれが
いいって、数十ページもあるアルバムを見せながら、これは最高にうまい、これも最高
と全部最高の賛辞を付けて勧めるのであります。

え~と、ボク等日本人は朝は小食なんでコーヒーとクロワッサンがあればいいんですけど、
とボク。それを聞いてこのマフィアの手下みたいなご主人、つぶらな瞳を明らかに曇らせ
「うちのかみさんの料理は絶対にうまいから食べて」とまくし立てられて。結局彼の勧める
もの全てにOKを出したものです(笑)

たどたどしい英語ではありましたが、大きなジェスチャーとボク等の名前の連呼に負け
ました。

部屋は質素ですが、とても綺麗で全く文句はありません。
実はホテルだと思っていたのですが、いわゆる民宿みたい。部屋数は全部で3室しか
ありません。ミネラル・ウォーターやらコーヒーやジュース・コーラ、果物やらは地下の
ダイニングのでっかい冷蔵庫に入っていて飲み放題、食べ放題。
料金はなんとB&B(朝食付き)で60ユーロ!
(ボク等はお水だけいただきましたが)


恐らくご夫婦でやられているでしょうが、趣味なのかなぁ、これで儲かるのかいなと
ちょっと心配したりもして。

夜は全くの静寂の中。ご近所さんの声もしません。ぐっすりと爆睡。

そして驚愕のシチリア名物の朝食は次回に。

 

ー続くー