Rolling 55

「転がる石は苔生さず」いつまでも、いつまでも転がり続け・・・
お池にハマって、さぁ大変!  by belage

イタリア紀行[60]  ジェノバ①

2013年10月02日 08時00分12秒 | イタリア紀行2013

パレルモ飛行場からほぼ1時間ほどのフライトで着いたところはフランス国境に一番
近いジェノバ空港。イタリア最大の貿易港であります。
古くは海洋国家としてピサ・ベネチア・アマルフィと肩を並べる軍事力と経済力を擁して
繁栄を誇り、16世紀にはスペインと組んで金融の街として栄えました。

その後、ナポレオンによりフランス領に組み入れられ、ナポレオン失脚後統一イタリアに
なって漸くイタリアに参加という歴史があります。

当地はあのコロンブスが青年期を過ごしたことで有名。また日本のアニメ「母を訪ねて
三千里」のあのマルコ少年が母のいるアルゼンチンに旅立った場所でもあります。

この街、他の地中海沿岸の都市に見られるように、海に向かって急な丘が続いています。
我がホテルのアプローチもこの通り。どうやって部屋に辿り着けるのか心配しましたが、
正面を真っ直ぐ行くとちゃんとエレベーターがありました。

この街、ことほど左様にこの丘の至る所にエレベーターやらケーブルカーがあって。19世紀
くらいに作られたそうですが、ポルトガルのリスボンやポルトに似ています。

こちらがホテルの近くのジェノバ駅。ここからフランス方面への列車が出ています。ボク等も
二日後にここからフランスへ。

駅前にはコロンブスの銅像が。彼の家がまだ残っていて、これは旧市街のど真ん中
にあります。また別途ご案内しましょうね。

駅周辺の町並み。恐らく19世紀初頭の建物だと思います。この街は旧市街地に行くと
もっと古い時代の16世紀の建物が保存されていて、大変興味ふかいものがあります。

旧港のハーバーに隣接した海洋博物館。

噴水には船のプロペラが。

飾り柱の柱頭には何故か羊の彫刻が。いや、ツノみたいのが見えるのでヤギさん
でしょうか。

港にはでっかい客船が。最近は日本にもこういう豪華大型客船が沢山来ているようです。

山側の町並みです。城のようなものも見えています。

 

ー続くー

 


イタリア紀行[59]  シチリア㉟ パレルモ15 

2013年10月01日 08時53分24秒 | イタリア紀行2013

クワトロ・カンティの四ツ辻に繋がれたお馬さん。観光用の馬車を曳いています。
この鼻に掛けられた帯みたいのはなんでしょう? 

街角のお菓子屋サン。定番のゴッドファザーの映画で有名になったカンノーロがたくさん。
中に入っているもので(ピスタチオが定番で、その他果物とか色々)種類が相当あるよう
です。因みにカンノーロは単数形。複数になるとカンノーリというそうです。

こちらもイタリア名物のジェラート。まぁ、美味しそうでございまする。奥様が滞在中
数個食されていました。甘いもの怖いのボクは遠慮しましたが・・・

土産物屋サンの店先。この車輪みたいのは土産物を引っ掛ける道具かなぁ。

夜の11時を過ぎたマッシモ劇場の近くの横丁。ご覧の通り人通りもバッタリと途絶えて。
宿の人に言わせるとなんでこんな遅くまでほっつき歩いていたんだとお叱りを受けましたが
(苦笑)
ボク自身は殆どリスクを感ぜず、ここから徒歩30分弱を歩いて帰りました。

パレルモはマフィアのメッカ。旅行案内書を見ると殆どがセキュリティは要警戒と書いて
あります。でも、マフィアが怖かったら広島に旅行なんて行けませんよね(笑)
考えてみたら、ボクの青春期の新宿とか渋谷は明らかにチンピラと分かる人種が昼ひなた
から跋扈していて、その時のほうが怖かった。
さらに言えば1970~1980年台にかけてのニューヨークはもっと怖かったです。ニューヨーク
はブロードウエィですら明らかにヤク中の人がうろうろしてましたものね。当時は麻薬を買う
のに必要な最小限の10ドル札をポッケに忍ばせ歩いたものです。何故なら、もし襲われて、
10ドルより少ないとキレられて殺される、多すぎると今度は足がつくというので殺される
という微妙な数字が10ドルでした。尚、現在のニューヨークは気持ち悪くなるくらい、明るい
です。夜の12時過ぎても平気で女性がひとり歩き出来る環境になりましたので、心配しない
で下さいね。

基本的に世界各地を歩いて、やはり港町というところは荒い場所が多いのです。そういう
ところを歩く場合はそれなりの心構えと緊張感を以って旅行したいですね。

ということで無事シチリアの旅を堪能して。久しぶりに旅してまた絶対に来たい
という気持ちになった場所でした。ギリシャから始まり中世、近世の歴史が一覧できる世界
でも稀な場所。
更に人々のハートが温かく、料理がめっぽう美味いときては、そう思わざる得ません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次回からは再び飛行機に乗りコロンブスの育った地に。
お楽しみに。

 

ーこの項おしまいー

 


イタリア紀行[58]  シチリア㉞ パレルモ14 やっとウニスパを食したが・・・

2013年10月01日 08時10分00秒 | イタリア紀行2013

え~と、このにゃんこは食事とは関係ありません(笑)
あ~、でも、食事中ずっとボクの足の下で。パレルモのにゃんこは美人でありました。

マッシモ劇場の近くのレストランで。何回でもお代わり自由というブッフェ形式のお店を見つけて。
こういう日本的な「お代わり自由」というのは、ブッフェってそういうものですが、意外とヨーロッパ
のレストランでは少ないみたい。

全部で30品目くらいあったかなぁ。はい、一応3ラウンドはこなしました(笑)

そして、しつこいくらいにどこのレストランでも聞きまわった、「ウニのスパゲティ」。なんせ、
これ食うためにわざわざシチリアまで来たのですから(そうじゃないですけど 笑)

回った全部の店で断られ、何れも天候不順でウニが取れないということでしたが、この
お店、「乾燥ウニ」のスパなら特別作ってあげる、ですって!
乾燥ウニ!?
でも、でも、これに応ぜずして何で日本男子(大袈裟)

で、早速頼みましたよ。

出てきたのが上の写真のスパ。

赤いのがウニでございます。

え~と、お味でございますか。日本のインスタントのスパみたい。例のふりかけ状のやつ
(爆)

なんか「お茶漬けスパゲティ」みたいで。

あはは、食べ物の追求はなかなか大変な道でございまする。因みにシチリア名物のウニ・
スパはもっとソース状になっているものですので。

 

 

ー続くー 

 


イタリア紀行[57]  シチリア㉝ パレルモ13 「新市街地で」

2013年09月30日 16時04分04秒 | イタリア紀行2013

ヌォーヴァ門を出た新市街地の入り口です。

緑の並木に黄色い花が沢山。これもしかしたらミモザ。時期は6月を入ったばかりですが、
今年は欧州も天候不順。通常なら4月に咲いていると思うのですが・・・ちょっとびっくり
しました。

公園でカードゲームをして楽しんでいる老人たち。奥様がマフィアの人たちかも知れない
から近づくなというのを振りきって、暫く眺めていたら、お前もやるか?だって。麻雀なら
できるけど、カードゲームは出来ませんと丁重にお断りして(笑)賭けてでもしてたら後が
面倒ですものね(笑)

新市街地の裏通り。新市街地といっても古いわ(笑)
基本的にパレルモの町中は結構ゴミが多いです。やはりイタリアの財政難の影響も
あるんでしょうね。昔見たマフィアとのトラブルで清掃ができなかったナポリの酷さ
ほどではありませんが(ありゃ、ボクですら街歩きしようとは思いませんでしたから)

でも、ボクなぞは却ってこういう雰囲気のほうが妙に落ち着く感じがします。なにせ、
若い頃は新宿の盛り場の裏通り専門でありましたので(爆)

 

ー続くー

 

 


イタリア紀行[56]  シチリア㉜ パレルモ12 「ノルマン王宮」

2013年09月30日 08時33分40秒 | イタリア紀行2013

パレルモ旧市街の高台に、こんなでっかい建物が。
この建物はノルマン王朝時代から王宮として使われたもの。でも、カタチを見ると前の
カテドラル同様にアラブの匂いがぷんぷんと。恐らく、アラブの建物をそのまま転用
したに違いありません。

このシチリアの歴史はまさに海上交通の要衝にあっただけに、様々な国の侵略を
受けており、古くはフェニキア、ギリシャ、ローマ、ビザンチン帝国そしてアラブに
始まり12世紀前半のノルマン王朝、16世紀のスペインと目まぐるしいものがあり
ます。

この建物はノルマン王朝時代から王宮として使われ、18世紀から19世紀にかけては
スペイン・ブルボン王朝が使用しており、あのマリー・アントワネット王妃のお姉さんの
ブルボン家から嫁いだマリア・カロリーナ王妃もナポレオンからナポリを追われ、ここに
一時期居住した時代もありました。
彼女もこの王宮のどこからの窓からパレルモ市街を見ていたのかも。

この王室には素晴らしい礼拝堂があるのですが、残念ながらこの日は何かのパーティ
に使われていて入場が出来ませんでした。例によって入り口で入れろ、入れないと
ネゴした甲斐もなく、退散となりました(涙)

この礼拝堂はパラティーナ礼拝堂と言います。ノルマン王朝の手がけたものですが、実際
の設計、建設は既にいたギリシャ人、アラブ人によるもののようです。中でも内装の金箔
で作られたモザイク画は圧巻とのこと。もし行かれたらパレルモ見学はまずここを最初に
されては如何でしょうか。

王宮と繋がった城門、「ヌォーヴァ門」。ここから手前が旧市街地、向こう側が新市街地
となります。因みに前述のパラティーナ礼拝堂はこの門を抜けけて左に大きく曲がった
ところに入り口があります。入り口が分からなくて散々苦労しました(苦笑)

門の天井伏せです。

これはパレルモ市の紋章のようです。

城門の柱には恐らくノルマンに征服されたアラブ人を象った彫刻が。これを見るとこの門
には凱旋門的意味合いがあったかと思われます。

現代でも凱旋門を作った人がいますが、それはイラクのフセイン大統領。彼はイラン・
イラク戦争で死んだイラン兵士の髑髏を凱旋門に埋めろと設計者に命じたことがあり
ます。この設計者、流石にそれは出来ないと悩んだ末、実際の髑髏を石膏で象って
それを凱旋門に埋めたそうです(これはボクがその当事者に直接聞いた話です)

上の写真の内側の人体像には腕がありません。都合よく二体とも同じように腕が欠けた
とは思いにくいので、もしかしたら当時の刑で両腕を切るということが行われていたのかも
知れませんね。

細部の彫刻がなかなか面白いデザインで見ていて飽きない凱旋門でした。

 

ー続くー

 


イタリア紀行[55]  シチリア㉛ パレルモ11 「カテドラル」

2013年09月28日 10時58分17秒 | イタリア紀行2013

 

 

こちらがパレルモ一の規模を誇る大聖堂です。
これを見た瞬間、一瞬スペインに来たのかと思うくらい、イスラム建築が色濃く残されて
います。

それもその筈で創建は1184年でもともとアラブのモスクがあったところに、教会を建設
したものです。シチリア・ノルマン建築と言われていますが、ボクの目にはどう見ても
アラブ建築としか映りません(苦笑)

 

創建は12世紀初頭ですが、それから何回も増築・改築を重ねて現在に至るであります。
特に鐘楼部分は14~15世紀になっての増築です。

内部の装飾は前にご案内した教会に比べると格段に質素。逆にそれが主祭壇を際立たせ、
ボク等のような観光目的で入った者にはちょっとがくっと来ますが、信者さんの祈りの場と
しては最高でしょうね。

素っ気ないくらいの装飾ですが、とてもきりりとして気品のあるカテドラルでありました。

イタリア本土から来たという学生の旅行者。へへ、奥様の目を盗んでちょっとおしゃべりを(笑)

 

ー続くー


イタリア紀行[54]  シチリア㉚ パレルモ10 「サンタ・カテリーナ教会」

2013年09月27日 16時08分57秒 | イタリア紀行2013

クワトロ・ カンティの交差点の直ぐそばにあるこの教会。前にご紹介したプレトリア広場
のふたつの教会と比べると旅行案内書でも余り紹介されていないようです。このファサード
を見るとちょっとショボく感じられるからかしら。
でも、一歩中に入ると。

主身廊の天井。まぁ、なんと素晴らしい。

ドームに描かれた画も素敵であります。

ここ、シチリアの大理石は紫が多いようで。ちょっと他のヨーロッパの教会とは色彩感覚が
違って新鮮に映ります。

廊下に描かれた大理石の文様も見事です。

この教会の創建は16世紀。17世紀に内装の改装が行われバロック様式で彩られる
こととなりました。

 

ふたつのマリア像。左のはもしかしたら、黒のマリアかも。同じ教会の中でこんな好対照な
マリア像があるのも面白いです。作られた年代が違うのかな。

 

 

ー続くー


イタリア紀行[53]  シチリア㉙ パレルモ9 「マルトラーナ教会」

2013年09月26日 16時23分14秒 | イタリア紀行2013

プレトリア広場を挟んでサン・カタルド教会(↓↓)のほぼ正面にどんと構えるのがこの教会。
マルトラーナ教会です。
鐘楼のカタチはあのフィレンツェのジョットの鐘楼の小型版みたいな感じもします。

ファサードはとってもさり気なく。

入り口の扉には鉄製の天使を象った彫刻が施されて。なかなか暖かいおもてなしを
感じてしまいます。

主祭団のこの装飾、見事なものです。外と中が極端に違います。
この教会、創建は1143年。丁度、ノルマン人のルッジェーロ二世によりイタリアの南部
三分の二とシチリアが平定され、シチリア王国となったのが1140年。即ち、シチリア王
の権威の象徴として建てられたもの。ノルマンのシチリア王国はほぼ1世紀の間続き
ますが、その後この教会は16世紀に入り口部分の増築と内装が大幅に変更になって
います。

外観と違った豪華さにちょっとびっくりしました。でも、考えてみば16世紀となるともう既に
スペインの領土となっていたはずで、スペイン人の色合いが強く出ている内装だと思い
ます。 

ー続くー


イタリア紀行[52]  シチリア㉘ パレルモ8 「サン・カタルド教会」

2013年09月25日 16時07分48秒 | イタリア紀行2013

プレトリア広場(↓↓)にはなんと三つの教会が集まっていて。そのふたつがこちら。

大変小さな教会です。屋上に赤い三つのクーボラが見えるのがサン・カタルド教会
まるで三匹の蛸の頭みたいに見えませんか。
小さいですが、このパレルモの象徴となっているそうです。

カタチから分かる通りキリスト教建築ではありません。かつてこのシチリアを支配した
アラブのムスリム教会です。アラブ撤退後、そのまま教会として転用しています。
窓のカタチ、ステンドグラス、木製の扉のカタチ、恐らく当時のそのままの姿。
そして奥の鐘楼の隣に新しい付属教会があります。

中に入ってみると、かなり質素な内装です。恐らくアラブ時代にはここに漆喰によって
色々な細かな幾何学文様とかアラビア文字で描かれたコーランなぞが施されていた
はずです。

主祭壇のキリスト像。真上のクーポラの内部の装飾は剥ぎ取られていますが、
恐らくスペインのグラナダ、アルハンブラ宮殿のような複雑な波型の文様が描かれて
いたのではと想像します。

ここが主祭壇だとするとこのキリストの方向がメッカを指し示すことになります。

三つのクーポラを見上げて。

これはこの教会のエンブレムでしょうね。5つの十字架を象ったのかな・・・

副祭壇にはマリアのフレスコ画が。とても素敵なお顔をしてました。

(モザイクのスケール感を出すために、ボクのおみ足も 笑)

そして床を見るとこの素敵なモザイクタイル。全面に敷き詰められて。まさにアラブ。
中段写真のでっかいブルーが効いています。惚れ惚れしちゃいますね。そしてこの
幾何学文様!
こういうのが残っているのは奇跡的。きっとシチリアの人たちは攻め込んできた
数多くの敵に対してもある意味で尊敬を以って接していたのでしょう。

因みにこのブルーのタイルの技法はスペイン・ポルトガルに伝わり「アズレージョ」という民族
工芸に昇華しています。

現代ではちょっと考えられないのですけど、当時のアラブ勢力は異文化には結構寛容で、
自らも高い文化を持ちながら異質の文化を決して排除していません。これは、スペイン
を旅するとはっきり分かりますが。

いやいや思いもかけず素敵なものを見せてもらいました。

 

ー続くー

 

 


イタリア紀行[51]  シチリア㉗ パレルモ7 「プレトリア広場」

2013年09月24日 16時09分08秒 | イタリア紀行2013

いきなり驚かせて申し訳ないです(笑)
はい、ライオンさんがお出迎えのこの広場、プレトリア広場と申します。
広場の正面にはパレルモ市庁舎が端正な顔で。

勿論このライオンさん、一匹では間が抜けてしまいます。

反対側にもこうして鎮座されて、この広場を守っています。エジプトから端を発し、スフィンクス
がイタリアではライオンに、そしてシルクロードを経て日本では狛犬さんとなったというのが
有力な仮説でありますが。

お気づきになられた方もいらっしゃるかも。あのマッシモ劇場の入り口にも二頭のライオンが
出迎えてくれています。

この広場、旧パレルモ市街地の中心でありました。そして広場を飾るのは沢山の裸体の
彫刻群。完成は16世紀後半とされています。
当時、敬虔なカソリックの多い、この街では完成した時の市民のブーイングは激しく、何と
恥の泉」という蔑称を与えられていたそうです。時代はルネッサンスの全盛期。あの
ダ・ヴィンチやらミケランジェロが人間回帰を目指して芸術改革が始まり大活躍の後でも、
その機運が当地シチリアに届くには時間がかかったということですね。

このあたりもシチリア人の気質(結構頑固?)を表しているのかもしれません。

残念ながら周囲は保護のために高い柵で囲われ、アプローチが出来ません。階段を
登ると噴水が見えるらしいのですけど・・・
でも、16世紀の作品がこんなに無傷で残っているなんて、殆ど奇跡のように思えます。
他所ではちょっと考えられないですね。

何れにしてもこれだけの裸体を集めた噴水も珍しいです。設計はフランチェスコ・
カミリアーニという本土トスカーナの彫刻家ですが、当時としても相当の野心作で
あり、かなりのセンセーションを巻き起こしたことは間違いないでしょう。

因みにルネッサンスは14世紀イタリアで始まり、その中心はトスカーナのフィレンツェ
というのが定説です。

 

ー続くー

 

 


イタリア紀行[50]  シチリア㉖ パレルモ6 「クワトロ・カンティ」

2013年09月23日 16時13分22秒 | イタリア紀行2013

旧市街地の目抜き。東京で言えば銀座に相当するこの場所。
17世紀になされたユニークな都市計画。

 

クワトロ・カンティは日本語に訳すと「四つ辻」。要は交差点でありますが。例の円形
交差点、ランダーバードの外周に添って、建物の外壁面を四分の一づつ円弧を描くように
設計されています。

昔日本でも都市計画で「囲み空間」という言葉が流行りましたが、まさにその原型のようなもの。
囲まれた空間はちょっと優しさに包まれた感覚になるというのがこの都市計画のウリであります。

この建物のイメージってどことなくスペインっぽいと思いましたら、どうもスペイン統治時代
のノスタルジーもあったようです。4つの建物はそれぞれ春夏秋冬を表現して、一階には
季節を代表する女神と噴水を、二階には歴代のスペイン総督を、そして三階にはパレルモ
の守護聖人を配しているとのことであります。それぞれが、この交差点を行き交う人々を
見守る、まぁ、なんて素敵なコンセプトなんでしょう。

丁度上の写真に観光用の馬車が写っていますが、この17世紀の時代にはこの道を、この
四ツ辻を沢山の馬車が行き違ったのでしょうね。現代の車社会ではちょっと道幅としては
狭い感があります。後付と思われる歩道がとても狭くて、歩きづらかった・・・

でも、現代の日本のように繁華街が大きな通りで分断され、通過交通の多さで向こう側に
人がなかなか渡れず街全体が活気を帯びないというシーンをよく見ますが、このくらいの
スケールが人間的でいいのかも知れません。

そう、パレルモ市民のドライバーの交通マナーは悪いと聞いていましたが、全然そんなこと
はありませんでした。道路を横断する時は信号のないところでも、皆ちゃんとスピードを
落とし、止まってくれるし。日本の地方都市のほうがよっぽど怖いかも(苦笑)

17世紀のパレルモの繁栄に思いをはせながら、こういう街区をそぞろ歩きもまた
楽しいものでした。

 

ー続くー

 


イタリア紀行[49]  シチリア㉕ パレルモ5 「マッシモ劇場」の前で

2013年09月22日 08時08分16秒 | イタリア紀行2013

前号に続きマッシモ劇場の前です。

反対側はこんな感じの広場に。ちょっとこの場に相応しくない小奇麗な格好をしている
女性がいるなと思っておりましたら。

新婚さんいらっしゃ~~いでありました。
そうそう、あの「ゴッドファザー」の映画も最初のシーンは娘の結婚式でありました。
なんという奇貨。もうまじまじと見つめていたら・・・

この写真の右端のおじさん(いや、ボクより絶対に若いかも)が、ホイホイどんどん新婚さん
撮って上げて、だって。ボクのカメラ見て「おお、パナソニック、良いカメラですね」って英語
で。でも、彼が持っていたのはニコンのかなり上位機種(爆)

ここでなんだか、日本礼賛の嵐になって(有難う)

で、ボクの方から長友選手の「有難う」挨拶をしたらこれが大受け。イタリアではサッカーの
長友さんの人気は絶大なのです。お辞儀をすると皆が同じくお辞儀をして、もうもう笑いの
渦(笑)

長友さん、あなたはエライ!!

ついでに言われたのがナカタはどうしてるんだって。ボクの方からは、、今金儲けに邁進中
とお伝えしておきました(ファンの方スンマセン)

これに味をしめて、この旅行中何回長友挨拶をしたことか。やはりヨーロッパのサッカーって
凄い。どこへ行ってもこれで皆親しくなれちゃう。長友選手のあのパフォーマンスと実力は
本当にヨーロッパで認められてますね。

最後になりましたが、気軽に撮影に応じてくれたお二人、お幸せに!!!

 

ー続くー

 


イタリア紀行[47]  シチリア㉓ パレルモ3 市場

2013年09月20日 08時05分04秒 | イタリア紀行2013

パレルモの市場を覗いてみました。ヨーロッパのマーケットっていつも見ていて楽しいの
です。もう夜の6時くらいで買い物客はかなり少なめでしたが、その分ゆっくり見て回れ
ました。

 

見慣れぬ食材が一杯。左の写真の紐状のものは一体何でしょう。うなぎのようにも見えたの
ですが、ちょっと細すぎ。まさか海蛇じゃないでしょうね。

ピーマンとかパプリカが日本のものとは違って一回りも二回りもでっかい。
それと色がいいんですよね。それで食材の色に負けないように食器も鮮やかな
色合いのものが多いのでしょうか。

このいんげん豆のおばけみたいの。こんなでっかいのは初めて見ました。一本で腹いっぱい
になりそう(笑)

 

右の写真の上のでっかい鍋に入っているのは茹でたじゃがいも。街角の八百屋にも
同じように茹でたじゃがいもを何箇所かで見ましたが、パレルモの住人は自分で
茹でないのかなぁ。まぁ、綺麗に皮を剥いて茹でてくれてると便利ではあります。

色々な種類のオリーブ。シチリアはイタリアでも一番オリーブの出荷量が多いそうです。
でも、種類はスペインのほうがもっとありますね。両国とも本場だけあって、とても美味しい。

 

こちらはお肉屋さん。日本と違いブロックのでかいこと。まぁ、お肉も新鮮そうで、食欲を
そそりますわ。

 

ー続くー


イタリア紀行[46]  シチリア㉒ パレルモ2

2013年09月18日 07時58分41秒 | イタリア紀行2013

シラクーサから一気に6時間くらいかけて高速道路を突っ走り、島を半周してパレルモに。
殆ど追走してくる車もすれ違う車もないような閑散としたフリーウエイで運転は非常に楽で
ありました。

そして宿。パレルモ市内は大変に交通マナーが悪い上、一通が多い、狭いという話を
聞いていたので、大通りに面して目標となるランドマークのある宿を。そこはパレルモ
鉄道駅から近く、でっかい植物園の前。お陰様で全く道に迷わず到着。

宿の前には植物園のジャカランタが満開。なんともまぁ豪華に咲いています。
向こうの大通りにもジャカランタの並木道が。こうしてお花見が出来たのは
とってもハッピー。

チェックインを済ませたら早速町中散歩。例によって小型の手提げ袋という出で立ちで
颯爽とホテルのフロントの前を通りかかったら。ホテルの方から「そんな格好で町中を
歩くのか?危険だからパスポートはフロントで預かる、多額の現金は必ず部屋の金庫
に入れておいたほうがいいよ」ですって。

まぁ、とってもご親切にということで、早速パスポートを預けていざ出陣となりました。
(金は常に必要最小限しか持ち歩きません)

上の写真はホテルから徒歩5分くらいのパレルモ鉄道駅。駅そばはきっと危ないだろう
と思い近寄らぬことに(苦笑)

大きなランダーバード(円形交差点)とその外周に沿った建物。聞けばこのパレルモは
17世紀にかなり大々的な都市計画を行い、当時最新の都市計画の叡智を集めて建設
された街として知られています。このように街路の線形を意識して作られた建物が多く、
これからの街歩きに期待が持てます。

とある住宅(アパートメント)のピロティに設えられたステンドグラス。上の半円の窓の
デザインはもしかしたら天秤バカリ?弁護士事務所かそれに類いした建物かも。
色合いがとても綺麗でありました。

なにげに撮った写真ですが、編集していて初めて気付きました。まぁ、女性の人口密度が
高いこと。ていうか男が一人もいない(笑)

広い道もこんなに車が駐車していると・・・気の弱いボクなぞはとても運転する度胸は
ありませぬ。

 

ー続くー


イタリア紀行[45]  シチリア㉑ パレルモ1

2013年09月16日 12時48分49秒 | イタリア紀行2013

シラクーサからシチリアの首都パレルモへ向かうフリーウェイがら見たシチリアの海。

内陸部はこんな風な石灰岩でしょうか、切り立った山が続きます。まるで、西部劇のロケにも
使えそうな風景。そう言えば昔流行ったマカロニ・ウエスタンはイタリア本土で撮影されました。
地層的には同じかも知れません。ギリシャの風景にも似通ったものがありますね。

向こうに見える高い山があの有名なエトナ火山。まるで富士山のよう。れっきとした現役の
活火山。ヨーロッパ最大の活火山です。殆ど毎日標高が火山活動のため変わるそうです。
最近のデータでは3,300M強ですから富士山と殆ど同じくらい。

日本では余り話題になりませんでしたが、今年の富士山の世界遺産登録と一緒にこの火山
も世界遺産登録されました。イタリアはじめ、シチリアでも全く日本と違って騒ぎにはならず、
普段と変わらぬ庶民生活であったそうな。確かにイタリア自体、世界遺産が既にゴロゴロ。
今更なによという感覚かも知れませんね。

愈々最後の訪問地、あのマフィアの巣窟、パレルモが近くなってきました。

 

ー続くー