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Rolling 55

「転がる石は苔生さず」いつまでも、いつまでも転がり続け・・・
お池にハマって、さぁ大変!  by belage

イタリア紀行[29] シチリア⑤ モン・レアーレでカンノーロを食す

2013年08月26日 16時47分30秒 | イタリア紀行2013

教会を出て近くのバルでお茶を。

水とエスプレッソと変な樹の枝のぶっといのみたいのを頼んで。太い木の枝みたいなやつ、
何を隠そう、シチリアを代表するお菓子なんでありまする。シチリアといえば、イタリア・
スイーツ発祥の地。ここで作られた菓子が、本土に渡り、フランスに渡りとなって、現在の
スイーツにたどり着くという。

そしてこの写真のシロモノはカンノーロと申します。

カンノーロの語源はラテン語で茎・筒という意味です。その名の通り筒状の焼いた小麦粉の
中に羊の乳のミルクにリコッタ・チーズやら、チョコレート、ピスタチオ、バニラ、ワイン等を
加え練り込んだものが詰められています。近年はシチリアでも色々なバリエーションがある
ようです。

ボクは大のまんじゅう嫌いの部族出身者なので、奥様が求めたこれの端っこをちょこっと
味見しただけですが、なかなかあっさりした中にもまったりとした味があり、女性が好む
わけが分かったような気がします。

実はこのカンノーロを世界的に有名にしたのはあの米国映画、「ゴッド・ファザー」です。
ボクもあの映画の大ファンでして、映画館、TVで何十回見たことでしょう。
はい、あの映画は三部作でありますが、なんと二回もこのお菓子が殺人の際の小道具と
して登場しているんです。

その説明はまたゴッドファザーIIIのエンディングの舞台となった首都パレルモを案内する時に
ご紹介しますね。乞ご期待です!

 

ーこの項おしまいー

 


イタリア紀行[28] シチリア④ モン・レアーレ大聖堂(2)

2013年08月25日 16時29分23秒 | イタリア紀行2013

主祭壇の上部に描かれたキリストの上半身。衣のブルーの色がなんとも言えません。
このブルーはまさしくビザンチンの色でありましょう。全体的にこの教会のトーンは
ブルーのモザイクで統一され、バックの金箔の色、赤味の少ない18Kの色に近く、
そういう意味ではヨーロッパなのかも知れません。

ウズベキスタンはサマルカンドにブルーモスクという大変素晴らしいモスリム教会が
ありますが、 これの基調であるモザイクのブルーに相通ずるものがあります。
この教会を創建したグリエルモ二世はビザンチン文化やアラブ文化にも寛容であり、
積極的にこのふたつの文化を取り入れたことにより、斯様な素晴らしい芸術と言える
教会が現出したと考えられます。

因みに、前述のサマルカンドのブルーモスクは、その名声が伝えられ、インドの白の
仏教寺院として知られているタジ・マハールがブルー・モスクを模して建設されました。
そういう意味では、スペインのコルドバのカテドラルも異文化が融和してあの素晴らしい
建物が出来ています。それこそ異文化の衝突がケミストリーとして、結果新しい文化が
創造されたと言えると思います。

日本もアベノミクスの一環として、世界中から知と智を招こうと、ビザの発給緩和とか
日本国籍取得条件緩和とか行っていますが、もっと大胆にそれら施策を推し進め、
次世紀に日本が生き残るための新たな価値創造が行えるようになるといいですね。

ところで、このキリスト像ですが、非常に若々しく精気に満ちたお顔をされています。
でも、目線が正面じゃないんですよね。明らかに右の方を見ているように思えます。
最初見た時ちょっと違和感があったのですけど(大体正対しているか、目を閉じている
のが殆どだと思うのですけど)。果たして、これってどういう意味を持つのかしらと。
もしかしたら、目線の向こうにはグリエルモ二世の居城があったりして。

身廊の両側の袖壁には無数のブルーを基調としたモザイク画が描かれています。主身廊
には旧約聖書の出来事が、ふたつの副身廊には新約聖書の場面がそれぞれに。聖書を
読まれている方にはひとつひとつの絵が意味をもっているんでしょうけど、門外漢のボクには
ちんぷんかんぷん。でも、ヴィヴィッドな人物描写とこのブルーの美しさだけは分かります。

これを見て思い出したのが日本の寺院で描かれる曼荼羅。ボクは京都の平等院の壁面を
飾る曼荼羅が好きですけど。あれは極楽を描いたもの。そういう意味では、洋の東西を
問わず、宗教装置というのは同じような考え方でできているなぁとしみじみ思ったものです。
日本の場合はこれに極楽浄土を表した修景池という装置もありますが。

 

ふと床に目をやると、こちらは茶とオレンジを基調としたモザイクタイルが。まぁ、なんと
もだ~んなデザイン!痺れますねぇ。「古きを知り、新しきを知る」なんてぇ言葉がありますが、
現代人でも、これだけ最先端のデザインって出来ないかも。右の円形のデザインはまさに
陰と陽を感じさせ、とても哲学的な気分になっちまう。

 いやはや、どこを見てもため息がでるような。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

モン・レアーレ大聖堂の脇には僧院があって、この回廊がとても素晴らしいらしいの
ですが、残念ながら午後は休館とのことで見損じました。このモン・レアーレの観光
スポットはこの寺院だけなのですが、一泊しても十分価値があると思います。
まぁ、しくじったと思えばまた次回リベンジとなりますので、これも旅の楽しい思い出。

 

ーこの項おしまいー

 


イタリア紀行[27] シチリア③ モン・レアーレ大聖堂(1)

2013年08月24日 16時07分57秒 | イタリア紀行2013

駐車場に車を置き、とことこと古い町並みを通り過ぎると、突然視界がひらけ、大きな広場が。
ヤシの高い木が数本植えられて、まるで南国の雰囲気。正面に見えるのが目指すドゥオモ、
モン・レアーレ大聖堂です

広場の中央には噴水が設えられ、表情豊かな銅像が(イタリア版小便小僧じゃないよ、笑
多分ポセイドンかなぁ、神話に詳しくないのでよく分かりませんが)

こちらが大聖堂の入り口。がっしりした大きな木枠。アーチ型の上には更に三角
の枠が重なって。ヨーロッパ本土で見るキリスト教会とはちょっと雰囲気が違い
ます。こんなところにもアラブの匂いが。アーチの下には恐らくコリント式の柱頭を
模した彫刻が施されて。ちょっとこれも不思議な感覚に。

 

内部に入ってこれまたびっくり。構成はキリスト教会建築の基本に則った三身廊構成ですが、
身廊を分かつ柱列がコリント式の柱頭です。そして隔壁には黄金に輝く、なんとモザイク画
が全体を覆って。これ東方ビザンチンの建築様式。

主身廊の天井を見ると、木製の沢山の梁が。まだこの時代にはあのゴチック様式の建築
技法は完成されておらず、ロマネスク時代の面影を色濃く宿しています。そういう意味では
以前にご紹介したモンサンミッシェルの僧院と似通った構造となっています。
よって窓も小さく、ステンドグラスで光を極彩色に彩るという手法もまだ完成されておりません。
でも、こういうちょっと仄暗い感じは好きです。落ち着きがあって。

主祭壇のキリスト像。その下にはマリア像が。この大聖堂自体はマリアに捧げるために
1174年に着工し1182年に完成させています。今までヨーロッパで見てきた大聖堂に
比べるとかなり工期が短いようですが、これは当時のシチリア王国ノルマン朝の第三代
国王であったグリエルモ二世の時代であり、東ローマ帝国に侵攻したり、サラディーン
がエルサレム奪還を図った時には自らの軍勢を十字軍として派遣し駆逐する等、絶大
な権力を持つ全盛期であったことの証であろうと思われます。いずれにしても、これだけの
内装を、それもモザイク画をこの期間で仕上げたことはかなりの驚異であります。恐らく
東ローマ帝国からかなりの数の職人、芸術家を大量動員したんでしょうね。

尚、このグリエルモ二世は当時のイングランド国王リチャード一世の妹ジョーンを后と
して迎えています。これも当時のシチリア王国の権勢を顕す事象であろうと思います。
残念ながら二人の間には男子は出来ずで、国王の死後シチリア王国は混乱の時代を
迎えることになります。

 

ー続くー


イタリア紀行[26] シチリア② モン・レアーレ

2013年08月23日 08時40分51秒 | イタリア紀行2013

シチリアのパレルモ空港でレンタカーを借りて。なにせ、毎回欧州旅行では道の狭い山道を
走ることになるので、「兎も角一番小さい車」をご指名。これは、縦列駐車を想定したもので、
まず日本では経験出来ない運転技術を短期間で習得することが出来るのです(笑)

普段やったことのない縦列駐車。それも英語でいう「バンパー・ツー・バンパー」で、入れたら
いいけど、どうやって出すの?という状態もしばしば。最近はボクも随分と図々しくなって
前の車に当てて車を押してスペースを作るなんてことも(笑)

空港を出て一本道のフリーウエイを走ること40分くらいでシチリアの首都パレルモに着きます。
この市内に入ったくらいで右折して、山道をトコトコ。本来なら1時間くらいで最初の訪問地
モン・レアーレに着くのですが、例によって「右に大きく曲がれ」というナビの声の意味が分からず、
直角に曲がって、道に迷うことしばしば(苦笑)結局倍近く時間がかかって、この山の上に到着。

 

眼下に広がるモン・レアーレの町並み。はるか向こうに境界が空の青と融け合っていますが、
かろうじて地中海が認められます。これは南の方角で、その海の向こうはアフリカ大陸。丁度
チュニジアが位置しています。距離は確か300KM強であったか。

そもそもシチリアは紀元前8世紀からギリシャの植民地として栄えました。あのアルキメデス
さんはこの島のご出身です。そして紀元前ではあのカルタゴとの戦いを数回繰り返し、その後
ローマ領という変遷を経て、紀元7世紀には東ローマ帝国の版図に組み入れられ、9世紀から
10世紀にはアラブの配下になり、その後12世紀に神聖ローマ帝国により奪還され、同帝国の
首都として機能した時代もありました。更にその後にはフランスに占有されたり、ハプスブルグ
家のスペインに占有されたりと目まぐるしい変遷を経ています。そして現在のイタリア自治州
となるのは第二次世界大戦後となります。

なにゆえ、こんなにくだくだと歴史を述べるかということですが、これからご覧になる遺跡・教会
等の建築物はこの歴史を頭に入れると理解しやすいからです。世界というものが西欧を中心
に動いていたとすれば、まさに紀元前から中世までの文化・歴史がこの四国の1.5倍の大きさ
のこの島に凝縮されていると言って過言ではありません。

それにしてもこの山並み。これから先のドライブが思いやられて(苦笑)あのポルトガルの
市街で道に迷って呆然としたことを思い出しました(爆)

そうそう、シチリアにはあの有名なエトナ火山があるんですよね。今回富士山と同様に
世界遺産に選ばれるという慶事がありましたが、シチリアの方たちは日本と違って全くの
無視状態であったとか(笑)因みに、エトナ火山は現役の活火山!高さも3200M強あり
ます。幸いボク等の旅行中はおとなしくしていてくれたようですが、結構噴火のニュースは
聞きますよね。最近では二年前くらいでしょうか。

こういう狭い道を(これでもまだ広いほう)。
正面に見えるのはとある教会建築ですが、まぁなんときれいなファサードなんでしょう。
思わず目を見張りました。全体のトーンとしてはロマネスク建築なんですけど、鐘楼は
アラブのミナレット、外壁の文様はビザンチン建築のような。一瞬、トルコに来ちまった
のかと(笑)

ヨーロッパで異文化の交差点というとスペインが代表格ですが、このシチリアはそれ以上。
最初にこの名も知らぬ建物を見てシチリアに嵌りそうな予感が・・・

市街の家々です。かなり古いですね。戦前の建物でしょうね。

次回は上に記した三文化が見事に溶け合った教会建築の「モン・レアーレ大聖堂」を
ご案内します。
恐らく世界で唯一の、不思議なそして美しい教会ですので、必見です。

 


イタリア紀行[25]  シチリア① ナビ・ソフトについて

2013年08月22日 16時03分08秒 | イタリア紀行2013

シチリア島の首都パレルモ空港に到着!

ローマのダヴィンチ空港を朝早く出発、飛行機でシチリアの首都パレルモに向かいます。
飛行時間はネット1時間弱。ローマからは鉄道利用という手もあるのですが、なにせ12時間
以上列車に乗っていなければいけません。シチリアには鉄道に乗ったまま、なんとフェリー
で運ばれるという素晴らし経験が出来るのでですが、ボクはこの先、スペインまで嫌という
ほど鉄道を利用しなければなりませんので、それはパス。で、国内便利用となったのですが、
ヨーロッパの国内便って高いです。日本ーイタリアの往復料金と同じくらいのフレイト!!

それはさて置き、シチリア旅行の最大の難関は足!
なにせ四国の1.5倍はあるという面積。これを約1周間で回らねばなりません。

一般的には鉄道かバスですが、これが一日に数本しかない。で、後を考えるとどうしても
レンタカーとなります。恐らく日本語で書かれた旅行案内書では殆どがシチリアを車で旅
するのは気違い沙汰という表現が多々見られます。あはは、敢えて挑戦です。

結論から言うと、フランス・イタリア・スペイン各国のあのヨーロッパ特有の訳の分からぬ
ルートとそれほど変わりはありません。はい、それくらい酷いということです(笑)確かに、初めて
車を運転する方にはとてつもない冒険旅行になるのは間違いないと思います、一回、スペイン
とかポルトガルを車で旅行した方には特に問題はないと思います。

でも、過去に散々勉強をしたお陰で、今回は色々なツールを用意して。まず、スマホは必携
ナビ・ソフトで特筆モノはGoogleマップです。これが随分と進化して、なんと音声ナビまで
してくれます。それも日本語で!但し、問題は通信費がかかること。海外ローミングを使うと
上限付きで契約して一日5000円弱となります。
で、色々ソフトを当たって出てきたのがこれ。

 

ヨーロッパ版は確か3700円くらいであったかと思います。言語は残念ながら英語ですが、右、左、
曲がれくらいは運転する人なら理解出来ると思います。これはネット接続しないで、スマホに直接
データを落としこむので通信費がかかりません。ソフト名はSYGIC

3D表示でフリーウエイを走るときなぞ、インター付近になると車線を右に寄れとか、左に寄れとか
出てきますので、とっても便利です。
但し難点が幾つか。行き先を打ち込むのですが、正確な住所がないとルート特定が出来ません
例えば走っていてふと、この近くにABC教会があったなぁ、そこに行ってみようとなっても住所が
わからないとルート設定が出来ないのです。それと道を間違えると正しいルートに戻るのに時間が
掛かり過ぎること。これは通信ではなく、メモリーにあるデータを再読み込みするためであろうと
思いますが、ルート変更をスマホがしている間こっちは走っているので、とんでもないところまで
行ってしまうことが度々(苦笑)
更に、ヨーロッパのような兎も角迷路のような市街地では、はっきり言って役にたたずで、結局
Googleマップの音声ナビを多用する羽目になり、帰って請求書を見て青ざめた次第です(笑)

SYGICはきっと米国やドイツのような道路設計が分かりやすい国なら十分役に経つと思いますが
ボクの行くようなイタリア・フランス・スペイン・ポルトガルでは使いづらいかな。

で、Googleマップですが、面白いことに気付きました。音声案内で「大きく左に曲がって」というの
は殆どUターンに近いことを意味します。特にヨーロッパでは一方通行が多いので、結構こういう
ケースが多いのですが、普通に左に直角に折れたらコース・アウト(笑)この「大きく」と言われたら
逆走するくらの角度に道があると思って下さい(爆)

それとGoogleでいいのは音声でしかも日本語でルート設定できること。これは使って本当に便利
です。というのも、地名もその国の言語によって違います。例えばジェノバはイタリア語表示で
Genoaであり、ベニスはVeneziaであったりと。運転中にこの英語翻訳を頭でやるといい加減うんざり
すること必定です(笑)

まだ確かGoogleナビはβテスト版であったと思いますが、これからもどんどん進化すると思います。
今後に益々期待ですね。

車を運転しない方も海外に行く際にはGoogleマップは大変に役に立つと思いますので是非アプリ
を入れて出かけて下さい。アプリはただですし、ナビ検索しない限りローミング料金はかかりません
ので、道を確認するには必要だと思います。

ボクは自分の車にメーカーのナビを搭載していますが、これからは高いナビゲーション・システム
を使わなくても、スマホで十分かも知れませんね。国内では料金設定は上限付きで利用しています
ので、お出かけの時は結構Googleナビを活用しています。

 


イタリア紀行[24] さよならローマそしてゴッド・ファザーの国へ

2013年08月20日 16時02分56秒 | イタリア紀行2013

最初にお見せしたスペイン広場があまりに閑散としていたので、もう一度本来の姿を。
最初の写真を撮ったときは朝方まだ天候がはっきりせず、時折小雨が降っておりました。
また別の日の夕方に再訪。

ご覧のとおりスペイン広場前の階段には人がぎっしり。

銀座通りのコンディット通りも人、人ひと(笑)

まぁ、一体どこからこんなに人が湧き出てくるのかと思うくらい。まるで渋谷の雑踏の中を
歩いているよう。

こちらは近くの有名なカフェ、「カフェ・グレコ」。ローマで現存する最古のカフェ。例の銀座通り
であるコンディット通りにあります。グレコはあのスペインの有名な画家もそうですが、イタリア、
スペイン語で「ギリシャ人」の意味。スペインのエル・グレコなんてもろ「ギリシャ人」という名前で
呼ばれて。彼の場合はギリシャから移住してトレドに住み着いて制作活動をした移民であります。

で、この喫茶店、現在もそうですが、各界の著名人が立ち寄る店で有名。中はとてもクラシック
な造りで、落ち着いてコーヒーやらエスプレッソが楽しめます。色々な著名人が訪れていますが、
あのゲーテやスタンダール、バイロン卿、アンデルセン、イプセン等キラ星の如く。

ここは毎回立ち寄ってますが、今回は生憎ご覧のとおり行列ができていて、残念ながら割愛と
なりました。

夕方7時ころの街角の情景。通路にはテーブルと椅子が置かれ、暗くなると夕食をとる
人たちでいっぱいに。町の雰囲気もがらりと変わります。

 話は変わって、これは今回泊まったホテエルの前面道路の風景。なんやら沢山の人達が
道路を占拠して騒いでいます。夜の9時過ぎであったか。

てっきり、昨今のイタリア経済悪化に伴うデモでもやっているのかと思ったら。サイクリスト達
のデモでありました。なんとなんと概ね20分近くもこのチャリンコ集団の行列が絶え間なく続いて。
流石、チャリンコ大国イタリアでのシーンであります。でも、車を制限している訳でもなく、一般
車両もこの集団の間を縫って走ってます。当然クラクションの音が絶えることはありません。
よく事故を起こさぬものだと感心しきりでありました。

さて、次は同じイタリアですが、あのゴッド・ファザーの国、シチリアへ。さて、どんな旅になるか
乞うご期待です。


 

 


イタリア紀行[23]  ローマのパスタとか

2013年08月19日 16時30分50秒 | イタリア紀行2013

やはりイタリアといえばパスタ、これに尽きます。パスタに始まってパスタに終わる。
ちょっとボク等が食した代表的なものを ご紹介します。上の写真はとあるレストランの
店先に陳列してあったポルチーノ茸。イタリア版松茸です。香りと歯応えを楽しむ素材。

はい、これがそのスパ。ちょっとポルチーニが隠れてますけど、いい香りとパルメザン
チーズがよくあって、満足の一皿でありました。

こちらはラザニア。日本のラザニアはかなりしっかりした味付けのものが多いのですけど、
今回のローマの食事はとっても軽い味で今までのボクの常識が覆されました。いわば
日本で例えると京都料理の感覚。薄味だけどとってもコクがある、そういう表現がぴったり。

こちらはツナとトマトのパスタ。トマトの甘さが嬉しい一品でした。

魚介のリゾット。なんともこれも上品な味で、魚介の味がご飯に染みこんで、最高でした。
米粒を見るとジャポニカ米に似ていますが、粘り気がなく、噛むと中がアルデンテで
とっても美味しかったです。

ムール貝。トマトスープで軽く煮込んで。これは逆にちょっと薄味だったかなぁ。貝の実も
小ぶりな感じがしました。ボクとしてはスペインのニンニクたっぷりのムール貝のほうが
好みではあります。

普通のミックスサラダ。これにオリーブオイルとワインビネガーをかけて塩コショウで
戴きますが、野菜がうまいです。日本では野菜が高いので、たっぷり食べることが
出来ず欲求不満でありましたが、こちらでガンガンと(苦笑)

ところで、ローマの食事の値段ですが、上の一皿が大体14~15ユーローくらい
で、どちらかというと安い方。
殆ど夕食はホテルの近く(テルミニ駅から7,8分くらいのところ)のリストランテで
とってましたが、日本円で1500円から2000円くらいの見当でしょうか。日本では
この値段はまぁまぁの方に入るんでは。それでも地元のリーマン達がふつ~に食べて
います。やはり経済危機の煽りがこんなとこに表れているんでしょうか。意外と食べ物
の値段って、勿論円安の影響もあるんですが、高いと思いました。

行き当たりばったりで飛び込んだ食堂のいずれもが及第点以上のお味で東京に
もってきたら確実に高級レストランの味ですが、ローマっ子も日々の食事が大変だなぁ
と思った次第です。もっとも東京も、丸の内の食事情は殆ど変わりませんが、今や
大多数はお弁当とかコンビニ弁当が多いようで。いずこの国も食べることでは苦労が
あるようです。

 


イタリア紀行[22]  オードリーを探して⑤ 「真実の口」

2013年08月19日 08時18分03秒 | イタリア紀行2013

ローマ市内を流れるテヴェレ川 。イタリアで三番目に長い川だそうです。
川には中洲があって、ティベリーナ島といいます。この川を見ながらそぞろ歩き。
とは言っても、季節は6月の初旬ですが、結構暑いです。今頃のローマは大変
でしょうね。日本のこの暑さの比じゃないと思います。バカンスで一斉に人が
いなくなるのもよく分かります。

この島には16世紀に建造された病院やら12世紀創建の教会があり、ひとつの
町を形成しています。

町中を歩くとところどころにローマ時代の遺跡がポツンポツンと。遠くにひときわ
目立つ尖塔がありますが、これがこれから目指すところ。

濃い茶色の建物がかの有名なサンタ・マリア・イン・コスメディン教会。でも、殆どの観光客は
その名を知らないし、覚えようともしません(笑)斯くいうボクもその一人。なんと言ってもこの
教会の見所はあの「ローマの休日」の最高の場面と言われる「真実の口」があるから。もう
教会の名前を言わないでも、「真実の口」と叫べば誰でも分かります。

はい、これがその「真実の口」。この画面の右側には大勢の観光客が列を作っています。
ボクの撮影している場所は教会の外の網状の格子から(笑)列に並ぶのが面倒な人の
ためにわざわざ覗き穴を作ってくれているという寸法。

実はボク自身ここを訪問するのは初めて。この海神トリトーネの口に手をいれると、邪心
のある者は手を噛み切られるか、はたまた手が抜けなくなるという伝説があるそうな。
「ローマの休日」でヘップバーンがグレゴリー・ペックの嘘の仕草に驚いた表情の演技で
新人ながらアカデミー賞をとったのは有名な話。
で、ボクもこういう人柄、手を噛まれたら旅行が続けられなくなるので、毎回こちらに
来るのを遠慮していた次第。はい、今回もこうして遠くからズームで祟られぬよう見学で
あります(笑)

というか、この彫刻、元々はマンホールの蓋(笑)それを聞いて興味をなくしたというのが
「真実の心」であります(爆)

 

はい、観光客の皆さん、こうして自分の心の汚れのなさを証明されておりました。こちらの
お二方、日本の観光客。それが、なんと数人で来られていたようですけど、団体でかなり
の超美人さん達。けしからんのは、ボクの隣で撮影していた連中、他の女性客だとシャッター
を押さないのに、彼女たちにはフラッシュの嵐(爆)
お隣の奥様が、「日本人も外国人も男が考えるのは皆同じだねぇ」だって(笑)

いやいや、お陰様でローマの最後にオードリーを発見出来ました。なんとオードリーは
日本人だった!(笑)

教会を出てカラカラ浴場の方向に散歩を進めます。テヴェレ川の支流でしょうか。大きな
河川敷です。向こう側にはフォロ・ロマーノと同じような巨大な建物群が。確か美術館か
博物館であったか。

歩き疲れて、汗もかき喉も渇きました。こちらでスイカを所望。八分の一カケくらいで1.5ユーロ
(200円弱)だったか。とっても甘くてみずみずしいスイカ!美味しかったですよ! !

 


イタリア紀行[21]  昼食にステーキを食らう

2013年08月16日 16時44分11秒 | イタリア紀行2013

バチカン市国の見学を終えて、地下鉄駅そばでレストランを物色。一番混んでいたのが
こちら。ほぼ満席状態。

こんなブーケが飾られたテラス席で。ビールとワインを頼んでっと。奥様は確かピザを頼んだと
記憶してますが・・・ボクの頼んだものが強烈だったので、写真に撮るのを忘れてしまった(苦笑)

はい、ボクの注文したのはこれ。Tボーンステーキでございまする。なるたけ小さいのでいいから
とボーイに頼んだんですけど。どう見ても刃渡り、じゃなくて骨渡り30cm以上はあろうかという
代物。「いやぁ、軽いから平気で平らげられるよ」なんていうボーイさんの言葉を信じて。

焼きあがった頃合いを見計らってボーイがご親切にも肉を切り分けてくれます。が・・・
どう見てもかなりのレア。写真でみても。。。だいじょうぶなんかいなと思っていましたが、
郷にいれば郷に従え。かなり不満はありましたが、食べてみました。

むむっ、なんと、これは!!

はい、大変に不味い!!(爆)

全く歯がたたないチューインガム。おまけにいくら噛んでも肉汁も出てこない。大体、この
ボーイもうまく切り分けられなくて、途中で他の客の注文取りに行っちまったし(爆)

結局悪戦苦闘の末、三分の一を食べ終えたところで降参。ボクも世界でいろんなところで
ステーキ(含むTボーン)食べてるけど、こんな不味いの食ったの初めて(苦笑)大体、こんな
でかいのを、こんな小さな携帯グリルで焼くことが非常識。おまけに、上に載ってるハーブ
も少ないし(と、全てが恨みに思えるものでございます)

え~と、昼過ぎのカフェテラス。こんな時間にこんな大量の肉を食している人は流石、
イタリアでも珍しく、道を行く人達の好気の視線を感じ、それでも懸命に食べたボクで
ありますが。最終的にはギブアップ。

アタマ来たのでノーチップで帰りましたが、切り分けてくれた兄ちゃんが追いかけて来ましたよ。
「なんで、チップおいてかないんだ」って。で、「あんな食えない肉をサーブした奴にはチップ
なぞ払えるか」と説明したらショボンと退散しましたが、やはり彼らも酷いの出してるなと
思ってるのかなぁ・・・

やはりイタリア、ハムかスパゲティにしておけば良かったと後悔先に立たずでありました
(苦笑)

 


イタリア紀行[20] バチカン市国「サン・ピエトロ大聖堂」③

2013年08月15日 16時03分12秒 | イタリア紀行2013

 のっけからお見苦しいものですんません。二人の後ろの大きな建物が今出てきたばかりの
サン・ピエトロ大聖堂です。そしてボク等が立っているのがサン・ピエトロ広場
大聖堂はあのミケランジェロの基本設計で1564年に竣工しています。創建は4世紀であり、
前述16世紀まで様々な変遷がありました。

ところで、この広場といえば法皇のミサの際、立錐の余地もないほど信者で埋め尽くされますが、
なんといっても一番集まるのが法皇選出のコンクラーベ。よくTVで選出後に煙突から煙が上がって
無事新法王の誕生を知るわけですが、その煙突ってどこにあるんだろう。目をこらして見ても
よくわかりません。

で、ローマde「突撃、煙突どこじゃ」を敢行。広場の観光客でキリスト教徒らしき人、数十人に聞いて
回るも、皆「そんなの知らない」と素っ気ない。漸く、三人のシニアなカップル、彼らは英国から来た
そうですが、その中のご婦人が「私達も分からない、でも某なにがしの旦那さんが詳しいからちょっと
聞いてみる」と百メートルくらい離れたところにいたその御仁を探してきてくれて。ご親切に甘えて
ついでに写真もその御仁に撮って頂きました(厚かましいなぁ 苦笑)

で、件の煙突ですが、大聖堂の右側の彫刻の真下にとんがり屋根の小さな塔が見えます。
これがその煙突だそうです。遠くから見たら全くわかりません。はい、これで胸のつかえが
おちました。ホントに有難うございました。

この広場、なんと約240メートルの規模を持つ楕円のカタチをしています。ラグビー場2つ分くらいの
広さがあります。流石世界のキリスト教の総本山。
ところでこの広場の設計は、あの天才彫刻家であるジャン・ロレンツォ・ベルニーニ。先にご紹介した
スペイン広場の「船の噴水」、大聖堂の主祭壇の天蓋も彼の手によるものです。

ベルニーニ設計の柱廊。前後の柱を互い違いにすることによって外側から広場を見えづらく
しています。パラペットにはなんと140体もの聖人の彫刻群が。それも全体が大きいので圧迫感
はないですが、実際は彫刻自体5M弱の高さがあるそうです。

 

門外漢のボクでもこういう様々なポーズを聖人像に取らせるってたいへんでしょうね。転倒の
問題がありますものねぇ。

大聖堂の壁にはこんなレリーフが。ゴルゴダの丘のキリストでしょうね。

外側から見た柱廊(左)です。この右の塀のような建物がローマ市とバチカン市国
との境界になります。

境界の入り口付近にはこんな水飲み場が。熱心な信者さんたちがペットボトル
に水を詰めたり、美味しそうに飲んでいました。

 

ーこの項おしまいー


イタリア紀行[19] バチカン市国「サン・ピエトロ大聖堂」②

2013年08月14日 16時13分22秒 | イタリア紀行2013

 大聖堂の三身廊のうちの右の副身廊です。

こちらは主身廊から見た主祭壇。いつもはもっと近くに寄れるのですけど、この日は
きっとミサがあるのかしら、立ち入ることが許されませんでした。

主祭壇前の天蓋を支えるねじりん棒のような支柱。このカタチはスペインやポルトガル
の教会でよく見られたもの。15世紀の代表的な建築様式です。

 

この大盛堂は過去にも何回かご紹介しているので詳しい説明は省略します。
雰囲気を楽しんで下さい。

 


イタリア紀行[18] バチカン市国「サン・ピエトロ大聖堂」① 「ピエタ」

2013年08月13日 16時15分19秒 | イタリア紀行2013

システィーナ礼拝堂を出て、サン・ピエトロ大聖堂へ向かう通路です。
やはりミケランジェロのあの「最後の審判」(↓↓)は超人気。天井をずっと見ているせいか
皆さんちょっとお疲れ気味の顔をされてます。

大聖堂の正面玄関から見た聖堂の右ウイング。パラペットには無数の彫刻群が。
丁度この時折悪しく、また雨が降って。この正面はとても大きな広場があるのですけど、
そこにたむろしていた観光客がどどっと大聖堂へなだれ込んで。

大聖堂エンタランスの天井です。
この大聖堂は三身廊で構成されていますが、右側の副身廊を入ったところに
またもミケランジェロの大傑作が置かれています。

ミケランジェロのピエタ。この構図といい、キリストを抱きかかえるマリアの姿。
先の「最後の審判」と並びミケランジェロの最高傑作でありましょう。世に「ピエタ像」
は数多ありますが、この作品を凌駕するものはないのでは。ボク自身の好みで言うと
このピエタと並び称されるミケランジェロのフィレンツェは市庁舎前の広場に置かれた
ダビデ像より好きであります。

キリスト教徒でないボクが見ても、いつもじっと見入ってしまいます。

この作品はミケランジェロの絶頂期に制作されたもの。1498年に制作を開始して、1500年
に完成させています。尚、ミケランジェロはこの他に三体のピエタ像を制作していますが、
完成したのはこの一作のみであります。1498年というと彼の生誕は1476年ですので、まだ
20歳をちょっと過ぎた頃。天才というのは年輪を経た円熟なんて必要がないんですね。

他の作品に比べてキリストの姿も手足に打ち付けられた釘とか胸や腹を刺された傷が殆ど
ありません。それでも、柔和なマリアの顔にこの上ない深い悲しみを感じさせるのは、やはり
天才の業であろうと思います。

更にマリアの若々しい顔。それまでのマリア像はある程度年を経た顔をしていますが、この
ピエタ像のマリアは少女のまま!ミケランジェロ曰く、マリアは無原罪、穢れを知らぬ訳で、
それ故永遠の処女であるべきだという主張であったそうな。なるほどと思わせる説得力が
あります。この無垢な悲しみが多くの人の感銘を呼ぶのでしょうね。

この写真は透明なガラス越しで撮影されています。なんと防弾ガラスに守られているそうです。
それは過去にマリアが二度も受難にあっているから。一回は暴漢に左の手の指を叩き壊され、
他一回は顔面を銃で撃った不逞の輩がいたそうです。それもこのマリアを愛する余りの所業
であったそうな・・・これも傑作であるが故なんでしょう。

 

 


イタリア紀行[17]  バチカン市国「システィーナ礼拝堂」

2013年08月12日 15時56分53秒 | イタリア紀行2013

さて、愈々今回ローマ訪問の最大の見所、システィーナ礼拝堂に向かいます。
バチカン美術館からシスティーナ礼拝堂に至る豪華絢爛な黄金の通路です。

そして礼拝堂に至る約200mくらいでしょうか、その間の通路にはこんな金色に輝く様々な
絵画が。ルネッサンス期のイタリアを代表する芸術家たちが競って腕を振るった結晶がここに。

この天井画ですが、目を凝らしてみると時々立体的に飛び出して見えるところがあります。
これが本物のレリーフか遠近画法を使った騙し絵であるか、現物を見ても全く判然と
しません。多分そんなところを意識して撮ってきたので、殆どは騙し絵手法のものだと
思いますが。デジタル写真ですと、より強調されて飛び出て写る傾向にあるようで、こうして
画像編集しているボクの目には、どれが本物のレリーフで、どれが遠近画法かますます
違いが分からなくっています(苦笑)。

こちらはコブラン織りの「最後の晩餐」。ちょっと面白い構図です。手前の使徒たちがこちらを
振り返っているように見えます。裏切り者の知らせでも届いたところなんでしょうか。
ユダがどこかちょっとわかりづらいのですが、画面手前左端かなぁ。

そして黄金の回廊が終わったところを出ると、愈々礼拝堂の入り口です。
残念ながら礼拝堂の中、あのミケランジェロが描いた大天井画の「最後の審判」は
撮影禁止になっています。バチカンで、観光客が入れる場所で唯一だろうと思い
ますが、撮影不可の場所です。

因みにこの礼拝堂は法皇の公式の執務室という位置づけですが、一般的には
例の法皇選出の際、この礼拝堂に候補者が缶詰になって投票を行うコンクラーベ
場所として有名です。

上の二枚はウイキペディアさんからお借りしました。上の写真は礼拝堂の半分です。手前に
同じくらいの大きさの部屋があって、ミケランジェロの最後の審判の天井画が続いています。
この写真は恐らく修復前の撮影ではないかと思いますが、数年前に大修復がなされ、かつて
見えなかった細部が克明に再現されています。ボクは修復前に二回、修復後の今回が二回目
で都合四回観たことになりますが、はっきり言って修復前は何の絵かよく分からなかった(苦笑)

修復されて、ミケランジェロが何故天才と言われたか、すんなりと理解出来ました。何故なら描か
れている人物がまるでそこにいるかのように立体的に見えたからです。現代の我々は3D画像
という近代科学でかなりリアリティの高い画像を見ることが出来ますが、フレスコ画でこれだけの
自然な立体画像を表現できるとはもうため息しか出ません。

そしてバスケット・コートが二面入るような巨大な部屋の天井に、どこをとっても緩みのない、緊張感
溢れる情景を描き出す力量はまさに神業としか思えません。

歴史的に見るとこの作品の発注については最後までミケランジェロとダ・ヴィンチが競い、ダ・
ヴィンチは敗れ、空しくモナリザの絵を持ってフランスに行くのですけど。理由は遅筆なダ・
ヴィンチではこれだけの大作は完成させられないだろうという懸念が強かったと言われて
います。多分大方の識者の見方は当たっていたんじゃないかしら。

え~と、これからこのミケランジェロの最後の審判を見に行かれる方がいらっしゃったら、
アドバイスさし上げることがひとつ。是非、快晴の日にお越しください。この日は生憎の雨模様。
時折小雨がぱらついて。この礼拝堂、非常に明かり取りが小さく、照明も殆どありません。
で、修復直後に見たあの素晴らしい色遣いが全くと言ってよいほど感じられず、躍動感溢れる
動きが減殺されておりました。是非是非快晴の日に行って下さいね。

 

 


イタリア紀行[16] バチカン市国・バチカン美術館②

2013年08月10日 09時52分55秒 | イタリア紀行2013

この建物がバチカン美術館となっています。
さすが、世界一のキリスト教の王国だけあって、世界の各地からの名画・彫刻が展示されて。
膨大な数ですが、恐らくそれも一部でしょう。日本人画家では藤田嗣治まであったのには
ちょっとびっくりでした。古いものだけでなく近代のものまで洋の東西を問わずということ
なんでしょうね。それと藤田さんについては、彼は晩年カソリックに改宗しているので、その
関係もあるんでしょう。

この美術館だけでもかなり端折って見て回りましたが、概ね2時間を要しています。おまけに
かなりの枚数の写真も。それだけで記事のアップに1週間はかかると思いますので、適当
にご紹介します。

 

これは特別展のようなカタチで展示されていたものだと思います。ボクはエジプトはカイロ
博物館は数回行ってますけど、こちらのミイラと棺も相当立派なものでした。日本の刀剣と
甲冑まで展示されていたのにはびっくり。

夥しい数の彫刻群も。

そして目を床に転じると、まぁ立派なタイルが。イタリアでは展示物から天井・壁・床と
目を配らなくてはいけません。忙しいこと甚だしです(苦笑)

 

ーこの項おしまいー


イタリア紀行[15] ローマの食事①

2013年08月09日 08時00分51秒 | イタリア紀行2013

この日はフォロ・ロマーノから30分くらいてこてこ歩いた、とあるビジネス街の一角で食事を。
ヨーロッパって道が狭いので、こんなふうに建物と建物を空中で繋げている建物が多いの
です。日本では最近やっとこういう建築が特例で認められるようになりましたが。民法を
始め建築基準法、消防法の縛りが多々あってなかなか難しいのです・・・

昼時とあって建物からローマのリーマンたちがわらわらと出て来ましたよ(笑)

そんな人達が集うあるお店に。

テーブルに置いてあるのはお水。キャップが二色にわかれているのは、片方が普通の水で
もう一方がガス入りです。日本では余り馴染みが薄いかもしれませんが、ガス入り(炭酸水)
って飲みつけると結構美味しいです。因みにイタリアの水はうまいです。問題は旅行者に
とって水はとても高価ということ。300mlくらいのペットボトルで平気で3ユーロも取られます
(約400円)
ですから、水は宿に着く前にスーパーでまとめ買い(スーパーですと1ユーロー以下で2Lボトル
が買えます)
それとヨーロッパはどの国でもそうですが、公衆トイレがありません。日本みたいにコンビニも
ないので、ちょっとトイレを借りるというわけにもいかず。で、緊急の時は「BAR」という居酒屋
で一番安いコーヒー(3ユーロくらいかな)を飲んで用を足します。

はい、ヨーロッパ旅行は、水を入れるのも出すのも金がかかります(爆)

で、食事時は水分補給の重要なチャンスであり、水分排出の最大のチャンスであります。
沢山飲んで沢山出す、これが旅行の鉄則(笑)

イタリアと言えばワイン。ですが、初夏とはいえ、暑いんです。ワインは夜にとっておいて、大体
今回の旅行中、昼はもっぱらビール。ちょっとしたレストランなぞに入ってビールなんて言うと
「ここはイタリア、それもローマだよ。びーるなんて飲んじゃいけません」なんて言われることも。

でも、イタリア人も結構ビールを飲んでます(笑)

暑い日中歩いた身体には、やはりビールはうまいです。それと、イタリアってやはり水がいいのかなぁ。
ビールもうまいんですよ。但し、ワインと比べると高いかも(ワインはハウスワインしか飲まないので)

この日食べたのはワンプレート・ランチ。ブッフェ形式で15品くらいの大皿から選んで。
30センチの大皿に盛りつけて。盛れるだけ盛っていいんだそうで、おかわりすると
別料金になるシステム。最近は食欲が減って・・・昔ならこういうところでは山盛りに
して喜んだものですけど(でも山もりか 笑)

お味ですか?それが、ボクの過去の何回かの訪問で、それまでローマの食事はまずいと
思っていたのですが・・・なんと昔食べたドイツのイタリアンとケニアのナイロビのイタリアン
が一番うまいと思っていたのですが・・・(ドイツと英国は自国料理以外は結構うまいです 笑)

今回の旅行でびっくりしたのは、ローマ市内の場末で、しなびたお店で食べてもうまい
数年前はもっとこてこての味がしたと思ったのですが、結構薄味で、例えて言えば関東
料理のイメージで行ったら関西風のダシの効いた料理を食べている感じ。素材のうまさ
が出ている感じ。それと野菜がいいですねぇ。本来の味がして。上の写真の右端にコメ
見たいのが見えますが、これはクスクス。モロッコ料理のパスタですが、これは逸品でした。
ちっちゃなパスタが口の中で弾けて。なかなかこの食感を出せるお店は少ないのよね。

ということでとても満足なお昼でありました。
(ブッフェ料金は11ユーロ)