![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/42/074122990c99d5934418de0367e77112.jpg)
フィレンツェにあるウフィッツィ美術館の天使
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/55/04d4f91b0816199ef91cc30e6bd896fd.jpg?1615599089)
どこか違和感を感じるのは自分だけかな
「何もできない事を学ぶ」
とても深い言葉だと思います
良い意味での開き直り
ある意味悟り とも
そもそも、自分は何もできないということを知る事が最大の学び
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/55/04d4f91b0816199ef91cc30e6bd896fd.jpg?1615599089)
震災時のこの写真に心を奪われた記憶がある
この方は 小原宗鑑副住職
震災発生から約3週間後の4月1日に寺を出た
「誰かに寄り添ったり出来るかもしれない」
暗闇の中、到着した宮古・浄土ケ浜の林にテントを張った
夜明け
見えた風景に「頭の中と現実が一致しなかった」
僧衣に着替えても「ちゅうちょしていた」
通りがかった中年女性から「あんた、何してんの?
その服を脱いでボランティアでもしたら」の声
背筋が伸びた
ようやく歩き出したが、惨状に声が出なかった
「助けを呼ぶ声をお経でかき消してしまうのでは。ご遺体を探している御家族に死を突きつけてしまうのでは」
がれきに合掌することが精いっぱいだった
たまらず師匠の中島紹信住職に電話した
「何も出来ないことを学んできなさい」
鎖につながれてたままの犬
浜辺で倒れた雌牛の乳房を真っ黒なカラスがつついていた
「数え切れない命が失われている」
拝みは謝罪に近かった
体育館の遺体安置所で約100体を拝んだ
一方で、隣接グラウンドでは笑顔で元気にサッカーをする子どもたちの姿
死と生、静と動があった
「無があるからこそ、有るということが引き立った」
毎月11日を「知足の日」と定め、当時の被災地の生活を共有している
1日、白米とみそ汁だけ
農家の苦労、調理してくれる人の思い、太陽や生命の恵み
「有る」ことに感謝する
「普段は食い散らかす子どもも残さず食事し、お風呂もきれいに入るようになった。言葉で言われなくても、伝わることがある」
我々は無力だ
無力が故に
争いを生む
無力が故に
愛を知る
何もできないからこそ考える事がある
そんな天使の二人のイメージ
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