R.K official blog

旅・サーフィン・スノーボード・ロック・夜遊び・仕事・投資・投機

メルローズ

2020-04-05 15:11:00 | 旅行
10月2日 快晴


ジャニスジョプリンがオーバードーズで最後を迎えたハリウッドのホテルを出て




メルローズアベニュー目指して歩く




意外に遠く、喉もカラカラ



スーパーでゲーターレードのレモンライムを飲む



¢99だった




やっとメルローズに着いたが
Saturdayの為か休んでいる店が多かった



メルローズをずっと歩いてまわって


荷物が重くて歩き疲れ





ようやくタクシーを見つけサンタモニカへ




海の近くのユースに泊まる




英語が全くわからなくてチェックインに手こずった




ブラジル人とイタリア人の若者と同じ部屋



それからビーチへ直行




綺麗な海とは言えないが、スケールの大きさに驚いた



それにしても暑い!!



街に出てぶらっと歩いてマックでご飯




気のいいおばちゃんに出会えて少し話す




日本語を習ってるらしく、片言の英語と日本語で何となくわかり合えた





朝の8時だから




日本は夜中の1時くらいかな





1週間くらい泊まってからまた違うところへいくんだ




またね
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nowhere man

2011-04-27 23:04:17 | 旅行


サンディエゴからトロリーバスに乗って、メキシコの国境近くまで行くと、国境を越えるための乗り合いバスを探さなければならない。
徒歩だと国境越えは困難のようで、仕方がないのでバスを探すことになるが、何のことはない。そこら中で、それを生業にしているメキシカンが手招きしている。
直感で、若い兄貴の呼びこむ古いシボレーのバンに決めた。

数ドル払い、車に乗り込もうとしたところ、乗る場所がない。
8人乗りのバンに、既に10人以上は乗っている。

「ヘイ!」
俺は、兄貴にジェスチャーで乗る場所がないことを伝えた。

いいから乗れ的な言葉に、今日の直感を呪った。

とはいえ、ここまで来たら引き下がれない。

中を見渡すと、無愛想なメキシカンファットママ達ががずんぐりと座っている。

ああ、日本なら多少は気を遣ってくれるのに、これがグローバルスタンダードってやつかなどと妙に納得し、

「じゃあ、俺も図々しくいかせてもらうわ。」
通じない言葉で気合いを入れ、ファットママの間に尻を割り込ませた。

ヤツら半端ねぇ

弾き返しやがった!

言葉もなく、無表情なその態度。

まぁ、ムカつくというバロメーターを振り切った。

腹を括った俺は、ファットママの膝に座ろうとした…

ドンッ

ふっ飛ばされた。

「ほう、これがワールドワイドか。」
などと意味不明なことを言いながら、俺はファットママ達の膝と助手席の間に身を捩りながら乗り込んだ。

うんうん頷いている様を見て、本当に意味がわからなかった。

やつらには、ホスピタリティの精神どころか、

道徳観?とかそういった類の観念がないように感じた。

それが善い悪いは別として、これが世界なんだと痛感させられた。

今回の旅の目的は、シルバー系のアクセサリーの買い付けと、
新しい商材のヒントになるような物の探索と、

アディオス!

アミーゴ!!

メキシカンのアミーゴを作るためだ。できれば可愛い女の子。。。

・・・続く






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回顧録

2010-11-23 19:24:09 | 旅行
どのくらい走っただろうか、
ゆうに1,000キロは超えているだろう。

アリゾナを抜けてニューメキシコに入ると、すれ違う車も皆無となり、食料を調達できる店も数百キロ間隔となっていた。

相変わらず荒野が続き、100マイルでスピードをキープしたポンコツのシボレーにヒッチハイクしてくる奇特な人間もいなかった。

ただひたすら東へと走る俺たちも、目的すらわからなくなっていた。

水もガロンの単位すらもわからなかったが、次の中継地点が皆目見当が付かなかったので余分にストックするようになった。時折立ち寄るスタンドで炭酸飲料を飲めるのが唯一の楽しみだった。日本では、セルフのスタンドがなかったので最初は言葉も含め手こずっていたが、全てが予定調和の中の日常へと変化していた。

ショートホープも幾つか持って行ってはいたがとっくになくなって、いつの間にかクールがしっくりするようになっていたし、水のようなミラーも深い眠りを誘ってくれた。

敏充とも殆ど口を利かなくなっていた。車中はローカルチャンネルに合わせたカントリーソングで十分だったし、お互いの価値観の違いとそれを認められない若さが衝突していたのも事実だった。

日が暮れると適当な場所に車を止めた。
フリーウェイといっても都市のように整備されているわけじゃなく、荒野にアスファルトを敷いただけで路肩なんてものはなく、道をそれれば広大な荒野へと続いていた。

適当な場所といっても、寝床にいい場所や落ち着ける場所を探すには少々手間取った。見晴らしのいい場所は嫌って、風も防げるようなところ。こういう場所を探すのは本能のような気がしないでもない。唯一、そのポイントだけは敏充と気が合ったからだ。

もう少しでテキサスとの境だろうが、地形に起伏が無くなかなか適当な場所が見当たらなかったのでフリーウェイから10メートルほど離れた場所にちょっとした窪みを見つけ、今夜はそこに泊まることにした。

俺は近くに転がっている適当な石を並べ竈を作った。固形燃料に火を点け、フライパンに水を浸した。俺の夕食はもっぱらマルちゃんのインスタントラーメン。一袋十円程度だったし、食べ物はそれこそ自己満足以外の何ものでもないと思っているので、腹を満たせば逆に何でも良かった。

敏充は、そんな俺の意見と衝突してキャンプ道具一式購入に難色を示したため、何かしらパンの類を買いだめしていた。

腹が満たされると、問答無用で漆黒の暗闇が襲ってくる。

季節感も無く、昼間はタンクトップどころか海パンに拾ったナイキのエアフォースⅠで過ごしていたが、温度差が約50度もあるということは帰国して初めて知った位で、随分と寒くなるので、沖縄の親友とバンソンのライダースと交換したビンテージのスカジャン(それも数年後に実は横須賀の某商会のスカジャンと判明)とサンタモニカで買った501の赤耳がパジャマ代わりだった。

ヒップホップがまだ根付いていない時代に、敏充はだぶだぶのズボン履いて、アメリカンキッズよりも一歩先行っているような格好していた。

ラモーンズもミスフィッツも影響されたバンドは全部敏充から教わったが、ヒップホップだけはどうしてもなじめなくて、新しい文化を素直に受け入れられない俺とそこでもかみ合っていなかった。時折、なんでそんな二人がここにいるんだろうって思うこともあった。

「どこまで行く?」
口火を切ったのは敏充だった。

「んーニューヨーク?」
久しぶりに会話した気がした。
サンディエゴの質屋で手に入れたギブソンS-1をかき鳴らしながら素っ気なく応えた。ビートルズが使っていたなんて煽られたわけじゃないが、いや、少なくともビートルズが使っていようがいまいが、直感で欲しくなった。$300を$260にまけてもらったギターだ。

「ギター調子良い?」

「アンプ繋げないとわかんないけど、気に入ってるよ。弾いてみる?」
オーク素材のギターはずっしりとしたが、敏充に差し出した。

「どれ。」

シャラーン♪

静寂の闇に染み入るように440ヘルツの周波が響き渡った。

「相変わらず下手だな。」
笑顔が照れ臭かったが、悪い気はしなかった。

「飲む?」
敏充はミラーを渡しながら言った。

「今日、誕生日なんだ二十歳の。」

「まじ?そうだっけ、おめでとう!いいなアメリカで成人かよ。」

 乾杯

ビンが弾く音でスイッチが入ったように話し出した。

「やっぱさ、テキサス近いとカントリーばっかなのかな?ヒップホップとか、ビルボードチャートは聞けないのかね?」

ラジオのチューニングをいくら回してもとことんカントリーには笑えた。

いつの間にかシャンデリアのような星星が空いっぱいに広がっていた。
ラジオのボリュームを目一杯上げて車のボンネットの上に寝転んで、しばらく空を眺めてた。

生きてるんだ

初めてそんなふうに思えた。

明日のことはわかんないし、やるべきことも義務も面倒も何も無い。
ただ、生きるため行動してるんだって。

だって明日生きてる保障はどこにもないんだから。今を最高にしてなければ後悔するよな。今、この瞬間が全てなんだ。

俺の勘違い?な人生がシフトした瞬間だった。







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