50年以上前のビートルズの初期アルバムを聴いてみたのに触発され、久々バーズでも聴いてみようと取り出したのは、2015年に出たデビュー50周年の記念盤、Mr. Tambourine Man。
50周年の記念盤と言う事で、ゲートフォールド使用のジャケを採用。若き日の彼らの写真が。
今のクロスビーとは全く違う容姿の若き日のクロスビー。
180グラム重量盤、透明の仕様のLP。
綺麗だけれど、演奏中ターンテーブルを眺めていると、止まっているようにも見えるし、廻っているようにも見えて、眼がクラクラするし、もし傷が表面についていてもなかなか発見出来ない不便さがある。
収録された12曲のうち4曲がディランのカバー。
サイドー1にはMr. Tambourin ManとSpanish Harlem Incidentの2曲が数6されている。
フォークギター一本で弾き語るオリジナルは、ディラン独特のガラガラ声での歌い回しでメロディーも解り難く、また単調といえば単調でしばしばうたた寝。
ディランの歌詞が優れていると言われる方も沢山いらっしゃるようだが、実際のところかなり英語力のある人でないとディランが何を歌っているのか聴き取れないと思うし、まして聴き取れる程のレベルの人でも難解な歌詞をなかなか理解できない時もある。
それなら、メロディー重視でハモリながら歌ったほうが一般受けする。
歌詞のことはさておき、バーズのおかげで後ろに隠れていたポップで美しいメロディーが全面に飛び出てきて非常にわかり易くなった。
ディランが当時どう思っていたかは定かではないが、印税ガッポガッポでバーズ様様じゃなかったのではないかと…
タンブリン叩いてるだけじゃ食えないからね。
ビートルズの初期のアルバムが発売されて早五十数年の歳月が流れた 。
他に類を見ないぐらい彼らのアルバムは何度も再発された。
再発時期によって同じ内容のアルバムでもレーベルもしくは帯(日本盤の場合)のデザインなどが異なるので、面白半分色々集めてみようかと思ってしまう。
もちろん、日本盤の場合初回オリジナル盤で帯付き且つ全体にコンディションの良い完品物となると結構値が張るので、四流コレクターは比較的値段の張らないキャピトル・レコードによるアメリカ編集盤にターゲットを絞る。
1965年に発売されたアルバム、The Early Beatlesはそれまでまだ米盤に収録されなかった初期の曲を集めてきて作られたアルバムだ。
1965年の初回ステレオ盤は、カラー・リングつきのキャピトル・レーベル。
1969年から70年にかけて再発されたものは、グリーンのキャピトル・レーベル。
1971年から75年の再発盤はなんと、キャピトル・レーベルではなく、アップルのレーベルが使用。
76年の再発盤はオレンジ・キャピトル。
そして、その後パープル・キャピトルのレーベルへと続いていく。
ちょっと不思議に思ったのは、1971年から75年の再発盤はなぜアップル・レーベルで発売されたこと。
昔なら、関係の文献を本屋で探さなければならないが、インターネットの時代となると、あっという間に回答が探し出せる。便利な世の中になったものだ。
そのサイトによると、ビートルズが設立したApple Corpsの経営が素人ゆえの乱脈 経営で行き詰まり、経理をしっかり面倒見てくれる人を探していた。
そしてポールを除く三人のメンバーが当時ストーンズのマネージャーだったアラン・クレインを1971年に任命した。ポールはリンダの父親のイーストマンが適任だと主張したが却下された。この意見の不一致もポールのビートルズ脱退の一因となった。
アランは経理を担当するだけでなくApple Corpsをコントロールし、不採算部門やアップル・レーベルのマイナーなアーティストなどをドラスティックにカットした。
その際、主導権はApple Corpsあるのだとキャピトルに申し伝えし、71年の米編集再発盤からアップル・レーベルに切り替えさせたようだ。
ミック・ジャガーもストーンズがアランの持つレーベル、ABKCOとの契約に以前から不満を持ち、その契約が終了するのをひたすら待っていて、ビートルズにはアラン・クレインはオススメしないとアドバイスしていたらしい。
後に、アランのかなりドラス ティックな手腕に不満を抱き、ポールは正しかったとしてジョンらによって解任された。
すなわちオレンジ・キャピトルでのキャピトル・レーベルの復活は、アラン・クレインがApple Corpsから去ったことを意味する。
今一度このアップル・レーベルを眺めて、四流コレクターはなるほど〜と頷く....
まあ、知っている人は知ってるし、別に知らなくともどうってことはない話ではあるが….
他に類を見ないぐらい彼らのアルバムは何度も再発された。
再発時期によって同じ内容のアルバムでもレーベルもしくは帯(日本盤の場合)のデザインなどが異なるので、面白半分色々集めてみようかと思ってしまう。
もちろん、日本盤の場合初回オリジナル盤で帯付き且つ全体にコンディションの良い完品物となると結構値が張るので、四流コレクターは比較的値段の張らないキャピトル・レコードによるアメリカ編集盤にターゲットを絞る。
1965年に発売されたアルバム、The Early Beatlesはそれまでまだ米盤に収録されなかった初期の曲を集めてきて作られたアルバムだ。
1965年の初回ステレオ盤は、カラー・リングつきのキャピトル・レーベル。
1969年から70年にかけて再発されたものは、グリーンのキャピトル・レーベル。
1971年から75年の再発盤はなんと、キャピトル・レーベルではなく、アップルのレーベルが使用。
76年の再発盤はオレンジ・キャピトル。
そして、その後パープル・キャピトルのレーベルへと続いていく。
ちょっと不思議に思ったのは、1971年から75年の再発盤はなぜアップル・レーベルで発売されたこと。
昔なら、関係の文献を本屋で探さなければならないが、インターネットの時代となると、あっという間に回答が探し出せる。便利な世の中になったものだ。
そのサイトによると、ビートルズが設立したApple Corpsの経営が素人ゆえの乱脈 経営で行き詰まり、経理をしっかり面倒見てくれる人を探していた。
そしてポールを除く三人のメンバーが当時ストーンズのマネージャーだったアラン・クレインを1971年に任命した。ポールはリンダの父親のイーストマンが適任だと主張したが却下された。この意見の不一致もポールのビートルズ脱退の一因となった。
アランは経理を担当するだけでなくApple Corpsをコントロールし、不採算部門やアップル・レーベルのマイナーなアーティストなどをドラスティックにカットした。
その際、主導権はApple Corpsあるのだとキャピトルに申し伝えし、71年の米編集再発盤からアップル・レーベルに切り替えさせたようだ。
ミック・ジャガーもストーンズがアランの持つレーベル、ABKCOとの契約に以前から不満を持ち、その契約が終了するのをひたすら待っていて、ビートルズにはアラン・クレインはオススメしないとアドバイスしていたらしい。
後に、アランのかなりドラス ティックな手腕に不満を抱き、ポールは正しかったとしてジョンらによって解任された。
すなわちオレンジ・キャピトルでのキャピトル・レーベルの復活は、アラン・クレインがApple Corpsから去ったことを意味する。
今一度このアップル・レーベルを眺めて、四流コレクターはなるほど〜と頷く....
まあ、知っている人は知ってるし、別に知らなくともどうってことはない話ではあるが….